平和船団からイージス艦乗員に呼びかけました

ヨコスカ平和船団 木元茂夫


 派遣当日の朝、ヨコスカ平和船団は、ヨット「おむすび丸」とゴムボート2隻で午前7時半に出 港、広島の呉市からかけつけたピースリンク・広島・呉・岩国の仲間も乗船しまし た。「戦場に行くな」「憲法九条を殺すな」の2つの横断幕をかかげて抗議行動を開 始。「きりしま」に可能な限り近づいて抗議行動をはじめました。この時点では、自 衛隊は「きりしま」に家族を乗艦させて、艦内を案内していました。自衛官への呼び かけをはじめると、何人かの自衛官と家族の方は、私たちの訴えに耳を傾けてくれま した。自衛官や家族の表情がはっきりわかります。平和船団のいいところは、こうい うところまで近づけることです。何度もこうした行動をやっていますが、自衛官から 罵声を浴びせられた経験は一度もありません。基地公開などで艦船に乗った一部のか たから罵声を浴びせられたことはありますが・・・・・・

 私たちがまず訴えたことは、インド洋からもどってきた自衛官が「もう二度といき たくありません」と訴えていること、インド洋に派遣された自衛官の中から、すでに 死者が出ていること、佐世保基地所属の「さわかぜ」で渡辺省三さんという51歳の 方が亡くなられていること、死因は心筋梗塞で、公務災害に認定されています。イン ド洋では毎月時間外労働143時間という過酷な勤務が強いられていること、派遣に当 たって乗組員の選抜の過程で本人の意思を無視して、強要されることはなかったの か、そういうことがあれば、ぜひ、 連絡をしてほしいと。 そして、アフガニスタン の戦争は終わらない、軍事力による解決など決してできないのだ、査察を受け入れて いるイラクに対してアメリカが攻撃するなどはとんでもないことで、米軍に情報を提 供することは絶対にしないで欲しい、と訴えました。

 8時40分ごろ、「きりしま」の煙突から白煙があがりました。「インド洋に行けば、 アラブの人々からはアメリカ海軍と同じに見られます。米軍はトマホークをもってい るけれども、海上自衛隊はもっていない、対地攻撃能力はない、そんな区別は誰もし てくれません」、「戦争に協力しないで」「情報提供はしないで」「戦場に行かない で」と訴え続けました。8時55分出港、並走して抗議行動を続けました。  きりしま が出港したあとも吉倉桟橋には、数十人の家族の方がいつまでも、見 送っていました。ハンカチを眼に当てて泣いている人もいました。  その家族に向 けて、最後の訴えをして行動を終えました。

 米海軍の方を見ると、横須賀基地に配属されている第七艦隊のイージス駆逐艦カー チス・ウィルバー(DDG54)が星条旗と旭日旗(自衛艦旗)を並べて掲げ、その横には 「ご武運をお祈りします」と日本語の横断幕、そして、米海軍の乗組員が登舷礼(海 軍の儀礼の一つで、甲板の端に乗組員が一列に整列すること)で、「きりしま」を見 送っていました。これには平和船団員一同、びっくりしました。アフガニスタンへの 空爆がはじまって以来、何度か横須賀から自衛隊の軍艦が出動していきましたが、こ んな対応ははじめてです。米海軍の期待がいかに大きいかを象徴する光景でした。 「日米共同作戦も、とうとうここまで来てしまったか」と少し落ち込みました。  しかし、よくよく考えると、この米海軍の異例の見送りに応えていたのは、わずか 十数人の自衛官のみ、残りの乗組員は家族の方を向いて手を振っていました。米軍よ りは家族、という乗組員の思いを無視するような命令を艦長は出すことができなかっ たようです。

 日米共同作戦はここまで来てしまいましたが、現場の自衛官の中には、こうした流 れに反発を感じている人もいます。  私たちの訴えが広がっていけば、まだまだ、戦争協力をとめる方法はあると思いま す。今後とも、ご協力をよろしくお願いします。

 来年1月には、中東のカタールに向けて、海上自衛隊最大の軍艦、揚陸艦「おおす み」または「しもきた」(満載排水量13000トン)の、呉からの出港が予想されます。 呉の仲間が抗議行動の準備をはじめていますので、これにもご協力をお願いします。

自衛官市民―ホットライン http://homepage1.nifty.com/heiwasendan/



イージス艦派遣の意味するもの