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PLASTICS SECRET STORY 2


Plastics
Plastics@World Tour
ニューヨーク 1980年

 トーキング・ヘッズが2度目の来日公演を果し、プラスティックスがその前座を務めたステージの素晴らしさは、いまだに筆者の記憶にも鮮やかだが、実はこの年、1980年8月、所はニュー・ヨークのセントラル・パークの一角の野外ステージで、それを上まわる感動的なシーンが、ひと足先に展開された。
 当初、B-52ズのサポートとしてセントラル・パークのステージに登る予定であったプラスティックスだが、ビザの手続きが遅れたことが逆に幸いして、結局彼らは念願のトーキング・ヘッズとの共演を、ニュー・ヨークに於いて実現させてしまった。
 このセントラル・パーク・ショー及び、その後の日本公演に於けるトーキング・ヘッズとの共演ステージこそ、プラスティックスにとっておそらくその短いキャリアの中でももっとも光輝ける一瞬であった、といって良かろう。
 しかし、この幸運の女神というべきトーキング・ヘッズとの出会いが、結局はプラスティックスにとっては、サウンド志向をうながし、ひいては解散という破目に陥る導火線ともなってしまったことを思えば、運命とは皮肉なものである、といわざるを得まい。両者の出会いの手引きをした筆者にとっては、その感慨もひとしおとなる。

Talking Heads poster designed by Plastics
Talking Heads '79 Japan tour poster
 1979年、4人組のオリジナル・メンバーで来日したトーキング・ヘッズの、日本のロック・バンドで面白いのがあれば会って話してみたいという要望を聞いて、筆者が即座に思いついたのがプラスティックスだった。
 驚いたのは、トーキング・ヘッズのコンサート用のポスターやパンフレットのデザインを彼らが担当していたことで、これは筆者がまったく知らないことだったが、そうした偶然が大いに幸いして、最後にはデヴィッド・バーンがプラスティックスにレコードの広告デザインを依頼するほどに、両者は親密となった。  次いで今度はB-52ズを連れて再び日本にやってきたマネージャーのゲイリー・クーファストがプラスティックスのプロモーション・ヴィデオを見るに及び、このユニークなバンドのウェスタン・マーケットでの可能性を認めてマネージメントを申し出ると同時に、クーファストがかねて敬愛するアイランド・レコードの社長、クリス・ブラックウェルに海外盤を発売させる話をまとめるまでに時間はかからなかった。

 かくして、プラスティックスは1980年の秋、バハマ諸島ナッソウにあるコムパス・ポイント・スタジオに於いて、アレックス・サドキンのプロデュースによるアメリカでのデビュー・アルバムを完成させる。
 1981年3月からスタートしたプラスティックスの大がかりなワールド・ツアーは、そのアルバムのプロモーションの為のものであった。

 予定では同年11月、クリス・ブラックウェルの肝入りによるアレックス・サドキンのプロデュースする、彼らのセカンドアルバム(日本では4枚めのアルバムに相当するが)がレコーディング開始される筈であった。

ハイテック=ハイ・タッチのノン・カテ・パイパー
「ミュージック・マガジン」1982年8月号掲載
著:今野雄二
同誌掲載の立花ハジメのインタビューから、PLASTICS, MELONに関する部分のみ抜粋しました。


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