皮相報道


  


まず、役所べったりの記者が、素人なりに興味のある役所の発表があります。興味があるので取材です。次に、出来事に対する反論を取材します。肯定派と否定派との取材です。さらに、「識者」の意見を書きます。たいていはどこかの大学教授か評論家です。客観的判断を装う必要があるからです。当然、自分の頭にある結論に近い意見を言いそうな人物に発言させます。中立的をよそおい、客観的?にできた、おてがる記事のできあがりです。

6月20日(正確な日を失念)頃、朝日新聞第一面トップ記事に「救命センターにランク付け、補助金一部はカット」とでました。

ランクが低く、補助金をカットされた側の反論の「地方の事情で人員や設備が維持できない。」等の 言い分も載せてあります。 「識者」の「解説」もあるのでおてがる記事の完成です。

一面トップ記事ですから、重要とは考えているのでしょう。しかし、地方のセンターが補助金削減で少し困っているくらいの印象しかありません。では、何故救命センターのランク付けが急に出てきたのか理解できるでしょうか。読んでみても、何を主張したいのか不明の記事です。原理や原則にのっとって思考できないから、役所に引きづられるのです。

さて、私の聞いた話とはずいぶん違っています。

何十年も救命センターは「三次救命」を担当するとして整備されてきました。
つまり、開業医に一時救命でまず相談する、手に負えなければ地域の病院に入院させる(二次救命)、さらに病院でも手におえないのは三次救命に回すというものです。本来開業医ふぜいなどが直接三次救命に入院を依頼などすべきものでないと、厚生省は言ってきたのです。高度救命を目的とした設備・人員をもったのが救命センターだったのです。

ところが介護保険で高齢者が急変することが、在宅で増加してきました。死者が増加するようでは、また厚生省が非難されます。受け皿を設けなければいけません。ところが、民間病院も介護保険で混乱し余力はありません。

ここで、つぎはぎだらけの制度にご都合主義が加わり、救命センターの根幹にかかわる理念の変更が役人の都合で決まったのです。法的改正でなく、通達行政でです。

役人主導の介護保険は絶対に失敗だとは認めたくない厚生省は、在宅老人の軽症患者も救命センターの対象だといいだしたのです。 福祉政策のでたらめを救命センターに押し付けた形です。

 「三次救命 高度救命を目的とした」設備と人員の配置と 「軽症もとにかく入院させよ」の設備・人員の配置では、病室・設備・人員の配置はまったく異なります。

たとえば、私でも肺炎で高熱の老人を三人くらい一晩に管理して、次の朝に引き継ぐことはできますが、重症のやけどと心筋梗塞を一度にみることのできる施設は限られてきます。

こんな重大変更がまかり通ったのが記事の背景です。理解できないのが朝日の記者です。

一方、経済危機で税収は伸びず、予算の増額などできません。欧米との比較を持ち出すまでもなく、いまだに救命センターの整備は不十分で何十年も整備のため補助金がだされてきました。ここに役人はランク付けを突如持ち出してきたのです。役人の都合だけです。

ランク付けを持ち出したのは、カットした財源を他の地域のセンターにまわし、介護保険で生じた急変老人受け入れの施設整備に使わせ、しばらくすればそのセンターのランクが低いのでカットし、別の施設整備に回すたくらみなのです。財源をたらいまわしにする根拠つくりのためなのです。

本来なら、ランクの低いセンターにこそ予算を使い、レベルの引き上げを行うのが、全国に良質な救急医療を提供する国の責務ですが、事実はまったく逆を行おうというのですから、開いた口がふさがりません。尻馬にのり、朝日は批判すらできないのです。厚生省のいいなりです。少なくとも医療行政に関しては、国策宣伝国営新聞の様相さえ呈しています。

厚生省の政策変更で現場は混乱しています。朝日の皮相的な報道は、無意味な報道であり、私の文くらいは書かないと報道に値しないのは証明できました。

いつも主張しているのですが、記事とわれわれの生活との接点がないなら、ほとんど無意味な報道です。この観点からこの記事を判断すると、さらに朝日の無能ぶりが理解できます。

在宅高齢者は少しは優遇され、それは進歩でしょう。高齢者でうまったベッドは重症のやけどや心筋梗塞は排除される可能性があります。救急医療の圧迫はいずれ一般病棟にも及び、少しのインフルエンザ流行で多くの死者の出たイギリスの二の舞いになりかねません。もっと恐ろしいのは、補助金削減で、経営的に採算のとれない小児救急がまっさきに削減されることです。先進国中最低レベルの小児救急はさらに悲惨な状況になる怖れがあります。いわば、世代間での予算の取り合い状況です。目先のことにしか目の向かない官僚やマスコミを持つとこんなことです。もちろん、多少の政治的影響力のある多数の老人と、物言わぬ少数の小児と、どちらが政策的に切り捨てやすいかは明らかです。取材せずとも、これぐらいの記事は書けるのです。私と新聞記者は、同じ物を見てもこれほどの差があるのです。

少子化対策も厚生省の所管です。政策的整合性もなにもあったものではありません。あるのは目先の責任逃れだけです。それを見抜けず、役所べったりのマスコミのなんと情けないことか。木ばかり見て大騒ぎし、森がまったく見えていないのが朝日です。 今回は子供たちが被害を受ける可能性があります。

老人を大事にしてくれると喜んでいるひとも愚かです。老人福祉局の通達が出ました。これも、国会で議論された法改正ではなく、単なるばか課長の通達にすぎません。「在総診を算定している患者は、他の在宅療養管理料の算定を許さない。」というものです。これを論じると数ページ書かなくてはいけないので、素人向けに単純に解説します。「寝たきり老人の薬代と検査代は月26000円内で行いなさい。」これを在総診料と呼びます。寝たきりの患者さんが、酸素療法(25000円)に気管切開療法(28000円)があり、 失禁があるので膀胱に管を入れて、床ずれもある(老人処置料11000円)とします。いままで、在総診と何かもうひとつだけ(この例だともっとも高額の28000円)請求できたのです。これでも、膀胱チューブの管理や、酸素の管理はただ働きで、損になっていたのですが、さらに在総診も削るというのです。

つまり、在宅で重症を抱えて努力すればするほど、経済的には赤字になるということです。こんなばかな制度はありません。もちろん、長年診てきた患者さんがそうなれば、こちらも赤字覚悟で診ています。しかし、接点もなく、長年大病院で通院・入院し、安定してきたので突如開業医に依頼がくることがあります。開業医は、厚生省のでたらめを、赤字覚悟で尻拭いするのが仕事ではありません。こんなことなら、できるだけ引き受けたくないと思うのが当然です。重症の老人は行き場がなくなってきます。困るのは国民と医師です。喜ぶのは支出が減った大蔵省です。

これらの例をみて解るとおり、中央官僚は支出をいかに削るかだけを考えています。老人福祉局は名前を変えて「大蔵下請け老人福祉削減局」とすれば、本質を良く表しているでしょう。「福祉」の文字も削ればもっとぴったりです。私が作ったのではありませんが、「年寄りは 死んでください 国のため」という川柳が物議をかもしたことがありますが、まさにこのような性格の政策です。

金の卵を産むガチョウを殺すのが厚生省です。在宅医療は入院費を減らし、医療費削減に大きく貢献してきたのです。救命センターの住み分けも、医療費削減に多少貢献してきたのは同様です。もちろんキャリア官僚に救命センターや在宅医療の経営的センスはありません。役人に任せて、コストや経営がうまくいったためしはありません。

自由主義経済です。小児救命と同じで、赤字覚悟の仕事に参入してくる馬鹿はいません。もちろん、ミクロでみれば、赤字でも使命感で在宅医療や小児救命を行う人もいるでしょうが、マクロで見れば重症の在宅患者(や小児救命)を診る医師は減ってきます。結果として、老人の病院での在院日数は増加してきます。短期的に見れば、削った在宅療養管理料は財政を好転させますが、長期的に見れば、入院患者へシフトして入院費は増加します。入院すれば、少なくとも設備の使用料(建物の減価償却費)、光熱費、看護婦の人件費等が在宅医療よりは余分にかかります。結局は数年すれば、医療費は増加に転じ、それは、在宅医療に関係なくても、健康保険費の増額、老人医療一部負担の増額または税での補填となります。官僚は数年でポジションを移動しますから、短期的成果があがれば良く、これでよいのです。最後に、国民が余分な負担をするのです。どうせ新聞は「医者が収入減で騒いでいる」くらいの認識でしょう。実は最後に国民が被害を受けるのです。老人福祉局の課長は、大蔵の覚えめでたく、出世するでしょうが、国民は損をするだけです。制度として採算の取れない物を作れば、結果の必然です。イギリス医療の二の舞いです。朝日のように、医師を攻撃して満足しているならば、損をするのは国民で、喜ぶのは官僚ばかりです。

少し経営的に有利な制度を作り、全国的にほぼ普及した時点で急に「財政」のために支払いを絞り、2階に上がったらはしごをはずす、いつもの厚生省のやりかたです。また、古い手を使ってきたのか、やれやれというのが感想です。医者が被害を受けるだけでなく、まわりまわって国民が損をするのです。

いつも、朝日の報道はほとんど厚生省のいいなりです。役人に接近しすぎて、突き放して報道できないからです。だから「医療費9兆円のむだづかい」とか「イギリスでインフルエンザ大流行」(これは朝日系列だけではなかったのですが、)のようなうそ報道がまかりとおるのです。

医者が被害を受けているだけなら、まだましというものです。国家間の対立や、政策的対立などにこのような皮相的報道を続けるなら、被害は甚大です。大本営発表を戦争中に報道してきたのはマスコミです。いまだにこのレベルから抜け出せないのがマスコミです。単純な頭脳の記者のおてがる記事は害悪をまきちらすばかりです。
多民族国家の紛争や国家対立もどこまで報道が信頼できるか、常に自分の頭で考えないといけません。

現場の医者がどんなに苦労して、救急医療や在宅医療を支えているか、まったく解っていないのがキャリア官僚と朝日です。現場を知らない警察キャリア官僚が批判されていますが、医療ではもっと悲惨です。制度や法の専門家かもしれませんが、厚生省の課長は医師ではなく、東大法学部卒の、医療にまったくの素人です。

なぜ、膀胱導尿チューブの管理に時間と手間をかけても、酸素療法の費用に包括されなければならないのか、学問的にまったく理解できるものではないのです。いま何故、急に在総診の費用が削除されるのか、財政的理由でも良いから、ちゃんと官僚が説明してくれれば、医師も協力を惜しむものではありません。もちろん、何故医師の人件費を含み、検査と薬剤の費用が一月に26000円なのかも、まったく説明はありません。厳密なコストの積み上げや、統計に基づく金額でなく、役人の思いつきにすぎないのです。だから、医者から取り上げるにしても、説明はまったくありません。救命センターの補助金削減にしても、説明などありません。突如降りかかってくるのです。コスト積み上げなどの根拠があれば、どちらの削減にも根拠がいります。突如削減できるというのは、明確な理屈はなにもなかったと厚生省自ら認めているのと同じです。これでは医師は被害者意識のかたまりとなり、厚生官僚を恨むのも無理はありません。マスコミはこのような巨大な矛盾にはまったく触れないのです。地方の救命センターが金に困っているというような、瑣末な事象を説明するのみなのです。

規制する側から、自身の都合や保身でルールをころころ変えるのですから、従うほうがルールを尊重しようとか、遵守しようという意欲はうせます。現場でまじめにやっている者は馬鹿を見るのですから、無力感のみがつのり、怒りと軽蔑が生まれるばかりです。遵法精神などできるはずがありません。どうせでたらめのルールに合わせれば良いのですから、患者さんのために学問的に正しいことを行えば、費用請求は適当に合わせておけばよい、保険でまだ認められていない先進的医療などでは、取れる物はとっておけくらいの組織もでてきてしかたありません。請求が否定されたら、「解釈の違い。」とどこかの脱税企業のような態度をとればよいとなります。時々、国立大学病院や公的病院から「振り替え請求」「過剰請求」が出てくる下地はここにあるのです。官僚のご都合主義は、モラルハザードさえ誘導するのです。もちろん低俗マスコミは、大学等の表面的な結果のみ攻撃し、根源的なものは見えないのです。官僚にはモラルなどありません。こつこつ積み上げてきた現場はいつまでたっても報われず、医師の非難報道ばかり目立ちます。残るのは、社会的対立や不満のみです。こうして、官僚の保身と、低俗マスコミで社会の根本が腐っていくのです

やりたい放題の通達行政です。行政の透明性、説明責任(accountability)も何もないのです。そもそも、根拠もなく、説明もつかないのです。国会や医療審議会などで日本医師会の主張がとおらず、負けたのならまだあきらめもつきますが(それが民主主義です)、理由もなく問答無用の課長通達で振り回される現場の医師の無念さは、通り魔殺人の犯罪被害者のようなものです。

2000.07.01
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河合 尚樹

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