ECO OF TOMO SUENAGA
日常生活からの疑問から
●車
●預金 5/6
●買いものno data
●ごみno data
●馬no data
●インドno data






日常で思うのは歩いていると車が恐いということ。 毎日通る家から駅までの道がとても危ない。 タクシーにうしろからかすられたことがある。 私は右側を歩いていた。前に駐車車両があったのでそれをよけて歩いていた。 後ろからタクシーが来て私のすぐ横をスピードを落さず通り抜けていった。 すぐ先の信号は赤であった。大井交通という会社の紺色のタクシーだ。 運転していた奴は顔が赤らんだ太った奴だった。 私も車を運転するのだが、運転すると確かに車は避けるが人は軽視する傾向がたまに出る。 車の性能は年々上がっている。買ったことがないのでわからないが、 ちょっと昔は馬力が重視されていた。1600cc で 180Psなんていうと「おおすごい!」 といった感じだったと記憶している。 今も同じように走る性能だけを追求して少しずつパワーが上がっているとしたら 歩いているものとしてはとても恐い。 RVを差別するわけではないがあれは別免許にして欲しい。 あの大型トラックを若い主婦が不安そうに運転しているのをみると世紀末を感じてしまう。 私の住んでいる朝霞は田舎街なので駅までの送り迎えが盛んである。 そもそも送り迎えが盛んという街は田舎である。 田舎に住むのがそもそもの問題なのかもしれないが、私のいう田舎とは 地方という意味ではない。人の権利を侵害し、自分の権利を放棄している人々が 多く住んでいる地域のことをいうのである。 良い意味のプライドが欠如した地域のことである。 人の権利を侵害する人はその分主張も弱い。自分もやることやっているから、 他人にとやかくいうことはできないという理由なのだろう。 あと朝霞駅前の狭い道は一方通行にしてその分大きく舗道をつくっていただきたい。 個人的にはRV車が撲滅されるとなお嬉しい。大型免許取得要でもいいか。 あと後ろのガラスを黒く塗ったライトバンも撲滅してほしい。






意味のない貯金をしない。 短期的目標のための貯金はよいが、無意味なだらだらとした貯金はやめたい。 郵便貯金、普通預金、国民年金、等等、最終的には無意味な不可解な投資に (相談もなしに勝手に)融資されているのだから、預金は必要最小限にしたほうがいい。 こういう莫大な金は自然の破壊以外には使い道がないように思われる。 海外への投資は直接的に自然を破壊するし、リサイクルが進まないのは 原料のアルミとか紙の資源の値段が下がったせいである。 資源の値段が下がるのは、資源の採れる後進国が返済をするためにしかたなく 下げているとか、援助者(先進国)が一方的に値段を設定できるせいだとか いろいろありそうだがよくわからない。 そもそも常識だが、国 のような架空の存在を過信しない方がよい。





買いものにいくとごみばっかり売っている。 買わなければ良いといわれればそれまでだが、やはり甘味は欲しい。 そこでプリンを買おうとすると、プリンはプラスチックで包まれている。 お惣菜もつかれた時など利用したいのだが、一部は回収しているトレーだが、 高級なもの?になると(寿司とか、)特殊なケースに包まれている。



インドが優れている点として、環境にやさしい生活をしている点も1つだ。 どうみてもとても汚いし、都会に行けば排気ガスもすごい。 しかし、なぜか牛や猿、リス、羊、やぎ、豚、いのしし、ロバなども 同じ場所に生存している。(牛は放牧中のものと、捨てられた野良牛なので、 決して野生ではないが)さてこれはいったい? インドは人間のための余計な清掃をしていないのだ。 そして、それを決して不便とか不愉快とか思わない。 まずしいせいかもしれないが、有機物以外はほとんどゴミにならない。 余計な清掃とは、たとえば 町にトイレを作り、汚いものを隠す。 ゴミは一個所に集積し燃やす。 でこぼこ道はすぐ清掃する。 人間の目の届かない所はなくす。 人間の把握する動物以外はすぐ回収して処分する。 (野良犬、野良猫などは日本では生存が難しい。 もし野良牛なんていたらすぐ処分されるだろう。) 有機物以外のゴミの発生元は 車 日本では3年で捨てられる車、インドでは車は100年は使うんじゃないかな。 ペットボトル 日本では回収して再利用だが、インドでは貧しい人々が桶やタンクとして 利用。まずゴミたまりに見かけることは少ない。あっても拾われてしまう。

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