民族感情優先:「略奪文化財」 日本なら犯罪もOK

中央日報 2004.11.10 20:31

韓日が高麗仏画で所有争い

 「住持の命のようなものです。お願いですから返してもらえるよう協力してください」。

 10日午前、ソウル中央地検刑事4部の高京熙(コ・キョンヒ)検事室。 日本で芸術活動をしている在日同胞のチョン・クァンギュン氏(60)が「高麗(コリョ)仏画の『阿弥陀三尊像』を返してもらえるよう協力してほしい」と何度も頭を下げた。

 この絵は、02年に巫俗関係者のキム氏(55、拘束)らが日本兵庫県の鶴林寺から盗み出し、国内に持ち込んだものだ。 チョン氏はまた、「『この絵が壬辰倭乱(文禄の役)当時に日本が略奪したもの』という報道内容は事実でない」と主張した。 壬辰倭乱の前に朝鮮出身の僧侶が日本に渡り、鶴林寺を建てながら絵も持ち運んだということだ。

 しかし現在では、この絵が国内に残る可能性の方が高い。 検察は、絵の最終購買者が盗難品とは知らずに買ったと判断しているからだ。 民法上の「善意の取得」にあたるということだ。 善意の取得が認められる場合、日本側は韓国の裁判所に返還請求訴訟を起こすことができる。

 また「不法に搬出された文化財は元の所有国に戻すべき」という国連教育科学文化機関(ユネスコ)憲章に基づき、両国協議を通じて返す方法もある。 しかしこの場合にも善意で取得した購買者の同意がなければならない。

 これについてチョン氏は「住持は数百年間保管してきた宝物を徹底管理できなかったという罪責感に苦しんでいる」とし、「返還がだめなら買ってでも取り戻すという立場」と伝えた。

田珍培(チョン・ジンベ)記者 < allonsy@joongang.co.kr >

中央日報 2004.11.11 19:19

【噴水台】略奪文化財

 伊藤博文が統監としてこの国に君臨した大韓帝国末のこと。 皇帝の座から降ろされた高宗(コジョン)が、昌徳宮(チャンドクグン)の博物館を訪れた。 そして高麗(コリョ)青磁を見て「これはどこで作られたのか」と尋ねた。 伊藤統監は「この国の高麗時代のものです」と答えた。 すると高宗は「こんなのはこの国にはない」と話した。 伊藤は何も語ることはできなかった。

 朝鮮(チョソン)の皇帝が高麗青磁を知らないのは当然だった。 青磁は、500年前、高麗の貴族文化とともに墓の中に消えてしまったためだ。 儒教的観念から、他人の墓を暴く行為、すなわち「掘塚」は、天人共怒せる反人倫的犯罪だった。 そのため、青磁は完壁に所蔵されたままになっていた。 地下の所蔵庫が暴かれ始めたのは、日本が露日戦争で勝利した1905年以降のことだ。 掘り屋(盗掘専門家)が、高麗の首都だった開城(ケソン)と、蒙古侵入時に臨時首都になった江華島(カンファド)に押し寄せた。

 それらの買い入れ主は、当時韓半島に進出していた日帝の高官・大爵らだった。 中でも、最も主な買い主は、伊藤統監だった。 権力の下支えを受けながら、ゴールドラッシュを求めて数百人の掘り屋が仁川(インチョン)に上陸した。 伊藤の在任した2年間に、高麗貴族の墓のほとんどが暴かれた。 墓から盗んだ青磁数千点を、日本の有力者にプレゼントしようと盗み出した伊藤統監が、高宗の前で口を閉ざしたのは当然だった。

 韓日国交正常化の翌年である1966年、陶磁器・古文書など約1000点が返還された。 これは、略奪された文化財のきわめて一部だ。 個人所蔵品は返還対象にならなかった。 今でも良い品物はほとんど日本に残っている。 特に陶磁器の場合、大阪市立博物館に行って見てこそその神髄を感じることができるほどだ。

 文化財の略奪と搬出は、帝国主義の歴史と同じ道を歩んできた。 西洋では、大英博物館のエルギンマーブル(Elgin Marbles)が代表的だ。 2500年前のギリシャ文明の精粋であるパルテノン神殿の主要な彫刻像を、英国人エルギン卿が1810年にすべて持ち帰った。 ギリシャが1941年から返還を要請しているが、英国人には特にその考えはない。

 わが国の巫女が、日本の鶴林寺に保管されていた高麗仏画(阿弥陀三尊像)を盗んできた。 鶴林寺の住職と親切な在日同胞が、担当検事に会って返還を訴えるべくソウルにやってきた。 果たして何が真の返還なのか。

呉炳祥(オ・ビョンサン)ロンドン特派員 < obsang@joongang.co.kr >

 盗掘して日本人に売りつけて儲けていたの朝鮮人。
当時としては、金を出して買って商取引のはず。