これを綴っている今日は11月28日。
本当なら今日が4年丁度の記念日だったはず。
今頃こんなつらい思いを綴ることなく、
電話などして受話器の前で微笑んでいたはずだったのに。

恋には二種類あると思います。
一つは「好き」です。
これは恋している人それぞれみんなが持っているものです。

もう一つは「愛してる」です。
長年寄り添っている二人や、夫婦なんかがこの感情を持っています。

何が違うか。
例えて言うなら、最初の感情「好き」は激しく燃えさかる炎です。
そして「愛してる」は暖房です。

炎は鮮やかで、もちろん暖かいんだけれど、
近づきすぎると時として火傷するし、いつも激しい。

暖房は激しさは無いけれど、
体の芯まで暖まる。

激しい炎を見るのは趣深いけれど、美しいけれど、
本当に寒いときに必要なのは暖房じゃないかと。
瞬間的に暖かい、むしろ熱い恋より、
僕は少し寒いくらいでも体の芯まで暖まる、
そんな穏やかな、優しい恋がいいです。


こっちに来て思うのですが、
彼女は僕にとっていわば米、つまり白米、ご飯でした。
こっちの人間はやっぱりジャガイモ派なんですね。

例えばもし僕は毎日ご飯を食べたとしても苦になりません。
でも毎日ご飯の代わりにジャガイモを食えと言われたら
満足できない。

レモンとご飯があって、
レモンは激しくて、ご飯は味がないに近いマイルド。
ご飯はほとんど刺激がない。

でもこの世からレモンが一瞬にして無くなっても
僕にとって全然問題ないけど、
ご飯が無くなったらしんどいです。
あんなにマイルドなものなのにね。

ご飯ってメインデッシュになることはあまり無くて、
ひょっとしたらもうあるのが普通って感じかもしれないけど、
やっぱり一番大事なもの。
他にとって代われないもの。
刺激の強い、おいしい物より
結局僕はごはんを選んでしまいます。

でも僕はご飯を失ってしまった。

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