楽しさを科学する。
面白いゲームって何だろう。
「くそげーは要らない」ということが言われだして結構、時間が経つ。その割に、「くそげーではないゲームとはなんだろう」というハナシがあまりないという気はしないだろうか。つまり、「面白いゲーム」。
確かにゲーム一本買うにもそれなりにお金がかかる。面白いゲームにならまあ、しょうがないけど、面白くもないゲームにはお金払いたくない。何にお金を使うかって、ゲームの「面白さ」なんだから。ゲームは、面白くなければいけない。お金欲しかったら。
「面白いゲーム」って何なんだ。
ということで、ぼくなりに考えてみた。いや、考えたというよりか整理した(笑)。
面倒なのでいきなり結論あたりから。
とりあえず、最近よく聞く「3D美麗グラフィックス!」とか「ゆうめえ音楽家によるなんとかサウンド!」とか。
確かに、見た目ばっか(時には画面写真ばっか)良くって中身が「まるめてポイ!」なゲームも有るけど、だけど音楽やら映像やらがきちゃないのも買わないでしょ?
これは「ロジェ・カイヨワの遊びの四分類」でゆうところの「イリンクス(眩暈)」。音楽を聴いて「イイ!」とかいう感動ね。それと同じものがゲームにもあるってそれだけのこと。ゲームってある意味「マルチメディア」なんだから、「マルチ」化される前のいいところも引き継いでいるわけ。
あと、「シナジー効果」とかいって、それが強化されていることもあるんだよ。
じゃ映像や音楽がへぼへぼの昔のゲームは全部くそげーか!
さっき書いたとおり、見た目がきれえでも「ケ」とかいうゲームだってあるんです。立派に。立派かどうか知らないけど。
そこに出てくるのが「フロー」ね。いわゆる「ハマリ」。「四分類」でゆう「アゴン(競争)」と「アレア(運)」(個人的に統合しちゃいました)。これはグラフィックとか関係無いッス。シナジーとかあるけどね。
ゲームをクリアーする!っていうのはフロー特性の代表格みたいなものだと思う。
シナリオの話。
これは(ひつこいようだけど)「四分類」の「ミミクリ(模倣)」関係ですな。これで全部出尽くしたな。
何故シナリオをグラフィックやらとひとくくりにしないか。こいつはぼくも悩んだとこで〜。いやまったく。これはね、シナリオっていうのは文章とか脚本とかだけでなく、あらわしていない所までを含んだ「設定全体」のことだということにして、その具体的な味付けとして「イリンクス(眩暈)」があるというふうに考えた結果。シナリオが「絵自体、画題」で、イリンクスが「絵の具、キャンバスなど」ということかな。
シナリオって、入り込めるでしょ。そののめり込める面白さってのは捨て難い。
それに、最近はインタラクティブ・ムービーとかあって侮りがたい。
つまり、ゲームの面白さっていうのは大きくわけて3つに分かれる。
1.グラフィックやサウンドのクオリティ(品質、質の良さ)
2.難関を乗り越える快感。フロー(ハマリ)。 3.展開の上手さ。魅力的な設定、シナリオ。 |
といったとこです。ぼくの限界は(笑)
そういえば、最近は1番の見た目クオリティばっかに偏ったウリが多いよね。
でもそれは3柱のうちの一つしかカバーしてないことになるもんで、つまらないことがあるのね。みんな騙されないようにしよう(笑)。実際、ゲームはあまりハイテク(死語)を追いすぎることはないと思う。他にも力を注がなきゃならんとこに力が行ってないじゃん。手抜かれてもだめだけどさ。どうせ廉価技術になってから取り入れてもいいじゃない。
ま、個人的な愚痴です(^^;
ジャンルの問題は、以前このコーナー(改装前)に書きなぐりましたが、ここに整理して書きます。
ゲームジャンルの区分けってのは、ホントは2番のゲームの解き方毎にあるべきだよね。ま、大体そうだし。それで、そういう意味でのゲームジャンルって、限界があるんです。
それは、難易度によるユーザーの絞り込みをやるからです。特に今のゲームはそう。2や3モノになるとむつかしい。それは、前作を越して(クリアして)上達しているプレイヤーにとってもう一度前の難易度から始めさせると、「ヌルい」。また、前と同じペースでゲームが進行しても、退屈してしまう。これは、「フロー」の特徴だからね。
だから、一時期に固まって同系列のゲームがでまくるのははっきり言って自殺行為なのね。
でも、つまりは時期を開ければいい。そうすれば前作に飽きて腕がなまったとこに付け込めるから(笑)。そうすればわりと初心者にも優しくて、それでいて熟練者にも満足な展開を作れるんじゃないかと思う。そうやって溜めてる間に仕掛けとかも貯金しておけるしね。
今のゲームの作り方っていうのはすごく芸術家的で、「才能のある人間にこそいいゲームは作れる」なんていう無責任な(だけどある意味一理ある)通説がまかり通ってしまっているわけです。
だけど、最近は売り物としてのゲームって言う捉えかたもされるようになって、つまりは、「売れるゲーム」っていうのが求められるようになってきたわけです。するとですね、「自分のためにゲームを作る」芸術家肌な人は確実にそう言うのが作れなくてもおかしくない。
「他人のためにゲームを作る」ためには、やっぱり「何故ゲームは面白いか」「面白いゲームを作るにはどうしたら良いか」っていうのをちょっとはまじめに考えなくちゃいけないと思ったわけですよ。だって、作ってる側は「作る楽しみ」がどうしても先行しちゃうからね。
まあ、書き上げてみて、やっぱりなんかしっくりこないとことかあるなとか思ってますから、やっぱりまだまだなんでしょうね。ということで、こういう与太話にも付き合ってくれるような気がかけらでもございましたら、メールとかお願いします。
っていうか、読んだよっていうだけのメールもください。不安なんですマジで。
(1998/10/31 松岡拾鬼)
買うときに説明書が読ませてもらえたりすると、一言では表しにくいゲームの内容やセールスポイントなんかを理解しやすいと思うんだけどね。どうなんだろうね。
※ロジェ・カイヨワの遊びの四分類 ..
..
フランス人社会学者、ロジェ=カイヨワが提唱した遊びの分類法。然るべき処では有名な概念図、らしい。
ルール |
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意 志 |
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脱意志 |
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脱ルール |
「ゲームの大学」より
ちなみに、☆印の例はこの表でDQを分類してみたときの例も書き込んだもの。
※シナジー効果 ..
「共鳴(Syncro-)」+「力(Energy)」を組み合わせた造語。「共鳴力(Synergy)」。
もとは単体のメディアだったものが組み合わされることによって、合計以上の魅力を発揮すること。
つまりは、映画のような目と耳への同時攻撃や、例えば博物館や美術館で静かな音楽を流したりするようなこと。物を食べるときなんかは、目で楽しみ、鼻で匂い、歯と舌で感触を楽しみながら、味覚を味わうとかいう話しがたしか中華料理かなんかであったような気がする。確かに、目を塞がれたり鼻が詰まっていたりするときにごはん食べてもあまりおいしくない。
どっちかってーとぼくは絵がへっちゃくってそれでいて何か楽しいゲームの方に発見の楽しみを感じます。
あ、フォローになってないか(笑)。
いやマジでぼくは昔のゲームの方が好きです。もう歳ですから(一言多い)。
アメリカの社会心理学者、チクセントミハイの提唱した理論。
ひとはなぜ自分から望んで得にもならないことをするのか。それは楽しいから。
その「楽しい」という状況のことを「フロー」な状態にある、とゆうわけ。
以上。
というのもさみしいので、もちょっと書いておきます。
フロー状態に陥る条件 1.注意が集中されていること |
ようするに、それ以外のことに目を向けないように、熱中していること。させること。じゃないでしょうか。この「させること」ってのが肝心なんですね。作る側としては。
また、フローを感じる行動には二種類あるともいっています。一つは「未知への挑戦」、一つは「他者との愛情」。
アレア(運)とアゴン(競争)っていうのは、フローを求めようとする人間にとってはあまり変わり無いように感じたんですね。まあ、アレアは「懐柔できない難題」でアゴンは「克服できる問題」でしょうか。問題に変わり無いです。
アレアは、問題を解いてないのに解いたような気になるから、不思議なんですね。でもフローには変わり無いですから。フローっていうのは問題を解いたから与えられるからでなく、ストレス状態から脱したときに出るようなものだと思うんです。<独断だね
いややっぱ作るのって楽しいッスよ。でなきゃこんな甲斐性無しがかかずらわってませんて(笑)。