| 1964年2月、イギリス南部の海岸に面した街ワージングで結成。まもなくジョルジョ・ゴメルスキーと契約して、ロンドン周辺に上京、ゴメルスキーの運営するクローダディー・クラブに出演し始める。同年6月26日、マーキー・クラブで初公演、以後マーキーの常連になる。64年8月、ナショナル・ジャズ&ブルース・フェスティヴァルに出演。 64年11月、シングル「How
Many More Times」で、レコードデビュー。65年、さらに2枚のシングルと4曲入りEPを発売、同8月、ナショナル・ジャズ&ブルース・フェスティヴァルに出演。同9月、新たにキース・エマーソンが加入、マーキーでの毎週金曜日のライヴで高い人気を集める。しかし、新たなレコードを発表しないまま、66年秋、解散。
元バンドメンバーのうち、アンディ・スティールは、ハード(Herd)を経て、セッション・ドラマーとして活動、また、キース・エマーソンは、VIPズを経て、67年、後期T・ボーンズで同僚だったリー・ジャクソンらとともに、ナイス(Nice)を結成。その後、エマーソン・レイク&パーマーで一躍有名になった。
ゲイリー・ファー
本名ゲイリー・アンソニー・ファー。イギリスで有名なボクサー、トミー・ファー(Tommy
Farr)(1914-86年)の息子で、ワイト島フェスティヴァルを企画したリッキ・ファー(Rikki
Farr)とは兄弟。サセックス州ワージングで育ち、地元で音楽活動を始める。64年から66年まで、T・ボーンズのメイン・ヴォーカルとして活動。
次いで、ケヴィン・ウェストレイク(元ブロッサム・トウズ)とのデュオ、ザ・ライオン&ザ・フィッシュ(the
Lion & the Fish)で一時活動した後、ソロ活動を開始、69年、ジョルジョ・ゴメルスキーのマーマレイド・レーベルから、アルバム『Take
Something with You』で、レコード・デビュー。翌年、リチャード・トンプソンとマイティ・ベイビーをバックにしたソロ第2作『Strange
Fruit』を発表。同8月、ワイト島フェスティヴァルに出演。
世界各地を転々と旅した後、アメリカに渡り、ジェリー・ウェクスラーに見出されてアトランティック・レコーズと契約。アラバマのマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオでレコードを制作し、73年、第3作『Addressed
to the Censors of Love』として発表。74年2月12日、ニューヨークのライヴハウス、ボトム・ラインの開業初日に、前座を務める。
その後、ロサンジェルスを拠点に、兄弟のリッキ・ファーがマネジャーを務める新バンド、ライオンを結成。80年、アルバム『Running
All Night』を発表。フレッド・タケットの組んだジャンピング・ドッグズ(Jumping
Dogz)に参加して地元で音楽活動を続けたものの、プロのミュージシャンとしての生活からは引退。
80年代以降は、ロサンジェルスで結婚生活を営みながら、映画のスチール・カメラマンとして活動する。86年には、オリヴァー・ストーン監督の映画『サルバドール』に脇役で出演したこともある。1994年、心臓発作で死去。
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