Kenny`s ウェ・マガジン April,2003 毎月一日(頃)発行 By ケン吉岡

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いやはや。今年の冬は例年より忙しくあっという間に終わったように感じる今日この頃。春だと言うのに過ぎゆく厳寒の季節が名残惜しくむしろ寂し気に感じてしてしまうのは何故かしら。日本では桜が咲き乱れて花見なんぞでちょいと一杯と洒落込んでいることと思います。トロントでも薄着のお嬢さん方が街を闊歩し出すのももう近い。でもって春を実感するね。修行僧のように音楽に打ち込む私にも(誰が?)ときには煩悩がわいてくるこれからの季節。しかし何だぜ、ついに戦争が始まってしまった。ブッシュの石油強奪戦争と呼びたい。人間の命に対するレスペクトってもんがねえんだよ。カナダははっきりと戦争不参加を表明した。アメリカとの摩擦を省みず。当たり前だ。人の命にはかえられない。クレチアン首相やってくれるぜ。一番大事なことは何だ。こうしている間にも毎日何人も死んでいく。腰抜け小泉はどうした。意地見せてブッシュに歯向かってみろ。一体何だって強盗の手助けをする必要があるんだろ?サダムが悪いのはわかるけど、アメリカがでしゃばって、爆弾まで使う必要はこれっぽっちもない。もし神というものが世の運命を握っているのなら一日も早く終わらせてくれ。俺はと言えば、仕事とはいえ毎晩クラブ、バーでヘラヘラしているけど本当に心が痛むのよ。ローカル・ミュージシャンなんて社会的にみれば力のない存在であまり平和に貢献できないところが悔しいけど、とりあえずささやかながらこうして自分の立場を明らかにしておきたい。
気をとりなおして、話し変わるけどマイク・オグラディ・バンドのCDが出たのでよろしく。詳細はこちらメ
(2003年3月29日)


Kenny`s News

3月14日(金)、マイク・オグラディの9曲入り1st CDがリリースされ、同時にマイクのバースデー・ライブがトロント・ヒーリーズで行われた。CDは9曲入り。(昨年のHealey`sでのライブ・レコーディング3曲を含む。俺はそっちの方だけ参加している。#9でハープがフィーチャーされている。)残りの6曲は2年前、つまりまだケン吉岡がバンドに入る前のスタジオ・テイクでフィドル、ティン・ウィッスル(アイリッシュの笛ね)が大幅にフィーチャーされケルティック・テイストでいっぱい。でもトラディショナルというわけではなくけっこうロックしてます。

その夜ショーの前にリムジンに乗ったぜ。サウンド・チェックを夕方すませた後、マイクの誕生日を祝うためにダウンタウンのアイリッシュ・パブまでシャンペーン飲みながら街をクルージング。気分は最高と思うでしょ。でもリムジンもしょせんただのクルマだからねえ。7人も乗れば窮屈だし、それほど興奮するほどでもなかったけど、、。
それにジーパンはいて古びたコート着てたし、結構ロック・スターのイメージとはかけ離れた初リムジン体験でした。時々ギグをやるアイリッシュ・パブP.J.オブライエンでビールを飲んでマイクと俺とで2曲ばかりプレイして、その後再びヒーリーズにリモで戻った。この調子じゃショーまでには酔っ払ってるような気がする。

ジェフ・ヒーリーのクラブHealey`sでのショーは大成功。オープニングには聖歌隊+バグパイプのにくい演出、そしてサポート・バンドのワトソンが1セット。その後7ピースの我らがマイク・オグラディ・バンドの登場というわけ。CDに収録されているオリジナル曲を中心に演奏した。St.Patrick`s Day前なのもあって満員だったし大変盛り上がりました。カナダでは知られているブルース・ロック・バンド、ビッグ・シュガーのゴーディ・ジョンソンが観にきていた。しかしアイリッシュ系の人たちの飲みっぷりには感心するばかり。去年はじめてこのヒーリーズに出た時(その時にライブ録音)、なんとヒーリーズのバーの売り上げ記録を破ったと聞いた。この店にはジェフ・ヒーリーをはじめけっこう有名なミュージシャンが出演するけど、これにはマイク・オグラディのアイリッシュ一派おそるべしってとこだな。
ちなみに17日(月)のSt.Patrick`s DayはScruffy Murphy`sで夕方5時から夜の2時までプレイした。疲れたよお。

ジェイ・クラーク&ザ・ジョーンズの方は3月20、21日の週末にオンタリオ州東部ミニ・ツアーを敢行。リンジーとキングストンに行ってきました。4月4日はトロントCest What、4月16日はモントリオールでのショーがブックされてる。





TORONTOのミュージック・シーンを紹介するコーナー3
トロントのハモニカ軍団3

引き続きトロントで活躍するブルース・ハープ・プレイヤー特集だ。

ポール・レディック(ザ・サイドメン)


俺がトロントに来た頃(94`)、トロントの若手ナンバーワン・ブルース・バンドと言われた(ちょっとおじさんくさかったけど)ザ・サイドメン。もはや若手ではなくなった今ではダウンチャイルド・ブルース・バンドをしのぎアメリカでもっとも活躍するカナダのブルース・バンドの座を手にしている。昨年のB.B.KINGのトロント公演のオープニングでも高い評価を得たシンガー/ハーピストのポール・レディックを中心としたこのバンドはファンク的要素も加えたロッキン・ブルースを得意とする(としていた、前に観た限り)。現在はポール・レディック&ザ・サイドメンと名乗っているようだが、ギタリストが変わったのかな?ポールのハープはリズミカルでパンチが効いている。アップテンポの曲ではけっこうゴリ押し。これでもかって吹いてくる。アンプリファイドなのに生音に近いセッティングでやっているから少しジャイムス・コットンっぽい部分もあるかな。
そう言えば、昔まだ俺が地下鉄の駅の中でバスキングしてたころ、たまたまポールが通り掛かった。確かハーモニカでスティービー・ワンダーの曲か何かをやっていたんだけど、彼が「ヘイ。ハモニカジョーズデスネ。カワッタフキカタシテテグッドヨ。ワタシモバンドデハモニカフキマッス。」とか言ってきて(もちろん英語で)。俺は「そうかい。あんたのバンドはなんていうんだい?」などときくと、「ハイ、ザ・サイドメントイイマース。」「エッ、俺知ってるよ。観たことあるし。」としばらく話に花が咲いた。
ピアノのジュリアンはポールとデュオでたまにギグをやるときがある。ダーク・ホラーのギグにある時俺が都合悪かった時なんと恐れ多くも代わり吹いてもらったこともあるんだ。ポールはジュリアンのCDでも何曲か吹いてる(デイヴ・ロタンドと俺も)。

次回へ続く




トロントSubway ミュージシャン事情

ポール・レディックのことを書いたら地下鉄バスキングのことがでてきたので、ついでに3年前くらいに書いたものを引っぱり出してみました。




俺、1998年10月から2年間地下鉄駅バスカーとしても金を稼いでたんだよね。バスカーってつまり大道芸人転じてストリート・ミュージシャンのことだけど、結構面白い経験をしたのでずっと書いてみようと思ってたんだ。

トロントの地下鉄の路線は南北に走るU字形の1本を東西のラインが串刺ししているだけで、駅数はおよそ60(おい、正確に数えろだって)。そのうちの約40の駅にはバスキング・スポットが公式に設けられ様々なスタイルのミュージシャンが演奏している。これはすべてTTC(Toronto Transit Commission)によってオーガナイズされている。サブウェイ・ミュージシャンズ・ライセンスをとるために毎年オーディションまであって、その倍率は高い。 これは一般公開オーディションでCNE(Canadian National Exhibition)という大きなイヴェント会場圏遊園地の一部で8月中旬の週末3日間にわたって行われる。そして選ばれたソロ・アーティストまたはデュオ計75組に、10月より1年間有効のライセンスと公平にスポットを配分するためのスケジュール表がわたされる。登録料を年間$100(当時)払うんだけど。スケジュールというのは駅の4日ごとのローテイションなんだけど、優先された人がいなければ早い者勝ちでスポットをとることもできる。なんでもサブウェイ・バスカー創始者がいてその人の功績でTTC公認のシステムが作られ今でもかれは顔パス名誉ライセンス保持者だとか。名前忘れました。今度調べとく。

トロントは移民の町なのでサブウェイ・バスカーもいろいろと個性的なミュージシャンが多い。スケジュール表と一緒についてくる名簿をみるとこの楽器一体何?みたいなのも発見する。一般的なのはやはりギター+歌、サックス、キーボードだけどなかには中国の弦楽器である胡弓、インドのシタール、ドブロでスライド・ギターをやるヤツ(俺のバンド・メイトのMikeだった。)もいる。ジャンルもクラシックからフォーク、ロック、ブルース、ジャズ、民族音楽などなんでもあり。それから営業形態も、趣味を兼ねてパート・タイムでプレイする人から家族を養うためにフルで勤務する人まで千差万別だ!マネー?これは場所と時によってかなり変わる。すごいのはクリスマスだね。この時はだれもが自分流クリスマス・ソングをプレイしてる。すると通る人たちも気前がいいもんで$10札、$20札まで入れてく時もある。でもそれが過ぎると寒くて長い冬がやってきてほとんどシーズン・オフ状態だ。

俺は日本人ギタリストの塚田トシキ氏と2人ではじめ97年に挑戦したけど敢え無く不合格。翌年雪辱をはらした。その後2年間ハープとエレクトリック・ギターを充電式のミニ・アンプにつなぎ(電池だとすぐ切れるからね)、イージー・リスニング・ジャズ的なインストをやってたな。2人だけで聴かせるために音が薄くならないようにアレンジしたりして。都合が合わなくて一人だけでやるときもあったのでかなり変わった奏法を考え出した。メロディにコードの流れを出すようにいろいろ余分なフレーズつけたりタン・ブロックやベンドを頻繁に使ったり。

それからいろいろな人から声かけられたね。トロントのブルース・バンド、ザ・サイドメンのシンガー/ハーピスト、ポール・レディックとかにも励まされたり。それからギグが入ったりレッスンを申し込まれたり。貧しそうに見えたのかサンドイッチを置いてった人もいたな。宝くじまで入れてった人もいた。はずれたけど。素晴らしい!と叫んでいく人もにっこりわらってチャリンとコインを落としていく人も反応は人それぞれ。気に入ってもらえた時はやっぱりうれしいもんだね。日本でもその頃ストリート・ミュージシャンとやらが流行してたようで雑誌にも取材されたなあ(ってサトシ君が書いたんだっけ)。

まあいいことばかりだったわけでもないけど。日本人の観光客風の団体にジロジロ見られて「この人日本人じゃないのッ」と指さされたり(しばしば)、結構シャイだから恥ずかしいんだよな。また乞食や酔っぱらいにからまれたりしてケンカになりそうになったこともある。でも一番きついのはホコリなんだ。駅の中って空気悪いからからだによくない(クラブなんかもそうだけど)。家に帰るときにはいつも鼻の中は真っ黒でのどは痛くなってた。このため2年でやめました。というのはウソでほんとはオーディションに落ちちゃったんだ。それが傑作でさ。トシキ君と前日打ち合わせをした後ビールやらジンやらワインやら飲み出して友だちまできてもうとまらなくなった。翌朝、トロントに来て以来一番の二日酔い。オーディションに遅れたのはもちろん、酒臭くてプンプンしてるし、待ってるあいだステージの裏で大の字になって寝ているのを関係者に見られるは本番前にゲロ吐きに行くは散々だった。カカカカ(笑)。結果はその時点で予想できた。勤勉な日本人のイメージを落としてゴメンなさい。まあバスカーもそろそろ卒業しなきゃと思ってたし(負け惜しみでしょ:カゲの声)。

経験としてはよかったしいろいろ学んだことも多かった。それに自分のスタイルにも少なからず影響したんじゃないかな。ライセンスは今でもとってある。でもどこいっちゃったんだろ。見つかったら載せときます。

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