『一つ欲して』

 

 

 少年は何も持っていなかった。
 プライドも、家族も、地位も、名誉も、夢も。
 ただその日を生きるためには、何も持ってはいけなかった。
 何かを守ろうとすれば、その何かの数だけ争わなければならない。
 少年は何も持っていなかった。
 力も、技も、知識も、武器も、戦う術を一つとして。
 牙と爪を身につければ、その強さだけ戦うことになる。
 だから何もいらなかった。何も望まなかった。
 その日を生きる為に、今だけを生きて。
 やがて自分は何もないまま死ぬであろうと、漠然とした世界に住んでいた。
 満足もなければ不満もない。
 喜びも、悲しみも、全ては諦めに塗り込められて。
 それすら生きる為には仕方ないと感じ、そして生きることに疑問を感じなくなり。
 そのまま少年は傷つくことなく、ただ死んでいったことだろう。
 だが、一人の少女がそんな少年を変えた。
 少年は初めて愛を知り、自分が恋をしていると感じた。
 守るべき者と戦うための牙を手に入れ、そこに後悔はない。
 少年はその弱々しい殻を脱ぎ捨て戦士になった。
 そして。
 少年は再び変わろうとしていた。



 夜の街。ただ人が住む場所を街というなら、そこは廃墟と言うべきか。
 崩れ欠けた建物と荒れた道路だけが続く封鎖ブロックに二人の姿はあった。

 「緋想、大丈夫?」
 「ん・・・」

 息のあがった緋想は、それでも無理に笑顔を浮かべてうなずく。
 それが強がりとわかっているだけに、甲夜はたまらなく辛くなる。

 「もっと俺に力があれば・・・」

 立ち止まり、辺りを覆う夜を見回す。
 敵はいない。少なくとも甲夜が感じられる距離には。
 もう、あきらめただろうか?
 
 「それにしても厄介な事になったよな・・・」

 呟いて朝の出来事を思い出す。
 見慣れぬ大人達の集団、怪物、そして殺されそうになった事。
 命辛々に逃げ出した甲夜と緋想。その時、甲夜は人間を盾にした。
 彼は死んだ。
 今まで何度と無く甲夜に危害を加えた者だったが、そこまでの恨みがあったわけじゃない。しかし結果としては、甲夜が殺したとも言える。
 彼には仲間がいた。
 運の悪いことに甲夜が彼を盾にした事を知っている。
 そして。

 「今時、敵討ちなんて・・・流行らないだろ・・・クソッ」

 この時代に友情だとか、信頼だとかが存在する事など信じられない。
 つい、先日の甲夜だったのなら。
 それでも緋想と共にいる内に、そんな感情があってもおかしくないと思い始めていた。
 すくなくとも自分は緋想を愛している。
 緋想の為ならば、命を投げ出して戦う、そんな覚悟だってある。
 彼等がどれほどの絆で結ばれていたかはわからない。
 けれど、まだ必ず追ってくるだろう。

 「できるだけ、戦いたくないな・・・」

 甲夜の手にはナイフ、その名を刀と教えられた武器、がある。
 その魅入られそうな刃の輝きは、武器という事を忘れそうになるほど美しい。
 だが、それは確実に人殺しの為だけに造られたものだ。
 それを握る甲夜もまた、戦う事を受け入れた。
 その事がどういう事を意味するかも覚悟の上で。
 少年は争いを避ける羊から。
 争いに勝ち抜く為に狼となったのだ。

 「こや?」
 「あ、うん。なんでもない。ちょっと休もうか」

 見つめていた刀を鞘におさめ、甲夜は笑顔を作る。
 緋想は言葉をうまく話せない。
 その代わり、人の表情を読みとる事に敏感なようだった。
 今も甲夜の思い詰めるような雰囲気に対して、心配そうな目をしている。
 甲夜は緋想の髪をそっと撫で、もう一度笑った。
 
 
 
 二人の青年は目をこらすようにして歩き回っていた。
 昼から追いかけ回していたものの、見失ってしまった獲物は自分達のこれからに十分な地位を約束していた。

 「リーダーの後がまに座るのは俺達だ、他の奴等にゃ渡さない」
 「ああ・・・ここらへんにいる事は確かなんだが」

 甲夜を追う者の内の二人だった。
 朝、彼等は自分達のグループのリーダーが死んだことを知った。

 「リーダーを殺したヤツを俺達が見つけだせば・・・」
 「・・・ああ、次のリーダーは俺達だ」

 話によれば、年下の少年で女連れだという。
 彼等は次のリーダーを決める手段として、リーダーを殺した者を殺したメンバーが、新しいリーダーとなるように決めたのだ。
 力だけが人をつなぎ合わせる時代に生まれた集団らしい方法だった。また、それに異議
を唱える者もいなかった。
 そう。甲夜が思うほど、時代は人の心に優しくはない。
 
 「しかしガキのくせに女連れだってな?」

 背の大きな青年がボソリと漏らす。

 「生意気だってか?いいじゃねーか、楽しみが増えたんだ」

 にやけた顔で答えを返したのは、太めの青年。
 彼等は今、弱者に対しての狩りを楽しんでいるのだ。
 誰も彼もが時代という海に溺れ、何かを失っている。
 その破れかけたモラルは、動物的な真実を取り戻しているのかもしれない。
 だが、モラルというものが社会の中で築くものであれば、彼等は正しい。
 力が支配する時代なのだから。
 食べ物も、寝る場所も、女も。
 何もかもが力と引き替えに手に入る時代。
 それは神の作った平等な世界とも言えるのかも知れない。
 
 「そうだな、楽しみなんて女と薬くらいなもん・・・」
 「・・・どうした?」

 唐突に言葉を切った仲間に、もう一人の青年が問いかける。
 そしてどこかの一点を見つめている視線をたどった先。

 「・・・あ・・・」

 それが青年の残した最後の一言だった。



 「寒い?」

 隣で小さくこごえる緋想の肩を甲夜は優しく抱いた。
 今まで使っていたベッドに戻るわけにはいかない。
 甲夜は、とりあえず雨風の防げる程度の状態にある建物に入り込んでいた。
 どの部屋も使いものにならなかったため、廊下の奥にもたれるように座った。
 
 「だいじょぶ」

 そう言って、緋想は甲夜の体に自分を寄せる。
 それをぎこちなく受け入れる甲夜。
 背伸びした少年の気取った男は、かくも情けなく、そして不器用に暖かい。

 「こや・・・」
 「ん?」
 「すき」
 「え・・・?」

 驚いた顔で甲夜が緋想を見ると、静かな寝息を立て始めていた。
 朝から動き回っていたのだ。
 慣れている甲夜はともかくとして、緋想にはきつかったのかもしれない。
 ふと思う。

 「君は・・・」

 そして首を振る。
 緋想がどこから来て、何をしたいのか。
 そんな事はどうでもいい。
 ただ自分がしたい事。
 緋想のそばで、小さな手をにぎっていられるだけで。
 他に、何もいらない。

 「・・・人を好きになるなんて・・・」

 口にして、甲夜少しばかり照れる。

 「なんだか信じられないな。こんな気持ちになるなんて」

 両親が交通事故で死んで、唯一残っていた肉親である祖父も行方不明。
 一日にして、一人で生きていく事を強いられて知った世界の厳しさ。
 何度も裏切られて強くなった。
 何度も裏切って生きてきた。
 もし緋想が自分を裏切ったら?
 それでもいい。それでもこの感情は本物の恋なんだから。

 「もう・・・今夜は大丈夫かな?」

 なんとなくそう思い、甲夜は休む事にした。
 そっと緋想の髪に触れ、薄桃色の唇に指先を当てた。
 ゆっくりと顔を近づけて、そして思い直した。
 
 「・・・・寝てる時になんて、男らしくないな」

 妙におかしな気分になって、甲夜は肩をすくめる。

 「おやすみ、緋想」

 そして自分もまた、緋想にもたれかかるように眠りに入った。

 「・・・・・ばか」

 怒っているような、笑っているような小さな声で緋想はプンと横を向いて。
 そして眠っている甲夜にキスをした。

 「おや・・すみ、こや」



 オオオォォォォォォォ・・・・・・



 束の間の平穏を切り裂くように咆哮が轟いた。
 それは風を揺らし、地を震わせた。
 断続的に続く咆哮は、緋想の鼓膜を激しく叩く。
 そこには苦しみや寂しさが混同しているような、そんな哀しい声だった。
 何かを求めるように、それでいて全てを拒絶するような矛盾した叫び。

 「や・・・」

 緋想は耳をおさえ、押しつぶされそうになる心を守る。
 それほどまでに悲痛な感情が流れ込んでくる。
 荒々しく、時に染みいるように・・・咆哮は続く。

 「ん・・・?」

 ややあって甲夜が薄目を開けた。
 
 「こや・・・」
 「緋想・・・この遠吠え・・・・」

 野犬の類ではないかと、甲夜は辺りを見回す。
 たが響き続ける咆哮は野犬とのそれとは違う。

 「・・・怪物?」

 昼間に見た怪物なら、こんなふうに吠えるのではないか。
 その姿は見えない。
 だが確実に声が届く場所にそれはいるのだ。

 「こうしちゃいられない・・」

 刀を背負い直すと、甲夜は立ち上がり緋想の手を取る。
 首をかしげて見上げる緋想。

 「こや?」
 「行こう・・・怪物は人間を食べるんだ。見つからないうちに遠くへ」

 緋想は少しばかり考えて、うなずく。
 そうして二人が休んでいた建物を出ると、辺りは言いようのない空気が漂っていた。
 目に見えての変化はない。
 ただ感情が、本能が何かを察していた。

 「なにか・・・おかしい・・・?」

 口に出してみてもそれがなんであるかはわからない。
 ただ不安だけが募っていく。
 甲夜は緋想の手を強く握りしめて歩き始めた。
 いつしか咆哮はやんでいる。それでも耳の中で残響しているような感覚だけがあった。
 肌にチクチクと刺激するような危険が。

 「あ・・・・・」

 それは絶望がもらした吐息だった。
 ゆらり、と夜の闇を押しのけるようにして現れたのは怪物。
 土色に沈んだ皮膚と、焦点のあっていない瞳。
 なによりも血に濡れた口と牙をむき出していた。
 それが・・・・

 「・・・・こんな・・・・」

 次々と現れた。
 一体、二体、三体・・・・
 気がつけば十数体の怪物が甲夜を、そして緋想を取り囲んでいた。

 「・・・・くっ」
 
 無意識に抜いた刀、それを握る甲夜の手は震えている。
 絶対的な命の危険にさらされ、少年の心は砕ける寸前だった。
 恐怖に叫び、すぐにでも走り出したい衝動を抑えているのは。
 自分の背にある少女の為に。
 初めて知った愛が、少年を強くさせていた。

 「緋想・・・大丈夫、僕が守ってみせるから・・・・」

 なんの確信も自信もない、それだけの一言を発して。
 甲夜は辺りを見回す。
 前も横も後ろも、虚ろな目が闇に光っている。
 その爪が、牙が、いつ自分達に襲いかかってくるかもわからない。
 怪物達は一歩、また一歩と、歩み寄ってくる。

 「こや・・・」

 頼りなげに服をつかむ緋想。
 震えてはいない。

 「大丈夫・・・大丈夫だから・・・」

 この時、甲夜が振り返って緋想の目を見ていれば。
 そしてわずかでも緋想の心中を察していれば。
 甲夜は油断なく刀を構え、気圧されそうにある心を奮い立たせている。
 
 「こや、こや・・・」
 「大丈夫、大丈夫・・・だから・・・」

 だから・・・その次の言葉を見つける事もできない甲夜。
 緋想は伝えたい言葉の為に、なんとか甲夜を振り返らそうとしていた。
 
 「こや・・・こや!」

 これが最後の言葉になった。

 「大丈夫だから・・・・」

 受け答えはかわらなかった。
 そして運命が決まった。

 ドンッ!

 ちょうど二人の斜め後ろの辺りで銃声が響く。
 重い音だった。ハンドガン程度の口径ではない。

 「え・・・・?」

 再び響く銃声にまじって、小さな爆発が起こる。
 威力をおさえた手榴弾だろうか。
 立ちこもる土煙。それを裂いて、エンジンがうなった。
 次第に近づいてくる。
 それは怪物達の輪を強引に抜けて、二人の前で急ブレーキをかけて止まった。

 「こんな所でデート?最近の若い子は変わってるわね」

 その灰色のオープンカーには、巨大な銃を肩に構えた女性が笑っていた。

 

『一つ』     END
to be C・・・・


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