ケニー吉岡参加バンド、ミュージシャン(2005年1月)


ジェイ・クラーク & ザ・ジョーンズ(Jay Clark & The Jones)

カントリー・フレイバーのきいたタフなロック・バンド。豪快な酔いどれライヴは一見の価値あり。ケン吉岡は99年に加入。2000年に1stCD、2002年3月に2ndCDリリース。その後メンバー・チェンジを経てオルタナティヴ・カントリーからルーツ・ロック的な方向に進む。サウンドはグラム・パーソンズ、ローリング・ストーンズ、スプリングスティーンなどの影響が感じられる。ジェイのストーリー・テリングな詞が注目を浴びている。ケンのブルース・ハープも随所にフィーチャー。カナダ、オンタリオ州を中心にロード、アメリカにもツアーに。メンバーのキャラクターも強烈でライブは否応無しに盛り上がりを見せる。2004年3月に3rdCDリリース。オタワのFMチャートで一位を記録。

 
ジェイ・クラーク&ザ・ジョーンズ・ウェブサイト


ダーク・ホラー (Dark Holler)

ジュリアン・ファウス(Vo,Piano,G)、マイク・ロバートソン(G)、ハープのケン吉岡からなるブルース・トリオ。シカゴ・ブルース初期をおもわせる渋いセミ・アコースティック・サウンドと、それぞれの持ち味をいかしたプレイ自体が売り物。トロントでは今やトップ・クラスのブルース・ピアニストとなったジュリアン(トロント・ブルース・ソサエティの2002年度ピアノ・プレイヤー・オブ・ジ・イヤーにノミネート)ブルースならフィンガー・ピッキングのラグタイムからデルタ・スタイルのスライドまでカバーするギタリストのマイク、柔軟なブルース・ハープと、クロマティック・ハープによるジャズ的アプローチも聴かせるケンの3人により1999年に結成される。レパートリーは数百曲にものぼる。左のイラストはジュリアン作。

 
ジュリアン・ファウス・ウェブサイト


マイク・オグラディ・バンド

2001年夏にケンは参加。マイク・オグラディを中心としたアイリッシュ/ケルティック・ロック・バンド。両親がアイルランド人のマイクはマルチ・インストロメンタリストでもあるシンガー・ソングライター。彼のバラエティに富んだオリジナル楽曲に若き凄腕フィドラー、ジェイムス・マッカイのバイオリンとケンのグルーヴィなブルース・ハープ、時にマイクのティン・ウィッスル(アイリッシュ・フルート)、デレク・ダウナムのエレクトリック・スライド・ギターがからみあいステファン・セズニアック(ドラム)、ナイジェル・ウォーカー(ベース)、カーティス・スミス(パーカッション)のファンキーなリズム・セクションがその下でうねるという一見不思議な組み合わせが個性的変態的なサウンドを生み出す。特に各メンバーはプレイヤーとして優秀でマイク・オグラディのセットリストなどない何が飛出すかわからない型破りなステージングを支える。
2002年夏にはアイルランドにツアー。2003年には1st CDリリース。夏には再びアイルランドにてケルティック・ミュージック・フェスティバル出演。今後の飛躍が大いに期待されている。


 
マイク・オグラディ・ウェブサイト


ジョン・ナイト

ブルース/ルーツ・シンガー・ソングライター、エレクトリック/アコースティック・ギター・プレイヤーのジョン・ナイトはエレクトリックのフル・バンドとアコースティック・セットとの両方でトロントを中心に活動している。ケン吉岡は主にアコースティック・セット時に父のティム・ナイト(Vo,G)とともに参加。オーティス・レディングがフェイバリットというジョンの持ち味は重苦しい声色を節回し滑らかに使うボーカル・スタイルと、抜群のリズム感が可能にする切れのあるブルース・ギター・プレイ。"Can`t be Satisfied"などで聴かれるドブロでのスライド・ギターには鋭さがある。またブラインド・ブレイク、ビッグ・ビル・ブルーンジーなどのラグ・チューンもレパートリーにしている。その他雰囲気を変えてスプリングスティーンやニール・ヤングなどのカバーも披露。父ティムはイギリス人で60年代にはプロのミュージシャンとしてスウィンギング・ロンドンをリアル・タイムで経験したという。なんと当時The Whoなどのオープニングもやったことがあるそうだ。

ジョン・ナイト・ウェブサイト



ボー・ベイジアック:

トロントのアコースティック・ブルース・シンガー/ギター・プレイヤー。フィンガー・ピッキングの名手で、レパートリーは主にプリ・ウォー・ブルース/ラグタイム/フォークで、ブラインド・ブレイク、ブラインド・ボーイ・フラー、レッドベリー、ロバート・ジョンソン、ブルーンジー、メンフィス・ジャグ・バンド、キャノンズ・ジャグ・ストンパーズなどの渋い曲をごく普通のバーで当然のようにプレイするブルースおじさん。2004年にケニー吉岡とブルース・カヴァー・アルバムを発表。またボーはスパダイナ・アヴェニュー・ストリング・バンドというジャグ・バンドのリーダーでもありこちらでも一枚CDを製作している。


塚田稔樹(としき)

トロント在住の日本人ギタリスト。豊富な音楽知識に裏付けされた緻密なギター・プレイがとても印象的。特にフィンガー・ピッキングとコード理論を最大限に駆使し、ウォーキング・ベース、コード・ストローク、メロディ・ラインを同時に奏でる「ひとりオーケストラ」の構築は類い稀。ティビ&ザ・ソウル・ポイント5というR&B バンドにも在籍。97年から2年間ケン吉岡とトロントのサブウェイ・バスキング・ライセンスを取得し、地下鉄駅内で演奏した経験を共有する。98年ころには2人組みで定期的にギグを行っていた。その後しばらくこのハーモニカ/ギターという編成による活動を控えていたものの、ケン吉岡がクロマティック・ハーモニカによるプレイを開始、2002年の秋からインストロメンタル・デュオ・ギグを再開した。



ビル・ヘファナン

トロントのバー、フォーク・ミュージック・フェステイバルなどで活動しているフォーク・シンガー/ソングライターのビル・ヘファナンの本職は小学校の教師。またカサ・カナディエンセというボランティア団体も率いており年に数回はニカラグアまで慈善事業に出かける。この旅の経験がソングライティングのアイディアになっているという。また関連したベネフィット・ショーには大抵参加しているビルは心優しいジェントルマンで時にバックアップするケン吉岡をはじめダーク・ホラーの3人を息子のようにかわいがる。でも酒は底無し。彼のオリジナル曲は歌詞がもっとも重要な部分をしめており政治的なテーマをもつプロテスト・ソングも多い。しかしもっとも魅力的なのは、歌のなかにひそむビルの人柄で、参加を呼び掛けられたオーディエンスが和やかにシング・アロングに応じて大合唱がわき起こる瞬間はとても感動的だ。


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過去に参加したバンド


マイケル・セオドア・バンド

マイケル(Vo,G)とロビー・ロックス(Vo,Congas)を中心とするロック・エクストラヴァガンザ。レパートリーはR&Bからフォーク・ロックまで幅広い。ケン吉岡は2000年頃頻繁にジョイントしていた。マイケルはショーマンシップにあふれその観客をひきつける才能はただただ感心するばかり。ゲストにマイケル・フォンフェア(Key),ジーン・ハーディ(Sax)といったカナダの重鎮が参加することもある。



キッキン・レッド・ルースター

ケン吉岡がトロントで最初に在籍したファンキー・ブルース・バンド。ゲイリー・バスゲイト(Vo,G)を中心に結成されケンは95年に加入しその後6年間活動をともにするが、メンバー間の音楽的な対立が原因で1stオリジナルCDレコーディング直前に解散する。ハイライトは1999/2000年のノース・バイ・ノース・イースト・ミュージック・フェス出演(写真は99年、ブルース・クラブSilver Dollarにて)。デモCDを1998年に製作。




ドクター・ズース/シュガー・ダリ

ドクター・ズースはベースのタイコス率いるトロントのクラシック・ロック・バンドでメロディ・センスあふれるオリジナル曲の他、レッド・ツェッペリン、ローリング・ストーンズ、ビートルズ、フーなどのカバーを演奏していた。1996年の1stCDにケン吉岡は1曲参加しこれはケンにとって初めてのCDレコーディングとなる(写真はレコーディング直後のもの)。その後女性ボーカリスト・マリアンヌを迎えバンド名をシュガー・ダリに改め、2002年に新たにCDをリリース。ケンは再びレコーディング・セッションに招かれ2曲ハープを吹いている。



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