指詰め、嘗糞の習慣

中央日報 2001.08.16 22:40

【噴水台】 残念な指詰め

 「ひとの両親の病気に指を詰める」ということわざがある。人の心配事に介入し過ぎる人をけんつく言葉だ。

 ことわざが示唆するように朝鮮(チョソン)時代までは両親の病気がなかなか治らない時、息子が指を切って指から出てきた血を供養することは、最高の孝心の表れであり、一種の秘方と言われていた。いわゆる「指詰め供養」だ。

 血を出すにとどまらず、詰めた指を煮込んで飲ませたら両親の病気がよくなったとか、6年以上も父母の大便をなめながら看護をし病気を治した、などの過去の記録が少なからず残っている。

 大便をなめる嘗糞(しょうふん)の習慣は、味が甘ければ病気が良くなっていない、苦ければ病勢が好転した兆しという信仰から始まった。内股の肉を切って捧げる割股供養も孝行の極端な方法として用いられた。最近の感覚では美談どころか「猟奇」的行動と見なされるだろうが…。

 遠大な目標に対する決意を固める時に指を詰めることもある。安重根(アン・ジュングン)義士が1909年、同士11人とともに指詰め同盟を結び、指を詰めたのはまさに「救国の決断」と解釈することができる。

 反面、普通は、「大統領のためなら、指でも詰める」と語った与党議員が昨年末起こした党籍移動波紋は「救国」とはほど遠い行為だと非難された。

 全く同じ行為でも、動機や行為の主体、状況によって崇高な犠牲になもなり、猟奇的な自害に転落しもする。

 日本のやくざの指詰めの習慣は後者の代表的な例だ。日本の酒場では、角刈りで険しい顔、そして左手小指第1、第2関節のなくなった男性が現れると、一瞬にしてその場が凍りついたりする。

 日本の徳川幕府時代の芸者の間にも指を詰めて情人に贈り、愛を誓う風習があったという。しかし、現代に入ってからは組織に謝罪や誓いの意味を表示する、やくざの専売特許のような儀式になってしまった。

 やり方が恐ろしく正常ではないことに加え、先祖の限りない孝行より、やくざの残酷性がまず思い浮かぶという点で、指詰めは望ましくない行為だ。

 数日前、日本首相の神社参拝に抗議する意味で数人の「熱血市民」が指を詰めた。詳細な経緯はさておき、子供たちが見てしまうのではないかと思い、子供の目を隠してあげたい気持ちだった。どんなことでも感情が先立つと、事態が本末転倒しやすいものだ。

盧在賢(ノ・ジェヒョン)政治部次長 < jaiken@joongang.co.kr >