口だけの韓国人 見捨てられた「里親運動」

朝鮮日報 2002.12.06(金) 18:45

「捨てられた子供たち」の母 朴英淑さんの涙

 駐韓オーストラリア大使館の朴英淑(パク・ヨンスク/47)文化広報室長の頬に涙が流れた。「里親(Foster)運動」に話題が移ってからだった。外交街でも「顔が広い」ことで有名な朴さんは、「里親協会」の会長としても世間に広くその名を知られている。

 朴さんは「もっと早くこの仕事から手を引くべきだったのに」と涙ぐんだ。

 「捨てられた子供たちを孤児院に送らず、家庭で育てる『里親運動』を始めた時、各界の関係者が『素晴らしい趣旨』と賛成しました。協力者も顧問団、諮問委員団、広報実行委員など100人を超えました。でも、結局、名前を登録しただけで終わりでした」。

 「実際に援助を受けたことはありません。ほとんど人が後援金を一銭も寄付しませんでした。協会を設立してから8年間、1人で死に物狂いになって頑張りました。毎月、給料と印税による収入などをすべてここに注ぎ込みましたが、1人でできることではありませんでした」

 息子1人をもうけている朴さんは、95年に初めて捨てられた子供を育てる「里親」になった。「40歳という年齢は他人のために生きる時」という人生観による決心だった。

 しかし通貨危機に見舞われた1997年には一度に30人あまりの子供の責任を持たなければならなくなった。このようにして翌年、「里親協会」を設立した。

 「里親運動はマスコミに注目されました。孤児の輸出国という悪名を被りながらも、ルームサロン(個室のあるクラブ)では1晩に200〜300万ウォンも使う韓国社会に警鐘をならすことができると思いました」。

 「しかしマスコミに扱われたことによって後援者が増えるのではなく、『里親協会』に子供を捨てようとする親の数が増えただけでした」

 里親と出会うまで、子供たちを一時的に保護する施設も必要になった。まとまった金を手にする道は退職金だけだった。このため、2000年末まで勤務していた英国大使館を退職し、オーストラリア大使館に移った。

 「里親協会」の11月の財政報告書を見ると、理事会から入ってきた金額が79万ウォン、外部からの後援金が30万ウォンしかない。朴さんが個人的に出した金額は600万ウォン。毎月このような形で運営されてきた。

 「だからといって止めることはできません。現在、約80の家庭が依託されている子供たちの面倒をみているからです。どっちにしても協会が最後まで責任を取らなければなりません」。

 朴さんは涙まみれの顔で「最初から韓国社会でこのような事を始めたのが間違いだったのでしょうか」とつぶやいた。

崔普植(チェ・ボシク)記者