萩原 朔美さんの
推薦文
萩原朔美 多摩美術大学芸術部教授 エッセイスト 著書多数 |
海に近い下流の河原に集積している小石。 そのひとつひとつを観察すると、優美な曲線 の連なりが穏やかなカタチを生み出している ことが分かる。 ラッセル・ライトのディナーウエアは、そんな 表面の凹凸が水流によって削ぎ取られたよ うなカーブの饗宴だ。 この食器たちがセットされたり収納されたり する空間は、総て直線で構成されているこ とが望ましい。床、テーブル、ナフキン、椅子、 食器棚。それらの直線とディナーウエアの曲 線とが出会うことで、抽象絵画が出現するの だ。即興の組合わせの妙味である。 もちろん、陶器の曲線は視覚の問題として 生み出されただけではない。指や掌をどうふ れ合うのか。フォルムの決定は触覚に対する 答えでもある。サリバンの「形態は機能に従 う」のライト的解釈と言ったらいいか。 たとえば、河原の小石を手の上で遊ばせる。 すべすべの表面と指になごむ姿。時として人 は一度手にした小石を持ち帰ることがある。 何の価値もないのにだ。モノと触れ合った記 憶を書き残す日記帳のように、小石を部屋に 飾ることもあるのだ。ライトのデザインは、 そんな身体とモノとの幸福な関係を生み出す 仕掛けなのである。 触覚のフォルムと対になっているのが、視覚 の悦楽を追求した色彩だ。なんとも繊細で シックな色味である。同系色のおさえたバリ エーション。モダニズムのローエが言ったあ の「レス・イズ・モア」を思い出すのがこの 色彩設計である。彩度の差を抑える展開が 「豊か」さを生んでいるのだ。 しかし、「レス・イズ・ボア」をも知っている ポスト・モダンの我々にとって、この20世紀 の古典とどのように付き合うことがいいのか。 モノとの幸福な関係はどのように作り出せる のか。それを考えることは重要だろう。 私は、ケースに入れてながめるよりも、実際 に使うことでモダニズムとは何であったかの かを検証することが一番いいと思っている。 ライトの個性はながめるだけでは、そのごく 一部しか受け取れない。日常の中で付き合う こと。その時にデザインとは何であったのか が、身体感覚として理解できると思うのであ る。 |