( Oct 16th'99 ) 目が見えないということ Part2

  今日はブラジルの子供の日ということもあり、目の見えない人達の家に行って、そこに住む子供達にPartyを開いてあげることにした。二時から、手軽に作れるというホットドッグと、おかしをたくさんもって彼らの家にいった。訪れたのも二度目ということもあって緊張感も少なく、始めから気軽に話し掛けることができた。

  家の広さは、どのくらいあるのか見当もつかないくらい入り組んでいて、廊下などは、両手を広げれば触れるくらいの幅だった。そこの住人は階段が何段あって、次のかどを曲がれ部屋が何室ある、などすべて体で覚えているをいう感じだった。お互い誰かが前にいると気がつけば壁のはじの方にいって譲り合い、なるべく声をだして協力しながら生きているという感じだった。住人は全部で2百人くらい、子供の数は、予想していたほどいなかった。老人、若者、叔父さん、おばさんが大半だった。 目の他にも障害を持っている人も多数いた。 

  とりあえず子供達を集めて飲み物と、ホットドックにケチャップをつけて配った。 次の瞬間何も考えてなかったかも >< と、とっても後悔した。ホットドックのお皿の位置を教えてあげるとそれをつかんだ子供の手はケチャップでべちゃべちゃになってしまったのだ。目が見えれば、ケチャップがつかないように、こぼさないように気をつけるけど、見えなかったらそのまま気づかず握ってしまうのはあたりまえだ。結局一人一人の手に気をつけて持たせてあげなくてはいけない羽目になってしまった。 もっと考えて食べやすい物にしてあげた方がよかったのかな・・・。でもおいしそうに食べてる彼らの姿を見たら、たまにはこういうのもいいよね。とホッとした。 それから、クッキー、チョコレート、ウエハウスなどのおかしをあげた。ある男のこは、おかしの箱や、袋の形、振ったときの音などで何のおかしか、どこのメーカーかまで当てる子もいた。とってもいきいきしていてかわいかった。「おかわり、おわかり。」ってせがんでくる彼らを見ていると、来てよかったなと思った。

  みんな感がするどく、一度声をかけるとすぐ誰だか覚えてくれた。私が日本人だということを珍しがっていろいろと聞いてくる子もいた。ブラジル人のポルトガル語を話せないから、すぐ日本人の子!って当てられてしまう。 ちょっと悲しかったかも。(笑)  

  なんと、そこの施設に日本人のおばあさんがいるということを知った。唯一日本語を話せる人に会ったので、なんだか感激だった。 おばあさんは70歳、30年前から目がみえなくなりそこの家に住んでいるという。 世界大戦前にブラジルに移民していった人の一人だろう。 もうブラジルでの生活が長いせいか、日本語を少ししか話せなかった。 でも久しぶりの日本語だったのか、話し掛けると、すごくよろこんでくれて、日本語を、ひとつひとつ思い出すかのようにいろいろと話を聞かせてくれた。 他国で、目が見えなくなって、そこで暮らしていくことが、どんなに孤独で、不安なことだっただろうと思うと始めは、声がのどにつまってうまく話せなかった。 家族をみんな亡くして、今は一人でそこの家に住んでいるという。何か困っていることとかありませんか?と聞いたら、何も困ることはない、生きられているだけで十分だよ。っと答えた。  なんだかもう・・・  私を含め、世の中には贅沢な人ばかりだなっと思った。

  なんだかんだしているうちに4時になり、「また来るね。」と言って施設を去った。今日一日でいろんなことを学んだ気がした。