2001年6月10日

私達は湖のキャンプ地へと車を走らせていた。
6月も半ばに近いとなると、気温も高く蒸し暑い。
車で何もない田舎道を淡々と走っていると、
目の前に親指を立てて助けを求めるヒッチハイカーが。
このご時勢、ヒッチハイカーなんて絶対拾いたくないし、
拾ったこともない私達は、当然この人も無視するつもりだった。
でもダンが「乗せてあげようか。あの人普通の人だよ。」
なんて言うではないか。え、でも私、まだ死にたくないし・・(汗)。
ダンはスピードを落とす。ええい、乗せてあげようじゃないの!
・・みると70才前後のおじいさんが、あごから汗をしたたらせている。
「車が故障したので乗せてください」。
ごめんね、おじいさん。申し訳なくなってティッシュを差し出した。
おじいさんは私達に出会う以前に、すでにかなりの距離を歩いていたようだ。
そこから500メートルくらい走りおじいさん家で降ろした。
別れ際にお金を手渡そうとしたおじいさん。
断りながら爽快な気持ちになった。
世の中みんながみんなを信用できると
助け合いもこんなに簡単なのに。



2001年8月14日

真澄がキンダーガーテンに入学した。
キンダーガーテンというのは5才児が入るクラスだが、
幼稚園の年長とは内容が違う。
小学校に属し、授業もアルファベット、足し算引き算と、
日本でいう一年生並みである。
それに昔よりも教育制度が厳しくなり、
子供たちは毎日3時まで学校で勉強をする。
ただしキンダーガーテンの子供達はまだ小さいので、
おやつの時間と昼寝の時間が設けられている。
スクールバスで通う子供もいるけれど、
バスの中の雰囲気が映画そのもので悪い場合もあるため、
車で送り迎えする親がわりと多い。
よって、学校が終わる時間帯は車による長蛇の列ができる。
学校前がロータリー状になっていて、車から降りずに子供を拾える
ようになっているのもアメリカの事情に沿っている。
学校から直接民営の託児所に行く子もいるようで、
親の車に混じって託児所のバンがお迎えにきていて、
そのサービスのよさに、私も妙に納得してしまった。

子供達は大抵はバックパックとランチボックスで通学するが、
中には、旅行用のスーツケースのようなかばんを持っている子もいる。
フライトアテンダントの人が持ち運んでいる、長い柄とタマのついた
あのスーツケースの子供サイズである。
子供達がその「スーツケース」をがらがらとひっぱりながら
学校を歩く姿はなんとも不思議な光景である。
そうか、この子達は重い教科書を肩に感じて歩くことはないのだな、
と、苦労を美徳としないアメリカを感じる。

それ以外の日米の小学校の違いをあげてみる。
子供が学校を掃除することがない。校内はエアコンが効いている。
クラス人数は16人あたりが普通で、それ以上だとちょっと多い、と
なるらしい。(私が小学校の時はクラスに40人子供がいたけどな・・。)
ダンによると、アメリカの学校の休み時間とは、
日本のようにクラスが終わるたびに10分ずつあるものではなく、
2、3時間ごとに20、30分まとめてとるものらしい。
ダンに、「10分では大して遊べないでしょ」と言われて、
そういえばグラウンドに走っていってドッチボールを5分ほどやったら
もうチャイムが・・という状況だったということを思いだした。
教室の移動があると、特に絶対遊んでる暇はなかったものね。

と、身近なところでちょっと日米比較研究をしてみました。
おもしろいでしょ?



2001年9月11日

今日は義父の誕生日だった。
ダンの家族には3人も9月生まれがいるので、
毎年ダンに「お母さんはいつだっけ?お父さんは?」と聞くのが習慣だった。

でも今年からはきっと忘れない。
今年からは、毎年義父の誕生日を祝うたび、
NYやワシントンで起きたテロのことを思い出すだろう。
もはや世界中で非難の的となっているテロリストをも
かくまうことをためらわないアフガニスタン。
そのアフガニスタンの軍を育てたのは、
皮肉にもまだロシアと確執があった頃のアメリカである。
今アメリカはその軍を相手に攻撃を開始する。
そしてそれを支援するのがロシア。
歴史とは、相手を変えて争いを繰り返すことなのかもしれない。

ここ数週間の間にたくさんの若者が軍に入隊していると聞く。
65才に満たない軍退職者は、再召集される可能性もあるとか。
国民に長期戦に耐える覚悟を求める政府。
悪名高きベトナム戦争からアメリカの今後の動向を予測すると、
軍の人員が底をついたらおそらく一般人に召集がかかる。
一国の「国民」を名乗るということは、
「国と共に苦しみ、国のために犠牲を払う」ということなのか。
そもそも国ってなんだろう。
人間が選択の余地なしに生まれる「場所」。
生まれた瞬間に、人はその国と運命を共にする。
国民の意見が反映する政府を持つ国なんてないに等しい。
不幸にも戦争に突入する国に生まれた人は、
戦争に参加することを余儀なくされてしまうだけ。
「人が教育を受ける権利」を否定する国に生まれた人は、
教育を受ける権利さえ与えられない。

国ってなんだろう。
人の権利ってなんだろう。
少なくとも国に「与えてもらう」ものではないはずだ。



2001年11月19日

わが家の目覚まし時計はラジオである。
音楽による目覚めは、アラーム音の目覚めよりも遥かに心地好い。
でも、今朝私たちが起こされたのは、なんとクリスマスソングだった。
昨日まではクリスマスの雰囲気なんて微塵も感じなかったのに、
一夜明けるとあたりはすっかり「クリスマス」である。
そういえば、まるで口裏をあわせたかのように、
昨夜からクリスマスライトを灯す家が現れた。
今週末にサンクスギビングというクリスマスに次ぐ大きな行事を控え、
外もまだ初秋のあたたかな天気が続いているこんな時期に、
クリスマスソングがラジオから次々と聞こえてきたって、
胸が高鳴るどころか、耳を覆いたくなってしまう。
それには、いろいろ複雑な思いがからんでいるのだけど・・。

クリスマス:用事が増えてなにかと忙しくなる、寒い、一年の終わり、
クリスマスが終わるとまた退屈な毎日に戻ってしまう・・など。

共通している私の気持ちは、「まだ来てほしくない!」なのだ。
もうしばらくは、遠くから聞こえるクリスマスのかすかな足音を楽しんでいたい。
文化祭なら前夜祭、旅行なら目的地までの移動中の時間が一番楽しい。
クリスマスの朝、プレゼントを開けたその瞬間に、
一年を通してずっと楽しみにしていたクリスマスが終わってしまう。
その悲しい瞬間から、今は少しでも遠ざかっていたいと思う。
そう思うのに・・、毎年クリスマス商戦の始まる日が早まっている。
あ、でも、そのおかげで一つだけ得することがあったな。
いつもぎりぎりで苦しむクリスマスカードと写真撮影・・。
今年はもうちょっと早めから始めるぞ。(^^;)



2002年1月15日

母国日本でようやく正月があけ、私が毎年この時期に
陥る恒例のホームシックからようやく立ち直り始めた頃、
私の人生観を変えるような悲しい出来事がおこった。
義母が亡くなったのだ。癌だった。
手術する前の彼女は、56才とは思えないバイタリティで
家族と老人の世話にあけくれていた。(彼女は老人ホーム経営者)
メキシコで受けた特別集中治療で一旦は回復したものの、
その後どんどん体力が弱り続け、ついに息を引き取った。
元気だった人があっという間に弱り息絶えるまでを最初から最後まで見た
私の心の中には、今も死への恐怖感が強くリアルに残っている。
人は誰でもいずれは死に、自分が死ぬ場合も相手に死なれる場合も、
結局最後には人間は一人となるのだと・・。
義母の葬儀は「死んだキャシーのためにするのではなく、
生きている人間がキャシーと決別できるため」という考えで行われた。
日本の感覚とはずいぶん違う。
遺体は本人の意思通り火葬されることになったが、
運び出されるキャシーに対してみんなかなり冷静だった。
日本なら家族が同行して火葬し、遺骨を丁寧に拾うが、
こちらは葬儀屋が運び出し火葬し、遺骨を家族に返却する。
運び出す時も特に家族が見送る風でもなかった。
彼らの中では「遺体」は所詮「抜け殻」であり、本人ではないという考えらしい。
日本では火葬は死者とのお別れであり、時としてとても感情的になるけれど、
少なくともダン家族にとってはそうではなかった。
それが少しわびしいけれど、同時にほっとする。
体は必ず消えてしまうけれど、魂や思い出は消えないからだ。
人の死は周囲の人間を変える。
キャシーの死によって、私達もまた強く、
そして新しい人間に生まれ変わった気がする。



2002年4月27日

こんなサイトをみつけました。

http://www.cakebook.com
こちらのスーパーではド派手な誕生日ケーキが販売されているのですが、
そういったケーキのカタログサイトです。
というわけで、過去の子供達の誕生日ケーキを紹介します。
(一部抜けてます)

真澄の3才の時のケーキ


真澄の5才の時のケーキ


幸の3才の時のケーキ


幸の4才の時のバービーケーキ
(上に乗ってる小さい物体は、おもちゃの指輪です)

色といいデザインといい、すごいでしょ?(^^)健康オタクの我が家ですが、
年に3回はこのケーキを食べております。胃の中、確実に真っピンクです(笑)。



2002年5月15日

私は今大学に通っている。
・・といっても市民ならだれでも受講できる公開講座。
しかもピアノ(笑)。
3学期目なので、かれこれ一年になろうとしている。
今日は夏学期の初めての授業だった。
夏学期は、春と違い、授業時間が夜になった。
始業時間の7時は、サマータイム(一時間冬よりも繰り上がっている)制のため
かなり明るいけれど、終了時間の9時頃はさすがに真っ暗である。
授業が終わって、駐車場までの道にふと不安を覚えつつ、授業で
顔見知りになった仲間の女性達と談笑しつつ外に出た。
ところが特に一緒に行動するほど仲良しではないのに、
一人校舎に残っている仲間を待とう、という暗黙の了解的空気が流れ、
誰もが校舎のドアの前から動こうとしない。なぜだ?
・・そうか。暗いからみんなで駐車場へ!という考えなのだ。
一般的かどうかはわからないけれど、私の聞いた限りでは、
大学キャンパス内のレイプなんてのもないわけではない。
それを一緒に行動することで防ごう、という賢い知恵なのだ。
そういえばアメリカでは子供を友人宅に送り届けたりする際、
子供が家の中に入るまできっちり待つ人が多い。
家の前で下ろしても、その直後に何かあっては困るからだ。
犯罪大国らしく、人々の中にも危険意識がしっかりあるということだろう。
悲しいニュースがあふれる昨今だが、
犯罪に屈しない人のたくましさを実感した。



2002年5月17日

友人の子供がもうすぐ高校を卒業する。
卒業後は大学に進む人、大学資金を貯めるために働く人、
軍に入隊する人、さまざまである。
アメリカでは高校卒業 = 大人、という考えのようで、
その後の進路にあまり親が口を出さない家庭が多い気がする。
ダンなんかは大学の資金をすべて自分で稼いだし、
友人の娘は、特にこの町に残らなければならない理由がないにも関わらず、
「親から離れたいから」という理由で家族の引っ越しについていかず、
ここに残って友人と同居、という選択をしたらしい。
親も親で、「一緒にこないってゆうのよ」でおしまいである。
アメリカでも日本でも18才は18才。
精神的にもまだまだ未熟であぶなっかしいお子ちゃまである。
日本に負けず、アメリカの大学寮内の荒れぶりはすさまじいらしい。
幼少からの親の教えなんて、遊び盛りの大学生の頭には残っていないはずだ。
それでも多くの親は大人として彼らの独立を認め、選択を尊重する。
未婚の母、離婚率、ジャンクな食生活などのアメリカのさまざまな問題
の原点はこれだ!と、結婚するまで門限があるようなめちゃくちゃ保守的な
家庭に育った私にはつい思えてしまうけれど、
親としての子供への信頼、距離感はすごいなあと思うのだった。
真澄が羽ばたく日まであと12年。
私にはできるんだろうか??



2002年6月13日

今日こんな記事を目にした。
カリフォルニア州サンタモ二カにある小学校で、
校長が生徒たちに昼休み中の鬼ごっこを禁じたことが
波紋を呼んでいると12日、『Los Angeles Time』が報じた。
学校側は禁止理由として、休み時間中、生徒たちの安全を
期するための監督教員を確保できないためとしているが、
同時に鬼ごっこで使う“victim”などの言葉や、
年長者や体の大きな子が勝ちやすいことが
子供の教育上好ましくないとも説明している
この手の話、今のアメリカでは別に珍しいことではない。
こういう例がある。

真澄の学校にて。
先生が子供たちに「もし風船畑が目の前にあったら、
その風船で何を作る?」と質問した。
真澄の答えは「ピストル」だった。
真澄は当時、粘土やブロック、たまには食べているパンで
ピストルの形を作り遊んだりする子だった。
だからといって人に殺意を抱いているわけではないことは、
普通の感覚の人にならわかってもらえるだろう。
しかし真澄はその日「悪い子でした」ということを示す
赤色シールをもらって帰ってきた。
親である私は先生から直接注意を受けた。

隣人の学校にて。
隣人の子供がズボンのポケットにポケットナイフが入っている
ことをすっかり忘れ、そのまま登校した。
体育の時間にそれに気づき、友だちに持っててと手渡したのを
先生に見つかり、一週間自宅謹慎となった。
先生曰く「彼を問題児更正プログラムに送らなかったのは、
彼はナイフを悪用するような子供ではないと感じたからです」。
このように教師に信頼されていても「謹慎一週間」なのだ。
逆にもし教師に信頼されていなかったら・・・?
隣人の子供は特殊学校に送られ、問題児として
更正プログラムを受けさせられていたということである。

ナイフや銃の子供に及ぼす悪影響は認める。
「好ましくないものであることを教える」「持ってこないことを教える」
これは大事なことだろう。
でもここまで過剰な対応や処罰は必要だろうか?
他にも、学校で学んだとして「もしお母さんが私を叩いたら、
私は社会福祉委員に通報できるのよ」と子供が親に平然と語ったとか、
友だちにふざけて抱きついた男の子(6才)が教師に「不適当だ」とたしなめられた、
などなど、頭がおかしくなるような話はたくさんある。

社会におこる犯罪から子供を守るのは必要なこと。
でもこれではポイントがずれているとしか思えない。
こういう状況のせいか、公立学校を離れホームスクール
(家庭で子供を自ら教えること)をする人が年々増えているようだが、
私にはその理由がうなずける。



2002年6月24日

今日うちの庭でウッドペッカーをみた。
ここに初めて来た時に、日本のスズメほどに町中に繁殖している
リスをみてびっくりした時以来の驚きだ。



(これがそのリス。鳥のエサなどをよく盗むので巷では厄介者
扱いされている。 Eastern Gray Squirrel が正式名らしい)

ウッドペッカーは日本ではキツツキだけど、
キツツキにもいろいろあって見た目がずいぶん違う。
今回見たのは Pileated Woodpecker という種類で、
これは漫画のウッドペッカー君の仲間であろうと思われる。
    
        ↑本物                    ↑テレビのウッドペッカー君


他に珍しい生き物といえば、真紅の鳥、カーディナル 
緑の茂みを飛んでいるとすごく目立つ。
こんな色をしていても野鳥で、あちこちで結構見かける。


そして「幸せの青い鳥」、ブルーJ 。
この鳥は以前わが家の庭によく遊びにきていた。
この鳥がうちの庭で遊んでいる限りわが家は大丈夫!という
変な自信を感じたりしたものだ。



それ以外にも山の方へいけば、野生の鹿、うさぎ、七面鳥などに会える。
田舎バンザイ!!!



2002年6月29日

土曜日の昼下がり。
閉店した直後の郵便局にて。
「もう閉店いたしました」と告げる郵便局員に対し。

★40代の女性
「ジーーーーーザス!!!!(怒)」

★70代に前半の元気そうな老人
とりあえず局員には何も言わなかったが、切手の自動販売機に向かい
「このアホな機械め!!どのボタンを押せっちゅうんじゃ!!!」

感情が露骨な人が多い国アメリカ。
でもジーザスにも機械にも罪はないんですけど。



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