1997年11月30日(日曜日)

翻訳にも、産業翻訳とか、映像翻訳とか、出版翻訳とかいろいろある。どれがかっこよさそうか、というと映像翻訳あたりがかっこよさそう。出版翻訳もかな。「映画の字幕、訳してます。」と言えるとかっこよさそうだ。「マニュアル訳してます。」は、なんか今一つ(やっている人、すいません)。

出版翻訳で印税でももらって左うちわで暮すというのがよさそうだ。「翻訳の世界」という雑誌を定期講読しているが、ここに書かれているのは結構、出版翻訳(文芸翻訳)の話が多いと思う。コンテストなどもやっているので、いつかは応募してみよう。

このあいだ日記に書いた、A社からの「本の翻訳をしてみないか」という話は、どちらかというと出版翻訳の分野かな。たぶん、何人かで分担して下訳程度をするのだろうが、次回からもこの手の仕事がもらえるぐらいの品質で完成させたいと思っている。

私がA社のトライアルに応募した不純な動機には、「翻訳は……気楽な印税生活を望んでいる人にも(?)最適です」とか書かれてあったのをみて、なるほどぉ〜と思ったから、というのもある。

最終的にどういう種類の翻訳で、どういうことができればよいのか、自分でもあまり考えていない。今の勉強できる環境で、しばらくは勉強と同時に情報も収集できればいいかな、ぐらい。コンピュータに関しては深い専門知識があるので、その分野が有利だとは思う。


今日はA社に納品し、B社にも見直しをして納品した。これで、全部納品してすっきりという感じ。しばらくは翻訳の仕事が来ないといいなぁ、というのが正直な気持だ。

 

1997年11月29日(土曜日)

今日はA社から来た翻訳をしていたが、な〜んか、文体がちがうなぁ〜、と思って書いた記者の名前を見ると、初めて見る名前だった。記事にはそれぞれ記者の名前が書いてある。でも、この人の英語、とても訳しやすい。いつになくスラスラ最後まで、訳せた。もっとも、たまたま今回だけかもしれないが。

A社の記事は、意味は分かるが日本語にしにくい、という文章が多いので悩む。英語自体がよくわからないこともある。この場合、英語の文章が悪いのではなく、私が悪い(A社の場合はないが、B社の原稿は多種多様で英語の文章がかなり悪い原稿もある)。最終的にはわかる(たまに誤訳あり)が、時間がかかる。記事を書いている記者はだいたい固定なので、電子メールを出してみようかと思ったこともある。

「アナタノエイゴ、ニホンジンニハ、ワカリニクイデース。モウスコシ、ワカリヤスクカイテクレルト、タスカリマース」

いつか実行しよう。

 

1997年11月28日(金曜日)

会社から帰ってすぐ寝てしまったため、日記お休み。

 

1997年11月27日(木曜日)

最近会社では、ほとんど技術開発コーディネータに徹しているが、今日、会社で翻訳を依頼することになった。なんで翻訳者を目指している私が、翻訳を依頼しないといけないのかと考えると矛盾も感じる。

翻訳者を目指しているわりには、翻訳業界のことをほとんど知らないので、どこに依頼していいのか全然見当がつかない。それで結局社内のある部門を通して翻訳を依頼することにした。

私「ちゃんと訳せるんでしょうね。技術的に結構難しい内容ですよ。」

ある部門のKさん「えぇ、だいじょうぶです。」

私「値段はいくらぐらいですか?」

Kさん「A4サイズ一枚で4000円ぐらいだと思いますけど...」

私「用紙のサイズで決まるんですか?? 普通何文字でいくらとか、何ワードでいくらとかじゃないんですか?」

Kさん「う〜、でもA4あたりいくらだと思います.......」

私「じゃぁ、A4に、おもいっきり小さい字で書いた原稿渡していいんですか?」

Kさん「..............」

かなりあやしい気もしたが、他にあてもないので任せることにした。こんど、どこの翻訳会社に出すのか聞いてみよう。

 

1997年11月26日(水曜日)

B社の12月1日納期の翻訳もかなりできた。後は見直し程度+αぐらい。しばらくは余裕の生活を送れそうだ。なかなか苦心したが、これはこれでよい経験になった。

それにしても、11月は忙しかった。正味20日ぐらいは翻訳していたように思う。おかげで今月は、会社の給料より、かなり翻訳料の方が多くなったが、ちょっと働きすぎだと思う。もう少しペースダウンしないと、体がついていかない。でも、断るのは断るで難しい。この微妙な調整がうまくいけば、翻訳もそこそこ儲かって楽しい副業、になると思うが、調整は難しい。

ところで今の私のペースでは、会社の仕事を辞めたとして、その時間を翻訳に当てられるぐらい(今ぐらいのペースで)翻訳の仕事をもらえたとすると(あくまで都合のいい仮定だが)、年収1000万円近くにはなるかもしれない。しかし、もし翻訳の仕事があったとしても、果して私に、毎日毎日、朝から晩まで翻訳が出来るかと言われると、どうもできそうにない。

今の半分ぐらいの労力で年収1000万が達成できるぐらいの技術がないと、ずっとやっていける気がしない。今は自分なりにパワー全開。大手企業のサラリーマンなんて、仕事をしなくても年さえ取れば、1000万ぐらいはもらえるわけだ。

それで、半分ぐらいの労力で成果を出すには、翻訳の単価を上げる、翻訳のペースを上げる、だと思うが、どちらに関してもまだまだ努力が足りない。今でやっと1年ぐらいだが、あと数年は下積み期間だと思っている。何かに書いてあった(失念)が、訳した枚数の紙を重ねたときに、自分の身長と同じぐらいの厚さになるぐらいの経験を積まないとプロにはなれないということだった。

身長は人によって違うだろ、とか、人それぞれの能力によって違うだろ、とか様々な突っ込みがあるかとは思うが、まぁ、目安としてそれぐらい、ということだろう。

私の場合は、このあいだ、資料を整理したときの経験から、足のすね、ぐらいだろうか。というわけで、まだまだこれからなので、もう少し気楽に、もう少しペースダウンしたいと思うのだが.....

 

1997年11月25日(火曜日)

現在のややこしい翻訳も、私の中では、ある程度パターンをつかみつつある。それで、少しペースが上がってきているように思う。

思えばA社の雑誌記事の翻訳も、最初は翻訳のパターンがつかめず、かなり苦労していた。今では、他のものと比べると時間がかかるものの、スピードアップしてきていると思う。

これはやはり「慣れてきた」ということに尽きるが、それでは「慣れてきた」というのはどういう状態だろうか。

たぶん、プロの翻訳者の方は、こういう文章あるいは単語はどう訳す、どういう選択肢があるか、などが暗黙のうちに決められていると思う。たぶん、パターンがあるのだろう。私の場合も、たかだか1年だが、少しづつ分かってきているような気がしている。

たとえば、私の場合だが、次のような文章が出てきたとき、

IBM products make ....

この文章の続きを見る前に、「IBM製品を使用すると」というところまで訳を決める。うまく説明できないが.... 「product」が無生物で、「make」の後には名詞が来てそれが主語で、その後には動詞が来ると無意識のうちに推測している。これが、

IBM products use ....

であれば、「IBM製品では、」となる。さらに文章が続いても自分のパターンに従って訳していく。

良く考えてみると、自分の中では、どういう文章はどう訳す、というのを暗黙の中で決めている。というか、1年ほどの経験の中で決まってきている。

簡単な例では、コンピュータの場合、「memory」が出てきて「add」ならば「増設」だ。「メモリを加える」じゃ、おかしい。「package」は対象がソフトウェアなら「パッケージ」、ハードウェアなら「筐体」。もちろん、例外もある、というか例外は多いので、たぶん、機械翻訳じゃ、訳せないが人間は柔軟に対応できるので、間違っても前に戻って直せる。

こういうパターンが数十か数百か数千のレベルかはわからないが、自分の中で出来つつあると思う。

これは、翻訳をこなしていく中で身に付いてきた。例えば、毎週、A社からは、「as well as」は、『前から訳した方が良い』というような指摘を受ける。(例えばこの場合、私は高校で習ったように、「A as welll as B」を「Bと同様にA....」と訳していた。しかし「同様に」もほとんどの場合必要ないということもわかった。)

現在の翻訳量は合計で数千ページだが、これが数万ページになれば、また別の世界があると思う。

 

1997年11月24日(月曜日)

A社に納品した。B社の25日納期分も見直して納品した。B社からは次の仕事も来ているのでそれも訳している。こちらの方は難しくて進捗状況があまりはかばかしくない。

例えば、

○○○(注:メーカ名) positioned the △△△(注:機種名) as an "affordable departmental server delivering next-generation performance and levels of expandability that customers won't outgrow."

という類の文章がずらずら並んでいる。はっきり言って、この文章にはほとんど意味なし、と思ってしまうが訳すしかない。こういうのは日本語にしにくいと思う。

それで普通の翻訳の半分ぐらいの速度でしか進んでいない。


ところで、髪を切りに行った結果を書かなかったが、結局普通(?)に短く切った。

「じゃぁ、ちょっとボブっぽくしておきましょう。」と美容院の人が言うので、ボブって誰だろうと思ったが、「お、お願いします。」と言って、すっかりボブの気分になった。

家に帰ってから、小学館の英和辞典で調べると、

bob - (婦人・子供の)ショートヘア,断髪: wear one's hair in a bob ショートヘアにする.

というわけで、人名じゃなかった。しかし、「ショートヘアにする」が「wear」だとは.... もしかすると、ロングヘアにする、は「wear one's hair in a long style」ぐらいだろうか.. やっぱり、髪を切るときに用語は難しい。意味不明な英語を使うと、意図していない髪型になるのは必至だ。

 

1997年11月22日(土曜日)

アメリカに初めて行ったとき、やっぱりカルチャーショックはあった。結構考え方も変わったと思う。

その中の1つだが、アメリカは日本と教育に対する考え方がまるっきり違う、と思った。日本は平均を育てようとする教育。勉強ができるやつは、まぁよしとし、平均的なやつも置いといて、できないやつを引き上げようとする。平均が好きだ。もちろん、日本でも例外はあるが、ほとんどがそうだと思う。学校は典型的だが、社会でも同じく平均が好まれる。

アメリカは逆だと思う。できないやつはほっとく。できるやつは、とことん支援する。

私は、コンピュータ・サイエンス関連の人と仕事をすることが多い。そういう人たちと仕事をしていると、驚くほどかしこい連中が集団でいる。ドクターコースの学生と聞いて、年齢は20台半ばかな、と勝手に思っていると、10台だったりする。頭がよければ、お金は国が出してくれるそうだ。世界的にも有名な研究グループだとそういう人たちがたくさんいる。

現在は米国マイクロソフトの副社長をしている人のグループと仕事をしたことがあるが、天才の集まりだった。

今はそのグループのほとんど人がマイクロソフトにいる。マイクロソフトはこういう人たちを200人ほど集めているらしい。

その事実を知って、私は、「マイクロソフトには勝てない」と一人で納得してしまった。

日本でも人格形成がどうだとか、いろいろ議論はあるようだが、例え13歳でも天才なら大学に入れてみたらどうだろう。

でもどちらが幸せかは別で、一億皆中流と思える日本の方が幸せかも知れない。

 

1997年11月21日(金曜日)

25日納期分は、ほぼ完了した。12月1日納期分にも着手。結構内容が難しい。難航中。まだまだ先は長そう。

いそがしいが、明日こそ髪を切りに行こうと思う。ここ何週間も行こう行こうと思いながらいけなかった。明日は、朝起きたら、まず、美容院に予約の電話を入れることっ!! > 自分。

そういえば、昨年の今頃は肩ぐらいまで髪があった。今は短いが、寒くなってきたので、また、のばそうかとも思う。ま、明日美容院に行ってから考えてみよう。

そういえば、アメリカで散髪に行くのはこわい。何でかというと髪型をうまく表現できないから。目の上ぐらいできってね、ぐらいならいいが、「髪をすく」とかは何て言うんだ?流れるようにね、とか。日本だと、「適当に切ってください」と私はよく言うけど、英語だと「cut properly!」か?全然違うような気がする。そもそも英語に「適当」という概念があるだろうか.... 謎、謎、謎。どなたか「美容院で通じる英語」を教えてくださいませ。

で、切りかたは、日本と比べると、かなりアバウトなので、バシバシバシ... と切ってさっさっと髪を払って終りだ。なので、髪を切った細かいのがいっぱい残っていて、家に帰って即シャワーを浴びないと服中髪だらけになる。これはアメリカでは普通らしい。あ〜、日本に生まれてよかった。

 

1997年11月20日(木曜日)

今日はB社から、次の仕事が来た。今の仕事の納期が25日で、今日来たのが12月1日。70ページぐらいだろうか。納期的には問題ないが、しばらく休養したかったので、ちょっと残念。

今回のはコンピュータ会社が新聞発表に使うニュースリリースのようなもの。

今のが早めに終りそうなので、次の仕事も早めに終わってのんびりしよう。

 

1997年11月19日(水曜日)

A社からメールが送られてきたので、ちょっとドキドキしながらメールを開けた。私の誤訳、変な日本語などの間違いをよく指摘されるので、いつも緊張してメールを読んでいる。

読み返してみると、この日記にもかなり「日本語が変」というところがある。誤字脱字というのは単なるミスだが、「日本語が変」というのは能力の問題だと思う。

ところで、毎週雑誌記事の翻訳をいただいているA社からのメールは、「本の翻訳をしないか?」というメールだった。

「是非よろこんで....」という旨のメールで返事をしておいたが、はたして大丈夫だろうか、と心配。コンピュータのマニュアルや雑誌記事には、そこそこ慣れてきたが、本の翻訳は、また別の世界のような気がする。もちろん、本でも、技術的な内容を解説した本なら今までやっている翻訳と同じだが、(本のタイトルとかも教えていただいたが)今回のは、そういう技術的な本ではないと思うので、できるかどうか不安。

が、せっかくのチャンスなので是非やってみたい。うまく翻訳できても、うまく翻訳できなくても、良い経験になると思う。

 

1997年11月18日(火曜日)

今日はやっぱり不調なので、さっさと寝ることにした。まだ火曜日なので納期の方は大丈夫...だろう。

ところで、思えば1年前の今頃、翻訳しようと思い立って、A社のトライアルに応募した。B社も今頃だったような気がする。

私の場合は、履歴書といっしょに自分が訳した自信作を添付して送った。

自分が得意な分野はかなり具体的にかつ詳細に書いて、その技術分野には自信があると書いたと思う。

なぜ、そういうふうに書いたかというと、普段、私が思うに(たんに私が思うだけだが)、「何でもやります」と言う人は「何もできません。」に近いと思うし、具体的に何ができるか言ってもらわないと依頼のしようもないと思うからだ。

仕事上、社外の人や他の会社に仕事を依頼することが多いが、「何ができますか?」と聞いたときに「何でもやります。」という人には、何が依頼できるのかさっぱり想像できない。なにも依頼できる気がしない。「一生懸命やります。」と言われても、別にその人を育てるつもりはないので、やる気だけでは仕事は依頼できない。

私「どういう分野のソフトを作れますか?」

相手「とくに分野は限定していません。なんでもやります。」

私「.......(リアクションに困る)」

という感じ。私が期待するのは、

「オブジェクト指向には自信があります。特にWindowsのOLEの概念には精通しています。CORBAによるアプリケーション開発もできます。趣味程度ですがSmallTalkも使っていました」

という感じの答え。これだけ聞けば、その人のことがわかったような気になってしまう。OLEの概念に精通しているのであれば、オブジェクト指向をかなりわかっているはずだ、とか想像してしまう。とすると、こういう仕事も依頼できるんじゃないだろうか、と私の頭の中で連想がどんどん進む。

Webを見ていると、よく、「何でもやります。仕事ください」と書いている人がいるが、こういうのを見ると私は考え込んでしまう。この人は、何もできなくて書くことがないから「何でもやります」と書いているのだろうか。それとも、やる気を見せようと思って「何でもやります」と書いているのだろうか。後者だとしたらそれは逆効果だ.... と思う。前者の、ほんとに何もできないんだったら、少なくとも「何がやりたい」かを具体化するべきと思うけど。

あっ、でも...そうか、良く考えてみれば、世の中の人が私と同じ思考で生きているわけではないので、「なんでもやります。仕事ください」の世界もありかもしれん。世の中は広い。いや、私の考えは私だけの世界だ。

どっちが仕事をもらえる確率が高いかは統計でも取らない限りわからないかな。

 

1997年11月17日(月曜日)

会社から帰ってから、ひたすらB社の翻訳をしている。かなりできてきた。このペースだと水曜日には、一通りできそうだ。木曜、金曜の見直しで完成、というのが最短コースだと思うが、このペースを一週間キープするのは無理だろう。でも納期は連休明けの火曜日なので、それには余裕かな。


ところで、今、ラジオで、かなり大昔流行った金妻の「Fall in Love.」がかかっている。結構英語の歌詞が気に入って覚えた.. ので歌える。

でも、日本の曲の英語は変なのが多い。まぁ、音楽なんてフィーリングだと私は思うので、少々変でもいいと思うが、最近、安室ちゃんが歌っていた「Can you celebrate?」という歌がちょっと気になっていた。何か変だ。でも何が変なのかよくわからない。

気になっていたのは、何か変だと思うが、何が、どう変か、私にはわからなかったからだ。明らかに変なら、それはそれで気にしない。

たまたま、新聞を見ていると、書いてあった。それによると安室ちゃんの「Can you celebrate?」は、「しいて訳せば『どんちゃん騒ぎしよう』になる」という。この歌の、祝うという意味なら「Wish me well?」だと確か書いてあった。

新聞には「歌の英語は乱れていて困る」と書いてあったので、安室ちゃんの歌にそういう言い方はないだろう、と思ったが、英語は勉強になった。

でも、「どんちゃん騒ぎ」だとは思わなかった。辞書を見るとcelebrateは自動詞にも他動詞にも使われて、辞書の自動詞のところには「お祭り騒ぎをする」とあった。これのことを言っているのだろうか。

しかし、私が感じていたのは、「celebrate」という言い方は普通のお祝い程度には大げさ過ぎる、ということだったのだが、それは辞書をみてもわからなかった。また、師匠の英語ネイティブ日本人にでも聞いてみよう。

 

1997年11月16日(日曜日)

今日一日はこんな感じだった。

というわけで、疲れた。が、さすがに結構進んだ。A社にも納品した。疲れた。サッカーも見れなかった。明日はなんと月曜日だ。あ〜疲れた。

ところで、翻訳の技術というのは、ひたすら大量に訳さないと身に付かないものがあるのではないだろうか。逆に言うと、ひたすら大量に訳すと身に付く技術があるのではないだろうか。一つは翻訳の速度だと思うが、それだけでもなさそうだ。さて、それは何だろう。よくわからないなぁ。しかし疲れた。

 

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