( September 1st '99 )  死と神様

  なんだかこのタイトルはちょっとキツイかな・・・。(笑) でも今日は、本当に死についていろいろ考えた一日だった。きっかけは、5時間目に起きたとっても怖い事件から。

  5時間目の授業はCalsurusで、お昼後だったから、みんなとってものんびりしていた。授業が半ばまで進んだそのとき、後ろの席からすごい音がした。びっくりして振り返ってみると窓の上にあった大きな重たい板が、くぎ一本の宙ずり状態になって傾いていた。真下にいた男の子Thomasが、何か首にいるものを取るかのようなそぶりをして、悲鳴をあげた。いつものんびりで、リラックスで、落ち着いているThomasだったから、その動作がとってもおかしかった。「クモなんかいないよ。」っとクラス中がどっと笑ったその瞬間、Thomasの首から血が流れてきた・・・・ 

  今思い出してもぞっとするあの光景。上から落ちてきたその大きな板はThomas頭にぶつかったのだ。 次の瞬間、みんな青ざめた。首をあわててひっかくような動作をしたのはその板が頭にぶつかったときのショックで、瞬間てきに手のコントロールをなくしてのものだった。“OH MY GOD!! THOMAS!!” の女の子の叫び声を合図にクラス中が動いた。お手洗いからチリ紙をとってくる人、周りの先生や校長先生を呼びに行く人、泣く人、ただ呆然と何をしていいのか分からないで立ちつくす人。ちなみに私は立ち尽くすひとだった。でも本当に、もうどうしていいかわからなかった。目の前でクラスメイトが頭から血を流して、もうそれがとってもショックだった。誰かもっとタオル!って叫んだ声を聞いた瞬間はっと気がついて取りにいった。Thomasが死んじゃう!と真剣に思った。><

  幸い血がたくさんでたものの、打ち所が良く、っていうのも変だけど、命にかかわるような大きなものではなかった。でもあともう少しThomasが後ろによりかかっていたら、命はなかっただろうと思う。もう大丈夫だってわかった瞬間ほっとして涙が出た。身近にいる人がこんなことになるなんて思ってもいなかったから、クラス中みんなショックだった。もし最後のくぎも落ちていたら後ろに座っていた3人ともいなくなってたかもしれない。なんて考えてみるだけでとても怖かった。うちの学校古すぎいいい!! ><。

  その後の授業も、集中できず、最後の授業もみんな落ち着かなかった。「ほんと人はいつ死ぬかわからないよね。」って言う話から宗教の話になってもうみんなで語った。私を含めて、クラスのほとんどは宗派は違ってもみんなクリスチャンなので神様について語ったりもした。

  私は生まれながらクリスチャンで、それに疑問を思ったことがなかったけど、みんなの話を聞いてあらためて神様について考えた。人は皆、何か役目や目的があって生まれてくること、神様を信じれるってことはとっても幸せなだということ。いろいろ熱くなって語った。 でも、私には今までとってもがまんできないことがあった。もし、本当に神様がいるのなら、どうしてたくさんの罪の無い人が苦しんだり、死んでしまったりするのだろうということだ。いろいろな思い出を振り返りながら語っていたらもう号泣してた。(笑) そんな私に友達がこう教えてくれた。人は死んでも天国というところに行ける。死ぬということは決してこの世の終わりじゃなくて、神様のそばに行くことだということ。幼児虐待のようなひどい死に方をしている子も、みんな今は神様のそばで守られているんだということ。なんだかいたたまれない気持ちになって、気がついたら次から次へと宗教熱心な友達に自分の気持ちを話していた。この世に人を作ったのが神様なら、なぜ悪い人たちがいて、殺し合いが起こるのか、神様がすごい人ならなぜ止めないのか。なぜ悪人が生きてるなか、何もしていない罪のない人を死なせるのか。などなどもう思うままに言っていた。 

  ・・・神様はロボットを作りたかったわけじゃない。だから人を操ることはしない。でも、人間という唯一考え、意志を持って行動できる生き物を創った神様は、みんなのことを同じように愛していて見守っていてくださっている。

 今日友達と話したことすべてが、すごく私の心に響いた。なんだかとても安心した。この世で悩み苦しんでいる多くの人にこのことを教えてあげたい。  

                *  神様を信じるているかぎり、神様も私達を見守っていてくださる *^−^*