◆アリゾナ大OBプレーヤー◆

アリゾナ大出身の選手の中には現在NBAで活躍する選手がたくさんいます。ここではそれらの選手を中心に紹介していきます。

◇ワイルドキャッツとNBA◇

アリゾナ大学は多くのNBAプレーヤーを輩出していることでも知られています。というのも現コーチのオルソン監督は基本的に選手に自由にやらせ個人能力を伸ばすことに主眼を置いており、その戦術もそれに頼るところが大きい。リクルート自体も運動能力があり華々しくプレーする選手をターゲットにしている観があり、こういう点が見せるバスケを売り物とするNBAとマッチするからだろう。
特にオルソン監督はガードを中心にした速い攻めが好きなコーチ。ポイントガードがチームにとって最も重要である考え、そのポジションは毎年必ず全米でもトップレベルの選手を置くようにしている。そのためアリゾナ大はNBAにとっての「優良ポイントガード製造大学」ともいわれている(オレだけが勝手にそう呼んでいる)。

★現在のNBAにおけるアリゾナ大出身者★
選手名(ドラフト年次) ドラフト順位 現在の所属チーム
スティーブ・カー(1988) 2巡目50位 サンアントニオ
ショーンエリオット(1989) 1巡目3位 サンアントニオ
ジャド・ブシュラー(1990) 2巡目38位 デトロイト
ショーン・ルクス(1992) 2巡目30位 ダラス
クリス・ミルズ(1993) 1巡目22位 ゴールデン・ステイト
デイモン・スタゥドマイヤー(1995) 1巡目7位 ポートランド
マイケル・ディッカーソン(1998) 1巡目14位 ヴァンクーバー
マイク・ビビー(1998) 1巡目2位 ヴァンクーバー
ジェイソン・テリ―(1999) 1巡目10位 アトランタ
現在のところ9名。ポジションとしてはSGが3人、PGが3人、SFが1人、PFが2人。やはりアリゾナ大はガード中心の学校ですね。

★最近のNBAで活躍した主なアリゾナ大出身者★
選手名(ドラフト年次) ドラフト順位 主な所属チーム
レオン・ウッド(1984) 1巡目10位 フィラデルフィア
トム・トルバート(1988) 2巡目34位 シャーロット
アンソニー・クック(1989) 1巡目24位 デンバー
ブライアン・ウィリアムス(1991) 1巡目10位 デトロイト
カリッド・リーブス(1994) 1巡目12位 シャーロット
レジ―・ギアリ(1996) 2巡目56位 クリーブランド

“ルート・オルソンその人となりが分かるのは、もしアリゾナ大の選手をドラフトで指名したなら、その選手が能力に秀でていて、チームプレーができ、とても性格がいいということだ。ルートはすばらしい業績を残し、NBAのコーチからも多大な尊敬を勝ち得ている。”

ジェリー・ウェストーロサンジェルス・レイカーズ上級副社長


 “アリゾナ大出身のほとんどの選手たちは品行方正なので、ドラフトで指名するのをためらうことはない。”

ディック・ヴァン・アースデイルーフェニックス・サンズ副社長


ワイルドキャッツベスト10プレーヤー
私が思う偉大な順番で紹介していきます。

ショーン・エリオット
アリゾナ大OBの大御所です。強豪アリゾナ大の歴史は彼から始まりました。1年先輩のスティーブ・カーとともに1988年アリゾナ大を初のファイナル4に導いた立役者。これによってリクルートもうまく行きはじめたに違いなく、それを考えたら今のアリゾナ大は彼なくしては存在しなかったと言えるかもしれません。
4年在籍中の通算2550得点はPAC10カンファレンスの史上1位の記録(つまり生きた伝説カリーム・アブドゥル・ジャバーを抜いた)。また4年時にはあらゆるナショナル・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーを総なめ。
彼はなんと言っても、アリゾナ大がある地元ツーソンの出身。そういう意味でもアリゾナ大ファンには最も愛されているOB選手ということもできる。ファイナル4進出を果たした3年終了時にもNBAにアーリー・エントリーできたにも関わらず4年目に残ったところもえらかった。奥さんが日系人というのは有名な話で少し前まではシーズンオフには毎年必ず奥さんの親戚が住む松山に来ていました。でももう離婚だそうです(T_T)。
彼の背番号32はアリゾナ大で永久欠番。

デイモン・スタゥドマイヤー
1994年にアリゾナ大が2度目のファイナル4進出に大きく貢献しました。アリゾナ大通算3ポイント成功数歴代トップ、通算アシスト数2位とポイントガードの鑑。アリゾナ大は彼以降ポイントガードが売りのチームになったといえる。
大学には4年間在籍し、今までのワイルドキャッツ選手の中では一番練習熱心だったらしい。4年時にはオール・アメリカンに選出。PAC10の歴史上ゲイリー・ペイトンに次いで1800ポイント、600アシスト、400リバウンドを達成した2人目の選手でもある。そういった甲斐もあって、1995年のドラフトではトロント・ラプターズから一巡目7位指名を受け、その年見事に新人王を獲得。私自身彼のプレーはトロントで2回、ここツーソンで1回見てますが周りの選手にうずもれるほどめちゃめちゃ小さいのだが動きはさすがに速かった。
出身は現在在籍しているトレイルブレイザーズのあるポートランド。お母さんが彼の人生において最も影響を及ぼしたということです。

マイルズ・サイモン
現在NBAでプレーしていない彼が偉大ランク3位に来るのは、彼なしに97年の優勝があり得なかったからです。だからこそオルソン監督も今世紀のアリゾナ大のベスト・チームに彼を選んだんでしょう。実際問題、アリゾナ大ではマイク・ビビーよりもこのサイモンの方がヒーロー扱いをされているし人気がある。97年のトーナメントを私は実際見たわけではないのですが、人づてに聞いた話では彼のファイナル4での活躍は神業的だったとか。スタッツを見てもその爆発的な得点力でチームを勝利に導いたのが分かります。そしてそのファイナル4でMVPを獲得し、その年のジョン・ウッデン・オール・アメリカンにも選出されました。
アリゾナ大の通算得点記録で7位、通算アシスト数では6位。出身は確かロサンジェルスのはず。彼の名前マイルズは予想に違わず、有名ジャズ奏者マイルズ・デイビスにちなんでいる。父親は昔ABAでプレイしていたそうで、お姉さんの夫はMLBにいるダリル・ストロベリーだそうです。性格的にかなりボケボケキャラの彼がNBAに残れなかったのが残念です。ちなみに彼の大学時代のGPAは1.43ぐらいだったと思います。はっきり言ってこれはかなりひどい(つまりほとんど落第)。

マイク・ビビー
1997年アリゾナ大に入学したその年に1年ながらポイントガードとしてチームを全米優勝に導きました。残念ながら2年終了時にNBAドラフト一巡目2位指名を受けワイルドキャッツ初の2年終了時のアーリーエントリーをしてしまいました。たった2年間の在籍なので大学の各種通算記録には名前がないですが、彼が大学に残したその優勝という功績はとてもつもなく大きい。
大学1年時にPAC10のフレッシュマン・オブ・ザ・イヤー、大学最終年の2年時にはPAC10プレイヤー・オブ・ザ・イヤー、そしてオール・アメリカンに選ばれるという離れ業。
出身は同じアリゾナ州内のフェニックス。お父さんであるヘンリー・ビビーも元NBA選手で現在は同じPAC10に属する南カリフォルニア大のヘッドコーチを務めています。お父さんを百年の敵のごとく嫌っているそうで、その理由も家庭を顧みず大好きなお母さんを悲しませたからだとか。ちなみにそのお母さんはアジア系で、おそらく中国人ということです。お父さんをそこまで毛嫌いするところからも分かるように性格はあまりよろしくないようです。

ジェイソン・テリー
どうしても97年優勝組が上位に来てしまいますね。このページで紹介しているGreat10プレーヤーのうち私が実際ここマッケイル・センターでそのプレーを見たことのある唯一の選手です。
大学2年時に全米優勝を経験。その年はケガのサイモンの代わりにシューティング・ガードとしてスターターも務めてました。サイモンが戻ってからは貴重な6thマンとしてチームに貢献。実際問題ベンチ・プレーヤーとしての彼の活躍がなければ優勝も難しかったはずです。ケンタッキー大との決勝では前日ひどい熱を出しながらも33分プレーして8得点、5アシスト、3スティール、0ターンノーバー!でした。
彼が日の目を見るのはビビーやサイモンが抜けたあとの4年生になってから。この年同じく4年のAJ・ブラムレットと共にリチャード“ゴリ”ジェファーソンなどの1年坊主3人を抱えてチームを引っ張り、弱小化が言われたアリゾナ大の面目を維持しました。この年、シアトル出身の彼が尊敬するゲイリー・ペイトン以来PAC10での得点、アシスト数、スティール数の3部門でトップになり、APのオール・アメリカンに選出され、またPAC10、そしてスポーツ・イラストレイティッド誌のプレイヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれました。
キャリア・ハイ得点は37点、4年時の年間平均得点21.9はアリゾナ大史上7位。通算スティール数ではアリゾナ大史上1位を記録している。また彼こそはアリゾナ大の“Mr.Clutch”で、その勝負強さは優勝した2年のときから発揮されていたが、4年生のときなどは彼のブザービーターで負けゲームを2回ぐらいものにしたのを覚えている。
こうやって見ると彼のカレッジ・キャリアは無茶無茶輝かしい。彼については日本の人には性格がいいということになってますが、アリゾナ大ではわがままで性格悪しということになってます。一体どっちがほんとなんじゃ。ちなみに彼がハイソックスを履いているのは体型とプレイスタイルが似ているエリオット・ペリーを尊敬してのことで2枚重ねているのは縁起かつぎかららしい。

マイケル・ディッカーソン
97年優勝時の中心メンバーの一人です。ビビーとサイモンの影に隠れてしまってますが、アスレティシズムあふれる彼のプレイスタイルを好むワイルドキャッツファンは多い。優勝年のファイナル4ではオフェンスでは奮わなかったもののディフェンスで相手チームのエースを抑え勝利に貢献しました。
典型的な点取り屋のディッカーソンはアリゾナ大の通算得点記録でディモン・スタゥドマイヤーに次いで5位。大学4年間の在籍で83回のダブルダブル、20得点以上をマークした試合が36回、30点以上は7回ある。彼の身長を考えたらこれはすごい数字だと思います。優勝した大学3年時にオナラぶる・メンション・オール・アメリカン、4年生の時はオール・アメリカン3rdチーム、PAC10の1stチームに選出。現在NBAではシューティング・ガードですが、大学時代のポジションはスモール・フォワードでした。
意外と知られてないですが、彼は現在同じNBAのシャーロット・ホーネッツで活躍しているデビッド・ウェズリーのいとこです。
安定した得点力、運動能力がありながら、目立たないところが私のお気に入りである現在のワイルドキャット、ギルバート・アリナスに似ていて好きです。彼がNBAでアナクロのハイソックスを履いているのはおそらく上のジェイソン・テリーの影響かと思われる。というのも2枚重ねて履いているところがテリーと同じなので。
それにしても右の写真、なんちゅうかっこうや・・・(笑)。

スティーブ・カー
スティーブ・カーといえばブルズ2回目の3連覇メンバーとして有名ですね。何でも、その後移籍したスパーズと合わせて4年連続優勝を経験したことから、ブルズもスパーズも自分のおかげで優勝したなどと勘違いな発言をしたらしく、私としてはどうも好きな選手ではありません。
彼はオルソン監督が就任した翌年にアリゾナ大に入学。典型的な長距離シューターながらアリゾナ大の4年間のシーズンでシュート確率54.8%を記録し、4年時の3ポイント確率ではPAC10記録でもある57.3%をマーク。NCAAの3ポイントラインがNBAよりゴールに近めといえこの数字は尋常ではない。50%以上のシュート確率というのは見ているものにとってはほとんど入っているように感じられるものである。彼のカレッジ・キャリアの最後の年に3ポイント制度が導入されたのが彼に有利に働いたといえる。そしてその年にショーン・エリオットと共にファイナル4を果たした。
あまりのシュート確率のよさで、その年のドラフトではさすがに地元フェニックス・サンズが彼を無視することができず2巡目50位で指名。その後のNBA人生においてもことが彼にとってほんとうまく運び、運動能力がそれほどあるわけでもない彼が何とか生き残ることができたのもただ運がよかったからに過ぎない。運も実力のうちといえばそうですけど。
現存するNBAのワイルドキャッツの最長老ということでベスト10入り。一応彼の背番号25はショーン・エリオットと並んでアリゾナ大の永久欠番になってます。

カリッド・リーブス
カリッド・リーブスほんといい選手だったんですが、NBAではどうもイマイチでした。
アリゾナ大の通算得点数は史上3位、年間平均得点24.2は堂々の1位です。通算得点1925というのはPAC10の歴史においても14位という記録です。また年間800点以上を挙げたアリゾナ大唯一のプレーヤーでもある。4年時にはデイモン・スタゥドマイヤーとともにカレッジ史上最強と言われたガードコンビでファイナル4に進出。このときのNCAAトーナメントでの平均得点27.4というのはガードにしては驚異的と言っていいだろう。そしてその年にオールアメリカン2ndチームに選出。
一度、ここのテレビで彼のカレッジ時代のプレーを見たことがあるが、はっきり言ってすごい。めちゃめちゃ速くてイケイケ。この頃のワイルドキャッツを見てみたかった・・・。
オルソン監督が今世紀のアリゾナ大ベストチームに彼を選んでないのが私には理解できないが、チームにとってそれほど重要な選手ではなかったのだろうか。

ブライアン・ウィリアムス
NBAで着々とキャリアを築いてきたブラいやん・ウィリアムスでしたが99年に謎の失踪でどこかに行ってしまいました。どこかというかレバノンだったかと思いますが。その前年にはBison Deleとかいうわけのわからん名前に改名したのがその布石だったことがわかります(イスラムか?)。
彼はカレッジバスケのキャリアをメリーランド大でスタートさせましたが、1年が終わってからワイルドキャッツに加わりました。3年が終わった時点でアーリーエントリーをしてオーランド・マジックに全体10位で指名された。
3年時に14得点、7.8リバウンドを記録し、その年91年のNCAAトーナメントでクリス・ミルズ、ショーン・ルクスと共にアリゾナ大をSweet16に導いた。この頃のアリゾナ大は現在の伝統であるバックコート中心というよりは重量級の選手が中心だった。この年のシュート確率61.9%というのはインサイドの選手といえども驚異的。UCLAとの試合では15本中14本のシュートを成功させたのが一番思い出に残る試合だったとか。同じ年にPAC10の1stチームに選出された。
NBAではナゲッツ、クリッパーズ、ブルズ、ピストンズと渡り歩き、その力強く、その高い身長にしては器用なプレーで重宝がられたのがだが、上に書いたように突然の引退をしてしまった。まだまだやれたはずだったが、もう戻ってくることもあるまい。

クリス・ミルズ
カレッジ・バスケのキャリアをケンタッキーで始めたクリス・ミルズは1年終了時にトランスファーを決意し、アリゾナ大に移って来ました。3年という普通より1年短い在籍期間ながらアリゾナ大のキャリア通算得点で8位に入っています。
アリゾナ大でも現在のNBAでも目立った存在でなく日陰街道を走っている彼ですが、安定した活躍でチームにおいて頼れる選手であることには変わりない。
大学4年のときに平均得点20.4点、平均7.9リバウンドを記録しPAC10の年間最優秀選手に選ばれた。この年のアリゾナ大は他にガード陣にデイモン・スタゥドマイヤー、カリッド・リーブスを擁しPAC10を制覇、NCAAトーナメントでも期待されたんですが、1回戦負けでした。
その年のNBAドラフトで1巡目22位でキャバリアーズに指名された。キャブスでNBAキャリアをスタートしたのが彼を日陰者にした大きな要因でしょう(笑)。
大学の時の専攻は社会学とコミュニケーション学で私の先輩ということにもなる。出身はロサンジェルス。
 

これらの選手の他に現在NBAでおなじみのショーン・ルクスと邪道(ジャド)・ブシュラーもいますがワイルドキャッツにとってそんなに偉大でもないので割愛。



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