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PLASTICS@IRVING PLAZA 12/Apr/'80


Plastics@NY
Ma-chan, Toshi, Chica, Hajime, Shima-chan,
 「Irving Plaza」は、僕の古いキャンプのレコーディング・ルーム的な感じの、古いダンス・ホールだ。室内には大きな丸テーブルがいくつか置かれており、ダンス・フロアーのまわりをU字型のバルコニーが取り囲んでいる。フロアーから3フィートほど離れたところに、ステージがあり、カーテンは、年中開けられたままになっている。

 その夜、11:00ごろに150人ほどだった客が、1:30になると500人ほどに増えていた。そして、そのほとんどが、The DC5、イアン・デュリー、ザ・クラッシュ、エルヴィス・コステロなどのサウンドをバックに、フロアーでロッキンアウトしていた。
 2時15分ごろ、ステージにプラスティックスが現れた。そして、彼らの短いステージは、他のふたつのライヴ・アクト(サーカス・モート、ザ・マンハッタン・プロジェクト)と同じようなリアクションを引き起こした。つまり、ダンスがストップし、人々の波はステージめがけて群がったのだ。その波は、約12列ほどだったろうか?波に参加できなかった群衆はバーの所に行き、友人たちと雑談しながら、この未知の外国人たちをジロジロと見ていた。

 プラスティックスのリード・シンガーは、狂気の寸前を捕えようとしながら、帽子に手をやりながら終始、デヴィッド・バイロンに軽いアイサツをしていた。が、僕は、ボーカルのスタイルには関心がない。ふたりのキーボード・プレイヤーは、「Village Voicce」によって造り出された新語"エレクトロ・ダンス"というレッテルに似たエレクトロ・パートを提供しながら、無表情な顔をして、突っ立っていた。リズム・マシーンがダンス・パートを提供し、これもグッド・タイムをキープしていた。
 チカはいないようだった。が、彼らが40分の間、8曲とアンコール1曲をプレイし終えた時、オーディエンスの誰もが、その女性ボーカリストの不在に気付かないでいたようだ。"Digital Watch", "Copy", "Can I Help Me?", "Last Train To Clarksville", "Robot"などは、僕の知っていた曲だ。火をたきつけるには、かなりヴォリュームが低かったのだろうか?アンコールはさておき、そのエネルギーは、ホールの後方まで届かなかった。

 僕はいかにもこのテの音楽が好きそうなふたりのファンと話してみた。彼らは、プラスティックスに、かなりのハイ・マークを与えた。つまり、プラスティックスは「ユニーク」で「他とは全然違ってる」というのだ。そして、そのうちのひとりがこう言った。「とにかく、僕は最初から最後まで楽しめたよ。他に、どんな判断の方法があるんだい?」と。

チカは、このNY「アーヴィング・プラザ」での最終日の直前に、ひきつけを起こしてダウンし、結局この日はステージに立てなかった。医者の判断では、過労の上に、食事にあたったのがが重なったため、ということだ。で、彼女は救急病院に2日間入院し、他のメンバーより1日遅れてサンフランシスコに入った。
PLASTICS IN IRVING PLAZA
レポート:John Stix/N.Y.
「PLAYER」1980年7月号掲載


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