日和山(ひよりやま)
日和山(廣楽園展望台)からの眺め
日和山とは、主に江戸時代、船乗り
達が天候を予測するのに登った山
で、鳥羽に限らず古くからの港町に
は日和山と呼ばれる山があったよう
です。(鳥羽の近くでは、磯部町的
矢にある日和山が有名です。)

鳥羽の日和山は標高69m。鳥羽駅
や鳥羽市街地から15分足らずで登
ることができます。
江戸時代、上方と江戸の間では菱垣
回船や樽回船が運行されました。
これらは帆船であるため、風向きや天
候によっては運行できない場合があ
ります。このため紀伊半島沿岸には
「風待ち港」と呼ばれる港が点在して
いました。
なかでも鳥羽は、どの方向からでも入
港できる良港として繁栄しました。
当時の繁栄をしのばせるのが、
山頂にある「方位石」です。
高さ65cmの八角形柱の御影
石に、干支で示された方角が
彫られています。
銘板によると、文政5年(18
22)に摂津・灘の樽回船組
合によって寄進されたもの
だということです。
明治中期には帆船は海運から姿を
消し、日和山はその使命を終えたか
に見えました。
しかし、鳥羽の風光明媚な景色が
一望できるとことから、公園として開
発され廣楽園と名付けられました。
昭和9年には、当時まだ珍しかった
エレベーターが設置され、鳥羽が
観光地として発展するきっかけを
作ったのでした。
残念ながらエレベーターは国鉄鳥
羽駅の火災により類焼してしまいま
した。
しかし展望広場は現在も整備され、
絵はがきの様に美しい景色が見ら
れます。
日和山は日本で最初に無線電話が実用化された
場所でもあります。無線電話は1903年、ドイツの
プルーセンが電弧式のものを発明していましたが、
日本では明治45年(1912)鉱石受信機を使った
装置が開発され、大正3年(1915)には鳥羽、答
志島、神島間での実用化に世界で初めて成功し
名古屋や四日市に入港する船の公衆用通信に
も使われたとのことです。
日本電信電話公社(NTTの前身)による記念碑
がひっそりと立っています。
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