PART.25

 慌てて駆けこんだ病室のベッドで、相沢は落ち着いていた。
 ……というか、くつろいでた。
 さんざん心配させといて、こう余裕でいられると、ムカつくとゆーか、なんとゆーか……。
「ほんっとに心配したんだ。こっちが死ぬかと思うくらい。なのに顔色はいいし、くつろいでるし!」
 ベッドの傍の椅子に腰掛けて、僕は文句を言った。
 六人部屋で、カーテンの向こうに他に人いるけど、そんなことはどうでもいい。
「足が固定されてるだろ? 寝返りもうてないんだぞ? 今は麻酔きいてるから平気そうに見えるけど、本当はすごく痛いんだぞ」
 怒る僕に対して相沢も不満そうにしてる。
「だいたい何でいきなり交通事故に遭ったりしたんだ。何の予告もなく!」
「事故に予告なんか出来ないだろー?」
 相沢が呆れたようにため息ついた。
「ちょうど友達と歩いてた時に、車が物凄い勢いで突っ込んできたんだ。ギリギリのとこでうまくかわそうとしたんだけど、右足だけ庇えなかった。いきなりのことで、何がどうなったのかよく覚えてないんだけどな。友達の方は無傷だったよ」
「ナンバーとか、運転手の顔とかは」
「そんなの見てる余裕なんかなかったよ。しかも逃げられたしね」
「どこのどいつなんだ……」
 怒りのあまりに握りしめた手に力が入る。
「全治一ヵ月だけど、途中で退院できるし。松葉杖があれば問題なく生活できる。通院は続くけど」
 僕をなだめるような口調のあと、相沢がいたずらっぽく笑った。
「夜は何もできないけどな」
 かあっと顔が熱くなった。いきなり何を言うんだ、こいつは。
 同室の人に聞こえるじゃんか。
 相沢が急に真剣な顔になった。
「退院できるまでは、しばらく一人になるけど……大丈夫か?」
「何言ってんだよ。子供じゃあるまいし」
「いろいろ問題あるから、余計心配なんだ」
「大丈夫だよ」
 僕はムリヤリ笑った。
 相沢の心配は本気だった。だから僕は笑ってみせた。
 安心させるために。
「もともと僕は独り暮らししてた人だろ。相沢がいなくたって、ちゃんと人間らしい生活するしさ。僕の心配するよりも、早く治すことの方が大切だよ」
「悟瑠……」
 相沢の手が伸びて、僕の頬をとらえた。どうせカーテンが閉まっているんだから、誰にも見えやしない。僕は相沢の方へ身体を寄せた。
 動けない相沢の代わりに僕が顔を近づけた。唇が重なる。
 何かを惜しむような長い長いキスをした。



 ファミレスのバイトは順調だった。変な客もいないし、おかしな手紙もない。
「交通事故?」
 尾崎さんに相沢の骨折のことを話した。それでしばらくの間、入院すると言うと、意味ありげに「ふうん」と言った。
「彼がいない間、ひとり寝は寂しいね」
「そんなことないですよ」
 空気が妙な方向に行こうとしたから修正した。そしたら尾崎さんが残念そうな顔をする。
「どんどんガードが固くなっていくね、きみは」
「そうですか?」
「出会ってすぐに手に入れとけばよかったと後悔しているよ」
 ため息つきつつ尾崎さんが呟いた。
 冗談なのか本気なのかよくわからない態度と言い回しだった。
「まあでも、お大事にって伝えといてもらえないかな」
「いいですよ」
 ドアが開いて新しい客が入って来た。見覚えがあると思ったら、こないだ一緒に旅行した仲間だった。
 鮎川巧実。
 たしかそんな名前だったな。
「いらっしゃいませ」
 水とおしぼりとメニューを持って行った。鮎川が僕に気づく。
「おやー? こんなとこでも働いてんの? よく働くねー」
「ひとり?」
「そうそう。本当ならね、こういうとこは彼女と来るべきとこなわけよ。けどさあ、不幸なことに彼女がいないわけですよ。寂しいねえ」
 鮎川はメニューを受け取って眺めた。
「じゃあ、注文決まったら呼んで」
「はいはい」
 僕が戻って来ると、尾崎さんが難しい顔をしてた。
「……知り合い?」
「なんで険しい顔してんですか」
「いや……なんか嫌だなと思って」
「なにがですか」
「なんとなく正体隠してるって感じがしてね」
「考えすぎですよ」
 確かにカルイところはあるけど、別に嫌な奴じゃないし。
「観察癖はやめて、仕事しましょうよ」
「ちゃんとしてるよ」
 不満そうな顔された。
 鮎川の注文はバイトの女の子が受けていた。暗いけどむりやり明るくしてるような雰囲気はないし、隠してる正体があるようにも見えない。
 なんで尾崎さんはそんな風に見えたんだろう?
 忙しく仕事してたら、鮎川は知らないうちにいなくなっていた。帰ったらしい。ちょうど今は昼時だから、たまたま寄った店がここだったんだろな。


 帰り際、病院に寄った。話題に、鮎川がうちの店に来たことが出た。
 相沢は、少し微妙な表情をした。
「まだ付き合い浅いせいかもしれないんだけど、鮎川ってつかみにくいとこあるんだよな。手のうちを見せないタイプっていうか……」
「相沢まで」
「までって?」
 僕は尾崎さんが言っていた、鮎川に対する感想を話した。
「……裏がありそうに見える?」
 よくわからなくて首をひねっていると、相沢まで同じように首を傾げてた。
「正体隠すってのも大袈裟かもな。でも別に暗いわけじゃないし、裏表があるような気もしないんだけどな……俺もよくわかんないんだけど」
 ちょっとしか会ったことがないから、僕にはなおさら判断ができない。
「そうだな……俺、大学でいろいろ友達づきあいしてた時、あいつ、いつの間にかそこにいたって感じだったな」
「いつの間にか仲間になってた?」
「そう。そんな感じ。で、気がついたら、さらに近くにいた、みたいな」
「なにそれ」
 へんなの。
「実はさっき見舞に来たんだよ。紀ノ瀬と一緒に。手土産なんにもなくてさ」
 相沢がふざけて、わざと不満そうな顔をした。すぐに表情が戻る。
「……正体隠してる、かぁ。いつも通りだったけどな」
「先入観がない方が、いろいろ見えるってこと、あるかな?」
「……なくはない、と思うけど」
 だからなんなんだ、という言葉が脳裏を走った。尾崎さんの発した一言から、まるで疑うように検証してるなんて。いったい彼の何を疑うんだ?
 人間なんて誰でも必ず一面以外の顔は持ってる。複雑に出来てるんだから。
 椅子から立ち上がった。
「そろそろ帰るよ。面会時間すぎると看護婦さんに怒られちゃうしね」
「忘れ物」
 相沢が唇を指差した。僕は苦笑した。
「仕方ないなあ」
 なんて言いながらも、実は喜んでキスしてやったりする。
 キス以上のことが何も出来ないのは、やっぱり少し寂しい。けどそんなことは一言も口にせずに、僕は病室を後にした。



 独り暮らしが当り前だった頃は、ひとりなんて平気だった。
 けど、突然ぽつんとひとりにされると、心のどこかに風穴が出来たみたいに空虚さが漂う。寂しいと思う。
 僕のたてる音以外の音が存在しない。
 コーヒーでも飲みながら、僕は卒業アルバムをめくっていた。知り合いの少ない上と下の学年のアルバムは見る気がしない。同級生の上半身の写真が並んでいるページを眺めながら、僕は何をしているんだろうと思った。
 ページを繰る手が止まった。
 見たくない顔を見つけてしまった。
 僕を退学へと追いやった、あの生活指導の教師の写真があった。嫌な記憶が頭の中を走馬灯のように駆けていく。頭を軽く振って、忘れようと努力した。

 ……忘れてた。
 卒業アルバムを見れば、絶対にこの顔と出会う。そんなことに、写真を見るまで気がつかなかった。
 あれから再会せずに済んで、嫌なことはすべて排除してしまうように、存在すら忘れて毎日の生活をしてた。
 忘れなければ普通になんて生きて行けない。
 忘れよう忘れようとすれば、何かきっかけがない限り、思い出すことなんかない。
 けど、些細なきっかけで、忘れようと努力した嫌な記憶は簡単に蘇ってしまう。
 僕はため息をついて、違うページを開いた。
「……あれ?」
 よそのクラスの生徒の中に、見たことのある顔を見つけた。
 昔見た人じゃなくて、最近見た人だ。
 写真の真下に名前が載っている。間違いない。

 ──鮎川巧実。
 人違いなんかじゃない。

 同じ高校、同じ学年に彼がいたなんて知らなかった。
 きっと一緒のクラスになったことがないんだな。
 だから僕は知らなかった。
 ……向こうは、僕を知ってたんだろうか。
 でもこの間の旅行では、初対面だって……。
 会ったことがないから知らなかったのか。
 本当に、会ったことないのかな。

 額の辺りで電流が走ったような感覚が襲った。
 まさか……と思う気持ちが先走る。
 まさか……まさかね。
 そんなの出来すぎだ。
 こんな偶然ありえない。
 本当に、偶然か?

 同じ高校なら、僕の身に起きたことを知っていてもおかしくはない。
 相沢と同じ大学なら、近寄ることも造作ない。
 一緒に旅行すれば、どれが僕の荷物でどの部屋で寝るかなんて、知ってて当然。
 そうだ。
 鮎川は僕がモデルのバイトをしてることも知ってた。
 そして今日、ファミレスで会ったのは偶然なんかじゃない?
 だとすれば、つじつまが合う。

 心臓が早鐘を打った。
 ……落ち着け。
 まだそうと決まったわけじゃないだろう?
 だって鮎川は、彼女と別れたばかりだ。旅行の目的だってナンパだったし。
 男よりも女に興味があるはず。
 それに、あんな陰湿な手紙を書くようなキャラクターじゃなかった……と思う。
 旅館で相沢が三人に訊いた時、みんな知らないって言った。
 ……そんなのアテになるのか?

 僕は相沢のアドレス帳を探した。けど見つからないから、最近買ったばかりの携帯電話のメモリを調べた。鮎川の番号は入ってた。
 ハズレなら詫びればいい。
 だけど当たったら?
 当たりだったらどうすればいい?
 携帯電話をテーブルに置いた。鮎川にかけて、それで何て言えばいい?
 手紙を書いたのはおまえかって? それでもしYESだったら、どうするんだ。
 怖かった。
 間違いならいい。勘違いなら問題ない。
 でも間違いじゃなかったら。
 相沢が退院するのを待った方がいいのかもしれない。
 尾崎さんには知らせられない。手紙の内容が全部本当だとばれてしまうから。

 ピンポン

 玄関でチャイムが鳴った。
 口から心臓が飛び出すかと思うほど驚いて、僕はその場から動けなかった。


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