PART.23

 久我悟瑠くんへ──。

 宛名もなければ差出人もない封筒。切手もなければ消印もない。
 出発した時にはこんなもの入っていなかった。
 温泉に入る前に荷物を確かめた時にもなかった。
 ということは。
 考えられることはひとつだけだった。
 この手紙の主は、ここにいる。
 この旅館の中に。
 そして僕の荷物の中に、封筒ごと手紙を置いて行ったのだ。
 温泉の中で感じた視線は、気のせいじゃなかったってことだ。
 どこか神経質な感じのする、癖のある文字……。


 君はいつこの手紙に気づいてくれるのでしょう。できれば君が家に帰り着いてから発見してくれると僕は嬉しいです。それなら僕がいつ君にこの手紙を渡したのか、君には見当がつかなくなるからです。
 この手紙を気味が悪いと思いますか。君の知らないところで君を見ている僕の存在を疎ましいと思いますか。これも君を好きだという僕の強い気持ちの表れなのです。
 僕は君に一緒に暮らしている恋人がいることを知っています。そしてバイト先で噂として囁かれている相手がいることも承知しています。以前、一緒に暮らしていたことも。
 君とバイト先の彼がどこまで進展したのかは、残念ながらわかりません。けれどそのようなことはもう、どうでもいいのです。なぜなら、これから君は僕のものになるからです。


「……なんだ、これは」
 思わず呟いた僕は、手紙を封筒に押し込んだ。不気味どころじゃない。
 この手紙の主は、僕の素性と過去を知っているだけじゃなくて、今ここに僕がいること、部屋の場所、荷物のありかまで、全部わかっていることになる。
 偶然……?
 そんなはずない。そうだ、駅。出発の時に待ち合わせてた駅でも、妙な視線を感じた。でも決してその相手と目が合うことはない。だから誰なのかわからない。
 手紙を相沢に見せるかどうか、迷った。部屋の扉が開いた時、なかば反射的に荷物の中に手紙を突っ込んでしまい、取り出して見せるきっかけを逃した。
「ただいま。買ってきたよ」
「ありがと……」
 受け取る時に、スポーツドリンクの缶を落とした。動揺してるせいで、手がわずかに震えてた。
「……悟瑠?」
 相沢が怪訝そうな顔をした。僕はつい、取り繕うように喋った。
「こ……ここってさ、ホント、いいよね。温泉は時間関係なくて入り放題だし。客が多いから活気もあるし」
「顔色悪いぞ、何かあったのか?」
「なんでもない」
 そう答えても通用しなかった。相沢がさらに何か言おうとした時、隣の部屋が急に賑やかになった。
 フスマが開く。
「おー。なんだ、おまえらもう戻ってたのか。隣の隣の隣の隣の部屋になー、女の子の五人連れが来てんだよ。数もちょうどいいしさ、合コンしよーぜ、合コン」
 いきなりドカドカ入ってきたのは、岩本一里だった。その後ろから眠そうな紀ノ瀬祐汰。最後に鮎川巧実が苦笑しながら来た。
「こいつねーさっきからずっと、はりきってんだ。女の子の集団の中にひとりだけ可愛い子がいてさ。一緒に遊ぶんだってきかないんだ、これが」
「悪いけど、俺たちパス。三人で行ってこいよ」
 相沢が言った。そしたら岩本がむくれた。
「おまえ、こっち来てからずっと付き合い悪いぞ。あ、そっちの久我。おまえ一緒に来い。これで四人だ」
「ちょっと待て。勝手に決めるな」
 相沢が反論した。
「悟瑠は雑誌に出てる人だから、そんな集団の中に入れたら、もみくちゃにされる。それに、その可愛い子ってのも、おまえたちのことなんか眼中に入らなくなっちまうぞ。そんなの嫌だろ?」
「嫌だ」
 岩本が即答した。
「よし、じゃあ三人で行こうぜ。言っとくけど、彼女は俺が目ぇつけたんだから誰も先越すなよ」
「へいへい、わかってますって」
 鮎川が適当な返事をする。
「えー? 俺すっげぇ眠いんだけどさー」
 紀ノ瀬祐汰がしぶった。その腕をムリヤリつかんで、岩本は部屋から出て行った。
 部屋の中がシンとした。
「……本気でナンパが目的なんだねー」
 真剣なのはひとりだけのような気もするけど。
 他のふたりは単なる付き合いみたいだ。
「ホントはさ、紀ノ瀬以外、彼女いるんだ」
「えっ?」
 僕が驚いて相沢を見ると、呆れたような顔で僕を見返した。
「岩本には幼馴染みの彼女が、鮎川は……あいつはとっかえひっかえで彼女を替えてる。紀ノ瀬はちょっと前までいたけど、最近別れたらしい」
「……ふうん」
 みんなフツーなんだね。
 付き合うとか別れるとか、男女の場合は堂々とできる。でも、男同士の場合は難しい。どれほど身近な人間にでも、僕たち付き合ってます、みたいなことは教えられない。
 でも付き合う相手が異性なら、どんな付き合い方してたってノーマルだ。多少性格の方に問題があったって奇異な目で見られることは決してない。
「さっき……」
 相沢の声が聞こえて、僕は考え事を打ち切った。
「何に動揺してたんだ?」
 ギクッとした。
 さっきのごたごたで、忘れてくれたかと思ってた。
「……手紙」
「手紙?」
 隠していても仕方がないから、言ってしまうことに決めた。
 バッグの中を探って、さっき突っ込んだ封筒を取り出した。
 相沢に渡すと、怪訝そうな顔でひっくり返すように封筒を見て、中から便箋を取り出した。
 短い文章にザッと目を走らせて、顔色を変える。
「なんだこれは?」
「わからない。気がついた時にはもうあったんだ」
「タチが悪いな……」
「……誰なんだろう……」
 気持ちが悪かった。
「悪戯だと思うけど……」
「悪戯にしては、いろんなこと知りすぎてる」
 相沢が苦い顔をする。
 確かにそうだ。手紙の主はいろいろなことを知りすぎている。
 そしてひとつ、はっきりしてるのは。
 この手紙の主が僕のことを好きらしいってことだった。
 どこまで本気かわからないけど。単なる嫌がらせの方法なのかもしれないけど。
 破って捨ててしまいたい気持ちにもかられたけど、何かの時の証拠の品として、とっておくことにした。どっちにしろ、旅館のごみ箱には捨てられないし。
 その後、相沢と一緒に夕食とったけど、あの手紙のせいで和めなかった。



 夜の九時。
 例の三人組は帰って来ない。このまま女の子の部屋に泊まる気なんだろうか。まさかね。
 僕と相沢は、旅館の中をぶらついた。気を紛らわせる意味もあった。
 旅館の中には売店もあり、土産物が売られている。
 それらを眺めて喋りながら、僕たちは一時的にあの手紙のことを忘れた。
 バイト先への土産を買った。尾崎さんに買おうかどうしようか迷ったけど、個人的に買うのは問題のような気がした。それでみんなに配る土産の中に尾崎さんの分も含める。
 その他大勢のような扱いで、がっかりされるかもしれないな。
 でも特別扱いすると誤解されそうな気もするし。
 買った土産を持って部屋に帰ると、三人組が戻ってきていた。
「あれ?」
 部屋に三人がいて、相沢が驚いた様子で訊く。
「おまえら、合コンは?」
「全っ然ダメ。脈なし。目的バレて追い返されちまった」
 鮎川が代表して言った。
「目的?」
 僕が訊くと、
「そりゃーエッチに決まってんでしょーが。旅先で見つけた女とすることと言ったら」
 当り前のように鮎川が言う。
 カルイなー……。
「彼女、いるって聞いたけど」
「カンケーない、カンケーない。どーせここにはいないんだから」
 鮎川ばっかり答える。
 他の連中はどうなんだと思って見ると、
「俺はべつに面倒だからどーでもいいんだけどさー」
 紀ノ瀬が言った。
 そんな紀ノ瀬の頭をはたいて、岩本が口を開く。
「俺は本気だったんだぞ。俺は今、新鮮な彼女が欲しくてたまんねんだよ。よぉーし、明日はがんばるぞー」
 ……酔ってんのかな?
 そう思っちゃうような岩本の言動。
 人のことだから、勝手にしてくれていいけどさ……。
 そんなことよりも、僕はもう眠い。なにしろ長い時間電車に揺られ、温泉にのんびりつかると身体が睡眠を要求してくる。手紙のことは当然頭にあったけど、その気持ちの悪さを追いやることができるほど、睡魔は強烈だった。
「相沢、もう寝るよ、僕は」
「え? もう?」
「疲れちゃったみたい。じゃあね」
 残りの三人に向かって手を振った。振り返してくれたのは、鮎川だけだった。
「しかし、実際会うと細っこいねー。雑誌で見ても細いけど、本物はもっと華奢だ。女の子みたい」
 フスマを閉める間際、鮎川が相沢に向かって喋っているのが聞こえてきた。
 かまわず布団の中に潜り込むと、睡魔は急速に僕の意識を奪った。



 翌朝、気がつくと隣の布団で相沢が寝ていた。いつ部屋に入って来たのかわからないほど、僕は熟睡していたらしい。時計を眺めると朝の七時だった。
 布団の中から起き上がり、しばらくぼんやりとする。何気なく枕元を見ると、すぐ傍に封筒が置いてあった。
 ……?
 嫌な予感がした。
 白い封筒から白い便箋を取り出し、広げて読んだ。


 久我悟瑠様──。

 いつでも僕は君を見つめています。
 誰のものにもならないでください。
 君は僕のものになる宿命なのです。


 たったそれだけの文字が、白い便箋の中央に書かれてあった。
 瞬時に背筋が凍った。
 誰がいつ、僕の枕元にこんな手紙を置いていったんだ?
 嫌がらせなのか本気なのか、区別はつかなかった。
 僕は相沢を揺すって起こした。寝ぼけ眼の相沢に手紙を押しつける。
「……なに?」
 呂律のまわらない相沢は、それでも手紙を受け取って眺めた。すぐに目を瞠って、僕を見る。
「なんだこれは?」
「わからないよ。起きたらここにあったんだ」
 僕は枕の横を指差す。相沢が難しい顔をした。
「誰がいったいいつ……」
 僕と同じことを考えてる。
 相沢がいきなり立ち上がり、フスマを開けて隣の部屋へと向かった。
「おい、起きろ」
 鮎川、紀ノ瀬、岩本をムリヤリ起こしてまわり、手紙を突きつけた。
「誰だこんな悪戯をしたのは」
「えー?」
「あー?」
 寝起き顔で三人が不思議そうな声を出した。
「なにそれ?」
 鮎川が訊く。
「昨日からおかしなことが続いてるんだ。悟瑠の枕元にこれはあった。昨日は荷物の中だ。荷物の場所も、夜中にこっそりと枕元に置けるのも、悟瑠の所在に詳しい奴じゃなきゃ出来ない。そんな奴はこの中にしかいない。誰だ?」
 岩本は突然起こされて不機嫌そうだった。ぐしゃぐしゃと髪をかいて、迷惑そうな顔をする。
「知るかよそんなの」
 続いて紀ノ瀬が、寝起きでぼうっとしたまま素直に答えた。
「知らないなぁ。だいたい俺、そんな悪趣味じゃないし」
「てことは、この中にはいないってことだな」
 鮎川が後を継いだ。
「案外おまえなんじゃないの、相沢。よく考えたらおまえが一番、悟瑠くんの傍にいるわけじゃん。荷物の場所に詳しいのも、枕元に置けるのも、一番やりやすい位置にいる。どう、違う?」
「なに言ってんだ。なんで俺がそんなことするんだよ」
「じゃああれだ。悟瑠くんは雑誌でモデルをしている。そしてここに宿泊している。彼を見つけたファンとやらが、気持ちを伝えたくて手紙をこっそり置いて行く……どう?」
 ありえない話じゃなかった。
 相沢が鮎川を睨むように見た。
「荷物の場所までわかるって言うのか」
「それはわかるでしょ。まず、荷物を持って歩いてる悟瑠くんを見つける。そして部屋に誰もいないのを見計らって荷物の場所を確認する。手紙を書いてこっそりと入れる。最初から狙って見てればわかるよ、そんなの」
 相沢が悔しそうに封筒を見た。それからため息をつく。
「わかった。疑って悪かった」
 それだけ言うと、こっちに引き返してきた。フスマを閉める。
「ついカッとしちまった」
「よく考えると、彼らと僕はこの旅で初対面だよね。だとすると、昨日の手紙は僕のことに詳しすぎる。あの三人には書けない手紙なんじゃないかな。その手紙と昨日の手紙は筆跡も一緒だから、同じ人の仕業だろうし」
「……そうだよな」
 相沢がまたため息をついた。
「けど悪趣味だ。いったい誰なんだ」
 同じ旅館にその人物がいるのだと思うと、僕も気味が悪い。せっかく楽しい旅行にしようと思って来たのに、空気が不穏になっていく。
「悟瑠」
 相沢が顔をあげて僕を見た。
「今日はもう帰ろう。あの三人にだけ続けてもらって、俺たちは帰ろう」
「……う、うん」
 戸惑いながら僕は頷いた。それで解決する問題じゃなかったけど、相手が誰でどこにいるのかわからないからには、どうすることも出来ない。だから僕も、帰ることに賛成した。
 隣の部屋へ行き、相沢が三人に説明をする。三人が三人とも不満そうな顔をした。
「んな、くだらねーイタズラ本気にして帰んのかぁ?」
 呆れた調子で岩本が言い、
「いっそのこと、犯人探してみたら?」
 ちゃかすように鮎川が言い、
「じゃあ俺も帰ろーかなー」
 最後に紀ノ瀬が呟いた。
「え?」
 岩本と鮎川が驚いて紀ノ瀬を見る。僕と相沢も含めた全員の視線が集中して、紀ノ瀬がやや戸惑っていた。
「だってコレ、ナンパ旅行だって言ってたじゃん。俺そういうのどーでもいいからさー。よく知りもしない一夜っきりの彼女なんて別にいらないしねー」
「一夜っきりなんて誰が言ったよ。こういうとこで出会って、さらに続けるとこに醍醐味があんだろうがっ」
 岩本が反論した。……今いる彼女はどうする気なんだ……。
「えー? こういうとこで出会って、一夜のロマンス味わうつもりじゃなかったの?」
 初めて知った様子で鮎川が訊いた。
「……」
 急に静かになった部屋の中、せっかくの旅行が白けたムードに染まり、今回の旅行が失敗に終わっていることを物語っていた。
「……みんな帰んなら、俺も帰るかな」
 ため息つきつつ岩本が言った。
「じゃあ結局、俺も帰ることになるってわけ?」
 状況の急展開についていきかねる様子で鮎川が言う。
「おまえだけ残っててもいいんだぜ」
「嫌だよ。一人で残ってどうしろっての。わかったよ、帰るよ」
 しぶしぶ鮎川が返事した。
 僕は思わず相沢の方を向いた。まさかこういう展開になるとは思ってもみなかったから。相沢も少し困ったような顔で、軽く肩をすくめた。


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