(December 21st'99) 人として
最近、クリチバもちょと危なくなってきたかなと感じる。1年半前にクリチバに引越してきた当時に比べると、浮浪者が増えているからだと思う。市バスに料金を支払わずに乗りこむ子供達や、バスの中でお金を取ろうとする子供が増えたような気がする。季節も夏というだけあって、浮浪者にも過ごしやすい季節になったせいでもあるかもしれない。とにかく外出するときは注意をしなくてはいなけないな。っという状況になっているのは確かだ。でも前に住んでいたメキシコやブラジルの中でもリオ、サンパウロに比べると安全には違いない。
そんなクリチバだけど、心温まる光景を見かけることも多い。昨日、市バスに乗っていた時のこと、バスの中もがらがらで、目的地まで遠かったので座席に座っていると、私と同じ年くらいの男の子が2人乗ってきて 一つあいた前の座席をどちらが座るか冗談交じりに話し合っていた。 そして次のバス停。大きなデパートというだけあってたくさんの人が乗ってきた。その少年2人は、さっと席を達、乗ってきた老人夫婦に席を譲った。本当に自然に、当然のとこのようにさっとしたその行動に、なんだかあっけにとられた。 しかしその席は結局、全世界共通オバタリアン!?(笑)にとられてしまった。じゃぁ 私が、って老夫婦に勧めた。あの2人の少年の行動をみていなかったら、込み合ったバスの中、さっと行動できていなかったかもしれない。しかし、ちょっと席を譲ることなんて本当に簡単なことで、おじいさんは”Obrigada”ありがとう。っていっておばあさんを席に座らせた。なんだかそれを見て、ますます温かい気持ちになった。
すぐ後ろの方の席でも、赤ちゃんを抱えたお母さんに席を譲り合いをしている光景を目にした。みんなが一緒になって今一番優先すべき人は誰かなと考えて、それを行動に移せちゃうブラジル人社会をすごくいいなと思った。別にいいことをしたとか、そういうことじゃなくて、本当に「人として当たり前のこと」として他人に対する思いやりの心がある。これは人間にとって一番大切なものだと思うし、そこで人としての価値が決まるような気がする。大げさに言ってしまえば、それが生きている意味じゃないかな。
ブラジルといえば、犯罪の件数や、いろんなことで危険で危ない国と有名だけど、それに比べて日本はどうだろう。生きるための盗みや犯罪に比べて、人を傷つけるための犯罪ばかりが増えてきているように思える。平和で、自由な国、日本も、人として大切なものが見えなくなってきているようでは平和でも良い国でもなんでもない。裕福な暮らしをしているばかりに、そのことに対する有り難味を全然わかっていない人が多い気がする。 本当に貧しい暮らしをして、学校にも通えず家の仕事の手伝い、ごみ集めをしている子供達を見せてげたい。学校に対する恨み、なんて贅沢な考えだし、その他にも、自分の悩みや要求が、どんなに小さなことなのか気づくから。