MinMin's Diary
日本に戻ってきて、宣伝活動と思っていたら...なんと、台湾が大地震。
そんなこんなでバタバタしてしまい、コンピューターに向かう時間は長くても、自分の日記は書いてませんでした。
日本に戻ってきてやたら目にしたのが「カリスマ」という言葉。
なんだか、どうでもいいようなものにまで使われていて、安っぽいものになっちゃった。
これから本物のカリスマを見つけたら、なんて表現しよう?
カリスマ美容師とか、あんまり「カリスマ」が軽々しく出てくるから、「カリメロとSMAP」の省略形かいな?って思ってしまいましたよ。言葉をもっと大事に使ってほしいです。
カリスマ美容師〜?
なんかチープシックになってしまったな、カリスマって言葉も。
それにしても、カリスマって言葉が流行るってことは、みんな「個性的」ってことを目指しているんでしょうね。
「個性的」よりもワンランク上が「カリスマ」なんだろうな。
だけど、電車の中で出会う若者を見てて思うのよね。
なんというのか、個性的を目指し、上っ滑りしているって感じだな。
男の子達は黒人系ストリートキッズファッションよろしく、だらだらした服を着ているものの、体型に似合わず、ただの小汚い男になっていたりする。
女の子達は花魁道中よろしく、高いぽっくり下駄履いて、金色、銀色の髪の毛に黒い肌。
よく見るときれいな子が多いのに、個性的を目指して同じ方向に走り、誰が誰だか解らない状況になってしまっている。
化粧も同じで着るものも同じじゃ、持ち前の個性が没個性だよな。
同じ金銀なら例の国民的アイドルおばあちゃんの「金さん銀さん」の方が数倍個性的。
あと、自然体を意識しているのか、なんとなく薄汚い男の子。
私の大学時代にも薄汚い男子はいたけど、彼らは本当に貧乏だった。
松本零士の「男おいどん」の世界だった。
でも、今の薄汚い男の子って、薄汚い格好して、薄汚く無精ひげはやしているくせに、鍛えてないことが一目でわかる、引き締まっていない二の腕にプレスレットしちゃってたりして...。
どっちかにせぇやって思ってしまう。
そしたら、今日の夕刊に面白い話が載っていた。
「個性を伸ばす教育ってどうしたらいいのですか」とたずねる日本の教育関係者に英国の教育関係者が
「教師がみんなして個性、個性っていっているところに個性的なものが生まれますか?」と答えたそうな。
座布団三枚もんです。
「個性」って言葉ばかりが一人歩きして、肝心の「個性」とは何かっていう定義付けがまったくなされていない。
だから外見で個性を表現しようとする子が出てくるんだろうな。
だけど、外見だって限度がある。
やっぱり「個性」って内側も関係するもの。
他人と違うことがいいと教えても、どういう風に違うようになるのか、どうすれば違うようになるのかという方法を教えない。
出る杭は徹底して打たれやすい日本にあって、どうやったら「個性的」になるのか?
結局はみんなして同じような格好して「私って個性的」と自己満足するにとどまるに過ぎない。
「個性的」ってね、自分で価値判断が出来るってのが大前提にあると思う。
そして、自分が判断したことに自分自身が責任を取れること。
「個人の自由だからぁ〜」っていうのは現代っ子の口癖みたいだけど、自由には責任がもれなくついてくることも覚えていてほしい。
そういう「個性的願望」の強い子供達とは一緒にさせたくないという親の考えで「お受験」して私立小学校に入った子供達にも出会った。
親がちゃんとお迎えに来ているのに(スーツ着て、高そうな靴はいて)、子供達は大声でふざける、ふざける。
公共の場では静かにすることぐらい教えないで、何がお受験だい。
学校の中で、先生の前ではいい子でいても、親のそばにいて、公共の場においてそんなじゃ先が思いやられる。
これで何か問題起こせば「学校の責任」じゃ、学校も浮かばれないな。
公共の場で騒ぐのは訓練を受けてない犬以下。
フランスの高級レストランでは「訓練を受けた犬の同伴は可、ただし子供は不可」なんてところも珍しくないそうな。
子供が数人でいて、騒ぐのは当たり前だなんて親が認めていてどうする!?
少なくとも私が子供の頃の親は「電車やバスの中では静かに」と教えていたぞ。
私だってよく友人とあやとりやったりして静かにしてた。
あやとりは言葉を発さないでもできる遊びだから。それで毛糸を持ち歩いていたんですね。
なんだか、日本の未来を考えると、地震で大変な目に遭っている台湾の将来を考えるよりも暗い気持になってしまいます。
台湾は、あのような災害に見舞われても、決して絶望していません。
常に力強く、打たれ強く、明るいのです。
それを何やら誤解する人もいて、水の供給がないから食堂では食器を紙コップやプラスチックのお椀に変えた、これは庶民が知恵を絞ったものなんて日本経済新聞に書いてありました。
思い切り吹き出してしまいましたよ。
そりゃ、震災があろうがなかろうが、台湾の店のほとんどが普通に使っているものでっせ。
ここらへんは拙著「おどろ気 ももの木 台湾日記」を読んでもらうとよく解ると思うんだけどな。
日本のマスコミさん、勉強不足よ。
あと、在日台湾人の林なんちゃらとかいうコメンテーターの男性。
台湾政府の悪口を言っている暇があったら、もっと建設的なことを言いなさい。
こんな大変な時期にアジ張っている暇はないでしょうが。
国民党政府が嫌いなんだか知らないけれど、現状を見てもいないのに、政府批判をするために、変なレトリックを使うのはやめてほしい。
海外からの救援隊が多数派遣されているのに救助したのはたった6名なんて言って、きれいだけどあまり頭の良くなさそうな女性司会者達を驚かせていたけれど、あの建造物の崩壊の仕方では即死が多かったでしょう?
実際に私と同じ立場の日本女性で亡くなった方は下半身はついに見つからず、残っている部分でも確認が難しいぐらい損傷がひどかったようです。結局、DNA鑑定に持ち込むことになったとか。
地震研究家が「こういうコンクリート製の家だと、生存率がきわめて低くなる」って説明していました。
実際に、救援隊は生存者を見つけなくても、多くの遺体を発見しています。
遺体であっても残された家族にしてみれば、大事な人の身体です。
父親の亡骸を日本からの救助隊に発見してもらった女性は、遺体のそばで泣きながら、それでも日本の救助隊に日本語で「ありがとう、ありがとう」と言っていたそうです。
そういった事実をまるっきり話さず、まるで国民党政府の判断に誤りがあるかのような言い方をするのは、こういう時に不適切だと思います。それも「アメリカやロシアの救助隊も不満を持っている」なんていう、お得意の外圧を用いるあたり姑息!
私は国民党政府を支持しているのではありません。
彼の火事場泥棒的な態度を批判しているのです。
仮に彼に台湾人としての誇りがあるのなら、政府批判をする前に台湾の苦しい状況を伝えるのが本当でしょう?
こういう人は本当に台湾を愛しているのではなく、自分の立場を確固とするために、こういった状況を利用しているようにすら思えます。
日本にいて、日本に暮らす基盤もある人間が政府批判をしようが独立を唱えようが、圏外にいるから安全です。
思うに、国を離れた人間がすべきことは、そこに残されている人民のために現実的かつ具体的に何ができるかであって、置いてきた人達のスポークスマンぶることではないでしょう。
彼がすべきことは「海外の救援隊が6名しか救助できなかった」なんて愚にもつかないことを言うより、トイレが不足し、外ですることができない女性達は余震の恐怖に脅えながらも倒壊しかけている建物の中に入って用を足しているので、早急に仮設トイレを送ってほしいとかいった被災者の役に立つ情報をテレビで流すことだと思います。
頭はよくなさそうだけどきれいな女性司会者も、トイレの問題を自分の身に置き換えたら、もっとまともな相づちが打てたはず。
はぁ、それにしても各方面から連絡を頂き、持つべきものは友人だと実感しました。
電話、メール、手紙などなどが届きました。
御心配してくださった皆さん、どうもありがとう。
まだまだ地震、地震な日々は続きそう。
minmin@geocities.co.jp