The Perfect Excuse
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好きの意味が違う事、きっと始めからお互いが分かっていた。
だけど、なんとなく、口に出すことは出来なくて、
きっと、それを口にする必要も今まではなかったから、
だから、気がついたら時間だけが経っていた。
「無意味だろ」
僕のために用意されたリンゴを食べながら、キールが一つ呟いた。
僕もリンゴに手を伸ばしながら、訝しげにキールを見やる。
「何が?」
「全部」
しゃくしゃくと小気味いい音を立てながらリンゴをはんで、キールはにやりと笑った。
なんとなく、キールの言っている事は的を得ていて嫌になる。僕は少しだけむっとしながら、口の中にリンゴを突っ込んだ。そのまま、最後のリンゴの一切れに手を伸ばす。しかし、それを寸前にキールに取られて、僕はますますむっとしてキールをにらみつけた。
「それ、僕の」
「へぇ、このリンゴにお前の名前でも書いてあったわけだ」
「……子供みたいな事言わないでよ。――いいけどさ、リンゴ位……」
といいつつ、伝説の林檎「ハニースウィート」の最後の一切れをキールに食べられたのは、正直ショックだったのだけど。
だけど、今はそれよりも大切なことがある。
「で、全部無意味ってどういう事?」
「自覚したんだろ?自分の気持ち」
自覚した。確かに自覚した。確かに僕は恋をしている。――相手はメラフィではないのだけど。
だからこそ問題なのだ。
恋をしてしまった事を、メラフィに話さなくてはとは思ってはいるのだけど、どうしてもその勇気が出ないのだ。
「姫さんが傷つくようなたまかよ」
僕の心の中の気持ちを読み取ったように、絶妙のタイミングでキールが鼻で笑った。キールは自分に直接関係しない事柄ならば、とても敏感な
のだ。自分に関わる事に関しては、そうとは言い切れない部分も多いのだけど。
それにしても、一応は王女様に対して、すごい失礼な事を言っているような……。
「大体、誰が傷付こうが、お前は気にしないだろ?今更、どうしようもこうしようもないだろうが」
「どういう意味?僕が他人の事を一切気にしないって言っているように聞こえるんだけど?」
「違うのか?」
違うとも言い切れなくて、僕は思わず黙り込んだ。
確かに、僕は他人に対しては一線を引いてしまうところがある。結局、自分に関わってこられるのが嫌で、それよりは近づかないで欲しいと思ってしまうのだ。
だけど、反面、自分が認めた人に対しては、限りなく甘くなってしまう自分も知っている。
「メラフィは他人じゃないよ」
「とりあえずは婚約者だって?それとも、トモダチ?」
キールは口元だけで笑って見せた。
僕は詳しくは知らないけれど、キールには「友達」と呼べる人物はいないらしい。というよりも、友情というものを信じていない。傍から見れば、どう見ても親友同士なのに、キールにしてみれば「一番近しい知人」なのだ。
「トモダチってのは他人よりも遠いもんだぜ」
「ねぇ、なんでキールは友情ってのを信じていないの?」
「……お前も友達と呼べる人物は少ないんだろ?」
僕は少し考えて、一つ頷いた。
友達と呼べる人物というのは、メラフィだけだろう。エイジュは友達と呼べるような関係ではないような気がするし、ルーもフォスも友達とは呼びにくい。
だけど、なんとなくキールの言っている事とは根本的なところで違っているような気がする。だって、僕は友情を信じていないわけじゃない。
「でも、僕はメラフィを友達だって言えるよ?」
「この世には二種類の人間しかいない。自分が好きな人間と嫌いな人間だ。だったら、わざわざ、好きな人間をトモダチなんて言葉でひとくくりに
する必要はないだろ?……まあ、考えは人それぞれだけどな」
思わず見上げたキールの顔には含んだ笑みが浮かんでいて――それはいつもと同じだったんだけど、なんとなく、本当になんとなくなんだけど、触れてはいけない事に触れたような気がした。
僕はキールの事をあまり知らない。別に知りたいとも思わないんだけど……。だから、あまり深く突っ込まない方がいいのかもしれない。
「だけど、キールは愛は信じているんでしょ?」
友情は信じていないのに、愛情を信じているのは、酷く矛盾しているような気がする。しかし、キールは確かに愛情とやらは信じているらしい。しかも、盲目的に。
一般論を言うとなれば、きっと愛情の方が友情よりも、より信じられないものなんじゃないかって思うんだけど。
「そりゃあな。愛ってのは本能的なもんだろ」
妙にキールの言葉に現実味がこもっている気がする。だけど、未だ子供な自分を演じている僕が理解してはいけない部分なのだろう。
とりあえず、愛の定義を発展させるととてつもない話が出てきそうだったので、僕は話をかえることにした。
「じゃあ、友情は?」
「つくりもん」
きっぱり、という表現が一番正しいだろう。キールは一拍の間もなく僕の質問に答えを返してきた。それは、まるですでに用意されていたものかの
ように、よどみがない。
「キールがそう言うと、本当にそうだと思ってしまうから不思議だよね」
「俺様の言葉は真実のみだからな」
「ふうん……」
納得したわけではないけれど、こうもきっぱりと言われてしまえば、それ以上、何も言えなくなってしまう。
「ともかく、隠し続けるのは無意味だ。姫さんは、お前が思っているよりも鋭いと思うぞ」
それって、メラフィが僕の気持ちに気付いているって事なんだろうか。
確かに、だとしたら無意味なのかもしれないけれど……
「でも、多分、口に出されるまでは確信はもてないんだろうけどな。その場合は、姫さんも傷付くだろうなぁ」
キールは僕をちらりと見て、にやりと笑った。
「言ってる事が全く違うじゃないか。キールは、無意味だから言ってしまえっていってなかった?」
「俺様は人が悩む姿を見るのが好きなんだよ」
嫌な性格だなぁ、相変わらず。
「悩め悩め、青少年よ。正しい事なんてこの世にゃないんだよ。一方の正しさは、一方の間違いってな」
「それは真理だね」
「だろ?だったら、普通は自分の正しさを選ぶだろうが」
確かに、真理なんだろうけど……納得いかない気分ではある。
僕が小さく唸ると、キールは僕の頭を二、三度叩いて立ち上がった。
「全ての者に対して正しい事をしたいんなら、新興宗教の教祖になるしかないだろ」
「何で?それこそ正しくない場合だってあるでしょ?」
「少なくとも、自分の信仰の世界を前提にすれば、正しくないことも正しくなるだろ?間違っていても正しいと言い張ることだって出来る。最も、俺
は嫌いだけどな、そういうの」
僕は苦笑してため息をついた。キールは時折、突拍子もない事を言い出してくれる。それはそれで面白いのだが……。
「僕も嫌だよ、そんなの」
キールは僕の返事にふっと笑って、部屋の外へ出て行った。
……一体、どうすればいいのかな。せめて、穏やかに、さらっとメラフィに告げてしまいたいんだけど……。
キールの他に相談出来るような人もいなくて、結局、僕はその場に残って考え込む事しか出来なかった。
人を好きになることって、正直、僕にはよく分からなかった。
きっと、時が経てば、大切に思える相手ぐらいは現れるんだろうなって、漠然とは感じていたんだけど、本当の意味での恋なんて知らなかった。
だって、人を好きになる事を教えてくれる人なんていなかった。母親に似た顔立ちを、かわいいね、と褒めてくれる人はとても多くて、僕を構って、可愛がってはくれるけれど、僕からの言葉を期待する人なんてすごく少なかったから。
僕はいつだって、自分のこの容姿を利用していて、人を好きになる必要なんてなかった。
それとも、だから、なのかな?
そういうのが「自分」なんだって、自分自身を第三者的立場で見ていたから、人を好きになっていても気付かなかっただけなのだろうか。
「シャルズ様?」
ぼうっと歩いていたら、突然声をかけられた。
あたりを見回してみると、どうやら、僕は知らず知らずのうちに騎士団の第三修練場に入り込んでいたらしい。滅多に人がいることはないから、一人で鍛錬するにはうってつけの場所だからなのか、僕は一人になりたい時に無意識のうちにここに向かってしまう癖があるようなのだ。
「賢者様!」
シャルズの名で顔を上げなかったからか、突然賢者という称号で呼ばれて、僕は慌てて声の主を探した。
隠しているわけではないけれど、賢者と呼ばれるのはあまり好きではない。それを知っていながら声にしたのだろう。声の主は僕の目線が彼女を捕らえたのに気が付いて、満足気に微笑んだ。
声の主は、女性ながらアーディル騎士団宮殿内警備隊隊長という長ったらしい名前のものを務める騎士、アルデ・ハイド・カーボニルだった。
初めて会ったときに、名前からしてフォス――つまり、学院の魔法学科のカーボニル教授の事なんだけど――とはなんらかの関係があるのだろうなとすぐに気がついたのだけど、案の定、彼女はフォスの姪に当たる人物らしい。
そういう関係もあって、彼女は僕が一級賢者である事を知っている。もっとも、フォスが話していなくても、自分から話していただろう。なにしろ、彼女こそ、僕の……片思い、なのかな?ともかく、それの相手なのだから。
「シャルズ様?」
僕がぼうっとアルデを見詰めていたからか、アルデは小首を少し傾げて僕に尋ねた。
その姿は文句なしにかわいいものだ。
僕よりも強くて、僕よりも年上で、僕よりも少しだけ背が高くて――それから、僕よりもずっとかわいい人。
キールが言っていたような激しい感情があるわけではないけれど、彼女といれば会話が一つもなくても、なんとなく幸せに思える。それもまた、キールとは形の違う恋かなって僕は思うんだ。
そう、きっと僕は彼女に恋をしている。とても、穏やかな恋を。
「アルデは、どうしてここに?」
「シャルズ様がいるような気がしたから」
分かってるよ。それが本気の言葉じゃないって事。
僕を持ち上げるためだけの言葉なんだって分ってはいるんだけど……やっぱり、その一言だけでも嬉しい。
「僕も、アルデがいるような気がしたから」
本当は、いつの間にかたどり着いていただけの事。だけど、僕の言葉はきっと全てが嘘というわけじゃない。無意識の行動は、自分の望みなんだから。
アルデは僕を見て、くすりと笑った。
「じゃあ、私達、同じ感覚を共有していたんですね」
その何気ない一言が飛び上がらんばかりに嬉しいだなんて、アルデには分からないだろう。
いつもと同じ顔をしながら、彼女の前でだけ必死に自分なんだってこと、アルデには分からないだろう。
だから、僕はいつもと同じように、いたって平静を装って、そうだね、と答える事しか出来なかった。
「そういえば、アルデ、エイジュの特訓していたんじゃなかったっけ?」
エイジュは僕の騎士になりたい、と無理やり騎士団に入団したのだ。当然、魔精である彼に剣術の基礎があるはずもなく、魔精に剣術を教えるなんて、と渋る騎士団の面々を制して、アルデがその特訓役を引き受けてくれたのだ。
僕としては、アルデとの接点が多少なりとも増えるので嬉しかったけど、アルデの訓練は半端なものではないらしくて、エイジュは毎日死にそうな顔をしている。
「それが、訓練についていけなくなって、とうとう倒れてしまったんですよね。だから、暫くお休みなんです」
「ああ……そうだったんだ。じゃあ、アルデも訓練、お休みだね」
「ええ。でも、他にも仕事がありますから」
なかなか休みがもらえないの、とアルデは苦笑を浮かべた。
アーディルの王宮内で一番忙しいとされているのが騎士団の人間だ。魔法使いはいるだけで箔がつくとか、そういった理由で、仕事自体は多いものの、休みを返上してまで働くような事態は滅多にない。反対に騎士団はいなければ格好がつかないとかいう理由で、休みを返上してまで働かなくてはいけないらしいのだ。
「シャルズ様はお忙しいの?」
僕は軽くかぶりを振った。
「賢者は賢者でも、僕はどこの国にも属していないからね。多分、フォスみたいに、どこかの国の顧問賢者になれば、きっと忙しいんだろうけどね」
「だけど、シャルズ様は……」
何か言いかけて、突然アルデは言葉を切った。
「だけど、僕は?」
その続きが気になって、僕は思わず緊張して尋ね返す。
アルデは僕の問いかけに勇気を得たように、小さく深呼吸をしてから、僕の目をまっすぐ前から見詰めてきた。
「だけど、シャルズ様はいずれこの国の顧問賢者になられるおつもりはあるのでしょう?」
メラフィと結婚して、この国の王様になるんでしょう?――てっきり、そう訊かれるんだとばかり思っていた僕は拍子抜けした。
だけど、考えてみれば、アルデがそんな事を尋ねるはずがない。なにしろ、その話は僕がもう少し大きくなるまで進む事はないはずだし、今はまだ国王とその周辺という小さな世界で起きているだけの話だ。アルデがその話を知っているはずがないのだから。
「シャルズ様は、この国を捨てては行かないのでしょう?」
僕は頷けなかった。
どうして、と尋ねられたら、答えることは出来ない。
ただ、アルデが酷く真剣で、僕も真剣に答えなくてはいけないと、そう強く感じて――。
だから簡単に、うん、なんて答える事は出来なかった。
アーディルという国は未だ幼すぎて、賢者として世界を知ってしまった僕が、アーディルを見切らないと言い切れるだけの理由がない。
無条件にこの国を好きでいられるほど、僕はこの国を――生まれ故郷という以上には――知らない。
だけど、ただ、一つ分かっている事は。
「アルデがこの国の事を好きでいる限り、僕も出来る限りこの国を好きでいるよ」
僕が言うと、アルデはどうしてか、ありがとう、と一言呟いた。
僕は修練場に添えつけられているベンチに腰を落ち着けて、両手で顔を覆った。
アルデは、どうやら仕事があるらしく、数分前に部下らしき騎士に呼ばれて、修練場を後にしていた。
アルデがいると、恐ろしく時の流れを早く感じる。目を閉じて、一瞬きすれば一時間は過ぎているような、そんな感覚。だから、彼女が居なくなれば、歪められた時の流れが本来の流れを取り戻そうとするかのように、一気にその速度を緩めた。
「告白すると思ってたんだが、結局、しなかったのな」
背中に声をかけられて、僕は両手を顔面から離した。
その声の主がキールであることは見なくとも分かってはいたが、無視をするわけにはいかない。
「立ち聞きしてたわけ?……非道だね」
「立ち聞きしていて面白い話題がありゃあいいけどな。結局、何もしなかったんなら、面白くもなんともないだろ」
僕はキールに目を向けずに、口の中だけで舌打ちをした。
キールにまともな答えを望んだ、自分が間違っていたのだろう。
「告白は……やっぱり、メラフィにきちんと言ってからじゃないと」
僕が呟くように言うと、キールはどうやら口の端を歪めて笑ったようだ。
「言えるのか?」
「言うよ」
僕は即答する。一拍の間もおく必要はなかった。
アルデと会って、僕は改めて自分の気持ちを理解した。
僕はやっぱり、アルデの事が好きだ。だから、メラフィと意味のない婚約を続けていくわけにはいかない。
僕はまっすぐ真正面から、キールの顔を見た。
「メラフィに、きちんと言う」
「ふん?」
キールはにやりと笑った。
「姫さんが泣いてもか?――お前がアルデに振られるかもしれないのに、か?」
僕は頷いた。
確かに、キールの言っている事は理解できる。それでも――
「誰も傷つけないってのは、理想だよね。まあ、僕は正直、他人がどうなろうと知った事ではないけれど、でも、メラフィの事は認めているから、泣かれるのは辛い」
キールは頷く事で、僕の言葉を促した。
「けど、自分が内向的に傷付くのは、もっと嫌なんだ」
自己中心的で、自分さえよければそれでいい。その考えを思いっきり前面に押し出した僕の呟きを、けれど、キールは否定しなかった。
もしかしたら、キール自身が僕以上に自己中心的だから、僕が言った事が正しいと思ったのかもしれない。
人間的に非道な事ですら、軽くやってしまえるキールの事だ。それもあながち間違いではないだろう。
けれど、僕はキールが黙って僕を否定しないでいてくれるから、続けて言葉を紡いだ。
「メラフィが泣いても、メラフィが傷付いても、僕はアルデの事を好きでいるのは、やめられないよ」
だろうな、とキールは返してきた。
別に、キールの答えを望んでいたわけではないから、僕は驚いた。そんな僕を見て、キールはふっと笑った。
「すげぇ顔してんぞ、お前」
きっと、驚いた顔をしている僕が珍しいのだろう。それは、僕自身も分かっていたから、僕はそれに対しては何も返事をしなかった。
何しろ、ここで変に認めたら、後々からかわれるに決まっているのだ。
「ところで、キール。……やっぱり、男は顔だと思う?」
僕の急激な話題の転換についていけなかったのか、今度はキールがおかしな顔をした。
その後、それに気付いたのか、困惑したような表情で、頬をさすっている。
「それとも、財産とか?」
「お前ね……」
「何?」
僕は努めて可愛らしい笑顔を作って、首を傾げてみる。キールはがくりと脱力して、肩を落とした。
「お前、いい性格しているよ」
それは褒め言葉としてとることにした。何しろ、キールの性格からしてまともではないのだ。そのキールに「お前ってほんとまともだよな」と言われる方がショックだろう。
「うん。それで、男は何で勝負なんだろう」
キールは顎に手を添えて、遠くを見詰めた。
「男には、理想を求めているんじゃないのか?」
意味が分からなくて、キールを見詰めると、キールは僕に目を向けることもなく、ふと苦笑を浮かべた。
「完璧なのがいいんだろ、きっと」
……それって、僕は駄目じゃないか。
何しろ、僕は魔法使いの血を引いていながら、魔法は一つも使えない。賢者ではあるけれど、どこかと契約を結ぶ気もない。甘いものにはつられやすいし、意外に流されやすいし。と、欠点を並び上げればきりがない。
僕が唸っていると、キールは僕に目を向けて、くつくつと笑い始めた。
「何?」
「いや、人が悩んでいるのって面白いなってな」
キールはにやりと笑って、きびすを返して、修練場を後にしようと歩き始めた。
「ああ、そうだ」
ふと、足を止めると、僕を振り返って、
「蓼食う虫も好き好きってな」
「どういう意味?」
キールはにやりと笑って、再びまっすぐ前に視線を戻した。
「人の好みには個人差があるらしい」
僕はキールの後姿を見詰めながら、内心で首を傾げた。
……それって、僕にも可能性があるって事?
「シャルズ様、私に好意を持ってるそぶりだったよね?」
私室の中で、アルデは魚のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、小さく呟いた。
アルデの持つ魚のぬいぐるみは、騎士団副団長キャニオンが実家に里帰りした際、お土産として購入してきたものだ。しかし、それはあまりにもリアルすぎて、多くの人々の手をわたり、アルデのもとへやってきたといういわく付きのものである。とはいえ、アルデは意外と気に入っていたりするのだが。
「……ねぇ、シャルもそう思うよね?」
アルデは魚のぬいぐるみ「シャル」の瞳をつんとつついて、ごろりとベッドに横になった。白い天井が目に飛び込んでくる。
「絶対、好意あるっぽい言葉だったよね?」
ぎゅーっと「シャル」を抱きしめると、つるつるとした表面の冷たさが、アルデのほてりを収めてくれた。
「シャル」は、つるつるとした表面をしているからか、年中冷たいのだ。本来、ぬいぐるみにあるような温かみというものは存在しない。夏場は重宝するが、冬になると辛い。
「それとも……それとも、もしかして、私、自意識過剰なだけかなぁ」
ぽふぽふぽふぽふ。
アルデは天井を見上げながら、「シャル」の腹の部分を軽く殴りつけた。
「……嬉しいって思っちゃった……」
ただの思い過ごしかもしれないのに。
ただ、意識しすぎているだけかもしれないのに。
「本当だったら、嬉しいな」
・・・・・・・・
「キーさん……」
呆れたような声が背後から聞こえてきて、キールは右耳からイヤフォンをはずした。
「それ、何?」
青年――キャニオンが指したのは、キールが持っていた黒いイヤフォンだ。
キールはにやりと笑った。
「キャニオンの土産品に盗聴器を少々ね」
「キーさん、それは人としてしてはいけない行為じゃないか?」
キールは再びにやりと笑う。
「俺は人間を超えているからいいんだよ」
キールの言葉に納得したのか、呆れたのか、キャニオンは一つ息をついて頷いた。
「わかった。で、今、その盗聴器付きぬいぐるみは誰のとこ?」
「アルデ。お前の部下だろ?」
キャニオンはこくりと頷いた。
キャニオンの直接の部下というわけではないが、騎士団の副団長という立場から、騎士団の班長レベルまでの部下の顔ならば名前と一致させる事が出来る。
「あんまり、人から離れすぎないようにね。俺もそうそうフォローはしてられないからさ」
「おう、善処する」
善処じゃ駄目なんだよ。
キャニオンの呟きを、キールは無視をする形で、再びイヤフォンを手にした。
「キーさん」
「片付けるだけだ」
信用がないんだな、と呟くが、信用があるはずがない。
キャニオンは、キールの言動を黙って見詰めている。キールはそんなキャニオンに苦笑を向けた
「別に犯罪を犯しているわけじゃないぞ」
「限りなくそれに近いけれどね」
「いいじゃないか。――いろいろと面白い事も分かったしな」
その言葉に、キャニオンが訝しげにキールを見た。
キールは得意げに笑ってみせる。
「一応、報告。シャルズがアルデに恋しているのは一目瞭然。その上、アルデもシャルズにまんざらでもない様子だぞ」
「知らぬは本人ばかりだね」
キールの満面の笑みに、キャニオンは疲れたような声をあげた。