absurde ou sensé

アメリカ的ポジティヴ思考も日本的精神論も私は苦手である。
しかし、「気の持ち様」が心の針路を左右する事は別次元で認めている。
舵取りを放棄した船は、大海原を彷徨いやがて藻屑となる。心も然り。
後ろ向きになる事をよしとすれば、闇に呻吟し深く暗く沈みゆくばかり。
心の舵をとる者は所詮自分自身しかいない。時に舵の在り処さえ見失えど。

色々な事、いや、有らゆる事が色彩を失って、未来というものを
考えられない今の私。それが普遍的な私かも知れないが、
或いはそれは鬱に陥れられた一時的な私かもわからない。
鬱の思考で物を眺めれば、何もかも虚しい。こうして綴る事も。
けれど、鬱とは虚無感をもって心を侵す病気だと云う。
虚しさを自明の理とするか、鬱ゆえの罠とするかは論理的に同等。
ならばひとまず鬱を淘汰してから断を下そうと自分に云い聞かせてきた。
これが、私の多分に自己欺瞞的である非否定的思考の所以である。

逆言の戯言だと思う向きもあろう。そうであっても構わない。
末枯れた彼方に狂うより、戯言に縋り此方で欺かれるが花。



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