Go home Go index Go English


CHICA & TOSHI TALKS about PLASTICS


Chica & Toshi
Chica Satoh/Toshi Nakanishi
別に戦略なんて考えない。すべての活動は、交遊関係から軽いノリではじまった

プラスチックスは最初パーティー・バンドとしてスタートしたのよね。
セックス・ピストルズが出てきたとき、これなら僕らでもやれると思ってスゴイ励みになって、それにクラフトワークやディーヴォ、ロキシー・ミュージックなんかをプラスした感じをやろうと...。
キューズ・バーとかでやってるうちに、今野雄二さんがロキシーを好きで私たちに興味持って、その関係で来日したトーキング・ヘッズを紹介されたの。その後ヘッズがアメリカに帰ったら、同じオフィスのB-52'Sが日本でコンサートをやるっていうんで、私たちが前座に選ばれたわけ。で、B-52'Sのマネージャーが気に入ってくれてアメリカ・ツアーが決まったのよね。
けっこうそういう交友関係から軽いノリで、いろいろ決まっていったね。別に戦略なんて何も考えてなかった。

ラフ・トレードでデビュー・シングル出せたのも、私がスタイリストやってた関係で、知り合いのカメラマンの奥さんがイギリス人だったんだけど、彼女は私たちのデモテープを気に入ってくれて、お里帰りのときに持って帰ったのね。それをラフ・トレードの人が気に入ってリリースすることになったわけ。
こっちはラフ・トレードなんて聞いたこともなくてね。あれで送られてきた印税は300円ぐらいだったかな(笑)。でもそうやって、80年代初頭って今と違って、やりたいことがすぐにできたよね。NYも何でもありの無制限デスマッチみたいな状況が凄くて、結局そんな中からマドンナとシンディ・ローパーとか出てきてるんだよ。あの当時のクオリティビティを現在のNYは失っていてちょっと淋しいね。

NYではマッド・クラブに出たときがいちばん印象に残ってる。ジョン・ケールやクリス・スペディングとセッションになって、朝の5〜6時まで延々とやったの。あと、私たちが帰国する前日にパーティーを開いたんだけど、100人ぐらい集まっちゃってニナ・ハーゲンとかヘッズ、のちにマドンナを手がけたスタイリストなんかもみーんな来て大騒ぎ。あれはスゴく楽しかったわ。
NYでクラブにいろんな人、それこそレコード会社のお偉方まで集まっているのを見たから、次にMELONをやるときは、地方に行って不完全なショウをやるよりは、こっち(東京)にクラブを作って客を集めちゃおうと思ったんだ。
東京は原宿のピテカンで見せるのがベストだとね。それ以外ではやらなかったから、九州や大阪からも見に来てた。
MELONはロンドンでも活動したわけだけど、ロンドンではRUN D.M.C.とかSoul ll Soulなんかが盛り上がりはじめたときでね。だからNYでニューウェイヴとかクラブが盛んなときに居合わせたように、タイムリーにいつも街と音楽が結びついた時に居られたね。
良いときに良い場所に居たって感じ。

東京ニューウェイブ・ストーリー
「ぴあmusic complex」1990年掲載号不明


Mail
When you have comments or further information, mail me please!