1998年2月28日(土曜日)

出版社の原稿 -> 鋭意制作中。

A社の翻訳 -> 鋭意制作中。

B社の翻訳その1 -> 鋭意制作中。

B社の翻訳その2 -> 連絡なし。

B社の翻訳その3 -> 今日、新たに依頼の予告あり。「その2」はどうなったんだろう?

C社の翻訳 -> ファイルフォーマットの話は理解してもらえた模様。1日何ページ訳せるかと聞かれたので、10ページと答えておいた。

というわけで、こうやって書いてみると、あちこちからいろいろ頼まれている。B社は複数の翻訳コーディネータから依頼が来るが、どうなっているのか不明。

今の課題は「勇気を持って断ること。」かもしれない。さらには「断っても仕事が来る実力」を身につけることも課題(でもこちらは永遠の課題かな?)。

 

1998年2月27日(金曜日)

出版社の原稿 -> 鋭意制作中。

B社の翻訳その1 -> 鋭意制作中。

B社の翻訳その2 -> 連絡がこない。遅れているのか、忘れているのか、見捨てられたかのいずれか。

C社の翻訳 -> WMFファイルとは何だ、ビットマップとは何だ、スクリーンキャプチャとは何だというレベルの話題で話が噛み合わず、翻訳会社と交信中。ただし、1日数通のメールなので、らちがあかず。

 

1998年2月26日(木曜日)

B社から仕事が来た。このあいだ、予告の宅急便(資料)が送られてきた翻訳とは違う別のもの。60ページぐらいかな。3月5日納期。まだ余裕があるなぁと思っていると、2月は28日までしかない、ということに気が付いてあせっている。

出版社から頼まれている原稿も鋭意作成中。

というわけで、今日はちょっと忙しい。ひさびさに4時に寝る。

 

1998年2月25日(水曜日)

今日は久々にウィスキーを買いに行った。私が好きなのは「Wild Turkey(ワイルド・ターキー)」というバーボン。今は飲みながら書いている。

ウィスキーには2種類あって、「Whiskey」と「Whisky」。「K」のあとに「E」があるのとないのとがある。ワイルド・ターキーには「E」ありで、「Whiskey」。

バーボンは「E」ありの「Whiskey」で、スコッチは「E」なしの「Whisky」。ただし、ジャックダニエルは正確にはバーボンではないが「Whiskey」。それ以外の例外は知らない。

ディスカウントショップに行くと、ワイルド・ターキーの8年ものが2,400円だった。安い。一昔前と比べたら驚くほど安くなった。

日本では手に入らない「12年もの」のワールド・ターキーもいくつか持っていた。たくさん買ってあった「8年もの」を飲み尽くしたあと、在庫の「12年もの」にも手を出してしまい、結局全部飲んでしまったので、今日、買いに行った。が、やっぱり「8年もの」しかなかった。

ところで、アメリカで聞いたのだが、あまり酒の飲めない女性がバーに行って、男性が酒を勧めるのを断るうまい口実。

女性「バランタインの「17年」をお願い。」

バーテン「それは…ちょっと今は切らしてまして…」

女性「じゃ、いいわ。」

「17年もの」のバランタインはあまりないらしい。この話を聞いて、私はわざわざ「17年もの」を探して買った。1本だけ持っている。

ところで、やっぱりワイルド・ターキーは旨い。

 

1998年2月24日(火曜日)

仕事予告の連絡があったB社からもC社からも、それ以降連絡がないので、どうなったのかなぁ…と思う今日このごろ。キャンセルかな??

翻訳会社もお客さん対応は結構大変みたいで、仕事がキャンセルされたり、客先がいい加減だったり、いろいろあるみたいだ。

私の仕事も何度かキャンセルになったことがある。この場合、翻訳会社は客先から料金を取るのかどうかは知らないのだが、翻訳者の私には翻訳料を払ってくれる。

「翻訳がキャンセルになったので申し訳ないのですが止めてください。いままで訳した分はお支払しますので、分量を教えてください」という感じ。

「翻訳依頼した分は全額払え〜。」という強気の翻訳者の方もいらっしゃるだろうが、私の場合は弱気(?)なので、その指示にしたがって、それまでに訳した分量を連絡している。丁寧な言い方でキャンセルされると、「別に翻訳料はいらないですよ」という気分にもなる。(まだまだ甘ちゃんだ。)

翻訳会社も、きっと継続的に仕事をもらっている客先(例えばコンピュータ会社)には、あまり強いことを言えないのではないだろうか。私の場合、B社から貰う仕事は、いつもは同じ客先(コンピュータメーカ)のものだ。


ところで、最近は(とくに今年になってからは)、早寝遅起きに徹底している。毎晩深夜4時に寝ていたことなど、もう記憶の彼方。そんなこともあったかも知れない、ぐらい。

人間、やっぱり気持の持ちようで、寝ないと体調悪い... と思うようになると本当に寝ないとダメ。寝なくても気力で乗りきれると思えると、かなり乗りきれる。おもしろい。

ちなみに、1日9時間は寝ないとダメ、というのが今の私。じゃないと頭痛がする。かなりのネガティブ思考... だ。

 

1998年2月23日(月曜日)

T社の話の続き…

電話がかかってきて、「XXXの翻訳をして欲しい」という。コンピュータでもちょっと特殊な分野で訳せる人がいないという話だった。ちょっとソフトウェア工学っぽい内容だった。

私は一応引き受けることにしようと思い、今回はページ数などの条件をきちんと確認するつもりだった。

前と同じように「全部で10ファイルです。」と言うので、「10ファイルとは何文字か?英文800バイトを1ページとすると何ページか?」と聞いた。「1ファイル、1ページぐらいだ」と向こうは言うので、いちおうそれに納得した。

しかし、結局ファイルを見てみると、1ファイル、1ページではなく、その3倍以上はあった。

でも一応、全て訳したが、翻訳料は10ページ分だった。しかも、その10ページ分の報酬もなかなか支払われず、何度か催促して、半年後ぐらいに貰うことができた。

さらに、この会社、翻訳料の源泉徴収をしていないみたいで(脱税だと思うけど)、翻訳料から源泉徴収はされていなかった。なので確定申告の時期になっても源泉徴収票が送られてこない。他の翻訳会社からは全部送られてきているが…


翻訳会社にもいい加減なところがあるので、注意が必要。私は初心者なので登録さえして貰えば良いと考えていたが、こういう翻訳会社があることを知って、これはこれで良い経験になった。

 

1998年2月22日(日曜日)

今日は朝から翻訳して、A社とB社に納品。

雑誌記事 - 進捗なし、C社の翻訳 - 進捗なし。

ところで、私がC社に「ヘッダファイルと、ヘルプファイルのソースが欲しい」と言ってから、何も連絡がない。今のところ納期も聞いてない。C社は「リソースファイルを編集するためのツールを送る」とも言っていたが…。

納期が決まらないと、なかなかやる気がでない。

 

1998年2月21日(土曜日)

二日酔いでダウン。夜まで復活せず。


B社から宅急便が届いた。大規模な翻訳プロジェクトをやるという。期間は1ヶ月。複数の翻訳者で訳すらしい。

火曜日に原稿を送るので、どのぐらいの分量ができるかを検討して欲しいとのこと。

今回、私の場合はちょっと弱気に200ページぐらいにしようと思っている。アクセル全開で訳したとすると400ページ以上はいけるだろうが、きっと体を壊す。

それに、出版社から頼まれているJava関連の特集記事も書かないといけないので、あまり時間もなさそうだ。

そういえば、C社の分もあった。あぁ、これからどうなることか…。

 

1998年2月20日(金曜日)

また焼き肉を食べに行った。総勢7人。今日はなぜか、バレリーナの人もいて(残念ながら既婚)、結構面白い話を聞くことができた。先ほど、深夜1時過ぎに帰ってきたが、それでも日記を書こうという自分はえらいと思いながら日記を書いている(なんのこっちゃ)。ではおやすみなさい。

 

1998年2月19日(木曜日)

C社からも仕事が来た。Windowsのリソースファイルとかヘルプファイルとかを訳して欲しいと言うことだ。しかし、C社の方では、リソースファイルとかヘルプファイルが何のことか分かっていないようで、コンパイルされたバイナリファイルが送られてきた。ソースが欲しいとメールを出しておいたが、理解してもらえるかどうか不明。

ところで、HTMLのファイルとか、リソースファイルとかは、翻訳の効率が非常に悪い。複雑なタグやコントロールコードが混じっているので、それを避けながら訳さないといけない。時間がかかる。が、今回のような場合、単価がそれほど上がるわけでもないので、あまり割りには合わない。

さらに、リソースファイルには、単語がたくさん登場する。翻訳で、単語ほど訳せないものはないと思う。例えば「Spin」と単語が出てくるのだが、私には何のことかさっぱり分からない。

リソースファイルというのは、Windowsのメニューとして表示されるものなどが含まれているのだが、前後の脈絡もなく単語が出てくるのでさっぱり分からない。その翻訳対象のソフトウェアに精通していればよいが、まったく知らないアプリケーションソフトウェアのメニューを訳せと言うのは酷な気がする。

が、結局C社の仕事は引き受けてしまったので、苦心しながらも、訳を編み出すことにする。いちおうマニュアルなどの資料は要求しておいた。PageMakerのファイルだというので、「こちらではPageMakerのフォーマットは読めないので、PDFで送って欲しい」と連絡しておいたが、これも理解してもらえるかどうか不安がある。

ところで、「Spin」は「スピン」にしようっと。でも一応、「理解できない」用語集をつくって、C社に送ることにする。

 

1998年2月18日(水曜日)

B社から仕事が来た。30ページぐらいだろうか。納期は日曜日まで。雑誌の仕事もあるのでそこそこ忙しい。


私は別にスキーもしなければ、スケートもしないし、寒いのは嫌いなので、冬季オリンピックにたいして興味があるわけじゃないと思っていたが、なぜか、感動するシーンが多くて困る。

昨日は昨日で、ジャンプの原田選手が泣きながら何を言っているのか良く分からないのをテレビで見ながら、もらい泣きしてしまった。

それは、苦難を乗り越えて勝利を得た原田選手に感動したというのもあるが、「やる気がでない」とか「眠いので寝る」という自分自身と対比して、自分の情けなさを感じたというのもある。

「努力に勝る天才はない」と、いまさらながら、あたりまえのことを再認識するオリンピック。

 

1998年2月17日(火曜日)

C社からは連絡が来なかった。そんなもんだろう。

出版社から連絡があり、記事を書くことになった。1万数千字ぐらい書けということだ。翻訳なら30ページぐらいなので、2,3日の仕事だが、自分で考えて書くのはたいへん。納期まで2週間。

 

1998年2月16日(月曜日)

C社から久しぶりにメールが来た。最後にC社の仕事をしたのはいつのことだろう。もう半年ぐらい前だと思う。

C社は、コンピュータソフトウェアはあまり得意じゃないらしい。私は、C社から来るソフトウェアに関する質問にいろいろ答えてあげた。

「客先がPDFファイルで原稿を送りたいと行っているがPDFファイルとは何か?そのファイルは編集できるか?」とか、「ソフトウェアのローカライズというのは具体的にはどのようなことをするのか?」などなど。

結局、私の仕事には結び付かなかったが、私の趣味の範囲でいろいろ調べて教えてあげた。

昨年、C社からはお中元をもらったが、そのお礼という意味だったのかも知れない。

今回の仕事は明日、詳しいことを客先から聞いて連絡するとのこと。

ここのところ、ハングリー精神が全然なくて、副業の翻訳をする気が全然しない。でもC社から仕事が来たら一応やることにする。あ〜、こんなことではダメだと思うが…

 

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