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生成=事件=裂罅。

言語野のフィールドに発生する記号的「事件」。


言葉の生成する瞬間=記号的な、事件に、立ち会うこと。
詩人にとってそれはとくに特権的な体験となろう。松浦寿輝は、ソシュールの言語学を参照しながら、そのあたりを記述することに成功している。事物も意味も、記号とともに生まれること…あらかじめ区切られた言語外現実を指し示す目録が言語なのではなく、言語が世界を区切ること。意味(sens)とは、境界そのものであり、項と項との差異の分節化にほかならぬこと。そして、我々の言語生活の最も肝要な部分とは、言葉と現実との幸福な調和というスタティックな構図に亀裂を入れる屈曲や乱れによってこそ営まれている…その暴力的な裂罅をどのように生き抜くかに、かかっているということ。すでに意味も発音も綴りも習い覚えていたはずの言葉であろうと、コンテクストのなかの然るべき場所へおさまるよう手探りしてそれが探し当てられるとき、その言葉は、その瞬間まで何もなかった空白を埋めるべく不意に立ち現れた未知の何物かであるというべきであり、子どもが言葉を習得する行為が、辞書にあらかじめ記載されている言葉を片端から覚えていくことではなく、言葉ならざるものが言葉へと生成するという記号的事件を、受動的に唇の上に体験することであったことのように。

言葉の生成と裂罅、そしてこの裂罅は個人の経験値レベルにとどまらず、逆にラングに向かって開かれることもあるだろう。"Nietszhe et la Philosophie"という書物のタイトルを見るときにひとは、その"et"なる語を単なる接続詞と考えるであろうか?、それは他ならぬドゥルーズの発した言葉なのであり、"et"の思想家であったというべきドゥルーズの存在の総体を含み持った言葉にほかならない。"et"という言葉は彼によってもう一度生成され、我々はそれによる分節構造の裂罅を共有することができたのである。(98.4.11)

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最終更新日04/09/10