PART.26

 二回続けてチャイムが鳴った。僕が出ないでいると、しつこいほどにチャイムが鳴る。
 ……不在だとは思わないらしい。
 僕はゆっくりと立ち上がった。玄関に向かわずにインターホンの受話器を取る。
「……どちら様ですか」
『俺だよ、鮎川。相沢の友達の』
 絶妙すぎるタイミングだった。
『あいつホラ、入院してるせいで講義受けられないじゃん。ノート持ってきてやったよ』
「……病院に……。明日にでも、相沢本人に渡せばいいのに」
『そんなー。せっかく持って来たのにさー。そりゃないだろー?』
 受話器の向こうから、ふてくされた声が聞こえてきた。
『なんでもいいから、開けてよ。これじゃ俺、なにしに来たんだか、わかんねーじゃん』
 ……思い過ごしかもしれない、し。
 鮎川の態度はすごく普通で、後ろ暗い感じもしない。
 まだ何も確証ないし。
 玄関の鍵をはずして、ドアを開けた。
 鮎川は笑顔で立っていた。
「どーもどーも。はい、これノート。ついでにお茶でもってことで、あがっていい?」
「え……、うん、いいけど」
 押しつけられたノートを受け取り、戸惑いながら返事をすると、鮎川は遠慮なく部屋にあがってきた。
「一緒に暮らしてるんだってねー、相沢と。ヤローふたりで楽しいの?」
「楽しいよ」
「ふーん」
 好奇心旺盛なんだろうか。部屋の中を見回している。
 今度はキッチンへ向かった。
「勝手にコーヒー作ってもいい?」
「うん、いいよ。インスタントしかないけど」
「なんでもオッケーよ。雑食だから」
 ……中に入れてしまった。
 害があるのかないのかわかんないうちは、下手な態度取れないし。
 まだ半信半疑だから。
 鮎川は台所でインスタントコーヒーを作っていた。僕が見ているのに気づくと、愛想よく笑った。
「飲む? だったら作るけど」
「あ……僕はいいよ」
 どう対応したらいいのかわかんなくて、戸惑ってしまう。
 部屋に戻って来た鮎川が、胡座をかいて適当に座った。
「なに突っ立ってんの? 座れば?」
「……え、ああ」
 自然と、距離を離して座ってしまう。
 警戒は顔や態度に出さないでおこう。
「学生は夏休み長くていいよね。羨ましいな」
 なんて切り出してみたり。
 鮎川が不思議そうな顔で僕を見た。
「なんであんたは大学行かなかったんだ? すっげー頭悪いとか、超びんぼーとか、そーゆーやつ?」
 あまりに極端な表現で吹き出しそうになったけど、よく考えたらなんて答えたらいいんだろう?
「いやぁ……なんて言うかね、いろいろ事情とかあって。親とケンカして飛び出して来ちゃったんで、お金出してもらえないってのもあったしね……」
 受験どころでもなかったけど。
「へえー。いろいろと複雑なんだねー」
 鮎川はあっさりと納得してくれた。
「まあね」
 人に話せないエピソードが多すぎて、僕の口は自然と重くなる。
 視線を感じて顔をあげると、鮎川がジッと僕を見てた。
「な、なに?」
「綺麗な顔だなと思ってさ」
 しかも真顔で。
 ぎょっとした。
「そんなことないよ」
 と笑い飛ばして空気を変えようと思ったら、鮎川の方が先に笑った。
「ウソウソ。いくらなんでも男だしねー」
 空になったカップを床に置いた。
 ……ウソなのか。
 まぎらわしい。
 妙な緊張が僕の中を占めていた。何かのシグナルが頭のどこかで鳴っているような……。
 気のせいだ。
 彼を疑う気持ちが僕をそうさせてるんだ、きっと。
「モデルの仕事って楽しい?」
「……うん。バイトとしてやるならね」
「なんだそりゃ?」
「一生の仕事にする気はないってことだよ。表すぎる世界はちょっと怖いから」
「へえ」
 鮎川が笑った。その意味ありげな笑い方がひっかかった。
 ゆっくりと鮎川が立ち上がった。僕の近くまで寄って来て、すぐ隣に座った。
 僕は警戒しながらも、逃げはしなかった。
 鮎川の表情が突然変わった。それまで屈託なく見えたはずの顔が、苛めっ子のような笑顔になった。嬉しそうに笑ったかと思うと、少しだけ顔が近づいてきた。
「それってさ、過去のことスキャンダルされたら大変だから怖いってこと?」
「!」
 立ち上がろうとしたら腕をつかまれた。バランスを崩して膝をつくと、その勢いのまま床に倒された。鮎川が上にのしかかる。
「な……っ」
「こうやって間近で見ると、本当に綺麗な顔してるよな。ねえ、なんで相沢が好きなの? 一緒に暮らしてるってことは、行くとこまで行ってんだよな。他の奴らとのセックスより、相沢のが一番ってワケ? そこんとこ、じっくりと聞きたいなー」
「……おまえ、やっぱり……」
「やっぱり?」
 鮎川が眉をひそめた。
「怪しいって睨んでたわけ? 変だな。わかんないようにしてたのに」
「……出版社に手紙送ってきたの、おまえか」
「そうだよ」
 まったく悪気のなさそうな顔で、笑いながら鮎川は答えた。
 床に押さえつけられた手首が痛い。
「卒業アルバムにおまえの顔が載ってた。クラス、一緒になったことないのに、なんで僕のこと知ってた?」
「なに言ってんだかなぁ。その顔で、おまえに興味持たない奴いると思ってた? まあ、普通は同性にそんな気起こす方が珍しいワケだけど、おまえってさあ、マトモな奴の気ひかせるのうまいんだよ。不幸なのは、自覚症状がないってところかな」
「……」
 唖然としながら僕は鮎川の話を聞いていた。
 そんな場合じゃないのはわかっていたのに。
 暴れて逃げなきゃいけなかったのに。
「……まるで、自分はマトモだって言いたいみたいだな」
「そうだよ。だって、他の男に欲情したことないし」
 今度こそ逃げようと思って、僕は身じろいだ。鮎川は完全に全体重を僕にかけて、さらにしっかりと手首を押さえつけてる。思うように動けない。
「おまえに狂わされたひとりの先生がいたよねー。よく覚えてるぜ。おまえのこと狙ってるの、すぐにわかった。だって俺が先におまえに惚れてたからさ。いつだったかなー、おまえがあいつに呼び出されたこと知って後を尾けたことがあった。その先で何してるのか、全部見たよ。すげーショックだった。そのころ俺ね、おまえのこと好きだったけど、好きでいつも見てたけど、抱きたいなんて思っちゃいけないんだと思ってた。俺が男で、おまえも男で、だからそういうのは駄目なんだと自分に言い聞かせてきてた。そんな時にあんな光景見せられてみろ、どうなると思う?」
 僕は答えられなかった。
「もしクラスが一緒になったら、絶対に友達になるんだって決めてたんだ、その頃。笑うかもしんねーけど、そん時はマジだった。普通だったんだよ、当時の俺の頭は。あの光景見るまではな。実現しないまま、おまえは退学。誰も本当のこと知らなかったけど、俺にはわかってた。あの先生ね、おまえがいなくなってから、ちょっとおかしくなってたんだ。で、他の男子生徒に手ぇ出して、でも気に入らなくてってこと二、三回やってさ。最後に俺が目をつけられた。三年生の時だったよ」
 僕は驚いて、鮎川を見つめた。
「俺は全部バラした。それであいつを退職させた。離婚したんだって。職場にも家族にも見捨てられた後、どうなったのか知らない。もひとつさ、退学して家飛び出したおまえを、俺は探してた。居場所を見つけて様子見てたら、おまえは身体を売る奴になってた。憎たらしくなったよ。なんで俺が一番欲しいと思ってるものを、そうやすやすと見知らぬオヤジにくれてやるのかってね。おまえがそこまですることがわかって、俺はやっと思ったんだ。なーんだ、俺が抱いてもいいんじゃんって。だけど、知り合えるチャンスが全然なかった。一回だけ、客のフリして誘ったことあったのに、冗談をあしらうような態度で断わられたよ。若いのはダメなんだってさ、金ねぇから。全然覚えてないだろ?」
 ……覚えてなかった。
「そのうち相沢がおまえを見つけて、さらに尾崎とかいう奴まで出てきた。次から次へと。おまえは俺のものだって決めてたのに。だから、まずは近づけるチャンスが欲しかった。なんでもいいから俺という存在を認識させたかった。それも警戒させずにね。それに、普通の会話だってしてみたかったんだ。友達みたいにさ」
「……相沢と同じ大学受けたのは……」
「一番の近道だと思ったんだ。相沢の傍にいれば自然とおまえに出会える。だから相沢に近づいた」
「……それで。……出会ってどうするつもりだった……?」
 鮎川が笑った。
「決まってるじゃんか」



 必死で、僕は逃れようと暴れた。
「やだな。なんで嫌がんの? どーせ誰とだって寝るんだろ? そーゆー生活してただろ? 全部知ってんだぜ?」
「はなせっ……」
 首筋にキスされた。
「尾崎って人とはどこまで行ったの? やっぱ寝たの?」
 突然、両手が自由になったから押し退けようとした。ビリッと布が破れる音が聞こえた。胸が鮎川の目にさらされる。
「知りたいんだからさ。教えてくれよ」
「あるわけ……ないだろっ。いいかげんにしろよっ」
 いきなり唇を塞がれた。
「んっ……」
 鮎川の舌が入って来た。顔を背けようとしても、鮎川の両手で固定されてしまい動かせない。だから僕は舌を噛んだ。
「っ……!」
 弾かれたように鮎川が離れた。その目には怒りのような色が宿ってた。負けられないから僕は臆さずに睨み返した。
 ふっ……と鮎川が笑う。
「いいこと教えてやろーかね。あんたの大事な相沢くんが、どうしていきなり交通事故に遭ってしまったのか」
「……!」
 まさかこいつ。
 鮎川は楽しい話を聞かせてやるような態度で、生き生きとして喋った。
「あいつをひこうとした車にはさ、ナンバープレートがなかったんだ。はずしてあったんだねえ。てことは盗難車かもね。けど、その車はとっくに捨てられちまった。だから犯人は探し出せない。ついでに指紋も残してない。そこまではオッケー?」
 僕は声もなく鮎川を見つめた。
「犯人は、別にあいつに死んでほしかったわけじゃない。ちょっと入院してくれればよかっただけなんだ。だから、かすり傷程度じゃ困る。少しの間でいいから入院が必要な怪我をしてくれないと」
「……なに考えてんだ、おまえ……」
「いいじゃん。後遺症のこるような怪我じゃなかったんだし。それに被害者は死んだわけじゃないから、警察だってたいして調べようとはしない。テレビとかでやってるような他の凄惨な事件で忙しいだろうしね」
 鮎川は僕の上にのしかかったまま、ズボンのベルトをはずした。
 両腕をつかまれ、手首にベルトを巻かれる。抵抗は役に立たなかった。
 頭上で両手首が固定された。ベルトはさらにテーブルの脚にくくりつけられていた。
「これで腕は動かせないな」
「……手紙」
「ん?」
「……なんで、手紙、送ってきたんだ」
 こんなこと訊いてる場合じゃないのはわかってたけど、喋らせることでなんとか時間を引き伸ばそうとは思った。
「だって嫌だろ? 雑誌に乗ると、おまえのその顔、姿、色っぽさ、どこの誰だか知らねー奴らの目にさらされるんだ。阻止できるものならしたいじゃん?」
「旅館のは」
「あれは脅し。怖がらせてやろーかと思って」
 ……なんて悪趣味なやつなんだ。
「怖かっただろー?」
 鮎川は嬉しそうだった。まるで楽しいゲームでもしているような顔で。
「だいたいさ、なんで有名になろうとしたの? んなことしたら、ますます世間の男に襲ってくださいって言ってるようなもんじゃん」
「有名になろうとしたわけじゃない」
「おんなじだよ。モデルで有名になった人ってさ、その後よく俳優になったりすんだよね。ああいう仕事してたら、遅かれ早かれ、望む望まないに関係なく、結局は表舞台にひっぱり出されるんだよね。そんで、いつの間にか芸能生活に染まるワケだ。でさ、むかーしの久我悟瑠くんを知ってる人なんかがさ、週刊誌とかにタレコミすんの。彼は過去に身体を売って生きていましたってね。確かに私は金で彼を買いましたって。スキャンダル起こして飛躍する奴とかもいるけど、そのせいでツブれる奴もすげーいるでしょ? さらにさ、ファンの子なんかに『裏切られた』『信じてたのに』とかって責められちゃうんだ」
 鮎川の手が、僕の下半身へと伸びた。
「やめろよ!」
「なんでよ。気持ちいいことしてやるんだよ。どーせ慣れてるくせに」
 鮎川は楽しそうに笑って、下着ごと僕のズボンを奪った。


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