黒沢隆

大正13年5月22日、高知県に生まれ、東京で平井康三朗氏(奈良山を作曲)、武政英策(南国土佐を後にしてを作曲)、

人間国宝竹本土佐広に師事を受け、東京芸術大学卒業後に高知で教員をするかたわら、オーケストラを構成指揮等を経て昭和28年に上京。公立学校に定年まで勤務しながら、日本の音楽(義太夫)等を勉強。NHK民謡大觀の編集をする傍ら、荻原朔太郎の詩集を作曲。中でも「広瀬川」「中学の校庭」等があり、その他にも「あしたの歌」「ハンコポンポン」などを作曲。

当時の映画の主題歌やテレビなどでも放送され、多くの人々に親しまれた。

又、田香隆のペンネームで学校指定の歌の本『みんなの歌』では戦争の悲しさを詩った「ずがいこつの唄」など数々と記された。

文学、絵画、自然、動物、あらゆる芸術をこよなく愛し、1997年1月28日悩硬束より肺炎を併発しこの世を去る、72才。