高永神無はしばらく玄関の前に立っていたようだった。 僕らは気まずさを抱えながら、そんな彼女の気配をさぐっていた。 気が強そうで惚れたらとことん行動する、って感じの子だ。 でもそういう人は冷めた時が怖い。完全に気持ちが冷めた時、相手の男をボロ布のように捨て去りそうな気がする。そして自分だけが新しい道を突き進んでいく。 単なる僕の先入観かもしれないけど、彼女を見てるとそんなふうに思えてならなかった。まだ一日、二日分しか知らないけど。 「彼女って、熱しやすくて冷めやすいタイプだったりしない?」 「わかんないよ、そんな観察したことないし」 そりゃそうだ。観察してる方が僕としては困る。 「まさか、こんなふうになるとは思わなかったな」 聞き捨てならない台詞が相沢の口から飛び出た。 「なにそれ?」 相沢はチラと僕を見て、がしがしと頭をかいた。 「彼女がまだ入ったばかりの頃、みんなと飲みに行ったことがあるんだ。彼女もまだ二十歳にはなってないけど、今どきこの年で飲んだことのない人の方が珍しいから誰も咎めないし。それはいいけど、そのとき彼女、やけに積極的に俺に杯注ぐんだよ。やたら話かけてくるし。俺も深く考えないで話に付き合ってて、帰り際に、ホテル行こうか、なんて言われたけど冗談だと思って切り返したら、あっさりと引いたもんだから、本当に冗談だと思ってた……」 たぶんそれだけじゃないだろう。彼女は相沢の気を引くために、いろいろ仕掛けてきたはずだ。相沢は気づかなかったと言うより、気づかないフリをしつづけたんじゃないかって僕は思う。 だから彼女は強行突破とばかりに、いきなり行動に移ったんじゃないか? 「どうすんの、これから」 「どうするもこうするも、ないだろ? 俺が彼女と付き合ってもいいのか?」 「いいわけないだろ」 僕には相沢のいない生活なんて考えられない。相沢が心変わりしたら僕にはどうしようもないけど、そうじゃなければ手放したくない。 気になって仕方がないので玄関の覗き穴から外を見ると、やっといなくなっていた。 友達に話して「ひどい男よね」とか言いあってる姿が、脳裏に浮かんだ。 結局、僕はバイトを、相沢は学校を、休んだ。そう言えば今日は尾崎さんが来る日だった。 食事については冷蔵庫にあるものを適当に相沢が作った。まだ完治してるわけじゃないから、本当は僕が作ってあげなきゃいけないんじゃないかと思ったけど、気持ちだけで嬉しいと言って相沢が作った。 単に僕の料理じゃ食べるのが心配だったのかも……。 朝からあんなことがあったんじゃ、ベッドにもつれこむ気にもなれないし。なんだか今日の僕たちは、ごく普通に過ごしてしまった。 と思ったら、夜になったら相沢が豹変した。 例の彼女が今日はもう来ないと思ったからかもしれない。安心してベッドの中に潜り込む。 「まだ風邪なおってないんだろ」 「一応、愛の証明しなきゃなって思ってさ」 「移すなよ」 睡眠薬つかってでも熟睡したのがよかったらしい。相沢はかなり元気だ。 相沢のキスに応えていた時、いきなり電話が鳴った。 「留守電にしてるからほっとこう」 電話にかまわず相沢が続けようとした。ピーッと発信音が鳴る。 「尾崎です。悟瑠くん、大切な話があるので明日の昼二時に今から言う場所に来てください。くれぐれも、すっぽかしたりしないように。変な話じゃないから」 僕たちはピタリと止まった。同時に電話を見る。 「堂々とかけてきたな」 相沢が深いためいきをつく。 明日はバイトが休みだ。今日、僕が行かなかったから、尾崎さんはわざわざ電話なんかよこしたんだろう。時計を見た。まだ夜の十時をまわったところ。小さな子供じゃないから、確実に起きてる時間。明日は尾崎さんと休みが重なってる日だった。 相沢を避けたかったら、明日の朝、出かけた頃合をはかって電話をよこすはずだけど、わざわざこんな時間にかけてきてる。僕は少しドキドキとして相沢の顔を見た。だからってコソコソといない時間にかけてこられても困るけど。 場所を告げた尾崎さんの声が終わった。相沢は「どうする?」と言いたげな顔で僕を見た。 「一応行ってみるよ、尾崎さんにはさんざん世話になってるし。……迷惑もかけてるし」 「……」 相沢は黙り込んで、僕の隣に横になった。する気が失せてしまったらしい。 「おまえ、なんか変なふうに考えてるだろ。僕と尾崎さんはそういうのじゃないんだよ。だいたい彼は僕が相沢を好きだってことよく知ってるし」 「俺は彼が悟瑠のことすごく好きなんじゃないかって思ってるぞ」 「……」 返す言葉が見つからなかった。 そのことは僕もよくわかってる。でも尾崎さんは僕と恋人になれなくても、よき友人として続けて行きたいって思ってくれてるかもしれないから。そう思うから僕も尾崎さんを突き放したりはできなかった。 都合のいい、僕の思い込みだろうか。 「寝るよ」 相沢が背中を向けた。僕は何と言ったらいいのかわからなかった。 翌日、大学に行く相沢を送り出してから、尾崎さんとの約束の場所へと行った。相変わらずお洒落な店を尾崎さんは選ぶ。軽い食事と言うよりも、本格的な食事をする店だ。 ようするにレストランだった。 とは言え、正装しなくていい店をやっぱり選んでくれる。約束の二時より五分ほど早く店に入ると、尾崎さはんすでに待っていた。 「やっぱり来てくれたね」 満面の笑顔で尾崎さんが言った。僕はちょっと複雑な気持ちで席に座った。 メニューを見て注文し、食事が運ばれてくる。それまでたわいのない話をしていた尾崎さんが、半分くらい食べたところで話を変えた。 「この後、一緒に行きたいところがあるんだけど、いいかな」 そらきた。この間から、なんかたくらんでるような気がしてならなかったから、やっぱりと思った。 「どこですか?」 「まだ秘密」 嫌な予感がした。モデルだったら絶対にやらないぞ。 「ごめんなさい。この後、用があって」 やんわりと断わる。尾崎さんの流れに乗るわけにはいかない。 「ふうん。どんな用?」 にこやかに尾崎さんが問いかけてきた。そこまで考えてなかった僕は返答に詰まり、しどろもどろになってしまった。適当な言い訳は口にしたものの、尾崎さんの突っ込みが鋭すぎて太刀打ちできなかった。 「一緒に行ってくれるね?」 どんな女の子でもとろけさせてしまいそうな笑顔で、尾崎さんが言った。 着いた場所は、予想通りのところだった。部屋は意外に狭い。写真を撮られてるアイドル顔の男がひとりいて、スタッフのような人が数人いて、カメラを持っている人がひとり。……この間、名刺をくれた人だった。 「尾崎さん、モデルは絶対にやらないって言いませんでした?」 「もったいないことを言うね、きみも」 真剣にとりあってくれてない。尾崎さんは本気で僕を写真の枠におさめる気だ。 「俺も初めはそうだったよ。自分はそんなガラじゃないって思ってた。でも実際やってみると結構気持ちいいんだ。ちょこっとだけど雑誌に乗ると、照れくさいような恥ずかしさもあるけどね。面白いよ、思ってたよりも」 「それは尾崎さんの場合でしょう。僕は違います」 「あ、笹上(ささかみ)さん、例の子です。お願いします」 スタッフたちに紛れていたひとりの女性に声をかけて、尾崎さんは僕をその人に引き渡した。 「とびきり綺麗にしてやって」 なにがなにやらわからないままに、僕はその笹上さんという人に別室へと連れて行かれた。 メイク室らしい。 「あの、僕まだ承知してないんですけど」 「一度だけよ。尾崎くんともそういう約束よ。あなたのことがよく話題にのぼるわ。とても気に入っているのね」 「……はあ」 複雑な気持ちだった。 一度きり、ということで僕も仕方ないと諦めた。メイクされてく顔は、なんだか僕じゃないみたいだった。ヴィジュアル系バンドみたいな派手な化粧をするわけじゃない。とてもナチュラルで、素顔を知らなければメイクしてることに気づかないような感じ。 メイクが完了すると、笹上さんの手を離れて、今度は別の女性に渡された。 どうやらスタイリストらしい。 幾つもの膨大な衣装が並んでる。これを何人かのモデルが着るらしい。結局使わずに終わる衣装もあるそうだ。全部、ブティック店からの借り物だった。 雑誌は基本的にどこの店のこんな服が幾らかってことを教える種類のものらしい。読者の対象範囲は十代から二十代までの男性すべてだそうだ。 印刷済みの見本誌をもらってパラパラとめくってみると、モデルの数が多かった。プロのモデルよりも一般のモデルを多く起用してるらしい。服だけでなく、靴や雑貨なんかも載っている。 男向けの雑誌なのに、メイクさんとスタイリストさんが女性なのが、ちょっと不思議だった。 エッチな内容がほとんどないと思ったら、「女性の読者も多いんですよ」とのことだった。 スタイリストが選んだ衣装をとりあえず着て出てくると、尾崎さんが傍に来た。 「似合うじゃないか。やっぱり見込んだ通りだったな」 「今回限りですよ」 軽く睨んだけど、尾崎さんは上機嫌なままだった。 写真なんて滅多に撮らないから、どんな顔したらいいのかわからない。友達同士でふざけて撮り合うのとはワケが違う。 「表情が硬いねェ」 カメラマンの加東匠が何度かシャッターを押てから言う。 やっぱりやめよう、とか言ってくれないかな。 「はい、もっとリラックスして。自然に、腕とかこういう感じで」 そう言われても、どうしてもぎこちなくなる。 「笑うより無表情の方がいいね。影のある美少年て感じ。絶対ウケるよ」 衣装がメインなんだから、僕はどうでもいいと思うんだけどなぁ。 だいたい、一応男向けの雑誌なんだから影のある美少年がいても意味ないんじゃないの? そりゃ女性読者が多いとは聞いたけど……。 撮影が終了した頃には、どっと疲れていた。 「おつかれさま」 尾崎さんが紙コップに入った冷たいジュースを持ってきてくれた。 「もう二度とやりませんよーこんなこと」 ぐったりとしたまま僕は言う。 「なんかやけにたくさん撮ってたけど、実際使うのは一枚とか二枚とかなんでしょ?」 「それはどうかな」 衣装は三回くらい替えた。てことは、三枚くらいは使うかもしれないな。 ……相沢に教えたらどんな顔するだろう。 嫌がるかな。 どうか小さく隅っこの目立たないところに載ってください。いっそのこと、没になってしまってください。そんなふうに願いながら、僕はみんなに挨拶して尾崎さんと一緒に出て行った。外は、すでに陽が暮れていた。 「送るよ」 「ひとりでも帰れますよ」 「こういう機会でもなきゃ、送れないだろう?」 ドキッとした。 「僕は女の子じゃないですよ」 「知ってるよ」 尾崎さんが軽く笑った。 「雑誌が発売されるのが楽しみだね」 「あんまり見たくないですよ、僕は」 そこまで言って、ふと思い出した。 「今日、火曜日ですよね?」 「そうだよ」 「なんで尾崎さん休みなんですか? 平日専属でしょう?」 普通ファミレスで働いて土・日は休めない。けど、僕らの働く店では、土・日・祝日なんかに来る学生バイトがたくさんいるから、平日組は週末に休みがとれる。 最近の尾崎さんは夜遅くまで仕事場にいるらしい。僕が先に帰っちゃうから詳しくはわからないけど、以前と比べて勤務形態に変化があったのは確かだ。 「きみが今日休みだっていうことを聞いたんだよ。それで急遽予定を組んで、俺も休みを取ったんだ。今日のことを昨日話そうと思っていたのに、きみが来ないから家の方に連絡せざるを得なくなったけどね。相沢くんに嫌な顔されただろう?」 確かに、ちょっと不機嫌だった。 こんなおかしな関係じゃなかったら、尾崎さんと相沢はもう少し仲良くなれたんだろうか。 僕がなんとなくそんなことを考えていた時、とつぜん背中から抱きしめられた。 口から心臓が飛び出すかと思うくらい驚いた。 力は強かった。 「お……尾崎、さん?」 「少しだけ。このままで」 背中に、髪に、密着する体温。しっかりと抱きしめる腕。呼吸するのさえ苦しくなるほどの緊張感。 僕は身動きがとれなかった。 振りほどくこともせず、冗談にまぎらわすことさえ出来ず、ただ固まったように動けなかった。 痛いほどに尾崎さんの気持ちが伝わって、その痛みに耐えるように僕は目をつむった。 もうこれっきり、尾崎さんに必要以上に近づいてはいけないことを、はっきりと感じていた。 |