ういろうの歴史


実際の「ういろう」の箱に入っている説明書きから概歴を抜粋します。

我祖先は支那台州の人 陳氏円祐といひ元の順宗に仕へ大医院となり礼部員外郎といふ役であったが
明が元を滅すと二朝に仕へる事を恥ぢて我が国に帰化して陳外郎と称した。
其の子宗奇が後小松天皇の御代足利義満の命に応じて明国に使して家方の「霊宝丹」を伝へた。
効能顕著であったから朝廷、将軍家をはじめ皆之を珍重した。
これにより時の帝より透頂香の名を賜はった。
透頂香は時と共に益々霊薬の名高く陳外郎の薬と申すところから此薬を外郎「ういらう」とも呼んだのである。
五代目外郎藤右衛門定治の時北条早雲に招かれて小田原に来住して以来
破風に十六の菊と五七の桐の家紋の附いた「八棟造」の家屋と共に小田原の名物として有名となった。
また歌舞伎十八番の「外郎」としても十返舎一九の弥次喜多膝栗毛によっても遍く知られる処である。
ういらうは日本で最古の歴史を持つ薬である…。