66年暮、モッズ系グループ、イン・クラウドに在籍していた3人に、ドラマーのトゥインク(本名ジョン・アルダー)が合流。デビュー直前のピンク・フロイドに影響を受け、サイケ・バンドに路線変更、バンド名もトゥモロウに改名。この頃、アントニオーニ監督の映画「欲望」に出演する予定で2曲収録を行ったが、キャンセルに(この音源は後に1996年に初めて発表)。 67年4月28日、UFOクラブに初出演、ジミ・ヘンドリックスがベースで飛び入り参加、以後頻繁にUFOに出演することに。同4月29日、サイケ・シーンの一大イベント「テクニカラー・ドリーム」に出演。同5月12日、デビュー・シングル「マイ・ホワイト・バイシクル」を発表するが、チャート入りを逃す。まもなく、アビー・ロード・スタジオでアルバム収録。ドイツ人作曲家のマーク・ワーツ(マルク・ヴィルツ)がプロデューサーに。
67年8月、マーク・ワーツのプロジェクト「ティーンエイジ・オペラ」の先行シングルという触れ込みで発表された、キース・ウェストのソロシングル「ティーンエイジ・オペラからの抜粋」(邦題「テーマ・オブ・ヤング・オペラ」)が全英2位を記録するヒットに、ウェストはソロでBBCの番組に出演。これ以降、ウェストを前面に押し出したがるレコード会社側とバンドの軋轢が深まる。
67年9月、セカンド・シングル「レヴォリューション」を発表。同10月1日、BBCのラジオ音楽番組「トップ・ギア」の第1回に出演。この頃、彼らがスナークスというバンド名で出演する映画「スマッシング・タイム」が公開に。
67年12月22日、ロンドンのオリンピアでのライヴ(この日の録音は、1998年発表の編集盤『総天然色の夢』に収録)。68年2月、アルバム『トゥモロウ』を発表、レコード会社の意向で、バンド名は「トゥモロウ・フィーチャリング・キース・ウェスト」と表記。69年2月4日、「トップ・ギア」に出演。翌月、解散。
キース・ウェストはその後も音楽を続け、現在はテレビCMの曲付けなどをやっている。ジョン・ウッドは中近東のカジノで胴元として財をなし、トゥインクはその後プリティ・シングズを経て、ピンク・フェアリーズに参加、現在も音楽活動を続けている。スティーヴ・ハウはイエスで活躍中。
|