湯立
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another end of the week

私には曜日なんて関係ないけれど、
世の大半の人にとってはオフの終わり。
明日からは weekdays だ。

もう嫌だ。こんな生活しているの、もう嫌だ。

何をしてもしなくても時間は確実に過ぎていく。

毎日鬱陶しい通勤電車で会社へ通う人々。
片や毎日ベッドでぐうたらする人、私。

何でもいいから何かしなければいけない。
ぐうたら生活に終止符を打たなくてはいけない。

気分が憂鬱なのは、希望が皆無なのは、
景色が色褪せて映るのは、全て全て自業自得。

日本にいるよりヨーロッパにいる方が安定する。
暗い気分を少しでも晴らしてくれる友達が向こうにはいる。
バスクに住む友人のところへ駆け込みたい気分だけれど、
あまりにも遠い。今の私の状態では成田にすら到達できない。
ロンドンもパリもストックホルムもセビリアもベルリンもモスクワも
どこもかしこも遠すぎる。そして一番行きたいのに一番遠いボストン。

Marina, Bertrand, Therese, Caro, Anne, Mark, Kate, and C,
can you hear me? (obviously not...)


そう、私は日本にはあまり友達がいないのだ。
英語で交流する関係は自然と自分が出せる。
でも、日本語が共通語となる人間関係では
どうしてか一線も二線も画してしまう。

こんな事書いてるのは、寂しさからだろうか。
ここずっと「サミシイ」なんて感覚、忘れてたのに。

もう云えないじゃるじゃ。そこなのかな。
夜寝る前におやすみ、朝起きておはよう。

もうずっと昔の事なのに、フラッシュバックする。

せっかく作ってきてくれたおにぎりにケチつけた、
医学部図書館脇でのランチタイムを夢に見たよ。

取り残されちゃった。置いてけぼりだよ。だめね。
みんなはどんどん自分の人生歩んでるというのに
私はただただ退行していってるよ。どうしようね。

みんなだって苦しかったり辛かったりするでしょ。
でもそれを乗り越えていってるんだよね。すごいね。
私には出来ないみたいだよ。どうしようもないね。

ああ支離滅裂。

もう嫌だ。本当にもうこんなの嫌なんだよ。

end me, please, for God's sake.



芳香に欠けた徒然香を焚くのも何もしないよりはよしとする。


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one step forward

もう半年以上病院に行っていない不良患者
(主治医とはメイルで連絡を取っているけれど)。
だって、仕事してた時はとてもそんな時間無かった。
仕事辞めてからはもうそんな元気残ってなかった。

お薬が天から降ってくるはずはないのに、
今までずっとそこらの道端で拾っていました。
どして落ちてたんだろ?(゜_。)?(。_゜)? 摩訶不思議。

そろそろ状態が限界に近付いてきたので
観念して今日病院に行く事にしました。

でもそれには大きなハードルが・・・。
8月半ばに会社を辞めてから保険証がないのさ。
まず区役所に行って国保に加入せねば。

何が大きなハードルだと思われた向き、
今の私にとっては特大ハードルなんですのよ。
お役所が開いている時間に外出する、
これは一大事なんです。

横臥してる間に窓口が閉まってしまうのが常なので
徹夜してますの。朝一で区役所に乗り込むべく。

眠剤を飲まなければ2日くらいはなんて事無く
起きていられるのだけれど、この計画を思いつく前に
たんまり眠剤を飲んでしまったのでした。おばか。

早く区役所開いて下さい。切実です。ほげげ。

そしてどうか、病院へのタクシーを拾うまで、
我が体力よ、裏切らないで下さい・・・。



徹夜のお供

Bach Partita for Violin No.2
Mozart String Quartet No.14&15

(Alban Berg Quartett)


Bachには心謐かにされる。
Mozartには心洗われる。

大好きなBeethoven、今はちょっと重い。


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clinic

徹夜明け朝一番に区役所へ出向き、
晴れて国民健康保険証を手に入れた。
退職した8月から保険料を請求されるらしい。
げんなり。この国には福祉のふの字もない。

病院にて。無情にも予約をして
出直してくるよう云われた。
かなり切羽詰まってたのに。

抗鬱剤が切れて眩暈がひどい。
来週の月曜日までの辛抱だけれど。


13

tear

不覚にも涙した。


14

torn

もう禁を破らない。克った。


15

こんな下らない徒然日記であっても、毎日続けるとなると
実は結構なエネルギーが必要だったりする。

その日あった事を記録するような日記を書く人がいるが
私のこの徒然香はそういった向きのものではないし、
自分の生活をさらけ出す事などできないのが私である。

病的と云ってもいい程に自分の生活を覗かれる事を嫌悪する。
でも、少しずつでも、その氷を融かしていかないといけない。


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昔、陰と陽の話をしたね。今の人はどちらなのかしら。


20

つづくつれづれ 

久しぶりに強い眠剤を飲んでようやく睡眠にありつけた。
ここのところ、2,3時間眠れればいい、くらいの不眠だった。
寝られなくても、しようと思う事さえあれば時間はつぶせる。
でも腐りきった脳ではもう何も出来ない。好きだった読書も。

眠れぬとある夜、あまりの暇さに徒然香を全部読み返してみた。
自分の文に色々感じた。同じ個体だけれど違う自分達に遇った。


21 

ex-colleagues

不覚にもお昼過ぎから鬱々ぐるぐるにはまってしまった。
元同僚のすてふに電話。英語での会話は頭を整理してくれた。

同じく元同僚のマレったら、結婚してソウルに行っちゃったので
最近はメイルでのやりとりがもっぱらで、おしゃべりはごぶさた。
どちらかが休むとオフィスが妙に静まると云われたりした。
確かに二人でしゃべりだすとすごかった。しかもちゃんぽんで。
ソウルではもうとっくに初雪が降ったらしいけれど、寒いんだろな。
遊びにおいでと誘ってもらってるけど、冬の間は遠慮しとくわ・・・。


23

数日前のアナログ日記 

SGでのtraderapplyしていた。
スカウトの方から数日前ご連絡を頂き、今回は残念ながら・・・、というお話。
これがだめだったら就職活動は一休みして、ゆっくりしようと考えていた。
が、「だめでした」と聞かされてすぐに「それじゃもう職探し中断していいんだ」
と気持ちが切り替わるものではないようだった。

就職活動にモラトリアムを設けるとするならば、実家に戻るのが現実的だろう。
毎月収入ゼロの家計が家賃+雑費で17万円近い支出に長く耐えられようか。

何だかロンドンの時と同じ。やり抜けずに両親の元へのこのこ出戻り。滑稽だ。

もっとせいせいするかと思っていた。自分で決めた期限まで就職活動をして
そこで見付からなければ、とりあえず無職の身として暮らそうと決めた時は。
時世に責任転嫁するかとも思った。不況だしと。でもそうは感じていない。
実務経験は少ないけれど、私ぐらいのCVなら時間はかかっても仕事は見付かると
どこかで思っていた。金融業界で働きたい訳では全くないけれど悔いが残る。
決めた目標を達成できなかった。決して高く掲げすぎたものではなかったのに。
実際、「この先もご案内できる案件がございますので」とコンサルタントの方や
スカウトの方にも云われている。次はうまくいくかも知れない、と思うからこそ
自分で決めた「SGで一区切り」を呑み込みきれないのだろう。

とりあえず主治医と会って両親とも話をして今後の身の振り様を決めなくては。

アカデミアに戻るとしたら。学問、何を選べばいいのだろう。
医者になって国境無き医師団に参加したいという思いは今でもあるけれど、
医学生をやり遂げられるとは思わない。そもそも入学試験からして通らないだろ。
美学や哲学、興味があった。文学も好きだった。音楽が一番好きだけれど
研究したいとは思わない。・・・何で私、経済学士号なんて持ってるんだろう。

「困った人を見捨てない」という倫理観がつきまとう。苦しむ人々が居るのを
知りながら、自分だけ自分の思うように、したいようにするのは'sin'だと感じる。
これは共産主義に傾倒していた父親の影響だろう。彼の名をぐぐるとすごい(笑)。

両親に申し訳ない。実家に戻ったら近所のオバサン約一名が詮索するだろう。
「いつもあろちゃんて素敵よねって親子で憧れてますのよ」なんて云いながら
今度は裏で面白がるんだろう。私は何を云われても構わないが、母に済まない。

とりあえず語学でもしていようか。スペイン語とスワヒリ語。どっちも中途半端。
高校の進路相談の時に私が出した受験希望大学は「東京外国語大学」だった。
英語と国語と社会くらいでちょちょいと入れるし、未知の文化に触れられるのが
魅力的だった。が、担任や教務主任に反対され「東大にすりゃいいんだろ」と
もうどうでもいいやと思って東大にしてやった。父も、私が外語大を希望するのは
仮に未知の文化に興味があるのは真実だとしても、楽をして大学に入ろうというのが
見え見えだと反対した。それまで勉強に打ち込んだ事の全く無い私が、大学受験も
ひょいひょいと越えてしまっては、その先のためによくないと慮ってだろう、
考え直しなさいと云った。そして私は東大を受け東大に受かり東大を卒業した。
天下の最高学府なんて笑わせてくれる。切れる人に出逢えるかもというのが
東大に行く唯一のモティヴェーションだったけれど、そんな人なんて・・・。

外語大でなければ、京都に行って人類学/ヒト学をやってみたいとも思っていた。
思えば「やりたい事がなかった」わけではないのだ。「やりたい事を我慢してきた」?

11月いっぱいは仕事探しを続ける。それで区切りにしよう。


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house warming

昨夜、ここに越してきて1年が経とうとする頃、
ようやく家族以外の人を拙宅へ迎え入れた。
ありがとう。また来てね、くれちゃん。



a friend in need is a friend indeed.





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