PART.15

 尾崎さんの家から持ってくる荷物なんて、ほとんどなかった。
 大きめのスポーツバッグがひとつあれば、足りた。
 荷物を詰める時、尾崎さんが手伝ってくれたりして、僕は何度か遠慮めいた言葉を出しても尾崎さんは引かなかった。
「ここでいいです」
 荷物を持って玄関先に立った僕がそう言った時、尾崎さんがすごく残念そうな顔をした。
「途中まで荷物運んで行きたいところだけどね。重いだろう?」
 確かに重かった。けど僕も男だ。運べない重さじゃない、と意地でも思うことにする。
「大丈夫ですよ。これくらい」
 笑って言った。
「大変お世話になりました。迷惑ばっかかけてすみませんでした」
「おいおい、まるでこれが最後の別れみたいな感じで嫌だな。バイト先ではいくらでも会えるんだよ?」
 尾崎さんは笑っていた。だから僕も安心できた。このまま僕がいなくなっても、尾崎さんはきっと平気だろう。……そう思いたかった。
 尾崎さんの部屋を後にして、呼び出してあったタクシーに乗り込む。行き先を運転手に告げて、僕は息をついた。
 本当に、尾崎さんには世話になりっぱなしだった。なのに僕は……なにも返していない。その気持ちが、少し僕の後ろ髪をひっぱっている。
 しばらく走り続けていたタクシーがやがて止まった。
 僕は料金を払って道路に降り立ち、相沢のいる部屋へと向かって歩き出した。


 相沢は荷物の整理をしていた。だいぶ部屋の中はすっきりとしてきている。タンスや電化製品の半分は、僕のふところから資金を出しているので、完全にふたりのものだった。
 なにしろ僕はバイト暮らしとは言っても、その前にやってた夜の仕事のせいで、金だけはやけにある。全然使わないで貧乏暮らししてたから、それが今になって役に立っていた。そんなことして得た金でふたりの家具を買うなんて、って思う人がいるかもしれない。けど僕は、せっかくあるものを使わない手はないって思う。
 ……相沢にはバイトでためた金だって言ってあるけど。
「おかえり」
「た、ただいま」
 思わぬ呼びかけられかたをして、一瞬僕は戸惑った。
 なんだかすごく、くすぐったいような……。
 変な言い方すれば、新婚さんのような気分だった。
「なんか新鮮だね」
 荷物を床に置きながら僕が言うと、相沢がちょっと笑った。
「なに言ってんだ」
 僕はスポーツバッグを開けずに台所に向かった。
「コーヒーでもいれようか?」
 相沢が少し驚いた顔で僕を見た。
「悟瑠が?」
「なんだよ。コーヒーくらいいれられるよ、僕でも」
 三ヶ月くらい前にはやらなかったけどさ、確かに。なにもそんなふうに驚かなくたって。
 尾崎さんのところにいる間に、僕は少し変わったのかもしれない。前よりよく動くようにはなった。アパートにいた頃って、なんでも相沢にやらせてたもんなぁ。
 ここんとこずっと会うのは決まって外だったから、相沢には僕のその辺の変化はわかんなかったと思う。
 すでに台所は使える状態だった。食器も棚にしまってあるし、僕はそこからふたり分のコーヒーカップを取り出した。多少の食料品も買ってあるし、もちろんコーヒーもある。
 コーヒーメーカーからトポトポと落ちるコーヒーを眺めながら、僕はこれから先のことを考えた。
 勢いで相沢と一緒に暮らすことになったけど、これから僕はどうしたらいいんだろう。もっと素直に喜んでいいはずなのに、うかれてる場合じゃないって頭のどこかが言ってくる。相沢は大学生活がはじまるし、僕はバイトを続けていく。
 ……いつまでもバイト生活でいいのかな。
 バイトの給料なんてたかが知れてるし、だからってそう簡単にまともな就職ができるとも限らない。第一、今は就職難って言われてる時代だ。
 ……考えてもしょうがないよな。
 そうこうしてるうちにコーヒーが出来て、僕は相沢のところまで運んだ。荷物の整理をしてるのかと思ったら、求人雑誌を眺めていた。
「ほんとにバイトするの?」
「仕送りだけじゃ足りないだろ? 生活ギリギリだ」
「僕が働いてるじゃないか」
「おまえにだけ働かせられるかよ」
 ……相沢らしい。
「だけど大学行ってバイトまでしたら、僕たちの会える時間が減るんだよ。それはいいわけ?」
「……」
 相沢が難しい顔をした。
「それは……ちょっと嫌だな」
「でも、僕が止めることじゃないよな」
 カップに口をつけると、相沢がこっちを見た。
「おまえってさ、今のバイト続けるつもりか?」
「続けるつもりだけど?」
「……ふぅん」
 相沢は求人誌に視線を戻して、それきり黙ってしまった。
 ……なんなんだよ。
 もしかして尾崎さんのこと、気にしてるのかな。
「バイトするのはいいけどさ、大学の方、いいかげんにしたりしないでよ? せっかく入ったんだから」
「信用されてないな」
 相沢が苦笑する。
「今どきバイトしない大学生なんて少ないだろ。よほどの裕福でない限り」
「まあ、そうかもしれないけど」
「高級レストランくらい連れて行けるようにしたいからさ」
「……」
 ドキッとした。
 クリスマスイヴのこと、まだ気にしてるのかな……。
「無理するなよ」
 わざとちゃかすような口調で言って僕は笑った。
 どうしてそんなに尾崎さんのこと、意識するかな。
 僕は相沢が好きなんだって、いつも言ってるのに。
 相沢が尾崎さんに会わないようにしてるの、気づいてる。
 尾崎さんが相沢に会いたくないと思ってるの、気づいてる。
 ……複雑な気分だった。
 求人誌を読む相沢に代わって、僕は部屋を片付けはじめた。ずいぶん綺麗にはなってたけど、まだまだやることはたくさんある。時間が遅くなってきたら、相沢がすでに買っておいた材料で晩ごはんを作ってくれた。
 一緒に食べながら、炊事・洗濯・掃除の分担のことで話した。作るに関しては相沢の得意分野だから問題はないとして、他はさすがにきっちり分担する。洗濯や掃除はそれぞれ一週間交代でやることになった。相沢が洗濯する週なら、僕が掃除をする、みたいな。
 こういうのはなんとなくワクワクする。これまで僕は尾崎さんと一緒に暮らしてはいたけど、対等ではなかった。尾崎さんは保護者っぽいとこあったから。
 ……その夜、僕たちは何もせずに寝た。
 荷物の片付けで疲れて、そんなことする余裕なんてなかったからだった。
 ふたりで買ったダブルベッドの中で寄り添ってただ眠るっていうのも、なかなかよかった気がした。


 相沢との新しい生活は順調に進んだ。
 結局バイトは見つけたみたいで、休日の昼間になると出かけて行く。そのせいか、僕も日曜とか構わずバイトするようになってた。どうせ朝も夜も一緒にいられるし。
 バイトに行くと尾崎さんが相変わらず優しい。それに戸惑いつつも、結局は何も変化のない日々が続いていた。
 ゴールデンウィークには相沢と一緒に小旅行で海の方へ行った。五月だからまだ泳げないけど、見晴らしもよくていいところだった。
 五月の下旬から六月にかけて雨が増えたけど、僕たちは毎日ふたりで楽しく過ごした。

 七月になった。
 大学の夏休みがもうすぐ始まる。
 最近、たまにだけど相沢の帰りが遅い日があった。ちょっと前まで、コンパの誘いがあっても断わってたはずが、ここのところ参加するようになってる。誘いがしつこくて仕方なく行くって言ってた時に、僕も一緒に行こうかって言ったら「絶対だめだ」って断わられた。なんでも、誰かが僕に言い寄るかもしれないから嫌だってことらしい。
 大学生ったって、まだ未成年のくせに、酔って帰って来たりするとちょっと腹が立つ。もともとは僕が飲ませたから酒にも強くなったわけだけど、ロクに喋らないうちに爆睡されちゃうと……。
 そりゃふたりで一緒に飲んだりする日もあるけどさ。


「頭いて……」
「飲みすぎなんだよ」
 日曜日の朝、ベッドの中で辛そうにしてる相沢は、バイトに行かなきゃとか言いながら、起き上がれずにいる。だんだん飲む量がエスカレートしてるみたいだった。
「なんでそんな飲むの。前は未成年が酒飲むの反対してたくせに」
「それは高校生の時。どうせ社会人になったら、嫌でも飲まなきゃならないんだから、今から鍛えとかないと」
「そういう口実つけても飲みたいわけだ」
「違うって……」
 相沢が苦しそうに上半身を起こした。
 水の入ったコップを渡してあげる。相沢は素直に受け取った。
「断わっても勝手に注いでくるんだ」
「女子大生が?」
 意地悪く僕が言うと、相沢が少しむくれた。
「おまえ何か妙な勘違いしてるだろ」
「べつにヤキモチなんて妬いてないよ。だいたい何で相沢がやたらと誘われるのか、僕はちゃんとわかってるつもりだし。モテない男の団体ばっかじゃ女の子誘えないもんね。相沢は女の子釣るための餌になってるわけだ。モテモテでよかったねぇ」
「ほらやっぱり勘違いしてる」
 苦い顔をして相沢が僕の腕を引き寄せた。
 ベッドの上に座る形になって、相沢の顔が間近になる。
 相沢の手が、僕の髪に触れた。
「そう簡単に俺が心変わりする奴だと思ってる?」
「……わかんないよ、そんなの」
 人間の心なんてつかまえられない物だから。
 もし本当に心変わりされた時、僕にはどうしようもない。
 変わる人もいれば変わらない人もいる。そんな先のこと、僕にわかるはずがない。
「第一、相沢がどうして僕のこと好きになってくれたのかもわかんないのに」
「なんで? 男だから?」
「それもあるけど。いろいろな意味でさ」
 僕の過去のすべてを知っていて、それでどうして好きになってくれたのかとか。
「それはやっぱり……おまえのこと、中学時代から知ってるからじゃないか?」
「そんなこと言ったら、中学の同級生ぜんぶ当てはまるだろ?」
「あれ、そっか」
 と言った後で、相沢が時計に気づいて慌てた。
「やば、バイトっ」
「あ、ごめん」
 僕が相沢を引き留めていたので、謝ってからどいた。頭痛は治ってなかったみたいだけど、さっさと支度して慌ただしく出て行く。
「今夜、七時にパ・ルセな。ちゃんと来いよ!」
「うん、わかった」
 頭痛治ってないのに走って行く。大丈夫かなぁ……。
 パ・ルセというのは、駅の近くの店だ。僕たちはよくそこで食事をする。
 こういった待ち合わせは結構多い。駅前には他にもいろいろ店があるけど、たいがいパ・ルセで待ち合わせてる。
 混みすぎてないし、味もまあまあだからだった。
 ……さて、僕もあと少ししたらバイトに行かなきゃな。


 僕が日曜にも仕事するようになったら、尾崎さんまで日曜に顔を出すようになっていた。とは言っても客としてだ。さすがに毎週じゃないけど。
「俺も日曜勤務やりたいって言ったんだけどね、そんな何人もいらないって店長に断わられちゃって……」
 ということらしい。
 だからってわざわざ客で来るかなぁ。
 尾崎さんはたいがい一人じゃなく、必ず誰かと一緒に来る。僕にとっては知らない顔ばかりだった。尾崎さんがいちいち紹介するから、挨拶はしたけど……。
 でもなんか意味ありげで、非常に気になる。
 どういう関係の知り合いたちなんだろう。
 今日は、何度か尾崎さんと一緒にこの店に来たことのある人だった。尾崎さんの知り合いの中で、一番数多く来てるかもしれない。挨拶では名前しか聞いてないし、ロクに話もしたことがないから、どんな人なのかさっぱりわからなかった。というのも、僕は仕事をしなきゃならないし、尾崎さんと連れの人は僕が帰る頃にはもういなくなっていたからだ。挨拶以上の話なんか出来るはずがない。
 その名前だけだった人が、初めて今日、名刺をくれた。

 (株)FF出版・専属カメラマン 加東匠(かとうたくみ)


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