血液成分とは−エホバの証人は血液の何を拒否しているのか

はじめに

ものみの塔誌2000年6月15日号29ページの血液に関する『読者からの質問』記事では「エホパの証人は,血液に由来する医薬品を受け入れますか」という表題の元に、どのような血液成分や血液製剤を拒否すべきか、どのような血液成分は受け入れて構わないのか、が詳細に説明されています。この記事の全文は別の「ものみの塔誌2000年6月15日号の血液に関する『読者からの質問』の質疑応答」に掲載しましたが、その要旨をここでまとめてみると次のようになります。まず絶対に拒否しなければならないものは、次の通りです。

主要成分とは,(1)赤血球,(2)白血球,(3)血小板,そして(4)血漿と呼ばれる液体成分のことです。…… エホパの証人は,全血を受け入れることも,それら四つの主要成分のいずれかを受け入れることも,神の律法に背く行為であるとみなします。
これに対し、良心に従って自分で決定して受け入れることも構わないものは、次の通りです。
血漿から様々な分画を取り出せるのと同じように,他の主要成分(赤血球,白血球,血小板)も,処理すれば,さらに細かい要素を分離することができます。…… クリスチャンは治療を受ける際,それらの分画を受け入れてもよいでしょうか。はっきりしたことは言えません。聖書は細かなことを述べていないので,クリスチャンは神のみ前で自分の良心に従って決定しなければなりません。
ここで直ぐに生じる疑問は、一体拒否しなければならない「主要成分」と受け入れて構わない「分画」の違いは一体何なのか、ということです。英語版のものみの塔誌の原文を読むと「主要成分」とはprimary component、「分画」はfractionの日本語訳であることがわかります。もちろん聖書のどこにも血液の成分と分画の違いは書かれていませんから、読者はきっと医学的、生物学的意味があってこのような区別が行われているのではないか、と考えるでしょう。しかし、実際には医学書では「component」、「fraction」それに「composition」(組成)はそれぞれある物の一部分であることを示す言葉としてほとんど区別なしに使われています。しかし、fractionはよく蛋白質の種類を区別する時に使われることがあり、多分ものみの塔協会はそのような用語の使用法をここで使っているものと思われます。しかし、たとえば血液蛋白質の代表であるアルブミンについても、「アルブミンは血液の一成分である」、「アルブミンは血漿蛋白質の一成分である」という表現は日常的に使われており、医学的にも言語的にも何もおかしなことはありません。ここでは、従って血液の部分は全て「成分(分画)」と呼ぶことにし、それらの中でものみの塔協会の言う「主要成分」と「分画」との間に本当にそのようなはっきりした一線を画すことができるのか、を見ていくことにします。

血液はどのように部分に分けられるか

医療技術の進歩に従い、血液を成分に分ける方法も大きく変わってきました。現在では成分献血(アフェレーシス採血)を使いかなりの血液成分が夫々の特別の方法に従って血液から直接取り出すことができます。しかし、最も古くから行われている一般的な全血献血の方法は次の通りです。まず、献血者から採血された全血は抗凝固剤と保存液で処理した後、全血製剤として保存したり、必要な成分が取り出されたりします。どのような成分が取り出されるかは目的によって異なり、方法も異なります。ここで大事なことは、どのような方法にせよいきなり純粋な血液成分を取り出すことはできず、目的とする成分が多く入った製剤を作ることが目的となります。全血から血液成分を取り出すには、普通遠心分離法が用いられます。この時に遠心条件を操作することにより、様々な成分の製剤を取り出すことができます。たとえば、この全血を重遠心という回転数の多い遠心にかけると、赤血球、白血球、血小板がすべて一緒になった分画が取り出せ、その上澄みになるのは細胞成分の少ない血漿になります。一方軽遠心という回転数の少ない遠心にかけると、赤血球と白血球は沈殿しますが、上澄みには血漿とほとんどの血小板が残り、これは多血小板血漿(Platelet Rich Plasma−PRP)となります。このPRPを重遠心にかけると血小板と血小板の混入の少ない血漿(Platelet Poor Plasma−PPP)ができます。一方成分献血(アフェレーシス採血)は血液成分分離装置という体外循環法を用いて特定の血液成分を選択的に取り出し、残りの成分を献血者に戻す方法です。血液中の少ない成分を濃縮して取り出すのに適しており、最近では血漿、血小板や白血球は全血からの分離より、成分献血によることが多くなっています。このように血液成分の取り出し方にも色々あり、どの成分が「主要」であるかは、目的と方法によって異なり、その定義はあいまいでと言えます。

血液製剤はどのようにして作られるか

輸血治療が最初に導入された二十世紀の初頭には、全血を輸血する方法しかありませんでした。しかし現在では多くの理由で血液の成分を輸血することが大部分になっています。病人の必要に応じた成分だけを輸血することにより、不必要な成分の輸血から来る副作用や血液成分の無駄をなくすことが大きな理由となっています。これらの血液成分は血液製剤として、一種の薬のように標準規格の元に製造されて供給されています。たとえば血液の最大の成分である赤血球も、上に述べた遠心法で赤血球の多い分画を作った後、それを更に処理したり分離して様々な製剤が作られます。たとえば洗浄赤血球は赤血球の分画を生理食塩水で処理し、元の分画に混入している不純物を分離しています。白血球除去赤血球ではどうしても分離しきれない白血球を白血球除去フィルターの処理によって取り除いた製剤です。これらの製剤は更に放射線処理をされることもあります。白血球は更にリンパ球と顆粒球に大きく分離されますが、現在使用されるのは感染症に対抗する顆粒球を選択的に集めて使う方法で、これも元々の白血球を処理して分離したものです。血漿製剤でも、凍結処理した製剤は広く使われていますし、アメリカでは安全性を考えて溶媒処理をしてウイルスを不活性化した血漿製剤が使われています。更に血漿からはアルブミンが取り出され、血液蛋白質の喪失を補う目的で使われます。血漿からはさらに免疫グロブリン製剤、凝固因子製剤などが作られます。最近は赤血球からその酸素運搬の主役を担う蛋白質であるヘモグロビンを取り出して、代用血液が作られまもなく実用化される予定です。これらは全てものみの塔協会の言う、「主要成分」から作られる製剤ですが、これらは「分画」と考えられるのでしょうか。ものみの塔誌2000年6月15日号29ページの血液に関する『読者からの質問』記事を文字通り解釈すると、いずれも「『主要成分』を処理して分離した」製剤であり、受け入れ可能と考えることもできるでしょう。

現在使用されている血液成分を処理した治療法
赤血球血漿血小板白血球

照射赤血球M・A・P
照射解凍赤血球
白血球除去赤血球
照射洗浄赤血球
ヘモピュアー(ヘモグロビン代用血液)

新鮮凍結血漿
PLAS+SD(溶媒処理ウイルス不活性化血漿)
アルブミン製剤
免疫グロブリン製剤
凝固因子製剤

照射濃厚血小板
HLA適合濃厚血小板

顆粒球濃厚液
末梢血幹細胞移植

量と割合から見た血液成分

血液の部分で何が主要なのかを考える一つの見方に量の大きさを考慮することができるでしょう。ものみの塔協会は、受け入れて構わない「分画」が「細かい」、「小さい」ことを何度も強調してきました。エホバが本当に禁じていることを、「小さい」からしても構わないという見方が真に聖書の見方であるのかは大きな疑問ですが、ここではそれについては保留して、受け入れて構わないと協会が決めた「分画」がどの程度「小さい」のか、避けなければいけない「主要成分」に比べてどの程度の大きさなのかを見ていきます。

先に述べましたように、血液を献血者から取り出したとき、いきなり「主要成分」そのものは取り出せず、それらの多い部分が取られるに過ぎません。これは遠心条件によって異なりますが、普通は大きく細胞の部分と液状の部分に分けられます。細胞の部分は全血の45%を占めその99%までが赤血球であり、液状の部分は全血の55%を占めそのほとんどが血漿です。

このように見ると赤血球と血漿は確かに血液の大部分を占める二大成分であることが一目でわかります。それと同時に、白血球と血小板が量から見れば実に小さな分画に過ぎないことがわかります。

次に血漿はどのような部分に分けらるのか見てみましょう。

ものみの塔誌の記事が述べているように、血漿の90%は水であり、10%が溶質、すなわち溶けている物質です。血漿の水以外の成分は次のようになっています。

ここで注目すべきことは、これらの血漿の成分は全て血漿を「処理して分離した」ものですので、ものみの塔協会の基準で行けば受け入れて構わないことになっています。アルブミンは水以外の成分の中では約半分の48%を占め、血漿の中でも4.8%、全血の中では2.5%を占める大きな成分です。この大きな成分であるアルブミンは受け入れて構わないことになっていますが、それより小さな成分の白血球と血小板は禁じられています。これから見るとものみの塔協会が決めた「主要成分」は量の大きさによってはいないことがわかります。

次に赤血球はどのような部分に分けられるのか見てみましょう。

赤血球はその三分の二が水から出来ています。水以外の成分は次の通りです。

ヘモグロビンは赤血球の水を除いた97%を占める最大の成分であり、赤血球はヘモグロビンを薄い皮の袋で包んだようなものと考えてよいでしょう。ヘモグロビンの機能は赤血球の機能そのもので、酸素を肺から体の隅々まで運搬し、酸素を配達した後で二酸化炭素を体の末端から肺へ運搬します。量からみても機能から見てもヘモグロビンは赤血球そのものと言っても言い過ぎではありません。このヘモグロビンは最近、化学処理をして代用血液として開発されました。この代用血液の赤血球と比べた利点は、血液型に関係なく使用できる、赤血球と違って長期の保存が利くので緊急時の使用に適している、献血の血につきものの感染の危険がほとんど無くなっていること、などがあげられるでしょう。ものみの塔協会はこの医療技術の進歩に対応して2000年の「全ての分画は受け入れられる」という方針転換をしたものと思われますが、ここで素朴な疑問が残ります。もしエホバが赤血球を受け入れてはならないとしたら、その97%を占めて機能の上でも赤血球そのものと言えるヘモグロビンがなぜエホバの命令に反していないのでしょうか。

ここでこれらの受け入れて構わない「全ての分画」が血液のどの程度の割合占めるかを見てみましょう。次の円グラフは主な血液成分の血液全体に占める割合を示しています。

禁じられたものを部分に分ければ食べてよいのか

ものみの塔誌2000年6月15日号の『読者からの質問』で新しく変わったことは、血液全体の平均14.8%を占める水に次ぐ最大の血液成分であるヘモグロビンの使用が解禁になったことです。水を体に取り入れることには問題のあるはずがありませんから、この変化により、ものみの塔協会は実質的に血液の全ての成分を取り入れてよいことにしました。上の円グラフで青い文字で示してある成分はエホバの証人が受け入れて構わない成分です。黒い文字で示してある成分は特に問題がある成分ではなく、ここから見るとものみの塔協会は確かに実質的に血液の全ての分画を解禁したことになります。

この新しいものみの塔協会の見解は、多くのエホバの証人により多くの治療の選択を与える朗報ですが、別の見方をすれば、エホバの証人は一体血液の何を拒否しているのだろうということになります。基本的にものみの塔協会が教えていることは、エホバが取り入れてはいけないと言っているものでも、部分に分けて取り入れるのであれば構わない、ということになるでしょう。次の簡単な例を考えてみれば、この教えがいかに馬鹿げた教えであるか、分かるでしょう。

仮に医師が、あなたは糖尿病があるからお汁粉は食べてはいけません、と患者に言ったとしましょう。その患者はお汁粉から餅をとりだして、それだけ食べ、汁は遠心して水とあんこに分けて、それぞれ別々にして食べ、結局お汁粉のすべての「分画」を食べてしまったとしましょう。この患者は「お汁粉を食べてはいけません」という医師の命令を忠実に守っていると言えるでしょうか。答えは明らかでしょう。

可能性は二つしかないでしょう。エホバが真に血液を取り入れることを禁じているのなら、エホバは血液の全てを禁じているはずです。逆にエホバが血液の全ての「分画」を別々に取り入れることを許しているのなら、血液そのものを全て取り入れることも許しているでしょう。部分の全てを別々に受け入れてもよいが全体は受け入れてはいけない、という教えはエホバでなくとも子供にでもわかる明らかな矛盾と言えるのではないでしょうか。


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