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『MISSING GATE』
  version.1.0.98.10.31.  
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●米村孝一郎








1995.6.1.初版  ホビージャパン
ISBN 4-89425-069-1 C0979 P980E

1996.8.1.初版  ホビージャパン
ISBN 4-89425-106-X C0979 P780E

1998.9.25.初版  ノワール出版
ISBN 4-931396-27-5 C0079 \951E

 米村孝一郎は、「動き」あるいは「動くこと」が世界を形象すると語る。他者とのダイナミックな関係を生成させ消滅させ、その動きのなかに実存する。世界と、風と、空間と、語らう=動くことに、リアリティがある。

「MCや複葉機って、動きを作り出す乗り物じゃない?」
(※MC=MortorCycle)
「最初は移動のための道具だった物が、移動の中で、人と機械の濃密な対話が繰り返されるうちに、どういう動きを作り出すかが目的になっていく」
「ましてや動いてないと倒れたり墜落してしまうから」
「MCや複葉機って『機械という物』じゃなくて『動いている状態』を意味するんじゃないかって思えるの」

「こう…手を」
「ここからこっちへ動かすでしょう。そうするとね、この僅かな手の動きの間に」
「自分たちがいる空間があるってリアリティを感じるの」

「何て言ったらいいのかな…」
「例えば…私が生きてきた時間と同じ重さがあるみたい…」
「体をこう前に出すでしょう」
「その時、体が世界に対して刻々と位置を変えるのがわかる」
「それと同時に…」
「世界が私の横を通りすぎていく臨場感!」
「世界と私は不可分であり…『動き』と『存在』は同じなんだって」
(『MISSING GATE 2』p94〜97)

 MCは「動きの生成」=「人‐世界とのかかわり」をその本質として持つ。「人が跨っていないと不安定な」とはMCによく冠される形容ではあるが、この弁でいけばスタティックにうずくまるMCはMCではなく、素材でしかない。MCが人とともに走り、動く瞬間にはじめてMCはMC足りえる。

 世界とのかかわり、「踊る」ことのリアリティは、しかしそのリアルが実存主義的にしか感得できないことに難点がある。だからそのリアルを物語化するには、私小説的な内面吐露/描写に頼るか、あるいはMC乗りの共犯意識/共同幻想に依拠してでしかできない。それはもちろん「キリン」(東本昌平)のそれのように上質なリアルを描き出すかもしれないけれど、世界を変革/創造しうるようなものではありえない。控え目にリアリティを焼き付け、提出することしか可能ではない――限界ではなく、必然的な「リアル」の特性として。

 だが米村孝一郎は、「踊り」「動き」を通じて、またそれによっての世界の変革と創造を物語る。ガジェットは多様で、たとえばこの「MISSING GATE」では重力場遺伝子、「妖精探偵社」では魔法/紋章、「POSESSION TRACER」では気/心霊/“グリフ”が用意され、人‐世界を結ぶデバイスとして作動するし、またそれを支える世界観も強固に綿密に形作られ、描写される。

 それは夢でしかなく、これは物語でしかないかもしれない。

 けれどやはり、ここには「世界とコミュニケートする」というロマンがあり、実際の「動き」=「機動」のなかで成し遂げえた人々の物語がある。アタランタやワトソンが緻密に奔放に飛ぶ様子に、その世界とのありように心震える一瞬でもあれば、この物語はすべて肯定されるのだと思える。

 けっして分かりのいい作品ではない。でも、読者に阿らず、ひたすらに作品世界のリアルを探求する姿勢は、むしろ清々しくさえある。

 だから――いろいろな意味で、私は個人的に、米村孝一郎にはとても好感しているのです。


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