PART.4

 翌朝目を覚ますと、部屋の中は僕だけだった。
 毛布からすべり出て、僕は胸が痛むのをなんとなく感じる。
「……帰ったのか」
 毛布を肩にかけて、ずるずると引きずりながら冷蔵庫を開けた。中から缶ビールを取り出して、飲む。
「……そっか、帰ったのか」
 毛布にくるまったまま座り込み、なんでこんなに胸が引きつりそうになってるのかわからなくて、なんだか泣きたくなった。
 身体がまだ、相沢のぬくもりを覚えていた。
「ばっかだよなあ。あの提案って、あいつを帰すためじゃなくて、僕の願望だったのか」
 相沢に抱かれたかったのか?
 だけど普通に考えればそんなことするはずないってわかってたから。
 なのに口に出して言ったら真に受けやがって、あのヤロウ。
 友達とか思ってる奴を抱くなよ。
「うー……」
 毛布ごと僕は床に倒れて、心の中でのたうちまわっていた。ああ駄目だ。だんだん僕が狂っていく。
 心の中には空虚な穴があるはずだった。それを忘れるためにも僕はカラダを売ったりなんかして、めちゃくちゃしてた。どーでもいい相手と寝ても、穴は広がることがあっても塞がることはない。
 そんな時に相沢みたいに突進してくるような奴と会ってしまうと、どうやら僕は狂ってしまうらしい。
 空虚な穴に、相沢という人間が入り込みはじめている。
 あいつが悪い。あんなこと言うからだ。
 助けたいとか、役に立ちたいとか、だから僕は期待してしまってる。
 期待なんかしてしまってる。
 そう思っていた時。
 ドアがいきなり開いた。
「あ、起きてる」
 耳に飛び込んできた声に僕は驚いて、目を見開いた。
 玄関に立っていたのは、相沢真だった。
「……帰ったんじゃなかったのか」
「こんな人間放って帰るほど非情じゃねえよ」
 両手に買い物袋下げた相沢は、遠慮なく中に入るなり、僕の手からビールを奪った。
「こんな生活ばっかしてると廃人になるぞ」
「……おまえには」
「関係ないなんて言わせない」
 真っ向から相沢が言った。僕は少々圧倒されて、それきり言葉もなかった。
 相沢は勝手に人の家のタンスを開けて、下着と服を勝手にひっぱり出した。
「毛布にくるまってゴロゴロしてないで、着ろ」
「……。うん」
 相沢が面倒見のいい奴だってことはよく知っていた。だけど、まさか、勝手に買い物に出かけて材料揃えて、料理までしてくれるとはさすがに考えなかった。
 TシャツとGパン姿になった僕は、ただ唖然として相沢の行動を見てるだけだ。
 しばらくして訊いてみた。
「おまえ……何してんの?」
「料理だろ。そこにいる半病人のために」
 ……半病人とは、僕のことだろうか。
「そんなに細くて白くて、ちょっと何かしたら折れそうな貧弱な身体しやがって。ずっとロクに食べてなかったんだろう。それに運動もしてないな。このまま放っといたら、本気でおまえどうにかなっちまう」
 べつにどうにかなってもよかったのに。
「親切なことだね」
「友達思いなんだよ」
 どん、と目の前に料理が出た。しっかりふたり分の朝食だった。と思ったら、時計を見ると昼前だった。
「……おまえさ、学校は?」
「今日は日曜だ」
「……あ、そう」
 曜日感覚の狂っていた僕には、すっかり今日がいつなのかわかっていない。
 味噌汁を飲んでみたら、結構うまかった。家を飛び出して以来、こんなの飲んだのは本当に久しぶりだ。いつの間にかごはんまで炊いてあって、焼き魚も卵焼もみんなうまい。
「……おまえ、何者?」
「趣味なんだよ、家でも時々作ってんの!」
 恥ずかしかったみたいで、相沢の顔が赤い。
「これが家庭の味ってやつなんだな」
 しみじみと、僕が言うと、
「家に戻ればいつでも食えるだろ?」
「……」
 戻りたくはなかった。
 体裁や偏差値を気にする両親は、教師に暴力をふるって退学した僕を許すことはないだろう。いつまででも責められるに違いない。だったらここでカラダ売ってる方がマシだった。
 黙り込んだ僕をどう思ったのか、相沢が心配そうに覗き込む。
「帰るの、嫌なのか?」
 あっさりとバレてる。
「帰っても……いいこと何ひとつないよ」
「……だったらさ、もう少しマシなバイトでもしろよ」
 無理だ。今の僕にまともな仕事なんかできない。
 カラダ売ることに慣れてしまった僕には。
「相沢……おまえさ、僕と関わるのよせよ。何してみたところで、無意味だと思う。僕が元の僕に戻ることはないんだ。たぶん、生きてる限りこんな生活繰り返してくだけだと思う」
「なに言ってんだよ、おまえ。やる前にそんなこと言ってどうすんだよ! おまえがなんでこんな道に染まったまま帰ってこないのか、俺は考えてみたんだ。おまえは逃げてる。普通の生活送ることから逃げてんだ。退学っていう、たった一回のミスから立ち直れてないんだ。投げやりになるな!」
「僕にとってのミスは退学なんかじゃない!」
 説教なんかされる覚えはない。いくら相沢でも。
 ああ……なんか、身体がふるえる。
 泣きだしてしまいそうだ。
「僕が高校にいて一番怖かったのは、内申だった。大学に進学するつもりだったから、高校での成績は僕にとっても大事なものだった。退学どころか、停学だって怖いから、そうならないように真面目に過ごしてた。狙ってた大学もレベル高いところだったし、その後の就職のこと考えても、内申に傷つけられるのはすごく怖いことだった」
「……悟瑠?」
「あいつが、それを逆手に取って、僕を脅したりしなきゃ、僕はあんな奴の言うなりになんかならなかった。……はは、笑えるよな。今の僕がしてること考えれば、あの程度のことに苦しんでたなんて。三年間我慢するだけでよかったんだ。ずっと我慢してれば、無事に卒業できたし、大学までは追っかけて来れないんだから……」
「悟瑠!」
 いきなり肩をつかまれて、僕はハッとした。目の前には相沢がいた。
 真剣な表情だった。
「おまえ、何されたんだ」
 今さら、隠すことじゃないよな。
 そう思って、僕はあっさりと口にした。
「犯されたんだ、生活指導の教師に」
「……っ!」
 愕然とした表情で、相沢が僕を見つめる。
「一年の時だった。僕はどっちかって言うと模範的な生徒だったから、文句言う隙とかなくてさ、初めから狙われてたんだと思うけど、実際そうなるまで数ヵ月はかかった。たしか……冬だったと思う。きっかけが何か、忘れちゃったな。生活指導室に呼び出された僕は、内申書をつきつけられて、傷つけられたくなかったら言うこと聞けって。それで僕はそいつに犯されてた。……ずっと。二年になっても」
「……」
「僕はそれがすごく嫌で、我慢できなくて、でも脅されるから仕方なく言うこと聞いてた。だけどとうとう僕もキレて、気がついたら殴ってボコボコにしてたんだ。で、さらに気がついたら退学ってことになってた」
 僕の肩をつかんでる相沢の手に力が入る。
「……それ、誰かに」
「誰にも言ってない。知ってるのは当事者である僕と、そのくそったれ教師と、……あとはおまえだけ」
「……おまえ、何、泣き寝入りしてんだよ。それで生活狂って、人間やめかかってたのか? なんで誰にも言わなかったんだ。そしたら退学にならなかったかもしれないのに!」
 相沢が激しく僕の肩を揺さぶる。
「教師に犯られましたって? みんなに知られるのか? 特に聞かせられないのは親だよ。彼らは体裁が何より一番大切な人達だから、息子が女みたいに犯されたなんて事実知ったら卒倒するだろうね。その前に信じないかもしれない。女なら妊娠でもしちゃえば、証拠になるんだろうけど、生憎僕にはそれがない。僕の親にとっては『犯された息子』の事実より、『教師殴って退学になった』息子の方が、いくらかマシなんだよ。そう思ったから僕は誰にも言わなかった。僕自身、そんなこと周囲に知られるのが嫌だった。今こんな生活平気でしてんのは、僕の素性を知ってる人間がいないからだ」
「……悟瑠」
 力強い相沢の腕が、僕を抱きしめた。同情からかもしれない。
 でも、なんでもよかった。
 相沢に抱きしめられるのは、結構心地よかったからだ。
 手が僕の頬にかかり、相沢の唇が寄せられた。僕はためらいもなく受け入れたが、きっと相沢の一時的な気の迷いだ、と思うことにした。
 相沢の積極的な行為はそこまでで、キスと強い抱擁だけだった。それでも僕はかまわなかった。

 その夜、相沢は帰った。
 僕は黙って見送った。

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