Vol. 3(6/10/1999)

Contents


1)「私とレッドソックス」
By Rocket


2)「Nomar カード蟻地獄」
By ノマー渡辺


3)「Sox GM Dan Duquette」
By matsudy


4)「The Black Banbino」
By JUN


5)「選手紹介(Jeff Frye)」
By matsudy


6)「Red Sox 関係の本(At Fenway)」
By matsudy



1)「私とレッドソックス」

By Rocket

私が初めてレッドソックスを知ったのは,86 年の春でした.新聞記事で,Roger が 20 奪三振を奪ったというニュースがきっかけでした.

その時は,「すごいな」くらいしか思っていませんでした.何しろ,当時中学生だった私は,「松本が走って 篠塚・原が打ち,江川が投げて勝つ!!」という典型的なジャイアンツファンでした.メジャーリーグというものは少しは知っていましたが,ほとんど興味はありませんでした.

それから半年ほど経ち,その年の秋の『Number』誌で,ワールドシリーズについての記事を読みました.そこでレッドソックスの悲劇(例の「呪い」)を知り,レッドソックスの持つ伝統と,妙な因縁に振り回される様に興味を覚えました.その後,88年のプレーオフでの Roger 対 Canseco のエピソードを聞いたり, Roger のあの豪快なピッチングや映画『フィールド・オブ・ドリームス』でフェンウェイのクラシカルな佇まい観て,すっかり好きになりました.

レッドソックスの好きなところは多々あります.第一に,ユニフォームがかっこいいことです.球団によってユニフォームは全く異なり,様々なユニフォームがあります.その中でもレッドソックスはシンプル且つクラシカルで,人によっては退屈に見えるかもしれません.ですが,私にはあのスタイルに粋を感じます.(尤も,70 年代の赤いキャップとゴムベルトには苦笑してしまいますが).

また,ホームであるフェンウェイもいいですね.実を言うと,お恥ずかしいことに,僕は直接足を踏み入れたことはありません.伝え聞くところによると「古めかしい」と言うより,ボロイのだそうですね.ですが,老朽化しても,ボストン市民によって愛され,大切に使い続けるという弊衣破帽的な姿勢に魅力を感じます.

あと,日本で言う「4番サード」的に「レフトの強打者」という一種のお約束事のようなものがあるのも好きな理由の一つです.僕は Jim Rice や Carl Yastrzemski や Ted Williams 達のプレーをこの目で見たことはありませんが,彼らのような千両役者というか,「やっぱりこいつがいないと」的な選手がいるのがいいですね.ですから,Mo がいなくなったのは本当に残念です.彼は,三振しても絵になっていましたよね.

あとは,先程も申しましたが,レッドソックスの持つ話題性にもひかれます.
76年のワールドシリーズでの Fisk のホームラン,
78年のワンゲームプレーオフ,
86年のワールドシリーズで,あとワンアウトが取れなかったがために起きた悲劇がその最たるものでしょう.

また,ニューヨークの某チームのように,金にものをいわせて選手を補強するようなことをしない点も好きです(それはそれで話題としては興味をひかれますが・・・・).唯,レッドソックスでも,某 GM のように,選手達をモノとしてしか扱わないフロントの姿勢はとても残念です.そういうところにワールド・チャンピオンから遠ざかっている理由が隠されているような気がしてなりません.

好きなプレーヤーは,現在もレッドソックスでプレーしている中では,Normar とWakefield と Valentin です.現在いない選手のなかでは,Roger です.彼の力強いフォームからくり出される,本当に重たそうなファーストボールは筆舌に尽くしがたいです.彼の魅力は球速だけではありません.彼のあの,決して逃げない投球スタイル(去年のオールスターでの McGwire との対決は鳥肌が立ちました).日米野球で登板したときも,打球を手で止めたのも印象的でした.彼は私に決して逃げずに真っ向勝負することを教えてくれました.レッドソックスでの最後の 3,4 年は思うような成績がでていませんでした.あの時,限界説がささやかれましたが,大方の予想を裏切り,再び蘇ったことに勇気づけられたのは僕だけではないと思います.ロジャーがいなくなった後,その穴を埋めるべく,Pedro が大活躍しています.レッドソックスが勝ち続けることは嬉しい限りです.ですが,どこか物足りなさを感じます.


今シーズンは,とても心境が複雑です.何をどう間違えたのか,Roger がヤンキースへ行ってしまいました.


私にとって,Roger はメジャーの素晴らしさを教えてくれた人ですし,彼の決して逃げない真っ向勝負の姿勢に勇気づけられています.ですから,他のレッドソックスファンの方からどのように言われようと,私は,Red Soxファンである以前に,Roger ファンであり続けます.特に今シーズンに限っては,Red Sox の勝利を願いつつも,ヤンキースの 2 連覇で,Roger に念願のリングを手にしてもらいたいと思っています.

蛇足ですが,私の宝物は,「21」と入ったラッセルのゲーム用のジャージです(ちょっと高かったですが).いつか Roger がフロントと和解して,再びこのユニフォームに身を包み,フェンウェイを沸かせてくれよう心から祈っています.


2)「Nomar カード蟻地獄」

By ノマー渡辺

 僕のMLBカードの歴史は Nomar のカード史と言って構いません。彼を集めだしたために私の人生は変わってゆきました。
 それまでNBAのカードやサッカーのカードを細々と集めていた僕は、’97の冬も終わりに近い頃だったと思いますが、友人に連れられ、今まで訪れたことのなかったカードショップに行きました。その店には大きな箱に大量にカードが分類されることなく入れられており、「1枚50円」の札がついていました。暇つぶしに片っ端から見ていくとなにやら見覚えのある名前が。’96年の秋にヤンキーススタヂアムで見て、「変な名前だ」と思い覚えてしまったガルシアパーラのカードを見つけたのです。当時MLBやレッドソックスに関心があったものの、誰が Top prospect かと言うことまでは注目していなかったため、 Nomar がどんなに期待されていたかは知りませんでした。結局その箱から数枚のカードを見つけ、値段も安いため当然買いました。たったの50円ですから。それ以降その店に行くたびに、数枚買うという行動が数ヶ月続いたと思います。まだこんな頃はカードを1BOX単位で買うなんて夢にも思いませんでした。
 初夏の頃だと思います。またしても友人に連れられて私の住む名古屋で月1回開かれているカードショウに行きました。折しもその頃日本では野茂のカードブーム。野茂のカードには人が群がり、カードをガンガン買っていく人たちの光景を目の当たりにしました。目の前を万札が飛び交っている状況に、ただただ唖然とするばかりでした。
 カードショウに参加している人たちに話しかけ、そのコレクションを見せてもらうと、野茂やグリフィー等のカードに混じりガルシアパーラの今まで見たこともないようなカードも数枚ありました。ベケットと言うカードのプライスガイドの存在すら知らなかった僕は、おそるおそる「これいくらですか?」と聞くと、「$50くらいかな」との返事が。「高々紙切れに$50も何でするのか」当時の僕には疑問を通り越 し驚嘆に値しました。「君なんかカード持ってる?交換だったらいいよ」この時初めてカードショーでのルール、即ちカードの物々交換と言うものを学んだのでした。カードコレクター達はカードをBOX単位で購入し(中には当然パックで買う人もいますが)、自分の集めていない選手のカードがでたら、それを交換に出しているのです。(お店によってはカードを買い取ってくれるところもありますが、かなり買いたたかれるため、多くの人が交換要員として取っておきます。)お店でノマーのカードだけを買えばすむのですが、それだとどうしても限界があり、私も数パック買い始めたのをきっかけに、どんどんエスカレートし、1BOXを手に持つようになるまでそれほどの時間は必要としませんでした。。最近は各カード会社が多種類のカードを発行するようになり、本当に最初は月に数百円程度しか使わなかったのが、気がつけば今や数万円が飛んでゆきます。日本のお店で買うとどうしても高いため、インターネットを利用しアメリカのお店から輸入するようにもなりました。カード会社も世界に一枚しかないカードを発行したり、ジャージーやバットをスライスしてカードに張り付けたり、サイン入りのカードを出してみたりと手を変え品を変え、コレクターの心を揺さぶり、私は今どんどんカード蟻地獄に飲み込まれています。 Nomar のカードだけで今や400種類以上になりました。今後も増え続けていくことでしょう。誰か私に辞めるきっかけをください。人間辞めますか、それともカード辞めますか。

 さてここからは少し真面目に、カードの値動きについて書きたいと思います。彼の一番最初のカード(通称ルーキーカード)は'92アトランタ五輪代表の頃のカードで、'92 Topps Traded setの中にあります。彼がまだメジャーデビューする前の'95年11月の時点ではわずか$1.50でした。私は'97年の10月頃に買ったのですが、その時には$30位になっており、昨年のマックのホームラン協奏曲が引き金となったルーキーカードブームの昨今、$100にまで上昇しています。ここ10年間にデビューした選手のルーキーカードで、$100を越えているのはグリフィー($150)と Nomar しかいないと思います。A-RODでさえ$75ですから。 Nomar のルーキーカード以外のカードを価格の序列で見ると、マダックスや A-ROD と同等で、ジーターやチッパーより上になっています。(もちろんトップはマックで、以下グリフィー・リプケンと続いてノマーが)
 カードは株と同じでその選手が大活躍すれば価格だ上昇し(昨年ならマック)、成績が悪いと下落します(ex.野茂)。 Nomar が殿堂入りするような選手になってくれればいいのですが、途中で大怪我でもして引退した日には・・・。想像しただけでも恐いです。これから集めてみようかなと言う人は十分節度を持ってやることをお薦めします。

 カードを集める楽しさは、何も価格の変動に一喜一憂するだけではありません。カードに印刷されている写真を見比べるのもまた面白いです。 Nomar の場合、打撃のシーンと守備での送球シーンが中心となっています。これは他の選手もだいたい同じなのですが、他と比べて極端に少ないのが、笑っている写真を使った物です。私のコレクションの中に20種類もありません。笑顔で写るはずの場面でも怒った顔してますから。アメリカ人にしては珍しいのでは。また意外にも試合前のお祈りポーズの写真を使った物もありません。個人的にはあのポーズが好きなので、早くカード化して欲しいです。
 さて私が一番大切にしているのはやはりオートグラフ入りのカードです。'98 Donruss Signature のカードで値段は $250。これより高価なカードや希少なカードも世の中に存在しますが、やはりオートグラフは別格です。このカードを実際彼が手にとってサインしているわけですから。 Nomar のオートグラフカードの中には$120の物もありますから、一枚どうしても欲しい人には、そちらをお勧めしす。’98Stadium clubから出ているカードで、ケアロスのサインも同じカードに書かれているというお得な代物です。またどうしても1枚だけ Nomar のカードを買いたいという人は、やはりルーキーカードを買いましょう。確かに$100と紙切れにしては高いです。しかし最近続々出ている物はカードメーカーの戦略によって勝手に稀少性を高められたカードであるのに対し、ルーキーカードは Nomar の実力で値が付いた物だからです。またルーキーカードは他のカードに比べると、大暴落の危険も少ないですから、1枚持つにはお薦めします。


3)「Sox GM Dan Duquette」

By matsudy

 1994 年から DD(Dan Duquette) は Boston の GM に就任した。当時 34 才でBoSox の再建を一手に引き受けるという形だった。

1994 54-61 .470(4th in AL East)
1995 86-58 .597(1st, Lost in ALDS 0-3 against Cleveland)
1996 85-77 .525(3rd)
1997 78-84 .481(4th)
1998 92-70 .568(2nd, Wild Card, Lost in ALDS 1-3 against Cleveland)

 GM になって 2 年目の 1995 年に AL East を 7 Game 差で制した。あまりにも早い結果が Team Rebuilding Process を阻害したかもしれないと言われている。1995 年の夏 Closer R. Aguilera をとるために RHP Frank Rodriguez を Minnesota に Trade した。当時この Trade は Second Babe, Bagwell Trade 以来の最低 Trade と言われたが意外に Rodriguez が伸びなかったために(最近 Seattle に Waiver により移籍)今ではそれほど注目されていないが、それほど彼の評価は高かった。1995 年冬には Aguilera が FA で抜けた。その Closer 不在を補うために1996 年 1 月に Philadelphia から Trade で Heathcliff Slocumb を迎えた。RHP Ken Ryan が Closer としては使えなかったための苦肉の策であった。1996 年は最終週まで Wild Card の可能性があったものの結局は Play Off 進出は成らずに、LF Mike Greenwell, RHP Roger Clemens が FA で去ることになった。それに加えて、Player 側の監督だった Kevin Kennedy の契約を延長しない方向を打ち出した。この動きに不満だった Canseco は結局 Oakland に Trade された。1997 年は監督が Jimy Willimas に替わったものの Roger の穴を埋めることができずに低迷、Ace 不在を痛感したのか 1997 年 Off に Montreal から Pedro Martinez を獲得した。1998 年は Gordon の Closer 転向、 Defensive な Team づくりがうまくいき、92 勝(1986年以来の 90 勝以上)したが、ALDS で Cleveland に負けてしまった。その年の懸念だった Mo の契約延長は 2 転 3 転し、結局 FA で失うこととなった。Mo の契約がダメになったと発表した翌日、Offerman と4年契約した。そして、ChiSox の A.Belle、 NYY の Bernie Williams 獲得交渉に力を入れたがどちらとも契約できなかった。FA 市場では惨敗と言われ、Offerman に市場価格以上の年俸を払ったと失笑を勝ったが、開幕してから Offerman が打ちまくり 6 月 1 日現在 AL East 首位という結果を見てだれも Dan Duquette を笑う者はいなくなった。

 彼の得意技は Farm System を充実させることによる Top Team への選手の供給による Team の強化である。これは Montreal という小さな球団で学んだ強化の仕方の様に思える。伝統的なやり方であることは確かで個人的には好きだ。はやり Farm から上がってきて Franchise Player になるのが一番 Fan としては応援しやすいからだ。もちろん Trade に使えるためにできるだけ Farm System を充実させなくてはいけない。Pedro 争奪戦に勝てたのは Cleveland や NYY と違って RHP Carl Pavano 程の Prospect を出すことができたからだと言われている(RHP Tony Armas Jr. も一緒に Mon へ)。1994 年以降に Draft された選手で大活躍しているのは Nomar(1994 Draft #1 ) がいる。それ以外にもRose(1994 Draft # 3rd), Sadler (1994 Draft #10th )などが挙げられる。Mo の抜けた穴を埋める期待の星として AAA で活躍中の D. Stenson(1996 Draft #3)、 2000 年の Olympic 候補に選ばれるであろう A. Everett(1998 Draft # 1)等がいて非常に頼もしい限りだ。

 彼のもう一つの得意技は Wakefield や Saberhagen など一度見放された選手やケガで働けないが実力のある選手と契約して再生させる能力である。また、Waiver にかけられた選手も拾ってきては使うということをよくする(LF T.O'Leary)。Ramon Martinez と契約したのも Saberhagen の成功があったからだ。FA で契約するのは金がかかるが、実力のある選手がケガ及び手術でリハビリの状態にいるときに契約しておけば復帰したときに大きな戦力になる。選手の方も球団に Royality を感じるために球団、選手両方に利益がある。確かにケガをした選手に投資するのはギャンブルだが、やはり一度大成した選手(Saberhagen、Ramon)がケガから復帰したときにもし元の状態近くまで戻れるとしたらそれはギャンブルにいく価値があるのではないかと思う。Pitching Coach Joe Kerrigan や監督の Jimy Williams が無理をさせない方針なので肩の手術をした選手たちをこれからもどんどん契約していくのだはないかと思う。

 GM として Trading Deadline に必ず動いてくるので有名だ。Trade の Deadline の 7/31、 8/31 前には必ずなにかしらの Trade を行う。自分に自信が無ければできないことだ。特に Jeff Bagwell を前 GM Lou Gorman が Trade して以来下手な Trade を仕様ものなら Next Bagwell Trade また Next Babe Trade などと呼ばれることになる。それをおそれていては GM 等はつとまらないのであろう。ほとんどの Trade が結果的に Boston が得した形になっているのは彼の GM として選手を見る目があるといえる。
 駆け引きのうまさは Pedro をとってきたときの状況を考えればわかる。1997 年に Pavano を Rose を 9 月に昇格させなかった。AAA で充分すぎるほど投げていたというのが理由だったが、本当は Major で打たれて価値を下げてしまうのを避けていたからだと言われている。当時 Florida にいた K. Brown, R. Nenn などをとるという噂があり Rose、Pavano のどちらかを放出しなければいけないと言われていた。最終的には Montreal から Pedro を Pavano と T. Armas Jr. との交換でつれてきたが、Pavano の Value を落とすことなく使ったのはうまいやり方だったと思う。Rose が Pavano より出遅れたために Rose をだしとけば良かったと言う人がいるがこれは 10 年後になってみないと分からないと思う。ひとつ言えることは現時点で Pedro Martinez が AL では飛び抜けた選手であることだ。彼の才能をしっかり見抜いて Trade でつれてきて早いうちに長期契約を結んだことは Business man としてはものすごく優れた人で証明であると思う。また、Boston で Trade としても使えそうに無い選手の場合は早々に見切って日本の球団に売り込みをする傾向にある。これは今までに使ったお金を少しでも回収しようとする彼のやり方なのだろう。

 最近彼の学んだことは Closer の大事さ(Slocumb, Gordon)、Ace の重要性(Roger, Pedro)、Defense の重要性(1995 Lineup, 1999 Lineup)だろう。 Williams 監督の影響もあって目指す Baseball が明らかに違って来ているのがわかる。今までの所このやり方がうまく言っているので伝統の Hitting のみの Baseball ではなくても勝っていれば Fan は納得する。Playoff で勝てる Team づくりができるかどうかは問題だがこれは今後の課題だろう。


 もちろん彼のにも問題はある。明らかに契約したい Player とそうでない Player の待遇が違いすぎることだろう。Pedro、 Nomar、Offerman の時は断れないというよりそんなに出していいのという金額及び年数の提示をしていた。それに比べて契約したくない時には相手が考えてしまうとかうまく相手がのめないような条件をつけて交渉を決裂させた(Roger、Mo)。このような Franchise Player と呼ばれていた選手たちと契約をしないこと(Roger, Mo)はあまり好ましくない。1993 年以前と1994 年以降に Draft された選手の扱い方に差があるのもあまり良くないことだと思う。Players, Fan, Manager, Media, Minor League 関係者をすべて敵にしてどうするのだろうかと真剣に心配せざるを得ない状況に一時なっていた。

 Montreal, Seattle, Texas、Minn との Trade が多いような気がする。GM の中でもやはり仲がいい悪いはある。Houston とは昨年の P. Shourek の Incentive の支払いをめぐって訴訟を起こしているので当分の間、Houston との Trade はないと思う。Offerman の FA での契約で FA 市場の高騰を促したと他の GM を怒らすような契約をしたが、Offerman の活躍でそういうコメントも聞かなくなった。

 GM は結果がすべてとよく言われる。どれだけ Team が勝ったがすべてになってくる。 数年以内に 1918 年以来の World Champ になれば Clemens, Mo 放出もFan は大目にみてくれると思う。Boston Fan は World Series に出ることでは納得しなはずだ。The Corse of Bambino を破って是非 World Champ になれる Team をつくって 1910 年代以来の Sox Dynasty を僕たちに見せて欲しい。彼ならできるかもしれないと最近思い始めた。




4)「The Black Bambino」

By JUN

5月7日。ここボストンで Anaheim Angels との 3 連戦の第 1 試合がありました。それは僕ら Red Sox Nation がずうっと待ち続けた日でした。
長い間、選手としても人間的にも中心的存在を担ってきた Mo Vaughn が、Red Sox を離れてから初めて Fenway に戻ってきたのです。マスコミはこぞってこの事を話題に上げました。
Mo はどのように迎えられるのかと。
僕もその事はずっと心配でした。僕は最初から、Mo が登場した時は席から立ち上がって Standing Ovation で迎えるつもりでいました。Mo が Boston を離れたのは、別にチームが嫌いだったわけでも熱狂的なファンが嫌いだったわけでもないのです。あれは単なる「ビジネス」だったのですから。でも、そうは受け取らなかったファンも多かったみたいです。
僕は Mo が Booing の嵐を受けるシーンだけは見たくなかった。それだけは想像したくなかったです。

僕はその日は、いつもより早めに Fenway Park に向かいました。
が、Kenmore の駅を降りた瞬間から、いつもとは違う雰囲気を察知しました。
まだ試合が始まる 1 時間も前だというのに、球場に向かう群衆の流れはいつもとは比べ物にならないほどの数でした。そして、もう一つ驚いたことがありました。Red Sox 時代の Mo のTシャツを来ている人がたくさんいたのです。少なくともこの人達は今でも Mo を愛しているんだということがわかっただけでも、少しだけ嬉しい気持ちになりました。
とにかく、みんながいつもよりも早く球場に集まっているのは明らかでした。ここで行われる人気カード(ヤンキース戦など)でも、球場が満員になるのはせいぜい試合が始まって 1 回の表裏の攻撃が終わったころあたりです。それが、まだ 1 時間前だというのにこの人の数。そうです、僕も含めてみんな同じことを考えているのでした。1 回表の Mo の打席までには絶対に間に合うようにと。その瞬間を見るためにこのチケットを苦労して手に入れたんだと。いや、あわよくば試合開始前に Mo がグラウンドに現われる瞬間を見たい。みんなそう思ってこんなに早くから来ているのでした。

試合が始まる 30 分前の 6 時半頃には、観客で球場内はほぼ満席に埋っていました。グラウンド内を見渡すと、3 塁側では数名の Anaheim の選手がウオームアップをしています。1 塁側では Valentin, Stanley, O'leary らがストレッチをしていました。それ以外の選手は既にベンチに座っています。静かに空気が流れていました。ここにいるみんながある瞬間を待ちわびていました。
そして、ついに 6 時 44 分です、3 塁側のベンチからあの男がついに出てきました。もう何年も僕らが慣れ親しんできたあの巨漢を揺すりながらゆっくりとベンチを出ると、軽いランニングをするような感じでグラウンド内に向かっていきました。同じ背番号です。ただ、違うユニフォームを着て反対側のベンチから出てきたのです。ゴーッというような地響きのような歓声がまず上がりました。かすかなブーイングが一瞬聞こえたかと思うと、それはすぐに大きな拍手でかき消されました。Mo はそのまま 3 塁ベースを越えて 2 塁ベースの付近まで走っていきました。
そして、ここから僕にとって忘れられないシーンが始まるのです。1 塁側の Boston のベンチからいちはやく飛び出して、Mo のもとに走り寄って行ったのが男がいました。Nomar でした。2 塁ベース上で Mo と Nomar ががっちり握手を交している間に、2 人のもとへ今度は Offerman が走り寄ってきました。Boston を出て行った Mo と、Boston に入ってきた Offerman が今度はがっちり握手です。見ているこっちは感慨深いものがありました。そしてその輪に今度は O'Leary も加わります。そしてこの 4 人の談笑はだいたい 2 分くらい続きまた。その間ずっと拍手は鳴りやまぬまま。Standing Ovation の嵐です。Mo が大笑いをしながら Nomar とふざけあってる姿を見て、僕らはなにかホッとするものがありました。

もちろんわかっています。これは一種のパフォーマンスだったってことも。Mo と Red Sox の選手達は客入れ前の練習時間の時にすでに会って談笑しているのです。でもいいじゃないですか。心憎いじゃないですか。僕には Nomar をはじめとする Red Sox の選手達の心使いが痛いほど伝わってきました。きっと Nomar だって思っていたはずです、Mo が登場する時はみんなで歓迎してほしいと。誰ひとりとしてブーイングだけはしてほしくないと。そこから生まれたパフォーマンスであるのなら、僕にとってはそれだけでも十分に感動的な場面でした。

そして試合が始まり 1 回表に Anaheim の 3 番打者、Mo が登場しました。今までここ Fenway で体験したことのないような大歓声と Standing ovation でした。僕もありったけの声を張り上げ、手の感覚がなくなるほど拍手をして Mo を迎えました。ゆっくりと打席に入った Mo は 1 塁側の観客席の方に顔を向けて、そして軽く右手を上げてこたえました。この瞬間、球場内のボルテージは最高調に上がりました、もちろん割れんばかりの拍手はいっこうに鳴りやみません。早く投げたそうにしているマウンド上の Pedro もさすがに投げることが出来ないでいます。今度は Mo はゆっくりと 3 塁側の観客の方に目を向けてゆっくりと頷いてから、Pedro の方を見やりバットを構えました。この場にいることが出来て、とても誇りに思いました。

しかし、Fenway の Fan はそんなに甘くはありません。Mo は歓迎しますが、決して Mo には打たれたくはないのです。第 1 打席、Pedro が Mo を三振に打ちとった時は、それ以上の歓声が上がりました。でもなぜか妙な気分でした。今まではずっとMoのバットが空をきった瞬間は「ああ、またか〜」とため息をついていたのが、今度はみんなで大喜びです。これからは、Mo が打った瞬間も凡退した瞬間も今までとは全く逆の気持ちになるんだなあ、とその時僕は思いました。

今回の 3 連戦では Mo はケガが完治していなかったのか終始静かでした。でも、今度また Fenway に戻ってきた時はそうはいかないと思います。きっと僕らが苦い思いをする事も何度もあるでしょう。でもいいじゃないですか。今度は Mo にどデカいホームランを打たれる瞬間を目の前で見てみたいです、勝敗に関係のない場面で。


5)「選手紹介(Jeff Frye)」

By matsudy

 彼は 1966 年 8 月 31 日生まれの 32 才、 5-9(175 cm) 190lb. (85.5kg)と大きくない。 1988 年に Texas から Draft 30 位で指名を受けて入団。1992 年に Texas に昇格。1993 年 1 月 26 日にジョギング中、膝を痛めて手術、その年を棒にふった。翌年には復帰したものの 1995 年終了後には Texas からは契約の話はなく FA になった。結局、1996 年 Season 前(3/25/96)に Texas と Minor 契約。6/5 に AAA 解雇されるも翌 6/6 に Bostonと契約した。この契約の背景には 2B W. Cordero がケガしたために 2B が必要になったことと、K. Kennedy 監督が前 Texas の監督だったために Frye を良く知っていたことがあった。1997 年 Spring Camp 中には SS Garciaparra の台頭に伴う Valentin の 2B コンバートで職を失った。しかし、Williams 監督のお気に入りである彼はケガの多い Naehring のバックアップとして 3B として、またそれ以外にも LF、CF 等で先発出場する機会を与えられた。Naehring 故障後は、2B Valentin が 3B に入ったことにより 2B を守った。1998 年は 2B 1 番 を保証されていたにも関わらず、Camp が始まってすぐに膝を痛めて手術で Season を棒にふった。1998 年 Off には FA で Boston が Offerman と契約したために 2B が危うくなった。Williams 監督は Offerman の加入で Frye が 2B の職を失った訳ではないと開幕まで発言していた。Frye は1999 年は Camp で出遅れたが復帰後打ちまくって開幕 2B を手にした。しかし、開幕してからすぐに Sox 打線全体が沈黙したために Offerman を 2B を守らせるという攻撃的 Lineup で行かざるをえなくなり、またもや職を失った。

 このように彼は山あり谷ありの選手生活を送っている。1998-2000 までの3年契約をしているが今の状態では Utility IF としてしか BoSox での未来はない。彼は MLB でも 2B では 20 位以内に入れるほどの選手のはずだ。確かに Valentin, Naehring, Offerman と比べられるとつらい。彼らは MLB でも Top Class だからだ。
 彼は Super-Solid Frye と言われるほど守備はうまい。肩が強いわけではなく、守備範囲が異常に広いわけではない。しかし、安定しているのだ。Double Play は難なくこなす。彼は基本的に内野外野関係なくどこでも(3B はやらない方がいい、それほど肩は強くない)守れる。場合によっては Catcher もできる。打つ方でも問題ない。HR は打てないけれども .300 近くは打てる。Baseball をよく知っており、巧みな走塁、状況を考えた打撃をする。盗塁は 20-30 個はできる。これだけの選手が Boston では仕事がないのだ。
 Williams 監督のお気に入りなので、Nomar、Valentin、Offerman が Dayoff を必要としている時には先発出場させてくれる。本来なら Trade に出してくれと言いたいところだが、Boston でそれをやると Fenway で Booing をくらう。それが分かっているから今は辛抱しているのだと発言している。GM は Trade しようといろいろ話をしているらしいが今の所噂の段階だ。毎日先発出場するなら問題ないが今の状態だと Sadler や Lou でもできないことはない。Boston の Frye が見れなくなるのは残念だが、新天地で頑張って欲しいと思う。それが彼のためになると思う。がんばれ Frye。Batter Box では子供みたいに見えるけど、95 mph Fastball でも君なら打てる。





6)「Red Sox 関係の本(At Fenway)」

By matsudy

Title:At Fenway
Auther:Dan Shaughnessay
Publisher: Three Rivers Press
Publised: 1996
IBSN:0-609-80091-4
Price: $13


 この本はThe Curse of the Bambino の著者 Dan Shaughnessay により Fenway Park であった出来事、Fenway で活躍した選手、監督、GM、Ground Keeper、観客、新聞記者などについて書かれています。

 87 年の歴史を持つ Fenway Park がいかに Sox Fan に愛されていたのか、Fenway でどんなことがおこったのか、Red Sox Nation の聖地 Fenway Park とはどんなところなのか、いったことがなくてもいかに Fenway Park が特別なところであるかがわかります。行ったことのある人は Fenway Park のすばらしさを再認識します。