PART.2

 僕は中学を卒業した後、みんなと同じように高校へと進学した。大学に進学するつもりだったから、その頃は僕も真面目に勉強に明け暮れていた。
 もちろん、身体なんか売ってなかった。
 僕が転落したきっきけは、忘れられない……あれは高校一年生の冬。
 やけに厳しい生活指導の教師がいた。僕は別に校則違反なんかしていなかったのに、どういうわけか目をつけられていた。何かと言えばきつく当たられた。
 だから当然僕もそいつが大嫌いだった。あんまり言われるから、やがては反抗的な態度にさえなった。
 奴はそれを待っていたのだ。
 僕は放課後、生活指導室へと呼び出された。さぼってしまえ、という友人たちの声は無視した。やっぱり内申が恐かったし、ちゃんと卒業して大学に進学したいという気持ちが強かったからだ。
 奴は卑怯者だった。
 内申書を突きつけられ、悪く書かれたくなければ提供しろという。
 身体を。
 僕はさからえなかった。
 生活指導室の机の上で、僕は犯された。
 以来、奴は味をしめしたらしく、僕は何かと言えば呼び出され、抱かれるようになった。二年に進級してもそれは変わらず……拒否すれば内申に傷をつけると脅された。
 僕はすさんだ。
 投げやりになった。
 残りの日数を我慢すれば、無事に高校を卒業できたのだろう。大学に行けば、奴は追ってなどこれないんだから、耐えれば済むことだったのだ。
 何度目の呼びだしだったのか……僕はとうとうキレた。生徒指導室の中で、僕は奴を殴って蹴って叩きのめした。もうすべてがどうでもよくて、なるようになれって感じだった。そいつに対する憎らしさばかりが強大だった。
 他の先生に見つけられ、僕ははがい締めにされた。僕は何か喚いていたらしいけど、よく覚えていない。信じられないものでも見るような奴の目が突き刺さってきたのを、思い出したくもないのに何故か蘇ってくる。
 他の教師に問いただされた時、僕は言い訳のひとつもしなかった。奴が何を言ったか知らないが、僕は必然的に退学となった。
 両親が怒って嘆いた。なんでそんなことをしたの、とか、そんな暴力的な子に育てた覚えはありません、とか、おまえのような奴は出ていけ、とか、いろいろなことを言われたから腹が立って、僕は家を飛び出した。
 以来、連絡さえとっていない。
 今の僕はそんな原因から成り立っている。


 ピンポーン、とチャイムが鳴った。僕は不覚にもびくっとして振り返った。こんなところに来る奴と言えば、新聞の勧誘か、NHKの集金屋か、おかしなセールスマンくらいのものだ。でもこんな時間には来ない。けど今は、他に来る可能性のある奴がいる。
 相沢真……尾けてきたのか?
 まさか。
 僕は恐る恐る玄関のドアの覗き穴を見た。ドアの向こうにいたのは、本当に相沢だった。なんでこんなところまで追ってきたりするんだ、こいつはっ。
 僕は居留守を決め込むことにして、ドアから離れた。だが今度はドンドンドンッとドアが叩かれた。僕は心底から驚いた。……なんて非常識なヤツ。
「悟瑠っ、居留守使ったって無駄だぞっ。おまえがここに入るのちゃんと見たんだからなっ」
 このままじゃ、近所迷惑だ。最低だぞ、相沢真。
 僕はしぶしぶドアを開けた。すると強い視線で僕を睨みつけてくる相沢の顔と向かいあった。
「なに?」
 僕はわざとそっけなく問うた。
「なんでおまえ、高校やめたりしたんだ」
 どうしてもそこにこだわるらしい。
「おまえには関係のないことだろ」
「だっておまえ、絶対大学行くって言ってたじゃないか」
「そんな昔のこといちいち覚えてんなよ、おまえもっ!」
 思わず声を荒げてしまい、僕は急いで口をつぐんだ。僕が近所迷惑になってどうすんだ。
「……入れよ」
 相沢を部屋に入れるのはすごく嫌だったけど、ここで口論するのはもっと嫌だったから勧めた。
 相沢は遠慮なく僕の部屋に入ってきた。
 久しぶりに見た相沢は、やっぱり少し大人びていた。とはいえまだ彼は高校三年生。そういや僕もちゃんと学校に通ってれば、こいつと同じ高校三年ってやつだったんだ。
 そう考えると何だか不思議だ。こんな生活してる僕が高校生。健全で快活そうな生活してる相沢と同じ年。相沢は僕のように歪んだ世界に生きてはいない。全身から健全オーラを発している。そうだ、こいつ、昔から妙に正義感の強いやつだった。
 まるで自分の家のように座っている相沢に、缶ビールを投げてやった。反射的に受け取った相沢は、ビールのラベルを見るなり眉をひそめた。
「不良だな」
「なんとでも」
 僕はハナから相沢を相手にするつもりはなく、とっくに缶ビールを開けて飲んでいた。最近僕はよく、ビールに溺れる。時々飲みすぎて動けなくなる時すらある。たいてい空腹だってのが悪いんだけど、酔うのは気持ちがいいからやめられない。
「酒なんて似合わない」
「おまえの決めることじゃないよ。僕の問題だ」
 そう、僕の問題だ。相沢の介入する余地はない。
 どうして放っておいてくれないんだろう。
「それで何? 用があるから来たんだろ?」
 相沢に向かい合わせる形で僕は座り、真っ向から見据えた。愛想よくなんかしてやらない。来るんじゃなかった、と後悔させてやる。
「用なんか……ないよ。ただ、偶然でも久しぶりに会えたから気になってさ」
 少し言いにくそうな感じで相沢が答えた。
「なんで」
「だっておまえ、教師殴って退学食らったなんて、信じられるわけないだろ。おまえどっちかって言うと、優等生タイプだったじゃないか。そんな奴なのに、どうしてこんなとこで、こんな怠惰な生活してんだよ」
「そんな奴って、なに? 優等生じゃないと僕じゃないってことかい?」
 わざと丁寧に僕は言ってみた。
 相沢が黙り込む。意地悪だよなあと思いつつも、僕はやめなかった。
「僕が教師殴ると、変なのか? おまえ僕をどんな風に見てんの。僕はおまえの思う僕じゃなきゃいけないわけか? それって単なるおまえの思い込みってヤツじゃないの」
「……悟瑠」
 相沢はぐっと拳を握り、膝をつかんでいた。何か言いたくて仕方がないのに、どう言ったらいいのかわからないようだった。
「……本当に、なんでそんな風になっちまったんだ?」
「今の僕はどこか変?」
「ヘンとか……そういう意味じゃなくて、俺、おまえのことずっと好きだった。高校別になっちまったけど、いつもおまえがどうしてるのかって気になってた。だから……噂でおまえが退学になったって聞いて、すごく心配になったんだ。何があったんだ? もし、俺で相談できるようなことなら、言ってほしいんだ、すごく!」
 ほらでた。相沢の妙な正義感。こいつは昔からこういうところがあった。困っている人がいると自分がなんとかしなきゃ、とか思ってて、またそれを正しいことのように勘違いしてる。
 僕はますます意地悪な気持ちが自分の中で巣くうのがわかった。
「あの時、家に電話してみたら、出て行ってどこにいるのかわからないって言われたし……」
 相沢が悔しそうに唇を噛んだ。
 中学時代は相沢のこんなところを、好きだと思ってた。でも今は、うるさいだけだ。
「じゃあさ、抱いてよ」
「……え?」
 相沢が、一瞬何を聞いたのかわからないような顔をした。
 僕は躊躇なくシャツのボタンをはずしにかかる。
「僕さ、最近男に抱かれるのが好きなんだ。気持ちよくて。そうされると、いろんなこと忘れられてスゴク楽になれるんだ。僕を本当に心配してくれるなら、それくらいしてくれて当然だよね。身体が疼くんだ。楽にしてよ……ねえ、相沢?」
 相沢は茫然として僕を見ていた。
 信じられないものでも見るような目だった。
 僕はシャツを脱いだ。さっき客につけられたキスマークが相沢にも見えただろう。相沢の目がますます見開かれた。嘘ではないことはわかったはずだ。
「抱いてくれないの? なら帰れよ。僕を抱けないなら用はない」
 ズボンに手をかけて、ベルトをはずす。ファスナーをおろそうとしたところで、相沢の手が止めた。
「……ば……かなこと、してんなよっ。何考えてんだ、おまえっ。俺がおまえを抱く? んなことできるわけないじゃんかっ。おまえ男なんだからっ! それに……それに、これ、なんだよ。こんな痕つけて平気な顔しやがって! それともこれは女とやった痕か? だったら俺も文句言わないけどな! もし本当に男となら、おまえ本気でどうしちまったんだよっ! 何があってこんな風に……言えよ! 言ってくれってば!」
 まだ駄目だ。逃げるかと思ったのに。
「今さら男と寝るの、怖くないんだよ、僕は」
「……っ!」
「抱く気がなけりゃ、帰れ。僕は今疲れてる。おまえの時間に付き合ってやる義理はないんだよ」
 相沢はまっすぐだ。正義感が勝つか、嫌悪感が勝つか。僕のこういう部分に嫌気がさせば、きっとヤツは帰る。
「……なんでだよ。……なんで、言ってくれないんだよ。俺じゃ役に立たないのか? 俺じゃおまえの助けができないって言うのかよ!」
 往生際悪い。早く諦めろってば。
「おまえに何ができるんだ。おまえの説得とかで今さら僕が更生するとでも? そりゃあ、おまえの美徳には反する生活してるかもな、僕は。今の僕は昔の僕とは違うんだよ。全然別人なんだ。おまえとは違うルートを辿った。違う道を歩いた。望むとか望まざるとか、そういうことは関係ない。僕とおまえは違う。おまえに僕を理解することはできない」
「そんなわけあるもんかっ!」
 相沢は僕のシャツを強くつかんで、真っ向から睨んでいた。あんまり真剣だから、僕は逆に可笑しくなってきた。なんだろう、こいつは。何をこんなに真剣になってるんだろう。
「俺たち昔、あんなに仲よかったじゃないかっ。なんでそんな悲しいことばっかり言う? 俺のこと、嫌いなのか? それならそれでも別にいい。だけど俺はおまえのことが好きだったんだ。そんなおまえがこんな風になって、ああそーですか、なんてあっさり諦められるとでも思うのかっ」
 ……気分が悪くなってきた。
「……熱血ヤロー」
「な……っ」
「昔からキレイごと言うの得意だったもんなぁ。そんなこと言えるの、おまえが汚れたこと一回もないせいだ。いつでも綺麗なところに足場を確保して、傍観できる位置にいて、そうすればこんな風にキレイごとが堂々と言えるようになるんだろうな」
「……むかし、おまえそんな風に言うヤツじゃなかった」
 悲しそうな顔で相沢が言う。
「そう。むかしはね。でも今の僕は昔の僕じゃない」
「……なにがあったんだよ……本当に」
「知りたかったら、抱いてみろよ。わかるかもしれないぜ」
 僕なんて放って帰ってしまえ。これ以上近寄るな。
 頭がおかしくなりそうだ。
「悟瑠……」
 相沢が諦めたようにシャツの襟から手を放した。
「おまえが僕に求めてるのは、昔の姿なんだよな。そんなものならいくら探したって、もう二度と見つからないさ。今の僕が認められないなら、僕の部屋にいる資格もない。すぐにでも出て行け。そして二度と来るな」
 ふら……と相沢が立ち上がり、玄関に向かって歩いて行った。
 やっと帰る気になったらしい。
 靴を履き、ドアを開けて、相沢は一度振り向いた。
「……また、来るから」
「……」
 僕は返事をしなかった。
 相沢が出て行き、ドアが閉まったところで、僕は深く深く息をついた。ひどく疲れた。胸の奥にズシリと何か重しのようなものが詰まった感じだ。……気分が悪い。
 鍵かけなくちゃ……と思いながら、僕はその場にうずくまった。このまま寝てしまえば確実に風邪引くな……と思ったけど、どうでもよくなった。
 久しぶりにたくさん喋ったような気がする。
「……う……」
 喉の奥から何かがせりあがる。嗚咽だとわかるまで、しばらくかかった。泣きたくなんかなかったのに、涙が溢れた。情けない。こんな情けないのは僕じゃない。そう自分に言ってみても、涙は止まらなかった。床にうずくまりながら、僕は疲れて眠ってしまうまでずっとそうしていた。

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