PART.10

 尾崎さんの住むマンションは、見るからに大きかった。
「……すごいんですね」
 ため息まじりに僕が言うと、隣にいた尾崎さんが苦笑する。
「買ったんじゃなくて、借りてるんだよ? それに、見かけは新しいけど中は狭いし。ひとりで暮らすぶんには、不自由ないけどね」
「ごめんなさい、ふたりにしちゃって」
「なんで謝るんだい? 俺が来いって言ったのに」
 そう言われても、独り暮らし用マンションにのこのこ来ている僕は、かなり厚かましいんじゃないかと今でも思っている。もうここまで来てしまったんだから、今さら断わるのも変だし……。いろいろ考えてくれた尾崎さんにも悪いし。
 結局僕は、しばらく尾崎さんのところで暮らすことになった。アパートは引き払い、次に住むところを探す間だけ厄介になる。
「ずっといてくれてもいいんだけどね」
 なんて尾崎さんは冗談まじりに言うけど、そんなわけにはいかないから、早いところ探そうと思ってる。
 不安もあった。僕は尾崎さんの気持ちを知ってる。まだそれは愛情というには淡い気持ちでしかないと信じているけど、一緒に寝起きするとなるとどうなるのかわからない。今の僕は相沢のことしか考えられない分、本当に来てしまっていいんだろうかと、まだ迷っていた。
 尾崎さんの部屋は五階の一番奥で、とても綺麗に片付けられて、きちんとしていた。とても男の独り暮らしとは思えない。テレビもあれば暖房もあって、ステレオまである。これまで僕はどうしようもないほど貧乏臭い暮らしをしてたから、目にするものすべてが新鮮に感じた。実家に帰ればそろってるものなのに。
「適当にくつろいでよ」
 部屋はやっぱりワンルームだけど、キッチンは結構広い方だ。ふと、僕は不安になった。
 ……窓の傍にセミダブルのベッドがある。
 僕は部屋の中を見回して、他に寝床にできそうな場所を探した。居候なんだから、床で毛布にくるまってるだけでもよかったけど、尾崎さんはきっといい顔しないだろう。
「土、日はたまに別のバイトが入るから、時々俺はいなくなるけど、その時はこの部屋、好きなように使っていいからね」
 尾崎さんがキッチンからコーヒーを運びながら言った。
「え?」
 初耳だった。
「土、日も働いてるんですか?」
「うん。たまにね」
 テーブルに二人分のコーヒーを置いて、僕にすすめる。
 バイト先はファミレスだけど、僕たちは平日専用で、土日にはバイトがたくさん来る。土日ってのはいくらでも働き手がいて、平日OKという人はなかなか少ない。だから僕たちは平日専用。僕たちの働く店だけの仕組かもしれないけど。
「雑誌でちょっと、モデルまがいの仕事しててね。誘われた時、土、日だけでもいいならってOKしちゃったら、そのまま今でも続いてて。あんまりそういうの、俺は興味ないから、そのうち話がこなくなったらやめるつもりなんだけどね」
「……モデル?」
 それも初耳だ。
「モデルなんですか?」
 雑誌なんて全然見ないから知らなかった。
 尾崎さんが苦笑する。
「あんまり目立たないよ。バイトでモデルやる奴なんていくらでもいるし、それが本業って人もかなりいるからね。けど、本業でやるとよほど売れない限り、それで食っていくのは難しいみたいだな」
 僕はまじまじと尾崎さんを見てしまった。
 すると尾崎さんは、いたずらでも考えてるような目で僕を見た。
「きみは売れそうだよね」
 ぎょっとした。
「やめてくださいよ」
 そんな面舞台に立つのは絶対に嫌だ。
 尾崎さんが楽しそうに笑う。
「なんで? ルックスは完璧にOKだよ。スタイリストもメイクさんも、飾り甲斐があるって喜ぶだろうね、絶対。なんとなくきみは、あやうい雰囲気も持ってるから、母性本能くすぐるって女の子たちの人気が殺到するよ」
「嫌です。からかわないでください」
「実際、今でもきみを目当てに来る客だっているんだから」
「まさか。声かけられたこともないんですよ、僕」
「本気であれば本気であるほど、かけられないと思うよ」
 尾崎さんの瞳が、じっと僕を見据えた。僕は思わず視線をそらし、なにか他に話題はないかと探した。一瞬、場に沈黙が降りた。
 先に話題を変えたのは尾崎さんだった。気まずくなるのを恐れているのは僕だけじゃなかった。今の一瞬に起こった空気がなかったみたいに、尾崎さんは普通に話を進めた。

 それまでずっとTVを見たり喋ったり、たわいなく過ごしてきたけど、夜の一時を過ぎるとさすがに寝なきゃならなかった。尾崎さんは自分が床で寝るからと、僕にベッドを勧めたけれど、居候なんだからと僕は頑固に断わった。頑固にならないと尾崎さんの意見が通ってしまう。
 布団と枕を借りて、僕は床で寝た。冬とは言っても今までのアパートみたいに隙間風なんか入らないから、全然寒くなかった。睡魔はじきに訪れて、僕は眠りに陥った。



 翌朝、目を覚ますと天井が昨夜よりも近かった。なんか変だなと思いながら上半身を起こすと、尾崎さんはとっくに起きてキッチンに立っていた。どうも僕は料理のできる男に縁があるな……なんてぼんやりと考えていた時、なにが変なのかはっきりとした。
 僕の身体はベッドの中だった。着ていたパジャマが乱れた形跡はない。思わず尾崎さんの背中を見たけど、まだ僕が起きたことに気づいてないのか、反応はなかった。
 寝ている間に運ばれちゃったらしい……。
 床でいいって言ったのに。
「あれ? 起きたのか。まだ寝てても大丈夫だったのに」
 ようやく尾崎さんも気づいた。まだベッドの中にいる僕を見て、ちょっと笑う。
「納得してない顔だな。この家できみは遠慮なんかしなくてもいいんだよ。だから運んだんだ。ゆっくり眠ってほしかったし」
「住むだけでも面倒かけてるのに、ベッドまで占領したら図々しすぎるじゃないですか、僕が」
「俺がいいって言ってんだから、いいんだよ」
 どうしてこう、尾崎さんは親切すぎるんだろう。
 見返りを求められてるんだったらまだわかるけど、そんな様子もないし……。
 どうも僕は世話好きな男に縁があるみたいだ。
 尾崎さんはせっせとテーブルに朝食を運んでる。こういう時、僕は手伝った方がいいんだろうか。
 相沢がなんかしてくれた時、何も手伝わなかったな。
「えと、あの……なんか手伝うこととかあります?」
「じゃあまず、そこに座って」
 言われるままテーブルの前に座る。
「で、食べて」
「ちょっと、それって手伝ってないじゃないですか」
「作った食事を片付ける手伝いだよ。俺ひとりじゃ食べ切れない」
 ……尾崎さんってちょっとズルイ。
 人が寝た隙にベッドに運んでるし。
 うまく言いくるめられてるような気がしてくる。
「お客さんじゃないんですよ、僕は。居候なんですよ」
「わかってるよ」
 ……ホントかなぁ。
 しょうがないから僕は朝食を食べ始めた。目の前に並ぶ朝食は、よくある基本的なメニュー。でも日本人なら誰でもおいしいと思うようなもの。
 味噌汁とか、卵焼きとか、白いご飯とか。
 いわゆる家庭の味。
 嫌でも家のことを思い出させた。
 親は少しでも僕のことを許してくれたりするだろうか。
 彼らから見て、僕は裏切り者かもしれない。
 ここまで育ててもらっておいて、突然すべてをぶち壊して逃げた。
 連絡すらしてない。もちろん居場所なんて教えてない。
 捜索願いは出したんだろうか。警察に。
 連絡したら、帰って来いなんて言ってくれたりするだろうか。
「悟瑠くん?」
「……! はい」
 食べながらぼんやりしてしまった。
「元気ないね。低血圧?」
「実はそうなんですよ。朝弱くて」
 笑ってみせたりして、ごまかしてる。
(ついでだから、会いに行くか?)
 相沢があんなこと言ったから、思い出したりするんだろう。
 今さらどんな顔で会える?
 誰だって両親を悲しませたいわけじゃない。
 それとも僕は、逃げることで傷つくことからも逃げてるんだろうか。



 バイト先に相沢から電話が入った。
 今日の夜、尾崎さんの家に来るという連絡だった。
 家の場所はまだ知らないから、待ち合わせしようという話になった。
 だから一応、尾崎さんの了解を得ようと思って昼間に話した。

「……そう。彼、来るんだ。早いねぇ」
 驚きと戸惑いがまざったような表情でそう答えた。
 早いって、何が早いんだろう?
「まあ、顔出しに来ることは聞いてたけど、土曜日だと思ってたよ」
 今日はまだ、火曜日。こないだの土曜日に相沢に会って、日曜日にはアパートを引き払って尾崎さんのマンションに来た。だから会ってないのは二日。
「クリスマス」
 いきなり思い当たって唐突に僕が口に出したら、尾崎さんは不意をつかれたような顔をした。
「え……ああ、そういや今日はイヴだな」
 困ったように尾崎さんが笑う。忘れていた顔じゃなかった。何か計画でも立ててたような態度だった。
 町のイルミネーションは確かにクリスマス一色だった。僕はあまり関心なくて、ぼんやりとそんな光景を眺めていただけだったけど、尾崎さんや相沢までそうだとは限らない。
 尾崎さんは尾崎さんなりに、きっといろいろ考えていたと思う。
 そして相沢は相沢なりに、なんか考えているんだろう。
 ……でも、だったら、なんで相沢は尾崎さんのマンションに来るなんて言いだしたんだろう?
 普通クリスマスって、ふたりきりで会いたがるもんじゃないの?
「明日ってわけにはいかないのかな」
 尾崎さんがそんなことを言い出した。
「今夜、予約しちゃったところがあってね。今さら三人席になんてできないし」
 三人でイヴを過ごすつもりはないって感じがした。
「あの……僕、相沢と待ち合わせる約束しちゃったんですけど」
 尾崎さんの予定のことなんて、考えてなかったから、相沢との約束をふたつ返事でOKしていた。何の疑いもなく、相沢に会おうとしてた。
「明日にできないのかな」
 尾崎さんの声は柔らかい。穏和だ。とても穏やかで優しい。
 けど、心のどこかで相沢の存在をうとましく思っているような気配を感じた。
 僕は何も言えずに尾崎さんの顔を見た。胸の奥にずしりと重いものが塞がった。
 相沢に会いたいんです。
 そう言葉に乗せようと思って口を開きかけたけれど、声が喉に詰まって外に出てくれなかった。
 尾崎さんに自分の心理的な変化を読ませまいと思って、顔に感情が出ないように努めた。尾崎さんは鋭いから、なんでも読んでしまう。
 僕は平然を装った。明るい声で訊く。
「どこに予約したんですか? 相沢にはなんとか説得します。今夜来られても、からっぽの部屋で待ちぼうけになんて出来ないですしね。あいつはたぶん、お店で予約なんてしてないと思うから困らないと思うし、ちゃんと言えばわかってくれるだろうし」
「今夜は奮発したんだ。ちょっと高そうなレストランで一緒に食事でもしようかと思ってね」
 尾崎さんは何も気づかなかったみたいだった。普通に話を続ける。
「高いレストランですか? それちょっと困りますよ。ロクな服持ってないのに……」
 尾崎さんに対していい顔しようとしてることは自覚していた。
 頭のどこかで計算してる。
 断わったら尾崎さんに悪いって気持ちももちろんあるけど、たぶんそれだけじゃない。
 今、尾崎さんに放り出されたら、すごく困るから。
 だからこんな風に、僕は笑ってる。
 相沢には、今すぐにだって会いたいくせに。

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