1997年9月28日(日曜日)
A社への納品も完了。来週の翻訳は休みにして欲しい旨を伝えておいた。10月6日(月曜日)に帰ってくる予定。いちおう日記は毎日書こうと思っているが、もしかすると6日まで書けないかもしれない。B社にも6日までは不在ということを伝えてある。
持っていく電子機器は....
という感じ。ノートPCはトランクの中に入れていく。いままで一度も壊れたことがないのでたぶんだいじょうぶ。トランク自体がなくなるのは心配だけど...
アメリカに行って一番困るのは私の場合、食事。どうもアメリカの食事は合わない、美味しくない、はっきり言うとまずい。アパートとかコンドミニアムとか、調理設備があれば自分で作るのだが、今回のようなホテルだとそういうわけにもいかない。
調理設備さえあれば、どこに行っても材料は揃う。ので、日本食が作れる。昔、アメリカで、観光客は皆無で日本人もほとんどみかけない、とある超田舎に滞在していたとき、スーパーにいくと豆腐を売っていたので、びっくりしたことがある。醤油はだいたいどこにでもあるが、豆腐もこんなにメジャーなのか、と思った。
この超田舎で、なぜか大根おろしが食べたくなり(理由は忘れた)、スーパーに大根を探しに行ったことがある。英語で何というのか知らなかったので調べると、「White radish」だった。そうかそうか「ホワイト ラディッシュ」か。と思ってスーパーに行き、野菜コーナをうろうろしてみると、店員さんに聞くまでもなく、大根を見つけることができた。ラッキー。他のものも買ってレジにならんだ。私の番になると、レジのおねぇさんが、「これはなんだ?」と言う。どうも、野菜の種類に応じて重量あたりの単価が違うので、その野菜の種類をレジの機械に入力して、重さを計り、金額を決めるようだ。それで、彼女は私に野菜の種類を聞いた。
お、きたきた。調べてきたかいがあったぞ。と思いながら得意げに「ホワイト ラディッシュ!!」と言った。 が、理解してもらえない。どうも私の発音が悪いというのではなくホワイトラディッシュというもの自体を知らないようだ。レジのリストの中にもないようだ。
結局彼女はレジから離れて調べに行った。しばらくしてレジに戻ってきて、彼女は私に、
彼女「ディス・イズ・だいこ〜ん!」
と言った。
私「…………」
最初から「だいこん」と言えばよかった.....
1997年9月26日(金曜日)
ちょっと前に日記に、レストランで「Pretty good!」と言うために、じっと構えている... という話をした。だいたい、私の場合は、英語で次に何をいうかを事前に考えておかないと、スラスラ出てくるもんじゃない。
ある程度の期間、アメリカ生活をしていると日常生活で発生することや英会話にはあまり苦労をしなくなってくるが、これは英語が上達したというよりも、そこでの生活に慣れて、パターンを学習した、という要素の方が大きいと私は思う。パターンをハズレれば初心者に逆戻りなのである。
そういう話。
ガソリンスタンドでガソリンをいれる場合は、自分でガソリンを入れたあと、レジのところに行ってお金を払う。普通レジは一カ所しかなくて、ガソリンをいれる機械はたくさんあるので、レジの人がよく分かるように、自分の車の色とか、機械の番号をレジの人に伝える。「White car!」とか「Number five!」とか。
...... というのが普通であたりまえだ、と信じきっていた。
遠出したとき、ガソリンを入れようと思ってガソリンスタンドに入った。いつものようにノズルを持ち上げ、ガシャンとスイッチを入れて、ガソリンを入れようとしたのだが、出ない。おかしいな... と思ったが、壊れていると思い込み、レジの人に伝えに行った。そう、この伝えに行く間に何を言うか考えとくわけだ。「That machine doesn't work!」とかね。
しかし、レジのおにぃさんは、私の顔を見るなり、
「How much?」
な、な、なんでだ? こ、こちらが客だ。なんで彼は、いきなり私に「いくら?」とか聞くわけ?
と私は15秒間、凍りついて動けなかった……… ガソリンスタンドには2種類あったのだ。先払いと後払い。先払いの場合は、最初に払った分だけガソリンが出てくる。ギリギリまでガソリンを入れなければ、再度レジに行ってお金を返してもらう。それで、おにぃさんは「いくら払うの?」と聞いたわけだ。
店員と客が逆のパターンもある。
アメリカのあるところで、私は友人と本屋に行った。紀伊国屋。アメリカにもたくさん紀伊国屋は進出している。友人はアメリカ人で白人、金髪。どこからみてもアメリカ人。
で、紀伊国屋には、たまたま和英辞典を買いに行った。レジの二人(おにぃさんとおねぇさん)は日本人のようだった。が、当然英語も喋れるだろう。もちろん就労ビザも持ってるだろう。
我々が欲しかった和英辞典は、見出しが「あいうえお...」でついてるやつ。「ABCDE...」のよりも見易いだろうということで、それを探していた、が見つからない。そこで金髪白人アメリカンの友人が、レジの人に聞きに行った。
金髪白人アメリカンが近づいてくるのをみて、レジのおにぃさんとおねぇさんは、ちょっとニコッとして「ハーイ」と英語で言った(ちなみに客が日本人だと「いらっしゃいませ」と彼らは言う)。彼も「ハーイ」と答えた。この金髪白人アメリカンは、当然英語で喋るものと彼らは思っただろう。
が、金髪白人アメリカンは、
「あの〜、みだしが、あいうえお順の和英辞典を探してるんですけど〜、ABC順のしか見つからないんです〜。あいうえお順のおいてませんかぁ〜??」
と、早口に流暢な日本語で言った。 おにぃさんとおねぇさんは、口を3cmほど開けて4秒間ほど停止した。
その後、彼らは日本語で答えていたが、金髪白人アメリカンが去った後、レジのおにぃさんとおねぇさんが「あ〜、びっくりした〜」とつぶやきあっていていたのを私は聞き逃さなかった。
1997年9月25日(木曜日)
ここ一週間、私にしてはかなりのハイベースで翻訳してきた。さすがに、一週間もつづくと、精神的にボロボロになりつつある。日記を読み返してみると、21日には、「だらだらとよく寝た」と日記に書いているようだが(あれは私か?)、なんか、遠い昔のような気がする。
ビールも飲まず、テレビも見ず、マンガも読まず、ひたすら翻訳している。
そういえば今年の2月もつらかった。まだ、翻訳をはじめて2ヶ月弱のころ。なぜか、ガンガン翻訳依頼が来てしまい、ほぼ一ヶ月訳しつづけた。翻訳速度は今の半分ぐらいだっただろう。が、もちろん、翻訳速度が遅いからといって楽なわけでなく、訳に悩んでいたから、慣れていなかったから遅かった。
一ヶ月連続というのは、専業で翻訳をしていれば、至極当然のことかもしれないが、副業翻訳者で、深夜まで連日翻訳しつづけるのはかなりつらい。もちろん、土曜、日曜も訳、訳、訳。しかも、翻訳初心者で仕事の要領も悪い。
実は、私は最初は何も考えず、トライアルや翻訳者募集にガンガン応募してしまったわけだ。はっきりと覚えていない(資料を探せば分かるのですが)が、8社ぐらいに応募したような気がする。返事が来ないところもあったが、結局5社に登録された。今にして思えば、これが失敗。応募するときには、序々に応募しましょう。
最近は安定していて(結構断っていた)、マイペースでやっていたのだが、今回は結構無理して仕事を受けてしまった。1日に20ページ以上を訳していたことになる。次回からは、ペースダウンしたい。
ところで、ゲストブックというのを作ってみました。なんでもいいので書き込んでみてください。参照する場合はこちらからどうぞ。
1997年9月24日(水曜日)
私の所属している部門にはネイティブな英語を喋る日本人が何人かいる。彼らは、日本人(正確にいうと国籍が違うので日本人じゃない人もいるが)なのだが、子供の頃から大人になるまで、ずっとアメリカに住んでいたので、英語は完璧。しかも、日本語も喋れる。もちろん、私と同じネイティブな日本語を喋る。見た目は全く日本人。
彼らに聞いたところでは、英語で喋るときは英語で考えるそうだ。日本語で喋るときは日本語で考えるそうだ。ちなみに、私は英語を喋るときも当然日本語で考えている。
ところで、1 つ発見したことがあって、英語で外国人の技術者と打ち合わせをするときは、英語よりも技術の方が重要度が高いということ。
その英語ネイティブ日本人の彼らも技術屋なので、当然技術に明るいのだが、私の方が年齢的にも上ということもあって、ちょっと私の方が詳しい。で、アメリカ人とのミーティングで、その英語ネイティブ日本人も入れて、ミーティングをしたことがあるのだが、なぜか、話の理解力と説明能力は圧倒的に私の方が上だった。
この理由はたぶん:
ということだと思う。
ただし、これが、食事に行ったとき、雑談になったとき、などは完全に立場が逆転する。まったく、ぜんぜん、さっぱり、英語ネイティブ日本人に、かなわない。何の話をしているのかさえわからないこともある。
よく考えてみると、翻訳もこれに近いのかも知れない。今日訳していると、こんな文章がいきなりでてきた(この文の内容に関する前置き、説明などはほとんどない)。
In XXX OS, you could access up to 4 GB of address space, but you could not malloc more than 2 GB. The rest had to be mmapped. (注: XXXのところにはOSの名前が来ます)
うーん。これって普通、訳せるのだろうか。私はたまたま知っているからよいが、知らない人は malloc や mmapped をどうやって訳すのだろう。これを勉強する方法なんてあるのだろうか。逆に私が同様に知らない言葉に直面しても、この類の知らない言葉は調べようがないのではないだろうか。と、ちょっと悩んでしまった。
「XXX OSでは、最大で4 Gバイトのアドレス空間にアクセスできるが、malloc で 2 Gバイト以上のメモリを確保することはできない。残りの空間にアクセスする場合には mmap でマップする必要がある」
malloc および mmap はUNIXのライブラリ(システムコールではない)なので、そう補足した訳の方がいいかも知れないが、あっさりと訳してしまった。
ライブラリの名前を動詞として使うのは我々も日常よくすることだが、ちょっと専門をハズレてしまえば訳せるような気がしない。これから先、こういうのに出会ったらどうしよう。一流の翻訳者になれば訳せるのだろうか.......
1997年9月23日(火曜日) 秋分の日
25日納期のB社の翻訳はほとんど終わったが。一時中断していた方も引き受けることになった。よくファイルを見てみると、かなり以前に訳したのと文章がほとんど同じファイルがある。全部で150ページぐらいといったが、同じところが100ページぐらいなので翻訳対象は50ページぐらいだ。これなら、楽勝。
25日納期分の見直しをしていたのだが、見直しばかりだと飽きてきたので、29日納期分の(つまり上の50ページの方)も訳した。だいたい20ページぐらいはできたので、木曜日ぐらいには終わるかな。
ところで最近、自分の翻訳速度がスピードアップしてきたように感じる。9月19日の「Mule for Win32」の話のところで、ガンガン入力できない... というようなことを書いたが、そういえば、ちょっと前までは、あまりガンガン入力できなくても、困っていなかったような気もする。つまり、翻訳速度が遅いので、キーボードをガンガンたたいて入力するということがなかったのかも知れない。
以前は、文章を読んで、訳を考えて、それから入力する、という流れだった。最近は、英語の文章を最初から読みながら、いきなり入力している。それでつじつまが合わなくなると読み返すが、だいたいは画面に入力したあと、単語を入れ替えたり、言葉を変えたりしながら、画面上で文章を作成するようになったように思う。もっとも、それがよいことなのかどうかはわからない。
今回の英文は、昨日も書いたように、美辞麗句がおおく、抽象的な言葉も並びたてられているので、さくさくとは訳せないが、マニュアルの翻訳はとてもシンプルなので、キーボードからの入力速度が重要という気がする。
9月19日の日記にD社の話をちょっと書いたが、D社から来る仕事は、Windows関連ツールのマニュアルが多く、楽なのものが多い。「XXXをクリックすると、ダイアログボックスが表示されます。」という類のマニュアル。こういうのは、たぶん、プロの翻訳者の方だと、ぜんぜん頭を使わずに訳せるのではないだろうか。
ちなみに、翻訳会社が使っている機械翻訳を相手にしたことがあるが、この手の類の文章は機械翻訳でも結構見事に訳すと私は思う。しかし、今回訳しているようなものは機械翻訳だと、意味不明になり、A社の雑誌記事のようなものは壊滅的だと思う。
私自身も、たまに機械翻訳を使うので、またその話もします。
1997年9月21日(日曜日)
だらだらした一日だった。
昨日A社からも仕事が来たので、それを訳して今日納品したが、B社の仕事はあまりすすまなかった。ので、まだ完成せず。残りは10ページぐらい。明日中にはできて見直しにはいれるだろう。あさっていっぱいで終わりたい。納期(25日)にも1日余裕がある。
きょうは、昼12時頃におきて、昼間は訳していたが、午後6時ぐらいから午後10時まで寝てしまった。で、また(今は午前2時ぐらい)寝ようとしている。あぁ眠い。
ところで、訳していてわからないことが一つ。「NE Europe」 というのはなんでしょう?
Germany、France、Belgium、Holland とならんで、NE Europe というのがでてきたが、何のことやら........ いちおうヨーロッパにしたが NE とは何だ? たぶん、new のことだと思うけど... New Europe というのも何のことやら。
どなたかご存じでしたらメールで教えてください。
1997年9月20日(土曜日)
9月15日の「さらっばぁ」の話がおもしろかったというメールをいくつかいただいた。どうもありがとうございます。
というわけで、「さらっばぁ」には続きがあるので、それを。
その「さらっばぁ」レストランで食事が終わり、お金を払おうと清算してもらうと、全部で350ドル(約4万円)ぐらいだったと思う。結構ビールも飲んだ。
10人だったので1人35ドル(約4000円)ぐらいかな。チップは15パーセントね、と適当にお金を集めると、チップが100ドル(1万数千円)ほどになってしまった。割合でいくと30パーセントぐらいで多すぎるが、なんせ、みんなアメリカに来たばっかりなので1ドル紙幣とか5ドル紙幣をあまりもってなかったので細かくできなかった。
今にして思えば、レジにいって細かくしてもらうなり、一度払って、おつりをもらってチップだけ置いていくなり、いくらでも方法はあるのだが、そのときはみんな素人だったので思いつかなかった。
それと、みんな太っ腹(?)だったので、「いいじゃん、いいじゃん。ウェイターのおにぃさんは親切だったし。多めでいいんじゃないの?」という意見に誰もが納得した。
アメリカではお金はテーブルの上に置いて、さっさと出ていけば良い、ということを知っていたので、そのまま我々10人はホテルへの帰路に。
「さらっばぁ」レストランから、ずっと坂を下っていったところがホテルだ。我々が、その坂を談笑しながら歩いていると、なんと、さきほどのウェイターのおにぃさんが、坂の上のほうから何かを叫びながら「どっ、どっ、どっ、どっ(走る音)」と血相を変えてこちらに走ってくるではないか。しかも、このウェイターさんは、かなりの巨漢。我々10人が身の危険を感じたのは言うまでもない。
我々に追いつくと彼は、「チップ」がどうしたこうしたと言う。チップに不満があるのかと思って、またみんなで集まってワイワイがやがやと彼の話を必死で分析。彼も汗をぬぐいながら、一生懸命説明。結局、「チップが多すぎるが、これはなにかの間違いではないか?」と言っていることがわかった。
まぁ、チップだけで100ドル(1万数千円)もあったからなぁ。でも「親切に応対してもらったからこれでいいのよ。取っといてね」と、通じたかどうか不明だが、そう言っておいた。
彼は、「Thank you.」「Thank you.」「Thank you.」と何度も言って、そしてまた、「どっどっどっどっ」と戻っていった。
その後、いろいろ事情があって、アメリカにわりと長期間滞在することになるが、こういうほのぼのした経験は少ない。あとで聞くと、アトランタは田舎で、純朴な人が多いとか。彼もその一人だったのだろう。
1997年9月19日(金曜日)
「Mule for Win32」をインストールした。Mule というのは Emacs を国際化したものだ。翻訳では「ローカライズ」とかいう言葉がよくでてくる。ローカライズとは、私が説明するまでもなく外国語を日本語にすることをいう。翻訳の場合には、外国語を日本語にする(もちろん,逆もある)のだからローカライズでよいが、ソフトウェアの場合は違う。ソフトウェアもよくローカライズされるが、ソフトウェアの在り方を考えると、それでは片手落ちで、インターナショナライズしなければならないと思う。
インターナショナライズとは、英語以外の言語も、何でも使えるようにするということ。Windows のように英語なら英語だけ。日本語なら日本語(+英語)だけ。中国語なら中国語(+英語)だけ。というのではなく、英語も日本語も中国語も韓国語もハングル語もドイツ語も「同時」に使えるようにする、というのがソフトウェアの在り方だと思う。これがインターナショナライズだ。
Windows では、Unicode が使われているが、Unicode では世界の言語を一意には表せない。だから、例えば日本語と中国語を同時に表示することはできない。ISO では、世界の言語を同時に表すことができる体系が決まっているのだから、これを使うべきだ。
Microsoft に制覇された現在では、Unicode が業界標準のように扱われているが、Unicode を肯定してしまうと、その時点で、「世界の言葉でありがとう」は不可能になる。
ま、そんなことを気にする人はあまりいないと思うので、置いといて、何の話かというと Mule の話だった。
Mule は Emacs を国際化したものと書いたが、Emacs というのは、Java を開発したジェームズ・ゴスリンという人が昔開発した「自己拡張型エディタ」だ。原型は、ジェームズ・ゴスリンが開発したのだが、GNU プロジェクトの総帥 リチャード・ストールマンが今の Emacs をフルスクラッチから起こして開発した。だから、Mule のコードのほとんどは、ストールマンが書いたものだ。
ま、そんなことを説明し始めると、たぶん、A4 で10枚ぐらいは書きそうなので省略して、なぜ、Mule をインストールしたかというと、翻訳の量が多くて、バンバンPCに入力するのに、Word やメモ帳やMifesや他のエディタでは、時間がかかってしょうがないから。
いままで、インストールが面倒なので、ついつい普通のエディタを使っていたが、今回はさすがに耐えられなくなり、Mule をインストールした。
私がキーボードで入力する文字は、1分間に約250文字程度。1秒間に4文字程度だ。Wordとかを使用すると、マウスを使わないといけない。マウスを使うと極端に入力速度が落ちる。マウスを使わなくてもWordを使うことはできるが、ALTキーとか矢印キーとか、ブラインドタッチに適さないキーを使う必要が出てきて、がんがん高速で作業できない。
Mule は、あらゆる操作をキーで行うことができる。シェルも動かせるし、ディレクトリもたどれるし、バッファという概念があって、複数の作業状態を保持できるし、万能だ。複数ファイルの切り換えもあっという間にできる。
たぶん、キーを5個入力するぐらいで、どのファイルを編集するか決めて読み込めるので、1秒間に4文字とすると1秒ちょっとで移動できる。
直前に編集したファイルを再度読み込むのは 0.75秒でOK。画面上のカーソルの移動も全て普通のキー操作。なので、編集がとても速い。
全ての操作がキーに割り当てられているので、使用方法を覚えるには、たぶんWordの10倍はかかるが、覚えるとWordの100倍便利。
ところで翻訳の方だが、
ちょっとゴールが見えてきた。日曜日には一通り完成する.... かな。それから見直しに入る。1回目の見直しには結構時間がかかる。ただし、土曜日にはA社から仕事が来るのでその分量によっては月曜日に持ち越し。
ここ3日間、かなり気合いの入った生活をしたので、完成できるメドがたってきた。23日が祝日で会社が休みということにも、今日気がついたので余裕。
ところで、なぜかD社から翻訳料の明細書が送られてきた。10万円ぐらいくれるらしい。これっていつの翻訳だ? おぉ、今回は単価 2500円!! きまえいいなぁ。
寝不足で意識がどこかに飛んで気分がハイなのでたくさん書いてしまった。
では、みなさん、よい週末を。私はずっと翻訳です。ではでは。
1997年9月18日(木曜日)
はまった。自ら、はまっていった。
昨日、この日記を更新したのが、確か深夜2時頃。そのときに来たメールを読むとB社からだった。
「いまの翻訳は一時止めて、急ぎの分をやってほしい」ということだった。納期は25日。分量は130〜140ページ。
ちょっと考えたが、今月はあまり翻訳してなかったので引き受けてしまった。7日間で140枚だと1日平均20ページ。うーん無理か? が、もう遅い。
日記を書いている場合ぢゃぁない。
ではまた明日。
1997年9月17日(水曜日)
#
新しい日記を上に書き足すようにした方がよいというご指摘をいただきましたので、
# 逆にしてみました。
B社から仕事が来た。「今月はB社から仕事が来ない」と書いた次の日に来るとは...
今回はだいたい、
という分野。バイト数で計算してみると全部で200ページぐらいだったが、制御コード(HTMLのタグのようなもの)が結構入っているので、翻訳対象は150ページぐらいだと思う。
ところで、私の得意分野は、コンピュータのOS(UNIX、Windows、リアルタイムOS、分散OS)をはじめ、ネットワーク(イーサネット、ルータ、スイッチ、ハブ、ドライバ、ファイアウォール....)、コンパイラ、デバッガ、オブジェクト指向(言語、方法論)、ソフトウェア工学、ウィンドウ・システム、TCP/IP等各種プロトコル、CPUアーキテクチャ(CPU自体の内部構造とか、MMUとか)、PCアーキテクチャ(PCIバスのアーキテクチャとか)、SCSI、フォールトトレラント(クラスタ技術、RAIDディスク...)などなど。 まだ他にもありそうだが思い出せない。
「納期は客先と交渉中です」ということで、納期は今のところ不明。できたら2週間以上は欲しいな。
会社の方も忙しくなりつつあるので、しばらくは試練の日々かも知れない。
思い〜いこんだ〜らっ、試練の道を〜 (ふ、ふ、古い... しかも、あまりにベタ。)
1997年9月16日(火曜日)
8月25日に書き始めた日記も、まだ続いている。たいしたもんだ。三日坊主には終わらなかった。なんでこんなにまじめに書いているのだろう、と思ってよく考えてみると、最近、暇だからだろう。大量の翻訳の仕事が入ってくると途切れてしまうような気がする。でもなるべく途切れないように少しづつでも書きたいなぁ。
いそがしいときは、本当に忙しい(あたりまえのようだけど)。そもそも私は会社員なので会社にも行かないといけない。雑誌記事のA社からは定期的に少量の仕事が来るだけなのだが、B社からは、100ページ、200ページの単位で仕事が来て、納期もそこそこ短いので、寝不足の毎日になる。さらに来るときは来るもので、重複してしまうこともある。
それぞれ、みなさん、自分のペースがあると思うが、私の場合は、深夜3時〜4時ぐらいで寝ることにしている。4時を過ぎると次の日が全く仕事にならない...ということを発見したのです。4時までだと、1週間耐えられます。土日になると、翻訳があっても長めに寝ることができるが、平日は朝起きて会社に行かないといけないので、1週間継続するには4時が限界。
翻訳を始めた数ヵ月は全くペースがつかめなかった。ペースがつかめないのでパニックになってしまったこともある。でも、9ヶ月ほどたった最近は、ペースがかなりつかめてきたので、できないものはできないと判断し、あまり無理しないように、仕事が来ても結構断ってしまう。もちろん、丁寧に断りますよ。正直な話し、A社とB社にはとても感謝しているのです。
それで、B社からは「どこまでできるの?」と聞かれることが多くなったように思う。原稿を送っていただいて「どこまでできるか教えてください」と言われるので、「じゃ、ここまでやらせてください」というパターン。
でも、そういえば今月はB社から仕事が来ないなぁ... もしかすると、私のバブルは崩壊してしまったのだろうか。ま、それならそれで、次のことを考えよう。
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