10月3日

 フランスで行われた競馬の最高峰凱旋門賞で、日本の騎手、蛯名正義が騎乗する エルコンドルパサーが二着になった。(一着モンジュー、半馬身差)  スタートから一貫して逃げての二着である。  ホントに惜しかった。かわされたのは残り150メートル程の地点だ。  もし勝っていたら、F1ワールドチャンピオンに匹敵する快挙だ。  蛯名も惜しかった。勝ってたら、武豊が日本で幾ら勝とうと、日本のファーストジョッキーは EBINAであると言う評価が世界中に定着したはずだ。(笑)  蛯名は武豊を超える千載一遇のチャンスだったのだが。  それにしてもゴール前200メートルは手に汗握ったなあ。  ディラミはどうなったのだ。16位?  シェイク・モハメド殿下のリベンジ指令がジャパンカップで下されます。  たのしみ〜。

10月5日

 明日のメッツ対ダイヤモンドバクスのプレーオフの先発は吉井理人とランディ・ジョンソンですと。  あのジョンソンと投げ合うのか。すごいぞ。

10月6日

 ランディ・ジョンソンはものすごい。身長208センチ。  ストレートは常時155キロ前後でる。決めにくる時は160キロを超えていた。  さらに150キロ以上出るスライダーを投げてくる。  こんな投手日本にはいない。メジャーリーグはさすがだ。

10月20日

 バブルと言う言葉がある。ある物品がブームになり、それにつれて将来の値上がりを見こんだ投機資金 が流れ込み、本来の価値以上に市場で持て囃され、価格が膨張していく現象である。  日本で株、土地のバブルが弾けたのはもう8年以上前である。しかし、この言葉はまだ 死語になっていない。流行の言葉と言うのは死語になるのが早いのだが。  「心臓バクバク」なんて来年にはきっと死語になってるだろう。(笑)  ところで、バブルが死語になっていないのは実際バブルがあるかからである。アメリカの株式市場も そうだが、私は最近知り合いのHPを見たら、で日本でもまだバブルがあることがわかった。  オオクワガタが一千万円してるそうだ。狂気じみた値段である。  あんなもんになんで?  私の育った所は田舎と言うわけではないが、近くの山に行けばカブトムシやクワガタなどいくらでも とれた。夏になるとよく捕まえて遊んでいたものである。  カブトムシ、ノコギリクワガタ、コクワガタ、などをよく捕まえていた。  だもんだから、デパートでクワガタやカブトムシを売ってるのを見かけると、 あんなもん誰が買うんだろうとよく思ったものである。  その時の相場でカブトムシは300円、ノコギリクワガタ500円、人気のミヤマクワガタが1000円ぐらい であった。  確かにミヤマクワガタはなかなか捕れなかったので、買いたいと思ったことはあったが、1000円など 冗談ではない。せいぜい300円がいい所だとつくづく思ったものだ。  つづく。  次回は東京のクワガタ屋のクレイジーな商売について。クワガタブリーダーと言うのが今あるんのだ そうです。サラブレッドブリーダーと言うのは聞いたことはあるが…。そうすると種クワガタとか何代 前の血統とか計算してるんでしょうか?(笑)

10月21日

 さて東京のクワガタ屋ですが、値段が体長を基準にミリ単位で決定されているのには驚かされる。  例えば、30ミリで3000円、31ミリで3200円、32ミリで3400円、…40ミリで5000円、41ミリで5300円、 …どういう脈絡か知らんけど、体長50ミリで10000円していた。  さらに驚いたのが、60ミリで10万円、70ミリで100万円と言う値段。なんだこれ?  値段が加速度的に上昇してる。人口関数みたい。(笑)  クワガタ屋の人によると、少しでも大きく形のいいものを作ろうと取り組んでる人がかなりいると いうことである。まあ確かに考えてみれば、観葉植物なんて随分高いもんがありますからして、悪い ことだとは言いませんが…。  しかしっ誰が買ってんでしょう?10万円とか百万円とか子供のこずかいのレベルを超えている。  17世紀のオランダで、チューリップの球根バブルというのがあった。チューリップ栽培がブーム になり、一株一億円もするものもあったそうだ。全財産を球根につぎ込んで、バブルが弾けた後破産 した人もいるという。後世の人から見ればあほであろう。でも人間はそのバブルの歴史をひたすら 繰り返してきているのである。  1920年代アメリカの株バブル、1980年代日本の株、土地バブル、いつか弾けるのはわかっているの だが、人はそれを常にもっと後だと思いこみたがる。  ベトナムでは4、5年前犬バブルと言うのがあった。一匹500万円する犬がいたが、あの犬買った人は 今どうなってるんでしょう?そう言えば日本にはゴルフ場会員権バブルもあった。ゴルフをやらない  連中がこぞって買ってたものだが、値下がりしてブーブー言っていた。ゴルフやりゃよかろうに。  そう言えばゴルフ場がらみで山口敏夫が逮捕されていたっけ。(笑)  経済誌エコノミストの論文でこう言っていた。  「中央銀行はインフレを抑制することはできる。しかし、バブルを防ぐことは不可能である」  アメリカの株バブル破裂が間近に迫っている。損するする人たくさん出るんだろうなあ。(笑)

10月26日

 みなさんただいま。(笑)という訳で更新再開します。  20年前の世界地図と今の世界地図を見比べてみればわかると思うのだが、20年前には存在して いなかった国が随分ある。それもその筈で、旧ソ連邦なんか15個に分裂してしまった。  日本人技術者が人質に捕われていたキルギスタンなんて国家は20年前には存在していない。 (正確にはソ連を構成する国家として存在してはいたのだが、ソ連領には間違いない)  チェコスロバキアなんかチェコとスロバキアに分かれてしまった。  ユーゴなんていまだに憎悪が渦巻いている。  その中で消えてしまった国家がある。ドイツ民主共和国(東ドイツ)。  この国はクウェートみたいに攻められて滅ぼされたわけではない。  (クウェートはその後復活したけど。笑)  ドイツ連邦共和国(西ドイツ)が合併を呼びかけた訳でもない。  黙ってみてたら、突然蒸発して消滅した。  東ドイツが消滅したのは1990年8月だ。もう9年も前になる。  そしてきっかけは、オーストリアとハンガリーの国境が西側に開かれた、一年前の1989年8月だ。  突然東ドイツの国民が大挙してハンガリーに殺到した。  ちょうど夏休みの季節だったのだが、その直前なぜかハンガリーで夏休みを過ごそうという人が ものすごい数になったそうで、ハンガリーのホテルはどこも満員だったそうである。  そしてハンガリーに来た人達は、そのまま一直線にオーストリア国境を目指した。  とどのつまり、夏休みのバカンスに出かけた大量の東ドイツ国民は それっきり帰ってこなかったのである。どうしましょう?(笑)  つづく

10月27日

 さて、この時ハンガリー国境を目指した人は2万とも3万とも言われてますが、とにかく後から後から 文字通り、殺到していた。名目上は西独への観光旅行である。ただし、殆どの人々はそのまま戻る気 はなかったみたいである。    ハンガリー当局は捌きれなくなって、東独当局に何とかしてくれと要求する。  当初、東独政府は共産圏の常套手段として、軍隊と秘密警察を使って抑圧するつもりだったようで、 その準備も着々と成されていた。  ところが、この光景を西独経由のニュースで、東ドイツの国民は見ていた。逐一見ていた。  東独の国民のほぼ全員が同じことを感じたようである。  まもなく東独政府が予想だにしなかった事態が東独のほぼ全域で起こる。信じ難いほどの大量の 人々が西独国境に殺到して国境を開くように当局に要求する。  ベルリンの壁でも同じ事が起こった。警備兵には当初不法行為を要求する暴徒は射殺してよいという 命令が出ていたそうだ。しかし、人の波に直面した警備兵は、彼らが壁を開くのを呆然と見ていた。  ☆  ★  ☆  東独当局はハンガリー国境から出国を求める人々の出国を認める決定くだす。ただし、東独経由で 列車で出国すると言う条件がついていた。ハンガリー国境の人々は不満たらたらだったが、ハンガリー 当局の説得でしぶしぶながらこれに同意したそうだ。  以下、その時の列車に乗って出国した人のエピソード;  「列車に乗っている間、私達は幸せでした。やっとこの国からおさらばできる思うとね。   ところが東独の国境付近で、列車が止まり、東独警察の者だと名乗る連中が入ってきたんだ。      みんな緊張しました。いざとなったらそいつ等をぶちのめして逃げ出すことも考えたものです。   そしたら、東独国民だと言うことを証明するIDを出すようにとその連中は言いました。   私達は皆ごみでも捨てるように無造作に、IDをそいつらの足元に放りました。」   インタビュアー「その時どんな気持ちでしたか?」   「せいせいした。ようやく自由になれたと思うとね。」←ちょっとちょっと(^^;;   国が見捨てられた瞬間である。    ☆  ★  ☆  1989年11月東西両ドイツの国境が開放されました。  明日に続きます。東独の消滅はもう間近。(笑)

10月29日

 東ドイツと言う国がなんだかとんでもない事になっているということを実感していたのは、治安当局 の現場の隊員達だったようだ。その後の証言によると、彼らが見た光景、体感した雰囲気は それまで経験したものとは、全く異質なものだった、ということで意見が一致している。  しかし政府は上層部になればなる程、事態が全く把握できていなかった、という証言も一致している。 だから、ベルリンの壁の撤去後も東ドイツは続くと思っていたらしい。というよりも、 東独国民が自分達を信頼する気持ちが、残っていると思っていたのである。    ところが、東独国民は社会主義も共産党も、もはや全く信じていなかったのである。  全くと言うのは誇張ではない。文字通り全く…である。  なんでか?これは1975年のヘルシンキ宣言まで遡るのだが、この宣言で第二次大戦中ソ連が得た バルト三国、モルドバ他、大戦後変更されたヨーロッパの国境が西側にも正式に確認されている。  これ自体、東側の外交の大勝利なのだが、この宣言では東側が妨害電波を出して、西側の放送を 遮断する事を停止すると言う文言が盛り込まれていた。この結果東側の人々が西側の生活を逐一見 れるようになったのである。  東側政府はこの事を問題にもしてなかったようだが、結果として西側の放送が社会主義にとどめを 刺した。  そりゃそうだ。東側の放送は徹頭徹尾自分達の社会の自画自賛である。社会主義はこの世で最も素晴 らしい体制である、とアホの一つ覚えみたいに言うのだが、西側の放送を見れば、西側の連中は明らかに 自分達よりいい生活をしているのが歴然だ。  「なんなのだこれは!」とまともな人間なら誰でも思う。(笑)  東西の国境が開放されたし、もう騒ぎがおさまるだろうと、共産党の連中は思ってたらしいが、 さらにとんでもない事が起こっていた。  つづく。

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