チリもつもれば
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チリから見た日本の姿


チリで紹介された日本関連の記事を追ってみました。





99年10月24日
★ 日本在住のチリ人レポート(10月14日 El Mercurio紙より)(相変わらず長文すみません)

 「チリ流に日本で生きる」

 東京。「オハヨウゴザイマス」電話の向こうで声がした。「Dagoberto Melilla'nさんはいらっしゃいますか?」少し間があって聞き慣れたアクセントが帰ってきた。「私ですが、どちらさんですか?」

 声の主は日本に暮らす400人の同胞の一人だ。Melilla'nさんは日本を楽しみ、そして苦労をしてもう10年になる。挨拶からはじまり、尽きることのない会話、家に招待されて写真を見せてもらい、そのうえ泊まっていけとまで言われた。

 彼も同じく多くのチリ人は日本語を全く話せないで来た。安定した職業もなく頼れる友人もなく、である。それでもたくましく生きている。


− がむしゃらに働く −
 Melilla'nさんは31年前海兵として日本に来た。「幸い体は無事だったし、中にあったものは運び出せた」、レストランは今は新築のビルの5階にある。上階には子供と奥さんのみずきさんが住んでいる。みずきさんは結婚後はMicaelaと名乗っている。

 結婚後、彼はパン作りから大阪のクラブで歌を唄うことまでやった。貯金をしてレストラン"Gran Micaela y Dago"をオープン。今もここで唄っている。神戸からチリの市役所・区役所と連絡を取り消防車、救急車、衣服の購入のための寄付を続けている。

 Melilla'nさんは日本語を話す。「でも書くのは全然ダメ。だってスペイン語なら27文字なのに日本語は10,000語もあるんだもん。」

 1983年チリの不況から逃げるようにしてJorge Moralesさんは姉が住む日本に着いた。「着いたときは本当にびっくりした。人々が何を言っているのか全くわからなかったし、書いてあることも全然読めなかった。最初の夜は泣いていて眠れなかった。」

 義兄の本を借りて日本の勉強を始めた。その後学校に通った。いまでは日本語で夢を見るまでになった。

 東京の宝石店で働いている。6時には退社、Shiba県(笑:原文のまま)にある自宅まで1時間強。「日本人みたいに帰りに一杯ひっかけていかないし、パチンコ(スロットマシーンの一種)もしないので帰りはそれよりは遅くはならないよ。」

 この国は好きだが、日本人が家族より仕事を優先する傾向があるのを批判。このことが、今の若い世代の育ち方に影響している。「テレビで見たのですが、15,6才の女の子が50や60才の男とデートして、ブランドものの財布を買ってもらっているんです。」

 Melilla'nさんはあと2,3年でチリに帰ろうと思っている。「お迎えが来るときには自分の生きていたところがいいから。」 Molaresさんはまだ決めていない。一人娘と妻にはスペイン語を教えたこともない。同時に彼自身スペイン語を忘れ始めている。


− 愛に苦しむ −
 Moralesさん同様、Ine's Arayaさんもスペイン語を忘れかけている。彼女は17年前に日本人と結婚した。「もっと上を目指すためにチリを出ました。最初香港にいるおばを訪ねました。彼女はVin~a del Marで知り合った歌手と結婚したんです。バレリーナの友達がそこでできて、彼女と一緒に日本に来ました。ここで今の主人と知り合いました。赤ちゃんができてしまったので香港に戻ったのですが主人が探しに来てくれて、それで結婚しました。」

 苦労と孤独感の結婚生活。「日本人の夫は家に帰っても話をしたがりません。疲れているから、と。望むのはおふろ、とふとんくらい。」

 娘をふたりもうけた。今17才と16才になる。Ine'sさんは娘を育てるのに従事した。現在はスペイン語を教えている。今、離婚してチリに帰りたいと思っている、でも手元になにもないのではいやだ。「主人がブティックでも開けるくらいのお金をくれるといいのですが」

 自分の経験が特殊だとは思っていない。「同じような問題を抱えているラテンアメリカの女性を何人か知っています。亭主は話をしないし、いつもいないし、冷たいです。」

 Ema Alvarezさんも11年ほど前に日本人男性と結婚した。彼がチリへ来たときに知り合った。日本に着いたとき、彼の家族が結婚のことについて何も聞いていないことを知った。「家族とは折り合いがよくありませんでした。特に結婚して何年も経つのに孫の顔も見せられない、ということで。」2月に離婚が成立、今は東京の小さなアパートに住んでいる。受付として働き、英語とスペイン語を教える。熱帯地方の踊りを教え、それに日本人・ラテンアメリカ人の友達グループもいる。彼らとはチリのフォルクローレを一緒に練習している。

 精力的に活動することで結婚でのつまづきをカバーしている。元の夫とは今でも仲の良い友人であり、日本に住むのが良いという。「チリを愛していますが、あそこではチャンスはない。高校もまともに卒業していないし、学校では田舎者だといじめられましたから。チリでは低く見られていました。でもここではみんな私のことを尊敬してくれる。」


− 二重にチリ人 −
 Eduardo FerradaさんとElizabeth Basaureさんは東京の中心から自宅までゆうに一時間以上かかる。中心から遠くにする代わりに広い家に住もうと決めた。土地を有効利用するために家は3階建てだ。

 Ferradaさんはチリ大学で工学を勉強したが修了しなかった。日本に移住して電話会社で通訳として働くことを望んだ。最近独立して家をオフィスとして使っている。2階ではElizabethさんが日本人に英語とスペイン語を教えている。休日の楽しみはスケート。「(スケートは)子供の頃からの夢だったんです。チリではできませんから。」いかにもValparaiso出身らしい説明だ。

 一緒に日本に来たわけではない。Ferradaさんはチリ人の妻と来て、Elizabethさんには日本人の夫がいた。Ferradaさんの妻は8年間の島国での生活に疲れて2人の息子と一緒にチリに帰ってしまった。Elizabethさんの夫はコロンビアにエメラルドの会社を設立、家よりあっちにいることの方が長かった。Colo Coloの大ファンであるFerradaさんが作ったスポーツクラブに息子のShinji君と通うようになり、少年サッカー大会、バーベキュー、「ラパ・ヌイ」というチリファンクラブ(今はない)を通じ友達になり、恋をした。

 Ferredaさんと一緒に住むために6年前、Elizabethさんは離婚した。「私たちがうまくいっているのひとつの理由は、同じ国に生まれてお互いをよく知っているからでしょうか」と彼は言う。

 もちろんふたりに違いはある。Elizabethさんは日本がとても心地よい。日本の大学に入学するために日本語の勉強をしている。「息子は日本人ですから。彼に近いところにいてやりたいので勉強をしている、という理由もあります。」チリへ帰りたいという焦りはない。

 一方Ferredaさんはチリへ帰るのが良いと思っている。「チリという国に対して何もしてあげていない。ここでうまくやれたのだから、今度はチリでの何とかなると思っています。」もちろんチリでは日本のような収入は期待できないので、貯金してチリで商売を始めたいと考えている。「暮らしの質はチリが上ですね。ここは狭い土地に人と車が多すぎて。」駅までのみちすがらそう言った。車内の画面はカーナビ。

 駅のそばに車をつけ、近くのレストランに行く。不思議な文字の看板の下、蒸し暑い道を聞き慣れない言葉を交わす何百もの日本人が足早に家路を急ぐ。


 (以上記事終わり)







99年9月14日
★ チリ国立バレエ団在籍「Nakao Kana」さん

 El Mercurio紙 99年8月8日号掲載の記事を翻訳(長文御免)。

 〜 Kanaのダンス 〜

 チリ国立バレエ団所属のバレリーナ、Nakao Kanaさん31才は、見た目は15才のようだ。バレエのために幼くして生まれ故郷の京都を離れる。ウィーン・ハンガリーに在住、その後世界中を回る。チリに腰を落ち着けてはや10年。

 Nakao Kanaさんは3才の時から自分はバレリーナになると決めていた。

 「3才の時両親が、京都で上演されたボリジョイバレエの「ロミオとジュリエット」を観に連れて行ってくれました。それで家に帰るや −私は全然覚えていないんですけど− 見たばかりの踊りをまねて、"私はバレリーナになる"って父に宣言したんです。それ以来その決意は変わりませんでした。」

 − 8才でバレエを始めたんですね。日本ではそんなに幼いときからバレエを始めるのは普通なのですか?

 「最近は少し違っていますが、80年代のはじめ、私がオーストリアに留学した頃は、日本ではバレエは趣味程度のもの程度と考えられていました。日本舞踊や生け花と同じように若いうちに知っておくのはいいこと、というような。私の国では女性が色々(なたしなみを)知っていることは大事なことです。ちょうど花嫁道具のひとつのようなものとして。でも、私にとっては違っていました。3才にしてもうバレエに惚れ込んでしまっちゃいました。」

 − でも、日本でバレエの勉強は続けることはできなかったのですか?

 「そのころはプロの養成学校がまだありませんでした。それにプロのバレリーナになっても日本じゃ収入がありません。それどころか踊るために月謝を払わなければならないんです。日本舞踊や歌舞伎の踊りのための会社組織はありますが、バレエとなるとほんのわずかです。そのせいで世界中に日本人のバレリーナがいることになります。」

 − 男性のバレエダンサーは日本にもいるのですか?

 「少ないです。日本ではまだバレエは新しいものですからあまり認識されなくて、バレエダンサーはホモ(管理人注:「え゛!?」)だとまで誤解されます。」

 − まだ13才だったのに、色々生活習慣の違う国に行くことは大変じゃなかったですか?

 「一人で留学したので本当に大変でした。でも同時に幸せでもありました。京都で知り合ったバレエの先生の推薦でウィーンのバレエ学校に入学しました。先生が私を呼んでくれて、オーディションにうかったんです。その学校で初めての外国人入学者でした。これでプロのバレリーナになれるかも知れないと思うと本当に嬉しかったです。その一方で大変だったのは、両親が私に日本人学校で教育課程を修了して欲しかったので、その学校にも通わなければ行けなかったことです。バレエと学校通いで睡眠時間は3、4時間でした。」

 − さみしくなかった?

 「時々。覚えているのがお昼ご飯の時。日本人学校では生徒はみんなお母さんの作ったお弁当を持ってきているのですが、私にはお母さんがいなかったのでひとりリンゴをかじっていたことです。とても悲しかったです。」

 − 「私はここで一体なにをするのだろう」って考えたことはなかったですか?

 「いいえ、自分に”こういうものなんだ”と言い聞かせて。バレエの勉強だけが唯一大事でしたから。」

 オーストリアで2年勉強した後、Kanaさんはハンガリーに移った。

 「オーストリアで資格を取った時私の先生は、バレエ団で踊るにはまだ若すぎると言うことで、もっとレベルの高いハンガリーでバレエの勉強を続けるように言いました。ハンガリーには6年いました。新しい資格を取り3年働きました。ハンガリーの(舞台)監督さんは私の第二の父です。サンチアゴ市劇団が彼を芸術監督として招聘した時、監督は私も一緒に行くように言いました。彼は2年でハンガリーに戻りましたが私はチリに残りました。それで国立バレエに行きました。」

 3年前Kanaさんはロシア人のVladimir Guelbetさんと結婚。Guelbetさんは元ボリジョイのバレエダンサーで現在チリ大学の芸術家の教授をしている。二人はサンチアゴ市内のアパートで二人暮らし。

 − 踊りに行ってみたい場所はありますか?

 「これまでにたくさんの国で踊りました。ヨーロッパは全部の国、南米はほとんどです。日本へももう何回も行きました。」

 − 日本を離れて随分になりますが、そのせいで日本の習慣などをなくしたりしましたか?

 「何も失っていないと思います。今日本に住んでいるどんな若い子よりももっと私は日本人らしいと思います。なぜ自分が毎年夏になると京都の両親に会いに行くのかわかっています。」

 − (日本の)女性は変わりましたか?

 「はい。日本の女の子はまるでアメリカ人みたいです。アメリカのコピーをしています。若い子は日焼けサロンに通い、髪を染めています。昔は白い肌に黒い髪でとてもナチュラルだったのに。」
 「例えば道で恋人同志いちゃいちゃしたり、手をつないだり、公衆の面前でキスなんて以前では考えられませんでした。昔は女性は男性の2,3歩後ろを歩いていましたが今は手をつないですごく近づいて話をして。ディスコもたくさんあるし。昔は”勉強、勉強!”だったのに。」

 − ご両親はどのようにあなたを(外国に)行かせたのですか?

 私の家族は他の家族といつも違っていました。いつも父と母にはキスしていましたし、10才まで父とお風呂に入っていました。3人一緒にベッドで寝ていました。他の日本人ではちょっとないことです。父とキスするなんて日本では考えられないことです。ちょっと変なんじゃないかとまで言われます。でも私の家族は違っていました。ですから私の好きなようにさせてくれましたし、私には何も強制しませんでした。」

 − 日本では長男が家に残って両親の面倒をみる習慣がありますが、あなたの場合は弟さんはひとりいるだけの時に家をでましたよね?

 「いつも最初に生まれた男の子が両親の面倒をみます。」

 − あなたの弟さんは日本を出たいと思ったり、我が道と行くと思ったりしなかったのですか?

 「私の弟は両親を置いていくことなんて考えたこともないです。彼にとっては家にいて両親の面倒をみることはごく当たり前のことなので問題はありません。」

 − あなたの経歴からいきますと、チリよりもよっぽど有名な色々なバレエ団から誘いもありそうですが、なぜここにとどまっているのですか?

 「私の夫はチリを愛しています。私にとっては夫が好きなことをするのが幸せなんです。自分のことより夫を第一に考えています。」

 − でもあなたにはあなたのこの国についての意見がおありかと。

 「チリを愛しているとは言えないです。それはないです。とりわけ仕事の上で色々と難しいことがありましたから。」

 − 難しいこととはどういうことですか?

 「舞踊はこの国ではあまりよく知られていません。観衆はひとつの演目をみてそれでおしまいです。ヨーロッパではひとつの演目が少なくとも30回上演されますし、人々はアーチスト一人一人を追いますので何度も見に行きます。ある時は一人のバレリーナ、その次はまた別のバレリーナという風に、バレエに大して深い見方があります。それに比べこちらでは演目が終わるとカーテンが閉まってしまってしまい、私たちがカーテンコールをしようとするもの待っていません。これは私のレベルではひどいことです。」

 − 確かにチリ人はあまりそういうことをしませんね・・・。

 「チリでは踊りに対する批評もありません。ひとつふたつあっておしまい。全部の演目にまで批評が及びません。普通どの劇団も2,3の演目を持っていて、どの国でもそのすべてに比較やなにかの批評がなされます。なのにここでは初演が見られて、はい、それまで。あとはすべて忘れられています。これは私にとって大変悲しく、痛ましいです。」

 − ロシア人であるあなたの夫は、チリのどういったところが好きですか?

 私の夫はチリのすべてが好きです。チリ人が好き、国が、気候・山々・その自由が好きです。チリに帰化したくらいですから。ロシア人として彼は卑下されていましてそれはひどいものでした。今はチリ人となってそういうこともなくなり大変幸せです。

 − お二人は他の国に行こうと考えたことはないですか?

 「いいえ、舞台の上にいられる間は幸せですので。でも例えば舞台監督さんともめたり何かあったときは他の国に行くか他の劇団に行くことを考えなければならないでしょうね。」

 − 本当に旦那さんを置いていきますか?

 「はい、本当に愛していてその人を信頼していれば何も問題はないのではありませんか。彼が私に賛成なら同じように考えるのも当然ではないでしょうか。」

 Nakao Kanaさんは京都に式を挙げに行った。

 「伝統的な結婚式が好きだったのと、彼がそれを是非体験してみたいと言ったので。 それに私はたった一人の娘ですから両親が下人も日本で式を挙げてくれと。」

 − 式はどこで?

 「挙式は神社で行いました。日本ではお祝い事、たとえば結婚式や子供の出生祝いは神社で行うんです。お寺では葬式などの弔事を行います。」

 − 仏様にはお気の毒です・・・。

 「仏教では死後の世界が存在します。 魂が仏の国で生き続けるのです。そのためにそういうことになると思います。」

 − 日本の結婚式ではダンスはないのですか?

 「ないです。新婦は話しませんし。新郎だけが話します。」

 − なぜですか?

 「結婚すると家長は夫ですので。その人に嫁ぐと、夫がすべての面倒を見るんです。」

 − 披露宴でも話さないのですか?

 「いいえ話しません。ええっと、本当に少しです。出席者がお祝いを述べに来たときとか。ここのように新郎新婦が招待客のテーブルを回ったりしません。日本では新郎新婦は正面に着席し、何か話したいときはお客さんの方が近づいていかなければいけないんです。ひとことふたこと、で終わりです。」
 「席順もこことは逆です。家族は新郎新婦から一番遠くに座ります。新郎の上司や仕事関係者が近くに座ります。」

 − お祝いの品などはどうなっていますか?

 「結婚は本当に高いものですから式の費用を少し出してもらうと言うことでお金をいただきます。」

 − 「新婦の着物」はオーダーメイドですか、それとも店で買いましたか?

 「私はオーダーメイドで作りました。でも貸衣装もあります。とても高いのでここのようにほとんどの人が貸衣装で済ませます。」
 − 高いって、いったいどれくらいなのですか

 「その価格でサンチアゴ市内にマンションが買える値段です。着物は絹製で全部手縫いですから。」

 − もっと安上がりな結婚はありませんか?

 「多くの人同様、弟はハワイで挙式しました。これだと日本で結婚式をあげるより安く済みます。彼は大企業に勤めていまして、会社関係の人を多く呼ぶのが日本のしきたりなんです。遠方から来る人を招待すると飛行機代やホテル代を払わねばならず大変です。その点、ハワイなら家族と本当に親しい友達だけが出席しますから。それにカップルはそのままそこで新婚旅行になりますし。」

 − 日本では職業意識が高いせいか晩婚だったり、子供を作らない夫婦が多いそうですが、あなにもお子さんがいらっしゃいませんよね。何か理由はありますか?

 「私の両親が私に与えてくれたようには私はできないので子供は欲しくありません。いない方がいいです。バレリーナをしていると子供達に与えることはできないと思います。これは経済的なことだけではなく、愛情もです。今のこの職業は何よりも大事だからです。こんなに旅ばかりしていて自分の子供に何を与えてやれるでしょうか?何も、です。」

 − 日本の働く女性は皆あなたと同じような考え方ですか?

 「働く女性はまだ少ないです。大学に行き専門知識もあるのですが結婚して子育てだけ、と人が多いです。そのために教育を受けるのです。なぜって? それは子供を教育するためです。子供への教育の責任感は、それが失敗した時は母親の自殺にまで及びます。」

 − 教育の失敗とはどのようなことを指しますか?

 「例えば息子がマリファナを吸うとか。これは最悪です、母親が自分のせいだと思うから自殺までしてしまいます。」

 − それは父親のせいでもありませんか?

 「いいえ、父親は外で働き家に稼ぎを持ってきます。父権は日本の家族では大きいです。でも子供の教育は母親の仕事です。」

 − どうして若い人の自殺が多いのですか?

 「多分に仏教のせいでしょうか。死語に別の生があると言われていますから。輪廻転生、です。何か悪いことがあると平和を望み、自ら命を絶つ。失敗を恥じる気持ちはとても強いです。周りが言うからではなく、本人が自分自身に対して、です。日本人は自分の失敗に寛容ではないです。」

(以上記事終わり)







97年6月22日付け当地新聞El Mercurio(える・めるくりお)紙の日曜版旅のコーナーに掲載されたこんな話題。

在日チリ人(32才、匿名さん)が投稿したチリ人気質をじわじわと崩壊してゆく日本の習慣あれこれ。
題して「こんなふうになったらあなたはもう日本に馴染みすぎ」(笑)。

  • バスを待つとき座り込む。

  • 握手と同時にやってしまう、お辞儀のポーズがキマってきた。

  • 写真を撮るときVサインが欠かせない。

  • 「いいえ」を言うとき手を鼻の前でひらひらと振ってしまう。

  • 人にやたらに血液型を聞くようになる。

  • 地下鉄のホームにいると、傘でゴルフのスイングの練習をやる。

  • 「外人」のパーティーでの「かんぱあーい!(乾杯のこと)」が待ち遠しい。

  • 9月18日のことは忘れても、七夕の飾り付けは忘れない。
      (「チリつも」注釈:9月18日はチリの独立記念日。チリ人にとって最も大事な日のうちの一つ。)

  • ちょっとした買い物でも4重に包装してくれるのは別に変じゃない。

  • 旅行の準備をしているときは知らず知らずのうちにお土産の予算とカバンのお土産のスペースを計算している。

  • 商店街に流れるクリスマスソングは昔ほどノスタルジーを感じさせない。

  • クリスマスイブには、やっぱりクリスマスケーキだ。

  • 12月の日曜日は全部忘年会開けの二日酔いのためにとってある。

  • 人混みの中は手を前に出し、お辞儀を繰り返しながら通っていく。

  • チリに一時帰国して、タクシーのドアが勝手に開くのを辛抱強く待っている自分。

  • 電話で話をしているときにお辞儀をしている事がある。

  • ATM機にもお辞儀をしちゃった。

  • 「日本語が上手ですね」と言われると何となくバカにされていると感じる。

  • 周りが自分の日本語をほめてくれなくなり、代わりに「その鼻と目、どこで整形したの」と聞かれるようになる。

  • 会話の中で最低3回は謝っている。

  • 電話番号をスペイン語で言うときは、間を置いて訳さなくてはいけない。

  • スペイン語や英語を話しているときでもお金の単位は円だ。

  • 親と電話をしていると「なんでお前はわしの話をうなり声で邪魔するんだ?」と言われる。 (「チリつも」注釈:うなり声とは「うん、うん、」のこと。)

  • 手紙や電話で「うちの日本は…」みたいな言い方になってしまっている。

  • 地下鉄で外国人を見かけて「あ、外人だ」と思ってしまう。

  • 日本人のグループの中で自分はそうでないのに、他の外国人が入ってくると「和」が乱れるような気がする。

  • 缶コーヒーは結構うまいと感じる今日このごろです。

  • 抹茶アイスの味がわかるようになった。

  • 朝御飯の定番は焼き魚で、ない時はインスタントラーメンだ。

  • テレビで一番面白いのはCMだ。

  • 大学から家に帰るときは、「結びの一番」を見逃さないよういつもダッシュだ。

  • 「セーラー服」ってHっぽい気がする。

  • 一晩を共にした女が翌朝、自分の家をきれいに掃除してくれていたことはもう驚かない。 たとえもう会うことのないとしても。

  • 車の備え付けるために買うもので優先順位が一番高いのはテレビセットだ。

  • スーパーで、1個ずつパックされたジャガイモを買う。

  • 1個5ドルもするリンゴを買うのに躊躇しない。

  • 面白そうな雑誌を片っ端から読んで、そしてまた元の位置に戻すためだけに本屋に行く。

  • 「大きな家」の概念は、あと10平米だけ今より大きくなることだ。

  • 重要な日は全て昭和の年号で思い出す。

  • 成田空港で「Japanese Only」の方の列に並ぶことはCoolだと思う。

  • 箸で料理を食べることは別にもうものすごい事ではない、と悟った。

  • 「何でこんなに長いこと日本にいるのだろう」と考えてもうずいぶんになる。

  • 周りの全てのことがノーマルだ。

    …結構笑えました。



    97年6月18日づけ英字インターネット新聞 Chip Newsより。取り急ぎ原文のまま抜粋します。

    JAPANESE BUSINESSMEN UNINFORMEDABOUT CHILE

     Chile and Japan's celebration of 100 years of formal diplomaticrelations last month might have been a good time for Japanesebusiness people to brush up Latin American current events and geography.

     A recently released survey by Japanese consulting company Asahi Agency found that Japanese business people have a rather distorted view of Chile.

     Among those surveyed, 41 percent said Chile is governed by a totalitarian regime headed by the military or a communist party. Only 26.5 percent of those consulted considered Chile a democratic state.

     Less than 17 percent of the 83 Japanese business people consulted associated Chile with Latin America. In contrast, 68.7 percent located Brazil in the region and 44.6 percent associated Argentina with South America.

     The agency also found that 70.1 percent of respondents believed Chile has a very low standard of living, while 12 percent indicated that Chile has a high standard of living and 16.9 percent expressed ignorance about the subject.

     Akira Nagashima, president of the Asahi Agency, is presently in Santiago under the auspices of the Credit and Investments Bank (BCI). Nagashima said that in Japan there is less information about Chile compared to other nations because trade relations are not as tight.

    日本におけるチリ認知の道は険しい…。



    ペルー人質解放事件と「チリもつもれば」
    (4月28日に新着情報において置いたのものです。5月19日移動。)

    公邸強行突入に関して(4月23日)

     ペルーでの公邸占拠事件は、隣国ということもあって、チリでも関心を持って見守られていた。 新聞でも毎日の様に状況が伝えられ続けていた。ひとごとのようには考えられられなかったこの事件。 で、その日の「チリつも」夫の一日。

     チリとペルーの時差は、今1時間チリが進んでいる。 16時40分頃、現地従業員から「リマ、突入だって!」と知らされる。彼はたまたま(だと思いたい…) ラジオを聴いていて、この速報をキャッチ。早速会議室のテレビへと急ぐ。

    もうもうとたちこめる白煙。(あとは皆さんも目にした光景ですが、これを私は1時間ほどライブで見たわけです)。 どうやらこれでとりあえず解決したらしい。(この時点ではまだ詳細は何らわからない)

     たまたまリマへ出張中の従業員(チリ人)から電話がある。町は車のクラクションと歓声で大騒ぎらしい。 なんてリアルタイムな情報。

     詳細は、家に帰ってその日のテレビの夜のニュースでフォロー。でもスペイン語でなんかわかりにくい。 インターネットに切り替えて、日本の新聞各紙のホームページを巡回。

     夜、他の日本企業の方から電話を頂く。なんと日本人会の「緊急連絡網」らしい。 そんなものがあるなんて全然知らなかった…。「緊急連絡網」なんて私には中学校以来の単語だ。 用件はもちろんペルーの件だが、チリでも何か起きるかも知れないとの危惧から、大使館より緊急通達・ 注意喚起があり、それが「緊急連絡網」にのって我が家まで届いたのだった。

     というのも、公邸占拠の時、次のような事があったからだ。





     明けて23日。

     朝からインターネットと、チリの新聞で事件の詳細を入手。もちろん、チリの新聞はどこも一面トップ扱い。 うちの会社は責任者がペルー人、そして私が日本人ということで、 チリの一般人とはちょっと違う感情でこの事件を見ている人間がオフィスに2人いることになる。 いきおいこの話にも熱が入る。

     昼、リマ出張から戻ってきた従業員がペルーの今朝の朝刊を持って帰ってきてくれた。 もちろん、8段抜き大見出しの記事。持って帰ってきたのは「El Comercio (える・こめるしお)」。青木大使が「金輪際絶対読まない」 と激怒したEspreso(えすぷれそ)」ではありませんでした。

    12ページのカラー特集版を挟み込む、気合いの入った新聞だった。

     午後あった日本人同士の会合でもこの話題が真っ先にのぼる。「中南米畑(ばた)」といって、 一度中南米担当になると長く、日本から繰り返し出張に来たり、 中南米の複数国に駐在したことがある人がいる企業が多いので、 「知っている人が人質になっている」と言う話はここチリでも数多く聞いた。

     「早速昨晩ね、うちから一人リマへ送りましたよ。事後業務がありますからね」 と結構な数の人がチリからリマへ飛んでいったようだ。何せお隣、サンチャゴからリマは飛行機で3時間半。

     とにもかくにも、決着して一安心、というのが正直な感想です。

     (以上、4月23日(現地時間)の速報でした)



    ちょっと遅いけれど「たまごっち」チリでも紹介。(2月1日書き込み)
    このコーナーが人様の目に触れる頃はもう、ちまたは「たまごっち2」の噂でもちきりだろうけど、 せっかくだから紹介しておきます。チリの日経新聞こと”Estrategia”「えすとらてひあ」 の1月30日に載っていたのですが、その意訳を。それに「チリつも」からのコメントを添えておきます。

    「バーチャルペット」を育てる 〜 日本発

     「Tamagotch」なるものが電子ゲーム大国で大流行。これは小さな画面の中でペットが飼主の愛情次第で 1週間ほど生き続けるゲームだ。

     (「Tamagocchi」でなく「Tamagotch」。ちょっと発音がおしゃれかもしれない。)


     新聞・雑誌・テレビがこの「Tamagotch」現象をこぞって取り上げている。この「Tamagotch」、 プラスチックの「Tamago」(=日本語で卵の意)の形をしており、開けると中に液晶とコマンドボタンが付いている。 ちょうど片手に収まるアボガドぐらいの大きさだ。

     製造元のバンダイは去年11月末の発売開始以来生産が追いつかない状態だ。ホットケーキのように 全国各地で売れている。値段は1980円(17ドル)で、「Tamagotch」は12月末までに35万個を売り切り、 バンダイはこの「金の卵」の生産量を大幅に見直しし、3月末までに「Tamagotch」を300万個生産する予定だ。

     (300万個ですか。これってたま2も含んだ数字なんでしょうが、「ホットケーキ」 の売れ行きなんてもんじゃないですよ。なんたって無いんだから。売れ行きよりも、 今ちまたに全然なくて日本中大騒ぎになってることをちゃんと伝えるべきですよね。)


     初めて画面にこのバーチャルペットが現れるときは卵である。ふ化すると死ぬまで様々に変化する。 飼主はえさをやり、ふんの始末をし、一緒に遊んであげなければいけない。また悪さをしたら叱ったりも。 甘やかしすぎると急激に太り、肥満や病気で死んでしまう。「Tamagotch」は5日で大人になり、 7〜10日で死ぬ。時にはもっと生き続けるが、それは育て方やしつけや愛情による。

     (7才で「アダルトっち」になると言われているのでこれは調査不足。ぺけですね。 それにやっぱり「おやじっち」「うどっち」「へびっち」に変身することにつきもっと説明を加えて欲しかった。 ああいう「キワもの」キャラクターがいい味だしてるんだから、ね。)


     おなかがすいていたり眠たいと「Tamagotch」が繰り返しピーピーと鳴らして知らせる。 「Tamagotch」はどこにでも持っていける。多くの持ち主にはこれはもうただのおもちゃではなくなっている。 飼主の多くは若い女の子である。

     ( 総評:全体的には正しいことを伝えていると思います。さすが経済紙。でも…遅い! 1月も末になってこの記事じゃ遅い。字数制限もあるからしょうがないでしょうが、もうちょっと 詳しい説明を付けて欲しかった(たぶんバンダイの広報部からもらった情報をスペイン語に直しただけなんじゃないかな。)


     この記事を見たうちの会社の従業員が「これ欲しい」と騒いでいました(35才・男)。 日本でどんな風になっているか説明してあげたら「うー」と言ったきり黙ってしましました。 ブームが去った頃チリにごっそりもってきて、スペイン語の説明書作って入れて大儲けしようかな。 もうご存じの人も多いでしょうが、超有名な「たまごっち」のHPは こちらをクリック。 おかげで日本の流行から取り残されずにすんでいます。インターネットに感謝 (我々はたまごっちもっていません)。


    「モアイ像日本でブーム」の紹介記事(96年11月09日書き込み)
    チリといえばイースター島、イースター島といえばモアイ像。ということで11月7日づけの当地新聞 (全国紙)「える・めるくりお」に、子供用別冊タブロイド版が挿入されていました。 「近頃の日本の様子」のイラストがトップページを飾りました。うーん、実物を紹介できないのが残念なほどB級ネタです (ごめん、スキャナーもってないもんで)。以下その説明。

    * 説明文 「今日本ではイースター島のモアイ像、といってもおもちゃだけど、がはやってるんだ。 道端で売られていて、みんなそれを買っていくんだ。 日本ではモアイ像は熊や他の動物のぬいぐるみにとってかわる人気ぶりなんだ。 日本の子供たちは、イースター島の先祖がなんであんなでっかい像を建てたのかまだよくわかっていないという、 そんなミステリアスなところがお気に入りらしいよ。」

    * イラスト : 人通りの多い所にでたモアイ像の露店、茶髪、 鼻ピアスに黒の革ジャンの若者がそれを冷やかしている。 売っているのは小太りのサラリーマン風おやじ。 アシスタントは着物にかんざしのおねーちゃん。 売られているモアイ像は、灰色の5、60センチはあろうかという 結構精巧ななミニチュア。その横でモアイを一緒に冷やかしている小学生ぐらいの男女。 なぜか犬と猫も同席。後ろ遠くでは、意味も無く相撲取りがその 太った裸体を誇示、そしてやはり意味も無くフラフープ をもった若者。登場人物全てが目が細くつりあがっており、出っ歯で愛想笑いをしている。

    とほほすぎる。







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