ジンクス


                      written by ケイ・プロクシマ

 「もう・・・」 いきなり、典子がおきあがったので、社長はびっくりして、慌てた。 「どうしたんだ?典子。」 ふくれっつらのまま、腕組をしてる典子を後から抱き締めて社長は言った。 「最近、ごきげんななめだね。」 社長は典子の耳たぶをそっと舐めて、続きをうながすけれど、典子はそれを振 り払って言った。 「わたし、会社やめる」 「なんだって?」 典子は急いでバスタオルをつかむと、ベットから立ち上がった。 「会社やめるっていったのよ。」 社長は典子の左手をぐっとつかんでひきよせた。典子はふりかえり、ベットの なかの社長に抱きついて言った。 「あの人がいるかぎり、会社にいかないから、わたし・・・」 「またか」 「だから、やめるって。この関係もおしまいね。」 「わかったわかった。そいつは首にしよう。なあ・・」 社長はふたたび典子の胸の谷間を舐めながら下におりていった。典子は遠くを 見ながらにやりと笑い、そのハゲかけた頭をなでていた。  平山典子。40才。19才の娘を筆頭に3人の子持ち。6年前から現在の会 社の資料室にパートタイマーとして就職した。子育ても一段落し、出張の多い 夫との仲もうまくいってなかったので、離婚して独身に戻っていた43才の社 長の特別なおきにいりとなるのに、そう時間はかからなかった。  社長は、シャワーを終えると、バックの中から典子がリーダーを務める資料 室の名簿を取り出して、化粧する典子の鏡のなかの顔を見つめてひとりづつ名 前を読み上げた。「山田」のところで、典子はちょっと首を傾げてみせた。社 長は名簿の山田のところに赤ペンでばつをつけて、ほっとためいきをついた。 「とにかく、やめないでね。きみは資料室のリーダーなんだから。必要なんだ よ。きみが・・」 典子は、はずかしげに、うなづいた。そのはずかしげなところが、社長は好き だった。  典子は資料室のみんなの前では、率先して社長の悪口を言うことにしていた し、社長も典子には厳しい態度で接することにしていた。ふたりのことがもれ ることはなかった。適当にさぼって、毎日誰かの悪口をいい、楽しく働いてい た。山田が入社してくるまでは・・・。  山田は初夏の頃、ひょっこり入社してきた。なんでもパソコンのデータ入力 が速くできるということらしい。社長は典子に入れたほうがいいかと相談して きたが、そのときは典子は仕事が少しでも減ればと、安易に許可した。山田は 最初からまるでずっとそこにいたかのように、存在していた。仕事は一回言え ば覚え、スピードも速く、3ヵ月くらいで誰よりも量をこなすようになった。 外見も典子よりも華奢で、子供がいるようには見えないくらい若々しく、かわ いかった。しかも、山田はその辺では有名な高級住宅街に一軒家を持ち、夫は 一流会社に勤め、息子は勉強もスポーツもよくできた。山田にとってパートで 働くことは暇つぶし以外の何物でもなかった。10才年下とはいえ、典子には そのなにもかもが許せなかった。社長の愛人とはいえ、特にお手当てをいただ いてるわけでもなく、仮面を付けてる普通の奥様としての生活には、隣に住む 夫の両親や兄夫婦の目があり、自由ではなかった。長女はヤンキー、長男はぱ っとせず、次男は病気がちで、ひとりっこの山田に比べて苦労も多いと感じて しまう典子はなおさら、山田を憎んだ。山田が何かについて語るときには、典 子はわざと目をつぶるようになった。山田もそのことを知ってか知らずか自然 とお互いに無視するようになった。    四月に入って、新しい課長が入社してきた。典子の体中の血が沸騰したのは その時だった。典子と山田やその他のパートの仲間がいる前で、課長はリーダ ーの典子ではなく山田に声をかけた。 「みんなに会議室に集合するように伝えてくれ。」 と。典子はおもわず、うつむいてしまった。そして、親指のつめが手のひらに 食い込むほど、両手をかたく握り締めた。山田は、新しい課長に声をかけても らったのがうれしくて、その典子の全身から発せられる怒りに気がつかなかっ た。週に一回ほど、典子は社長とホテルで会っていた。典子はさりげなく、仕 事がしんどいとか、体の調子が悪いとか、5月病だとか甘えてみたのだが、山 田のことを直接言い出せないでいた。実は3年ほど前に、典子のお願いで社員 が首になってしまって、そのことがみんなにばれて全員いなくなってしまった ことがあったのだ。その処理に時間と費用がたくさんかかってしまって、社長 はこりていたのだ。典子も同じ手は使えないだろうと思ってもいた。それに、 そろそろこのハゲ親父とのsexにも飽きてきてた。潮時かもしれないとも。  でも、やめてやるって社長を脅してでも山田を追い出してやると決めたのは あの日だった。 「吉田さん。その資料は最後の部分にもってきてね。たいてい、その資料は その順番だから、覚えておいてね。」 と、リーダーらしく新人の吉田にそういったとたん、山田が吉田にいった。 「あ、それ、営業に聞いたほうがいいよ。会社によって場所が違うから。後で やり直すのたいへんだよ。」 山田は、典子がここ数年仕事をさぼっていて、最新の仕様を知らないことさえ 気がついていて馬鹿にしていた。それを知ったのだ。 「見てろよ、この女」 と、典子は心の中で叫んだ。  6月1日の朝、社長は総務部長を呼んで言った。 「山田さんには、今日かぎりでやめてもらいますから、伝えてください。」 「・・はい。で理由はなんと?」 「後で打ち合せするから・・・。」 社長は、かかってきた内線電話をとって、もういいからと、うなづいた。総務 部長は、げんなりした顔で、半日を過ごすことになった。毎月毎月、誰かがや めていく会社だった。もっとも、首になったのはひさしぶりだったが。でも、 退職したのを総務部長に迎えてもらったのは、こういう仕事をするためだった のだとあきらめてもいた。先月、足りないからと一人入れたばっかりだったな と名簿を見て、ため息を吐いた。なんでまた、この人なんだろうと、入社半年 の総務部長にわかるわけがなかった。平山典子は、午後から理由もなく早退し た。山田は大きな仕事を抱えて走り回っていて典子がいないことにも気付く暇 がなかった。退社の1時間前に総務の西田さんが山田に伝言してきた。 「帰る前に、総務部長が話があるから、声かけてくださいとのことです。」 と。資料室は、なんだろうのパニックに陥った。平山典子と山田の対立は周知 の事実だった。山田はその時、首だなと思った。山田にとって無能のリーダー はストレス以外の何ものでもなかったから、むしろ典子がいなくなるようにス トレートないやみをぶつけていた。 「帰る前だって?ふざけている・・・・・。」 山田は、その場で仕事を放棄し、総務部長に声をかけた。 「お話があるそうで・・・」 「ああ、会議室で待っていてください。」 総務部長は正面のイスに座ると、いきなり言った。 「今日かぎりでやめていただきだい。」 10秒ほど沈黙した後、山田は言った。 「はあ?」 「うちの会社もいろいろ仕事が減ってきてたいへんなんですよ。多く人を雇い すぎてしまって、誰かにやめてもらうことにしました。それで、社員の人に聞 いてみたら一番クレームが多かったのがあなたでしたので・・・」 長々と総務部長は語っていたが、山田は黙って、うそつけと思いながら聞いて いた。つい3日前、課長が忙しくなるからいまのうちに有休を使っておくよう にって、言ってきたんだけどな・・・と、思っていたときに、課長が入ってき た。課長は、困ったような顔をしていた。 「社員というのは、平山さんですか?」 「平山さんは、関係ないですよ。」 「じゃあ、誰ですか?」 「教えられません。あなたが自宅に電話したりすると困りますから。」 「たとえ、平山さんじゃないと否定されても、私が首になった事実で、資料室 の誰もが、平山さんだと思いますよ。」 「平山さんは、関係ないと言ってるんです。」 「残された資料室のみなさんは、これからリーダーに逆らうと首になるという 環境の中で、仕事をしていくんですか?」 「とにかく、やめてもらいますから。」 「会社が平山さんをとるんだったら、しかたありませんね。」 「だから、関係ないって言ってるでしょう。」 総務部長と山田は、黙って睨み合っていた。総務部長の顔には、あなたがそん なに強いから首になるんだと書いてあった。私は総務部長ですとも書いてある ように山田は思った。課長は、やっぱり、困った顔をしていた。 総務部長は 「私にできることは何かありませんか?」 と2回続けていったので、山田は、総務部長の目を見てはっきりといった。 「平山さんに仕事を頑張ってくださいと、伝えてください。」 総務部長は、大学ノートに、そのとおりにわざとメモをした。そして顔をあげ た。 「資料室では、いったい何があったんですか?」 「私は、何もしてません。だた、一生懸命働いていただけです。平山さんはそ れが気に入らなかっただけです。」 「何かわたしにできることは、ありませんか?」 「リーダーを変えてください。」 「わかりました。・・・・正しいことは、ちゃんと通ります。正義は通るので す。」 山田は、総務部長も長くないなと思った。この会社はそうじゃないから、みん ながやめていく。総務部長も社長には逆らわないほうがいいよと山田は思った 。それにしても、平山典子がそんなに社長と仲がいいとは、さすがの山田にも 想像できなかった。想像すると吐き気がした。シャイなふりして、なにやって んだか・・・あのばばあ。山田が考え込んでいると、総務部長と課長は席を立 って会議室から出ていった。  資料室では、山田に味方していた仲間が待っていた。退社時間を1時間も過 ぎているのに。 「首だったよ。」 と、山田が答えると座り込むもの、泣きだすもの、資料室は騒然となった。山 田は、リーダーの子分たちだけが、すでにいなくなってるのを納得した。 「山田さんがいないと、資料室はどうなるのよ。」 「ひどーい。ひどすぎるー。」 そういう仲間の声を聞きながら、山田はたんたんと荷物を片付けた。そして社 長にあいさつにいった。 「おせわになりました。」 「うん。」 社長は下をむいたままだった。それが真実を物語っているように山田は思った 。 山田は負けたのだ。 「あうっーんーん。」 社長は、愛撫もそこそこに典子の中に入ってきた。能面のように白い典子の顔 も赤く染まっている。 「あぁーしゃちょー。」  ホテルの横にとめられた白いマークUの中のカセットテープには、喘ぐ典子 の声がしっかりと録音されていた。 「お兄さんの仕事も、たいへんね。」 山田が笑って言うと、山田の実兄は答えた。 「そうでもないさ。で、おまえこれを何に使う?」 山田は、煙草をもみ消してから言った。 「平山さんのまぬけな旦那様にプレゼント。」 「おまえを敵に回すと不幸になるっていうあれさあ、あれジンクスじゃなくて ・・」 「あ、イったみたいよ。」

Copyright (C) 1997 by ケイ・プロクシマ VZC27929@biglobe.ne.jp


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