1999 Season についての内容です。12/15/99 Update



「1999 GREAT YEAR OF FRIENDLY FENWAY!」
 By Tatsuya


 とにかくプレーヤー自身にとっても、ファンにとっても、そして特に、ごくごく個人的に私にとっても、今年は素晴らしい想い出を残すことが出来た1年であったと思うのです。

 春先の好調な滑り出しから始まり、7月のMID SUMMER CLASSICの盛り上がり!(何度、今すぐにでも飛行機に乗って駆けつけよう!と思ったことでしょう) 試合前のセレモニーがあんなに感動的だったオールスターってないですよね。私は(酔っていたこともあってか)テレビを見ながらいつのまにか泣いている自分に気付きました。MLBを支えているのは、この感動なんだ!National Pastimeという言葉は死んでいないぞ!と心が揺さぶられました。

 そして、8月〜9月のWCレースの緊張感、それに何にも増して、ALDSでTRIBEを徹底的につぶしてハーグローブ監督の首まで奪ってしまったこと。興奮、熱狂の連続だったですね。

 私にとっては、最後のYANKSとのALCSは「もう良くやったよ。ここまで来るなんて思っていなかった…。本当にありがとう。」といった感じで勝敗は二の次でした。久しぶりにピンストライプと赤い靴下が LCS でぶつかって目出度いことじゃ…という好々爺のような表情で見守っておったというのが正直なところです。やっぱりALはこのカードでなくっちゃね。これだけケガ人を出しながら、本当に日本人言うところの“気合”で、よくあれだけの逆境を乗り越えてきたもんだと思います。

 今年が Unforgettable なものになったもう一つの大きな理由は、8年ぶりにFenway に行くことができたということです。8月の12日から20日まで、家内と3才の子供と 65 才の義母を引き連れての East Coast を巡る旅(特にその昔暮らしたボストンの再訪がメイン)を敢行したのです。ちなみに、家内とはボストンで知り合い、最初のデートは(合同でしたが)なんと Fenway でのトロント戦でした。

 まずは14日のシアトル戦、これは家族全員で行きました。もともと野球好きの義母はアメリカの球場の雰囲気をかなり気に入り、オファマンのセンターへのホームランが出たときは、ちゃんと Standing Ovation で迎えていましたし、3才の子供は、Fenway Frank とレモネード、それにお兄ちゃんが投げてよこしてくれるアイスクリームが大変気に入り、ゲームそっちのけで食べて、飲んでおりました。私は、これがまさしく Ball park だな、連れてきて良かったな!と思った次第でありました。

 翌15日もゲームに行きたかったのですが、他にも色々と連れて行かなければならないところがあり、その日は念願の Fenway Park Guided Tour にのみ参加してきました。恐らくこのサイトをご覧になっているかたはほとんどご経験されていることと思いますが、今まで行ったことが無かった私にとっては夢の実現でした。実際に手でふれた、あのグリーンモンスターの感触、ダクアウトのヒンヤリとした空気、それから胸一杯に吸い込んだあの芝生の香り、生涯忘れることはできないでしょう。去り際には、甲子園球児のようにダートの部分を手でひとすくい、さりげなくポケットに入れてきました。今では我が家の家宝です。それにしてもあれだけ楽しませてもらって、$5は安い!

 そして16日、この日は私一人で、オークランドとのナイトゲームに馳せ参じ ました。折しも WC レース天王山の第一戦、先発はローズでしたが、やや気持ちが空回りして、早々と降板、あっという間に4点のビハインド! その後2点を返すものの9回裏の時点では 2‐5 と劣勢。しかしドラマは待っていました。1点を押し出しで返し、最後は引き続き Bases are loaded の状態から、遅咲きのルーキー、ドーバックが粘りに粘ったうえで、なんとグリーンモンスター直撃の走者一層サヨナラ打! そのあとのことはあんまり覚えていないのですが、色々な人とハグ!ハグ!の嵐でありました。ALCS の13‐1のゲームの時もきっとすごかったと思いますが、その夜も周辺はお祭り騒ぎでした。外に出たあともしばらくは去りがたく、Yawkey Way のGate A の前で、明かりに浮かび上がる Fenway Park をぼーっと見上げておりました。そして最後に Fenway Park since 1912のプレートを触り、その場を後にしました。

 もしかしたら、今度 Boston を訪れるときには、もうNEW FENWAY PARKになってしまっているかも知れません。個人的には、いつまでも今のままで、あらゆる努力を惜しまずに、この聖地は残されるべきだと思います。(願いはかないそうもありませんが)しかし、たとえ棲家が変わっても伝統は生き続けます。そして、Kenmore の駅を降りてから Brookline Ave. を歩いてゆくときの僕達のあの気持ちの高まりは決して変わることはないでしょう。

   最後の最後まで私達を楽しませてくれた Year1999 の彼らの功績に再度大きな拍手を送ろうではありませんか。そして、また新しい春がくるのを大きな期待を胸に秘め待ちましょう。


「1999 Red Sox Season Review」

By JUN

 はじめに。

 僕にとっては6年間続いたボストンでの生活も今年で最後となりました。
当初ここに来てからずうっと Red Sox を応援し続けましたが、今年はそれもついに最後ということで、観るほうにも例年に増して熱がはいりました。できればこの6年間のうちで一度でいいから World Series へ、という想いで今まで Red Sox を応援してきました。そして僕にとっては最後のチャンスとなった今シーズン、162試合は全てテレビで見たか、もしくは球場に足を運ぶかして全ての試合を見ました。今年のホームゲームの81試合のうち Fenway に通うこと31回。少なく見積もっても3試合に1回は試合は見たことになります。
 今シーズンはほんとに楽しい思いをさせてもらいました。僕の夢は今年も叶いませんでしたが、それは僕らが生きてるうちに実現してくれればいいと思っています。まさにこの matsudy さんが作ってくださったコラムのタイトル「Once in a lifetime」のごとく、一度はこの目で見たいものです。
 今年は数えきれないくらいのたくさんの思い出ができました。今思い起しても、いろんなシーンが頭の中に蘇ってきます。ずうっと Red Sox を応援し続けてほんとに良かったと思っています。

 これから先、今年ここボストンで僕が見たこと、考えたこと、そして思いのたけを(読む側のみなさんの迷惑も考えずに)時間の許す限り書きました。ほんとのことを言いますと、最初は簡潔にまとめてmatsudyさんに原稿を送ったんですが、「短いです。全試合を見てるのはJUNさんだけなのですから、10年、20年後に読み返しても全てが鮮明に思い出されるように、長さを気にせず思う存分書いてください」と言われてあっさり却下されました。それ以降、時間の許す限り、僕が覚えていること書き続けました。そして書き終えてみれば一冊の本が出来るんじゃないかというくらいの膨大な量となりましたが、僕はこれでもなるべく大事なことだけをまとめたつもりです。まだ書きたいことはたくさんあるのです。これだけ書いても結局一度も名前が上がらなかった選手だっているのです。ただ、今(11月13日現在)は日本に帰る引っ越しの準備で大変な状況でして、寝る間も惜しんで書き続けた僕ですが、これが今の僕の精一杯です。

 これから1999年のRed Soxを振り返っていきます。僕にとってはまだまだ短いですが、読まれるみなさんにとってはかなりの膨大な量になるかと思います。よっぽどのSoxファンじゃない限り、これだけの量を読む気にはならないと思います。それでも「読んでみるか」と思ってくださっているマニアックなファンのみなさんは、本でも読むようなつもりで何度かに分けて気楽に読まれて下さい。区切りのいいように「4月」「5月」というように分けてあります。そしてその時々の出来事は、僕がスクラップして集めていた新聞の見出しを引用して、タイトルとして使っています。



1999年11月13日


                   JUN






-April-



「Bitter Break-up」

 思えば、シーズンが始まる前はなんとも不安で、そして重い雰囲気に包まれていたものです。
 オフシーズン中に、長年 Red Sox の 3 番を打ち続けた Mo Vaughn との決別がありました。GMの Dan Duquette との長い間にわたる確執から、Boston を愛し続けた Mo はついにチームを離れる覚悟を決めたのです。そして$80 million の契約で Anaheim に移籍しました。僕らファンにとっては悲しい出来事でした。チームリーダーでもあり、そして長年 Boston を支え続けた Mo。彼の姿は今シーズンからもうFenway では見れないのです。でもこれはある程度予期していた出来事でした。前の年からずっとこの噂はささやかれていました。


「Questions Surround the Red Sox」

 「Mo の抜けた穴を埋める Big Name を獲得してくること」
これがオフシーズンの最大の課題でした。しかし、待てど暮らせどいいニュースは入らず、「Big Name移籍」という噂は何度もありましたが、その度に最後の最後に他球団に持っていかれてしまいました。Rafael Palmeiro は結局古巣の Texas に戻っていきました。Albert Belle はBaltimore に獲られてしまいました。そして Bernie Williams は Boston に来ることがほとんど決まりかけていた寸前に、結局 Yankees に残留することを決めました。Frank Thomas もダメでした。 そして誰も獲れないままにオフシーズンが終ってしまったのです。
 こんな状態でオープン戦が始まってしまいました。試合を見る限り、Mo が居なくなったクリーンアップの空席を埋めるの選手は、聞いたこともないような名前(Daubach、他)ばかり。唯一補強したのは先頭打者となるOfferman。4年間で $26 million という Deal で、Kansas City Royals から移籍してきました。しかし彼の前評判も(Moの抜けた穴を埋める選手としては)タイプがあまりにも違い過ぎ、「あの程度の選手に高い金を払い過ぎ」という批評が連日のように続きました。不安材料をいっぱいかかえたままシーズン開幕を迎えることになりました。




「Post-Vaughn Era」

 4月5日、シーズン開幕日。Kansas City Royalsとの敵地での3連戦でした。
 開幕ピッチャーはもちろん Pedro でした。去年 Boston に移籍してきていきなり19勝をあげた Red Sox の真のエースです。その Pedro がいきなり初回に2失点を取られてしまいました。不安定な立ち上がりでした。しかし、皆の不安を一気に拭い去ってくれたのが、その新戦力の先頭打者、Jose Offermanでした。この日彼は、古巣相手ということで球場中から大ブーイングを浴びながらもいきなりの4Hit、そして盗塁も決めました。圧巻だったのが、2塁打性の当たりを自慢の足で3塁打にしてしまった事です。
「今までと違った Red Sox の野球」
Offerman ひとりの加入で Red Sox の野球が大きく変わっていくような予感がしました。
 不安定な立ち上がりを見せた Pedro でしたが、回を増すごとに力強いピッチングに戻りました。6イニングをきっちり抑えます。その後は Lowe につなぎ、そして9回は抑えの Gordon が登場します。Gordon は力強いピッチングで Kansas City 打線を完璧に抑えてくれました。

 ここで話は去年にさかのぼりますが、思い起せば前回のGordonの登板は去年の最後の試合、Play-offのClevelandとのALDSの第4戦でのことでした。忘れもしません。1勝2敗で迎えた第4戦、もうひとつも負けられない状況でした。Red Soxは0対1で8回までリードしていましたが、頼みの綱である抑えの Gordon が最後の最後に打たれてしまいました。結果、9回表に逆転されて2対1で Cleveland に負け、1勝3敗でシリーズが終ってしまったという試合でした。ちなみに、Gordon はこの試合で打たれてしまいましたが、Play-off での記録なのでシーズン中の43連続セーブという記録は途切れていませんでした。Gordon は今年、雪辱に燃えていました。「今年もPlay-off まで勝ち残り、再び Cleveland と戦うこと」、これをシーズン前から言い続けてきました。

 そして開幕戦は Pedro の好投とその Gordon の完璧な抑え、そして新戦力の Offerman の大活躍で5対3と勝ちました。何も言うことのない最高の開幕戦でした。
 結局この Kansas City との3連戦、Pedro、Saberhagen、Wakefield という安定した3本柱で3連勝を飾りました。そして Offerman はこの3試合で7-for-15 (.533)と大当たり。結局この後続く Tampa Bay 戦でも連勝し、開幕5連勝という滅多にないスタートダッシュ(1946年以来)を飾ることが出来ました。 シーズン前にあれだけ批評していた新聞やマスコミも、この5連勝で早くも「Mo Who?」などという見出しをつけてきました。




「Nomar Listed as Day-to-Day」

 ただし、全てが順風満帆というわけではありませんでした。4番の Nomar が開幕2試合目でいきなり左の Hamstring を痛めます。その後、開幕3試合目からしばらくの間(7試合ほど)Nomarは戦列を離れました。その間に4番をつとめたのがStanley でした。彼は素晴しい開幕ダッシュを切ってくれました。4月17日当時では、絶好調の Offerman に次ぐ打率(.393)を残し、立派に Nomar 不在の間の4番をつとめます。ときどき Stanley の代りに、Daubach とかいうよくわからない選手が出ていましたが、悪い印象はさほどありませんでした。


「New Weapons」

 今年の先発陣の中でNo.4、No.5 Starterとなったのが、新戦力の Portugal とRapp です。Philadelphia から移籍してきベテランの Portugal は、緩急をおり混ぜたベテランらしいピッチングで開幕2連勝を飾ります。球威がない分、高めに浮いた球はつかまりますが、このまま活躍してくれればかなりの数字を望めるのではないかという期待を持たせました。
 一方、Kansas City から移籍してきた Rapp ですが、初先発の Tampa Bay 戦(4月18日)では Canseco にグリーンモンスター越えの大きなホームランを打たれて負けました。キレのあるカーブと球威のあるストレートが魅力ですが、なにせコントロールが悪いのが欠点です。先々に不安を感じました。



「Falling, Falling Down」

 開幕5連勝と最高のスタートを切った Red Sox ですが、4月の中旬からの故障者の続出に伴い、突然チーム状態が悪くなっていきます。
 まずは4月15日、vs RHP 専用の捕手(7 割の試合に先発出場)である Hatteberg が右肘の炎症のため DL に入りました。どうやら長引きそうだということで、vs LHP 及び Wakefield 専属の捕手である Varitek にかかる負担がいっそう大きくなりました。
 さらにショッキングな出来事が起りました。「抑えの切札」である Gordon が右肘の故障で4月18日に DL に入ります。MRI の結果では「炎症のみ」ということですが、しばらくの間、Gordon 抜きで戦うことを余儀なくされました。
 それだけでは終りませんでした。4月24日、「No.2 Starter」である Saberhagenが4回を投げ終ったところで謎の降板。そのまま肩の異常を訴えてDL入り。一気に雲行きが怪しくなりました。
 これがきっかけとなり、チーム状態はみるみるうちに急降下します。どのチームでも年に何度かこういう状態はありますが、それが早くも Red Sox に訪れてしまいました。うまくかみ合わない攻撃と守備。先発ピッチャーもノックアウトされる事が多くなりました。打撃戦の打ち合いに持ち込んでも競り負け、そしてたとえピッチャーが好投しても、そういう時に限って打線の援護が全くなし。4月22日のDetroit 戦がそのいい例でした。Portugal が最高のピッチングをしてわずか1失点、3安打で見事な完投をしたにもかかわらず、打線の援護が全くなく、結局1対0で負けてしまいました。




「The Guy Who Has Maturity Problem」

 事件が起きたのは、4月23日の Cleveland 戦でのことでした。Cleveland 先発のJeret Wright が Darren Lewis の頭部近くに危険球を投げ、それにぶちキレたLewis が猛然とマウンドに突進し、Wright めがけてドロップキック。そこから大乱闘となりました。

 いつも Cool な Lewis があれだけキレたのにはワケがあります。去年の Play-off の第1ラウンド ALDS「Boston vs Cleveland」の第1戦に Wright は Lewis の頭にデッドボールを当てているのです。うずくまって動かないLewisに対して不敵な笑みを浮かべたまま平然としていた Wright。Lewis はそれを忘れているわけがありませんでした。
 そしてこの23日の大乱闘事件。これがきっかけとなり、Wright はマスコミからかなり叩かれました。それが影響したのか、彼はその後、調子を落してしまいます。
 そんな Wright に Red Sox は容赦しませんでした。かなり後の話になりますが、リベンジとなるその後の5月28日の対戦では Stanley,Nomar, Daubach, Varitek らのホームランで Wright を完全にノックアウトします(3回8失点)。さらに、Wrightの悲劇はそれだけで終るはずがありませんでした。最終的にはみなさまも御存知の通り、つい最近行われた今年の秋の Cleveland との ALDS の第3戦で、Red Sox はWrightに対して最高の舞台でこれ以上ないリベンジをやってのけました。2連敗と崖っ淵に追い込まれた第3戦、このWrightを再びノックアウトしたことで全ての流れが変わり、その後奇跡の3連勝をやってのけたのです。




「Just About .500」

 チームが最悪の状態ながらも、4月は11勝11敗の5割でなんとか切り抜けました。
 最も目だった活躍をしたのが先頭打者の Offerman でした。レギュラー陣の中ではチーム内トップの .341 という打率はまさに期待以上です。ちなみレギュラー陣以外では、Daubach という選手が打席こそ少ないですが .364 という高打率を残していました。

 逆に調子の悪かった選手はというと、打線では9番の Nixon でした。今年からライトに Nixon を定着させようというのが Williams 監督の狙いでした。No.1 Draft Pick で Red Sox に入団したまま数年間マイナーで鍛えていた Nixon が、初めてつかんだ大きなチャンスでもありました。しかし、開幕してからNixonは全く結果が出せず、4月を終って打率はたったの.105。途中で24打席連続ノーヒットなんて事もありました。明らかに気合いが空振りして力んでいるように見えました。Williams監督はどこまで辛抱するのだろうと心配にもなったものです。

 投手陣の方では、先発陣の Wakefield のスタートがとても悪かったです。4月を終えて1勝3敗。防御率は7.36。Knuckleball が例年のように決まりません。いつもだったら Wake の先発する試合は非常にテンポ良く、気がついたら試合が終ってるというのが彼の持ち味ですが、今年はとてもテンポが悪かったのを覚えています。いつだって打たれそうな予感がしたものです。

 その他の誤算といえば Bullpen 陣です。新戦力の左の Guthrie が良くありませんでした。去年の Swindell の抜けた穴を埋めるべく、大金をはらって獲得した貴重な左の中継ぎですが、結果が出ません。4月は大事な場面で打たれて防御率も5.06と高めでした。去年良かった Corsi も今年はイマイチです。打たれる場面が多く見られました。そういえば Lowe もこの時期はまだまだコントロールが不安定でした。0勝2敗、防御率 5.50 という成績で4月を終えています。








-May-



「Time to Push the Panic Botton?」

 5月に入っても3連敗。チームが上昇するきっかけがつかめません。その象徴的ともいえる試合が5月3日の Oakland A's 戦でした。Varitek の Back-up Catcher としてマイナーから上がってきた Gubanich が、メジャー初打席で満塁ホームランを打つという快挙(史上4人目)を成し遂げます。その後も攻撃の手をゆるめずに7対0とリードしますが、その大量リードを投手陣が守りきれませんでした。まさかの投手陣崩壊で追い付かれて延長戦にもつれ込んだ結果、11対12で悪夢の大逆転サヨナラ負けを喫しました。
 この当時、Bullpen 陣でまともな活躍をしていたのは Cormier ひとりでした。先ほども書きましたが、Lowe がまだ不安定、Guthrie, Corsi がダメ、まして Gross とかHarikkala とかが出てくると最悪です。決まってバッターを歩かせた直後に打たれて負けていました。僅差の試合に守り勝てるだけのBullpen 陣が、この当時はまだありませんでした。



「Knockler Shut the Door」

 今までずっと結果の出せなかった Wakefield が Closer にまわって初セーブを上げたのは、5月6日のTexas戦(3対2で勝利)での事した。Gordon が DL から戻ってくるまで、Williams監督は「New Closer」としてなんと Wakefiekd を指名してきました。「Knuckleballer の Closer」というのは確かに今までなかった発想でおもしろいとは思ったんですが、あとの問題は「ランナーを3塁に置いた緊迫した場面でのパスボール」という危険性でした。Wakefield にパスボールはつきものです。彼が Closer を続けていけば、いずれはこういう場面が訪れて負ける時もあるでしょう。それでも「連投がきく」「先発を続けていっても、先発以外の日に Closer として投げることも可能」などの理由から、Williams監督は「Wakefield が最も適任」という判断を下しました。しかし、周囲の不安をよそに、Wakefield は着々とセーブを重ねていきました。


「Memorable Moment」

 5月7日、Anaheim Angels 戦

 今シーズンの Fenway での試合のチケットはもうすでに今年の2月から発売されていましたが、真っ先にソールドアウトとなったのが、NYY との6試合、そしてこの日のAnaheim 戦でした。僕もこの日にチケットだけは発売初日に真っ先に確保していました。しかもバックネット裏の最高の席でした。
 この日は僕らにとって特別な一日であったのです。Mo Vaughn が Aneheim Angels のユニフォームを着て Fenway に戻ってきたのです。しかも、その Mo を迎え討ったのはエースの Pedro でした。あの試合の Mo の第1打席のシーンは、今だにはっきりと頭の中に残像として残っています。
 Mo に対する割れんばかりの大声援の Standing Ovation。Mo が打席に入ってもそれは鳴りやみませんでした。Moは一度だけチラッを観客の方に目をやり、そして軽く右手を上げてこたえました。その時のことを振り返って、Mo はこう答えています。

"It was definitely nice, I'll always appreciate that as long as I'm playing the game because that's something that's very, very nice."

 良かった....。
 僕もホッとしました。みんながブーイングしたらどうしよう、そういう不安がありました。しかし、みんなわかっていました。MoはRed Soxが嫌いで、ファンが嫌いでこの街を離れたわけではないということくらい誰もがわかっていたのです。あれは単なるビジネスだったのです。それがあれだけのStanding Ovationとなって表われたのです。
 しかし、儀式はここまででした。確かに Boston のファンはMoを暖かく迎えました。それは Mo に対する感謝の気持ちでもありました。しかし、これは野球です。戦いです。儀式はこれでもうおしまいでした。この時点でMoはまぎれもなく「我々の敵」となったわけです。

 第1打席、Pedro は Mo を全く寄せ付けずに三振にとった瞬間は、あの Standing Ovation の時以上の大歓声に包まれました。Fenway が揺れました。Mo が三振した瞬間に「Yeahhhhhh !!!」と拳をつき上げて喜び、そして隣の人とハイファイブをしました。僕にとって「Moが三振して喜ぶ」という事は初めての体験だったのです。その時、僕は改めて思いました。「Moはもう敵なんだ」と(シャレじゃないっすよ)。

 第2打席以降、Mo に対する盛大な拍手はもうすでにありませんでした。 This is Fenway Park.



「Another Night We'll Always Remenber」

 この3日後、もうひとつ僕らに忘れられない出来事がありました。

 5月10日の Seattle 戦で、我らが Nomar が2本の満塁ホームランと1本の2ランホームランを打ち、1試合で10打点もあげて12対4で大勝するという凄い試合がありました。
 まずは1回裏。Frye、Valentin、Daubachと先頭の3人が全て出塁して0アウト満塁という場面で4番のNomarに回ってきました。そして Nomarは外角の球を逆らわずにライト方向を狙ってバットを振り抜きました。右中間へのNomarの打球はのびるのです。打球はあれよあれよという間にのびて行き、ライトのRed Sox側のBillpenに飛び込みました。満塁ホームランです。まだ1回裏0アウトだというのに、あっという間に4対0となります。
 続く3回裏、今度は1塁に Daubach をおいて、Nomar はライトの Pesky Pole 付近に流し打ちをしました。その打球もスライスしながらポールの内側を巻いてホームラン。ラッキーな2ランホームランでした。
 そして圧巻だったのが8回裏、またもFrye、Valentin、Daubach の3人を塁に置いて、今度は Nomar は思いっきりレフト方向に引っぱりました。これこそ打った瞬間にホームランとわかる当りで、打球はあっという間に Green Monster のはるか上を越えて行きました。なんと今日2本目の満塁ホームランです。Nomar 自身も「信じられない」といった表情でグラウンドを一周してホームベースに戻ってきました。観ていた僕らも信じられませんでした。

 試合後のNomarのインタビューを紹介します。

 "It was something special, I can't believe it. I'm definitely enjoying this. Obviously, this is a night I'll always remember. Nights like this don't happen too often."

 僕らだってこの日のことは忘れません。



「Overachievers」

 この日を境に、Red Soxは突然活気づきました。あれだけ泥沼にハマっていた4月後半が嘘のように、ちょっとしたきっかけでチームが蘇り、5月6日以降、チームは開幕以来の5連勝に湧きました。その後1敗した翌日から3連勝。ひとつ負けてまたまた3連勝。さらにもうひとつ負けて今度は4連勝というハイペースで勝ち進んでいきました。
 この頃からようやく守備と攻撃の歯車がうまくかみ合ってきました。Closer のGordon も DL から戻ってきて、いつものようにセーブを積み重ねていきました。結局、Mo が Fenway に戻って来て以来の5月の成績が18勝5敗という驚異的なペースでチームは躍進していきました。
 この快進撃の原動力となったのが、2人の若手ピッチャーでした。
まずはマイナーから急遽呼ばれた Juan Pena でした。Sabes がいない、Wake は先発に戻ったものの今だ不安定、Rapp もピリッとしない。先発投手陣が苦しい時期でもありました。チームは救世主を望んでいました。そしてそんな時に、誰も期待していなかったメジャー経験ゼロのこの若手ピッチャーは、メジャーに上がるなりなんといきなり2連勝。その間の防御率が 0.69 という大活躍でした。ただ、残念ながらこれは長くは続きませんでした。Pena も肩の異常を訴えて、結局それ以降の登板はありませんでした。
 そこで出てきたのが Brian Rose です。5月25日からの大事な NYY 3連戦。その第2戦に Red Sox は誰も投げるピッチャーがいませんでした。このローテーションの谷間にマイナーから上がったばかりの Rose は、伊良部と対戦します(この日は初めてTakeshi さんにお会いした日でもありました)。伊良部が Red Sox 打線にノックアウトされる一方で、Rose は絶妙なコントロールで見事に NYY 打線を0点に抑えてくれました。
 その後 Rose は4連勝、そのうち2勝は NYY からという快挙を成し遂げてチームをさらにいっそう勢いづけました。

 5月を終った時点で Red Sox は NYY に 1.5 ゲーム差をつけて AL East の第1位となりました。


-June-



「Family Issue」

 6月の始めにちょっとした事件が起りました。
 5月の最後の試合(31日)に先発した Portugal ですが、3回をもたずに6失点という大荒れでノックアウトされました。そこまでは良くある話ですが、その試合後、Portugal はロッカーの荷物を全部まとめて、誰とも口を聞かないまま球場を後にしてしまいました。そのあと約1週間、Portugalはチームに戻ってきませんでした。
 最初は何が起きたのか全く誰もわからない状態だったのですが、そのうちに次第といろんな事が明らかになってきました。その時はPortugalは真剣に引退を考えていたようです。
 もちろんPortugal 自身、マウンドでなかなか結果が出ないということもあったのですが、最大の原因は彼の子供と一緒に過ごしたいためだという事でした。 Portugalは、離婚した妻とその2人の子供が住んでいる場所の近くに来るために、今シーズン前に移籍先を Boston に決めたのです。しかし Boston に移籍してきてもなかなか愛する子供たちには会えず、そしていい成績も残せず、もう全てをあきらめて突発的にロッカーの荷物をまとめて帰っていってしまったらしいのです。

 1週間後、Williams監督の必死の説得もあり、Portugalは引退を撤回してチームに戻ってきました。ただ最終的に彼の心を決めたのは、子供たちに言われたひとことだったそうです。「パパの活躍する姿を見ていたい」という言葉に再び奮いたち、彼はチームに戻ってきました。
 その後2回の登板機会でも彼は勝てませんでしたが、復帰後3度目の先発(6月24日、Baltimore戦)で素晴しいピッチングをし、2対1という僅差を守り抜いて勝ちました。実に6週間ぶりの勝利でした。彼の子供たちはパパの活躍に大喜びしたことでしょう。





「Braves Are In the Town」

 6月4日からInter-League戦が始まりました。まず最初に対戦する相手はナショナルリーグNo.1のAtlanta Bravesでした。僕は個人的にはInter-League戦というのはあまり好きではありません。ナショナルリーグの強豪と対戦するのは確かにおもしろいですが、どうでもいいチームと当る時はほんとうに時間の無駄なように思えます。そんな時間があったらもっと同リーグ、同地区のチームとの対戦(特にNYY戦)を多く見たいです。
 ただ、Atlanta Braves戦は別です。僕も毎年この対戦を楽しみに待っています。
 確か去年のAtlanta戦は散々でした。確か15対2とかなんかでボロ負けした試合を観に行ったのを覚えてます。しかもユニフォームが当時の「Boston Braves」と「Boston Red Sox」時代のもので、いかにもExhibition Gameといった雰囲気があってあまり好きではありませんでした。でも、この日はテレビで見慣れたAtlanta Bravesのあのユニフォームでした。自分の目の前で、あのユニフォーム姿に身を包んだChipper Jonesの勇姿や、毎日CMで何度も顔を見ているGlavineとMaddux(「Have you guys seen Mark?」のナイキのコマーシャル)らを見てるとついついミーハーな気分になります。もしかしたらこの組み合わせのWorld Seriesだって有り得るぞ、なんて思ってきたりもしました。

 この日(第1戦)の対戦は、Pedro vs Glavineという最高の組み合わせでした。しかもこの日は今までで一番いい席に座りました。バックネット裏と1塁ベンチの中間あたりの最前列、一番グラウンドレベルに近い席でした。ですからPedroの球をじかに体感することが出来たのでした。Pedroの速球はほんとに凄かったです。ストレートはVaritekのミットにおさまる直前で球が勢い良くのびてHopするのです。Curve BallはかなりNastyです。打者の目の前でストンと落ちるのがハッキリわかります。そして一番感動したのはChange-upでした。ストレートと全く同じ腕の振りで球がリリースされ、そして一瞬球がフワッと浮いたかと思うと、いきなり軌道を変えて一気に落ちていきます。あれは絶対に打てません。

 Glavineはこの日は制球に苦しんでいました。あのPin-Point ControlのCy Young Winnerはどこにいっちゃったんだろうという感じでした。目の前でGlavineの球を見ていても全然すごいという印象はありませんでした。
 場内がもの凄い勢いでHeat-upしてきたのは6回が終わった頃あたりからです。Pedroの投げる1球1球に大声援。Red Soxの守備の時は総立ち、攻撃の時は席につくといういつものPedro登板の試合の盛り上がりを見せてきました。8回が終わった時点でPedroは14K。彼自身のCareer Highまであと1つでした。ここでいつものWilliams監督の采配だと、無理せずにPedroをおろして9回はLoweで逃げきるかなあと思っていました。
 9回表の守備につく前(テレビではきっとCM中)、場内では「We want Pedro ! We want Pedro !」のすさまじいほどの大合唱が起きていました。そして他の選手達が全員すでに守備位置についている中、一番最後にゆっくりベンチからPedroが出てきた時は盛り上がりは最高潮に達しました。僕も自分でも何を叫んでいたのかあまり覚えていませんが、ずうっと狂ってました。
 まず先頭打者のChipper Jonesを三振にとり、そしてBrian Jordanも三振に取り、これで自己記録更新の16kとなりました。スクリーンに「Career High 16K」と表示されました。そして続くLopezにも簡単に2ストライクまで追い込みます。もう異常なほどの盛り上がりでした。そして最後に投げたPedroの1球は、残念ながらLopezのバットにあたり3塁ゴロ。一瞬、Ahhhhhhhh.....という3万3千人のため息のなか、それでもPedroのガッツポーズを見て再び大きな歓声が起りました。
 試合直後にPedroのインタビューがあり、その模様がスクリーンにも流されていたので、しばらくたっても誰も帰ろうとしませんでした。Pedroは嬉しそうに何度も何度も客席にむかってガッツポーズをしてくれていました。






「Bad Stretch」

 Red Sox に2度目の危機が訪れたのは、その翌日の試合からでした。第2戦には抑えのGordonが打たれて負けました。54連続セーブという記録がここでついに途切れます。一方、Atlantaの抑えのピッチャーのRockerに完璧に抑え込まれ、2戦、3戦と1点差のゲームを落して結局Atlanta戦を1勝2敗で終えます。さすがにAtlantaは強いなあ、という印象を受けました。

 しかし、さらに続くInter-League戦の中、弱小チームのMontreal Exposにまさかの3連敗を喫してしまいました。第1戦はSaberhagenが大事なところで元Red SoxのMarcedにホームランを打たれて負け、第2戦はメジャー初先発というDan Smithというピッチャーに完璧に抑え込まれてまさかの連敗。「仕方ないけど第3戦はPedroだし、1勝2敗でもしょうがないだろう」なあんて思っていたその第3戦、まさかそのPedroで負けるとは考えてもいませんでした。久しぶりに古巣であるMontrealのOlympic Stadiumに戻ってきたPedroに対して、Montrealの人々はPedroをStanding Ovationで迎えました。しかし試合では悪夢が待っていました。Pedroは調子が悪かったわけでもなく、三振だっていつものペースで獲っていたんですが、Montreal打線がPedroを研究しつくしていたという印象を受けました。連打を浴びるPedroを今季初めて見ました。この試合でPedroはまさかの初黒星、試合も1対13とボロ負け。チームは初の5連敗。再び泥沼にはまっていきました。

 その後チームはニューヨークに向かい、Metsと3試合戦いました。その第1戦、Gordonはまたも打たれてしまいます。2試合連続のBlown Saveでした。2対0とリードした中で抑えとして登場したGordonは、Piazzaに大きな2-Run HRを打たれてしまいました。これで土壇場で2対2の同点となり試合は延長戦へ。幸いにも延長10回のValentinの勝ち越しヒットで3対2と勝ち、6連敗は間逃れました。しかしその試合後、Gordonは再び右肩の異常を訴えます。そして翌日2度目のDLへ。目の前が真っ暗になりました。Gordonはこのまま9月まで戻ってきませんでした。

 そしてさらに続く第2戦、第3戦は、Leiter、Hershiserという2人のベテランピッチャーに抑えられて連敗。Mets戦は1勝2敗でしたが、ここでも3連敗しても全くおかしくないゲーム内容でした。
 抑えの切札を失い、さらにチームはボロボロ。散々でした。このInter-League戦、9試合中7試合を落すという大きな誤算となってしまいました。



「Back-to-Back Bombs from Unexpected Source」

 悪夢のInter-League戦が終って、Red SoxがFenwayに戻ってきた6月14日のMinnesota戦、考えてもいなかった伏兵の活躍でチームは再び調子を取り戻します。まずは先発のJin Ho Cho。今季初先発でした。ローテーションが苦しいこの時期、しかもチーム状態が最悪の中、6イニングを2失点で切り抜けます。残念ながら勝敗には関係ありませんでしたが、プレッシャーののしかかる中で素晴しいピッチングをてくれました。Choはこの次の先発(6月19日のTexas戦)で再び好投しメジャー初勝利をあげました。

 さて、話をこの日の試合に戻しましょう。クライマックスはこの後に訪れました。3対2と1点リードされて迎えた9回裏、なんとLewisとFryeの連続ホームランでサ