Album Number | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
1st | 2nd | 3rd | 4th | 5th | ||
6th |
DiscographyRitchieは、以前からのお気に入り「Blacksheep of The Family」をDeep Purpleのメンバーと共にやりたがったのだが、これがメンバーの反対に遭い、実現しなかった。 これが、Ritchieがソロ プロジェクトに興味を持った一因である。 そこで、まずRitchieの頭に浮かんだのは、Purpleのサポート アクトを何度か勤めていたElfのRonnie Dioだった。 Ronnieとの仕事は、思いのほかRitchieに良い印象を与え、PurpleのAlbum「Strombrnger」の出来に不満を抱いていたRitchieに とって、「脱退」の2文字が頭にちらついたのは無理なからなぬ事であった。 1975年、RitchieはDeep Purple脱退後、Ritchie Blackmore's Rainbowという名で、初のAlbum「Ritchie Blackmore's Rainbow」がリリースされた。 だが、第一期Rainbowのメンバー(つまりElfのメンバー)は、Ronnieを抜いて、結成して2〜3ヶ月で脱退した。 Ritchieが彼らにクビを宣告したのである。 そして新たにRainbowに入ってきたのは、既にJeff Beck Group等に加入して安定した実力を発揮していたCozy Powell(Dr)の他、 BassにJimmy Bain、KeyboardにTonny Careyだった。 そして1976年、満を持して2nd Album「Rainbow Raising」が発表された。 1st Albumは全てRitchieの手によって書かれたが、Rainbowを”バンド”として組み立てるのに十分な力量を持っているRonnieもソングライティングに力を発揮している。 実際、1stは「Ritchie Blackmore's Rainbow」であったが、この2nd Albumより「Rainbow」となっている。 これは、とりもなおさず、Rainbowが”バンド”としての歩みを始めた事を意味する。 Ritchie自身、このRainbowを自身の単なるソロ プロジェクトではなく、”バンド”としての力量十分と判断したのだろう。 しかし、バンドに、そしてメンバーに”完璧”を求めるRitchieの事、このメンバーも長続きはしなかった。 1977年、BassistであるJimmy Bainがクビを切られている。 他にも、KeyboardistであるTonny Careyもクビを切られる寸前だったのだが、他に良いKeyboardistが見つからず、彼はこの時は据え置かれている。 Tonnyは、まだRainbowに残れると聞き、手放しで喜んだと言う。 そして、Jimmyの後任として新たにRainbowに入ってきたBassistは、Mark Clarkであった。 彼らは、Jimmyの代わりにMarkを加入させたこのメンバーで、3rd Albumのレコーディングに入っている。 だが、このAlbumも完成しない内にTonny Careyかクビを切られ、そればかりか、何とBassistとして新規加入したばかりのMark Clarkもクビを切られたのである。 これでは、勿論Album制作など出来る訳が無い。 そこでRainbowは、Album制作途中で再びメンバー探しをするハメになった。 そして新たにRainbowに加入してきたのは、元WidowmakerのBassist、Bob Daisley(彼は、後にOzzy Osbourneの帝国でPlayしている)と、新人Keyboardist、David Stoneであった。 このあわただしいメンバーチェンジの間に、Live Album「Rainbow On Stage」がリリースされている。 メンバーが揃ったRainbowだったが、そのまま3rd Albumの製作には入らず、まずはツアーをスタートさせた。 このツアーは、ヨーロッパの各国を巡るのみの短いツアーだった。 このツアーで面白い点は、まだ完成されていない3rd Albumより、数曲の新曲を演奏している事だ。 更に、ツアー中に警備員に対する暴力行為で、Ritchieが警察に数日の拘留を食らうおまけまでついた。 ファンを殴り倒した警備員の過剰警備に対して、腹を立ててのことだったらしい。 そして1978年、約2年ぶりにRainbowの新作「Long Live Rock'n Roll」がリリースされた。 このAlbumをリリース後の11月、既にRainbowにとっては恒例のメンバーチェンジが行われた。 だが! このメンバーチェンジにVocalのRonnieまでもが含まれるなど、当初誰が予想出来たであろう。 Bob DaisleyとDavid Stoneは予想できたとして、ここまでRainbowに大きな役割を果たしてきたRonnieまでもがクビになったのである。 Ronnieは脱退について、だんだんRainbowがRitchieのやり方のみで占められるようになってきたのと、メンバーチェンジが多すぎたのが同意できなくなってきたのでバンドを止めた、と語っている。 そしてRainbowにやって来たのは、後にYngwie J. MalmsteenやSteve Vaiと共にAlcatrazzを結成する、4オクターブもの声の持ち主のGraham Bonnet(Vo)と、Cozyの紹介でRainbowに加入したDon Airey(Key)(彼も、後にOzzy Osbourne Bandに加入)であった。 これだけでも豪華なメンバーが揃った上に、Bassistには、何とかつてのDeep Purpleでの盟友、Roger GloberがRainbowに参加したのだ。 Rogerは、元々プロデューサーとしてRainbowと共に仕事をしていたのだが、Bassist探しが非常に難航。 そこでRitchieは、試しにとRogerにBassを頼んだらしい。 そこでのRogerのPlayは、Ritchieを深く感動させるに至った。 「Rainbowに入る気はないかい?」 Ritchieは、駄目を承知でRogerに尋ねてみた。 結果は、勿論「No」との返事だった。 だが、Ritchieは諦め切れず、折りを見て再度Rogerにアタック。 しばらく考えた末に、とうとうRogerもRitchieの熱意に折れた。 この瞬間、新生Rainbowのライン アップが完成したのだ。 そして1979年、このメンバーでレコーディングしたAlbum、「Down To Earth」がリリースされた。 このAlbum名は、レコーディング中にDonが思わず言った、「これはイイ! 足が地に付いている(Down To Earth)感じだ!」との 言葉から命名されたものだ。 そして1980年、Rainbowにとって最早お定まりのメンバーチェンジが、またもや行われた。 だが、今回のメンバーチェンジも、前回同様大きい波紋をRainbowに残した。 5年間、Ritchieと共にRainbowを支えてきたCozy Powellが遂にRainbowを去ったのだ。 だが、彼は今までのメンバーと違い、自ら望んでのRainbow脱退だった。 「俺とCozyは、個性が強すぎるんだ。元々別れる運命にあったんだと思う。 むしろ、長くやれた方さ」 後に、RitchieはCozyについてこう語っている。 そして、Rainbowは代わりにBobby Rondinelliと言う新人ドラマーを加入させて、新作のレコーディングに入った。 だが、ここで思わぬハプニングが起きた。 Cozy脱退にすっかり気落ちしたGraham Bonnetが、すっかりRainbowでのやる気を無くしたらしく、 Grahamもまた、クビを切られたのだった。 後で聞く所によると、彼はレコーディング半ばにして、いきなりL.A.に帰ってしまったのだそうだ。 彼自身、その語のコメントで「個人的な趣味で言えば、ヘヴィ メタルはあまり好きじゃないんだ。 更に、ヘヴィ メタルで声を張り上げるのに疲れたんだ」と言うような事を語っていたらしい。 何はともあれ、レコーディング半ばにして、いきなりRainbowはシンガーを失ってしまった訳だ。 だが、シンガー探しは思ったほどの難航を見せず、当時29歳だったJoe Lynn Turnerに決まった。 (別では、Joeを入れたがったRitchieがGrahamをクビにしたとの話もある。) 年が明けた1981年、Rainbowの新作「Difficult To Cure」がリリースされた。 ワールド ツアーも終えたその年、Rainbowにまたしても御家騒動が起こった。 歴代Keyboaristの中でも安定した実力を発揮してきた、Don Aireyの脱退である。 Ritchieは再びメンバー探しを行わねばならなくなったのである。 そして、Long Islandで、このBig Bandでやれるチャンスをつかんだのは、全くの新人KeyboardistのDave Rosenthalであった。 メンバーが再び安定したRainbowは、1982年、通産8枚目(Live Album2枚含む)のAlbum、「Straight Between The Eyes」をリリースした。 ツアーも終了しての翌年の1983年初頭、Ritchieに面白い動きが見られた。 いや、Ritchieだけではない。 Roger Glober、Jon Lord、Ian GillanそしてIan Paiceまでもがこの動きに関連していたのだ。 そう! Deep Purple再結成への動きであった。 だが、紆余曲折を経て、結局この動きはポシャッてしまい、Ian GillanはBlack Sabbathへ加入。 そしてRitchieとRogerの2人は再びRainbowへと向き直った。 1983年末、Rainbowは「Bent Out of Shape」をリリースした。 だが、この時既にDrumsのBobbyの姿はバンドには無く、Chuck Bargiが新たにRainbowに参加していた。 年末より始まった、約2年振りのイギリスからのワールド ツアーは、翌年、日本を最後に終了した。 この日本でのツアーは、Rainbowのワールド ツアーで最高のハイライトを見せる事になる。 ベートーヴェンの交響曲第9番をアレンジした「Difficult To Cure」におけるオーケストラとの共演が、日本のみで行われたのだ。 そして年が明けた1984年1月、あくまでRainbowを主体とした上でのソロ アルバムを前々から作りたがっていたJoeは、 Ritchieのマネージャーにその事を伝えていたのにも関わらず音沙汰が無いのに痺れを切らし、とうとう無断でレコード会社と直接交渉の手段に訴えた。 デモ テープも殆ど録り終えた2月、RitchieはJoeにRainbow解散の意思を伝えた。 Ritchieが、自身のソロ作りをRainbow脱退の意思と勘違いされたと思ったJoeは、Ritchieとの話し合いの機会を持ち、なんとかRainbowを存続させようと試みたが、 既にRitchieの頭の中には”ある”アイディアを実行に移す事しかなかった。 Ritchieとの話し合いが平行線をたどっていたJoeは、内心バンドを離れる事を決意していたと言う。 そして虹の輝きはその役目を終え、紫の炎が再び燃え上るのだ!! 〜 Rainbow Album Review 〜
「Blacksheep of The Family」を含むソロ シングル制作が思ったより順調に行ったRitchieは、Deep Purpleから離れる事を決意。 このAlbumは、”RainbowというバンドのAlbum”と言うよりも、むしろ”RitchieのSolo Album”と言った意味合いの方が濃い。 Purpleでの「Stormbringer」に置けるサウンドが気に入らなかった事を如実に物語るAlbumで、中世をテーマにしたその楽曲は、Ritchieを主軸として Ronnieがその味付けをする、と言った形を取っている。 非常にしめやかな雰囲気を持つAlbumで、RitchieとRonnieの中世の音楽への興味が浮き彫りにされたAlbumとなっている。 4曲目の「Catch The Rainbow」や1曲目の「Man On The Silver Mountain」、8曲目の「Sixteen Century Greensleeves」など秀逸な曲も多いが、 イマイチまとまり感が無く、Rainbow入門者には今一つお薦め出来ない。 良くも悪くもDeep Purple的なAlbumであるためだ。 アメリカでは30位(Billboard誌)まで上昇したものの、イギリスでは全く売れなかった。
”バンド”としての力量を持つに至ったと感じたRitchieが満を持して発表した2nd Album。 それを証明するかの様に、この「Rainbow Raising」は素晴らしい曲で占られている。 捨て曲一切なしだ。 Rainbowをまだ聴いていない方々には、まずこの2ndから聴く事をお薦めする。 このAlbumには、Rainbowのエッセンスが詰め込まれており、Ritchieの自由を謳歌するような素晴らしいリフを始めとして、Ronnieの伸びやかなVocal、Cozyのパワフルなドラミングと、各メンバーの力量も十二分に発揮されている。 (*その内に、この2nd Albumを「Music!!」のコーナーの「今回のお薦め」に載せたいと思う。) 捨て曲は一曲も無い数々の楽曲は、前作に比べて非常にまとまっており、Rainbow初心者にもお薦めの逸品に仕上がっている。 特に、「Stargazer」を始めとするAlbum後半の大作揃いには、全く度肝を抜かれる思いだ。 RitchieのPlayもさる事ながら、Cozyのパワフルなドラミングは、Rainbowに素晴らしい血を通わせている。 更に6曲目の「A Light In The Black」は、Ritchie、Cozy、Tonyの3人によるインプロヴィゼーション溢れるプレイが堪能できる。 聴き込めば聴き込む程味が出てくるそのQualityの高さは、間違いなくRainbowとしてのAlbumの中でも、1,2を争う出来だろう。 是非、聴いてみて欲しいAlbumである。
Ronnie在籍時の最後の3rd Album。 Bassistの出入りも激しく、そのライン アップは不安定を極めていた。 このAlbumでの特筆すべき点は、やはり何と言ってもRitchieのBass Playが聴ける事だろう。 Mark Clarkが脱退した後、Bob Daisleyが加入して、一応のラインを埋めるのだが、Bobが加入した時点で既にAlbumの90%が完成済みだったのだ。 RitchieのBass Playは、「Long Live Rock'n Roll」、「Lady of The Lake」、「LA Connection」、「The Shed (Subtle)」の4曲で聴く事が出来る。 内容としては、前作の「Rainbow Rising」と違って、4曲目の「Gates Of Babylon」以外、かなりコンパクトにまとめられている。 一曲一曲の出来は良いのだが、Album全体で見ると、今一つこのAlbumにもまとまり感が無い。 別に大作を持ってくれば良いと言うのでは無く、中世的なイメージにも、コマーシャル的なイメージにも合致しない中途半端な感じがするのだ。 恐らく、このAlbumの制作課程から、RonnieとRitchieの間の音楽的見解はズレを生じていたのではないだろうかと、このAlbumの出来から想像する事が出来る。 一曲一曲は良いだけに、なんとも中途半端なAlbumに仕上がってしまってる感が拭い切れず、RonnieとRitchieの音楽的見解が一致していればもう少しまとまったAlbumになり得ただろう事を考えると、 私個人としては非常に残念なAlbumと言わざるを得ない。 |