[一括表示] アーディルの隣国の一つにジョジョスという国がある。 国土の周り275度をアーディルに囲まれ、残りの85度は海に面す上、保有する国土もアーディルの王都一つ 分の広さしかない。それを隣国と呼んでいいものなのか、それは大いに悩むところではある。 その小さな国は13の街に分けられ――多少の差はあるものの、一つの街にはせいぜい10件程度の建造物しか ないはずだ――大きな事故が起こった際には、アーディルの救急車が助っ人に駆けつける、というなんとも摩訶不 思議な国ではあるけれど、ジョジョスは一応、一つの独立した国家として認められているらしい。 その国の、第一王子と第三王子が揃ってアーディルへやってきた。その目的は、顔見せ、に他ならない。独立国 家であるとはいえ、アーディルの支えなしでやっていけるほど、ジョジョスは強くはないのだ。 「お久しぶりです、アーディル国王陛下」 第一王子、ジョジョス・セルシウスがそっと膝を付き、頭をたれた。 「こちら、私の弟に当たります、ジョジョス・ファーレンハイトでございます」 名を紹介されて、第三王子が同じように膝を付いた。気の強そうな瞳がアーディルの国王であるマスターに向け られ、再びそっと伏せられる。 「お初にお目にかかります、陛下」 僕は、そんな二人の様子を国王の執務室の端っこから、じっと見詰めていた。 歴史編集室、略して歴編室室長である僕の立場では、ジョジョスからの来賓を迎える事はおろか、国王の執務室 に入る事すら許されていない。しかし、次期国王であるメラフィの顧問一級賢者である僕は、大抵の事が許可され ているのだ。 だから、僕の中の「おかしな国ランキング」の上位に入るジョジョスという国の王子がやってくる、と聞いて、 僕は会見に同伴する事にしたのだ。勿論、一級賢者という事は隠して、だけど。
「セルシウス君、君の下にはもう一人弟君がいたのではなかったかな?」 第一王子が穏やかな笑みを浮かべながら、小首を傾げた。意味不明の返事だ。 第一王子がセルシウスで、そしてファーレンハイトが第三王子だというのならば、その間に第二王子がいるはず だ。それは、ジョジョスには三人の王位継承権保持者がいる、という僕の知識にも当てはまる。 それなのに――他でもない、実の弟の事だというのに――返事は、どうでしょう、という酷く曖昧なもので、ち らりとマスターに目線を向けると、彼もまた僕と同じように困惑した表情を浮かべていた。
「……幼くして亡くした……とか、そういった事情でも?」 今度はきっぱりと答えが返ってきた。 「ただ、第二王子らしき人物とは、少々性格が合わないようで。様々は理由から、馴れ合うことが出来ないともい えますが。――H.G.マーキュリー」 第一王子が続けながら、従者らしき人物を呼んだ。ジョジョスでは、ファミリーネームが先に来るから、マーキ ュリーというのが、従者自身の名前なのだろう。 「出過ぎた真似は重々承知で解説させていただきます」 従者は一歩踏み出して、膝を折った。その動作は流れるように優雅だ。一介の従者だというのに、しっかりと教 育されているのがよく分かる。 彼はいくつなのだろう。僕は首をひねった。 若いといえば若いのだが、かもしだす雰囲気はあまりにも落ち着きすぎていて、実はマスターと同い年なんです 、と言われても信じてしまうかもしれない。むしろ、マスターの方が落ち着いていないのではないだろうか。
「それでは……。――私は第二王子とは次期王位の事で争っておりまして、彼が私を敵視している以上、第二王子
と行動を共にするわけにはまいりません――との事。これでよろしいですよね、殿下」 第一王子はにこりと微笑んだ。 正直、僕には理解できなかった。何故、第一王子の言った言葉が、あんな解説になるのか。そして、それが正し い解釈だったとして、従者は何故、理解できるのか。 「成る程。あまりにも曖昧な言葉回しだったので、理解が出来なかったよ。君――マーキュリー君だったっけ?君 はよく分かるね」 マスターも僕と同じ思いだったらしい。僕と同じ疑問を、口に乗せて従者に尋ねた。 「マーキュリーの名付け親は長兄ですからね」 しかし、その答えを返したのは従者でも、その主でもなく、第三王子であった。 名付け親。その響きにぴんとこない僕は首を傾げる。僕がいるのは部屋の端っこで、僕の存在すら気に留めてい ないだろう第三王子は、それでも、僕が疑問に思ったのを知ったかのように言葉を続けた。 「名付け親ってのは、少し意味が違うかな?だけど、長兄が古き名を捨てさせてH.G.マーキュリーという名前 をつけたのは事実ですから」 だから、マーキュリーは長兄のみに絶対服従なんです。 のみ、という部分を強調して、第三王子はにこりと笑った。だけど、その微笑が計算されたような笑みに感じた のは僕だけだったのだろうか。 「忠実なる部下は大切だよ。それが行きすぎか否かは別としてね。――ところで、君達が来たのには、何か別の思 惑があっての事かな?――例えば、セルシウス君が王位につく為の根回し、とかね」 マスターは射抜くような視線を第一王子に向けた。 普段は穏やかで何を考えているのかわからないマスターではあるが、流石は内乱で勝利を治めた勝者というべき か、酷く鋭い一面も持つのだ。それを見せるのは滅多にないけれど。
「それを完全に否定するわけにはいきませんが」 しれっと第一王子が答える。 ……なんだか、その教えと「曖昧」ってのは違うような気がするんだけど……。 「……ジョジョスの国王は亡くなられたのかい?」 そういえば、亡き父、と第一王子は言ったっけ。しかし、予想に反して第三王子はかぶりを振った。 「長兄が言ったのは、そういう意味ではありません。『亡き父』はぴんぴんしておりますよ。ですが、年齢的には ――」 第三王子は言葉を切って、にっこり笑った。それ以上、言葉を続ける気はないようだ。 「ところで、陛下、私は長兄とは別の用件で参りました。ご存知の通り、ジョジョスには学院がありません。将来 、長兄のよき補佐となれるように、アーディル学院への留学を許可していただきたいのです」 話題をがらりと変えて、第一王子は真摯な瞳をマスターに向けた。とはいえ、それがどこまで本気かなんて分か らない。僕が思うに、この第三王子、かなりの猫をかぶっているようなのだ。 性格がひねくれ曲がっていても、基本的に素直な人物しか回りにいない僕にとって、そういうタイプはかなり苦 手だ。あまりお近づきにはなりたくない。そう僕が考えているというのに、マスターが無情にも僕の名前を呼んだ 。一応、立場というものがあるからか、君付けではなかったけれど。 「何か御用でしょうか」 本当は丁寧な言葉遣いをするのは、かなり嫌なのだけど、流石にジョジョスの王子二人を前にしていつものよう に喋るわけにもいかない。 僕は数歩前に歩み出て、軽く膝を折った。
「君は学院を卒業していたね。専攻は魔法歴史学だったかな?」 実際には卒業しているわけではないが、一級賢者が学院の卒業生でなかったら体裁が悪いという事で、僕は一応 、学院卒、という事になっているのだ。 「ファーレンハイト君に学院の事を教えてあげてくれないかな。留学するにしても、君の推薦があれば確実だろう し」 僕は一瞬固まって、仕方がないと頷いた。
だけど、学院の事なんてほとんど知らないんだけどなぁ。僕。
「お名前は?」 部屋を出るなり名前を聞かれて、僕は素直に名前を告げた。 「成る程、名前も可愛らしい」 と、ここで僕の右手を取って、軽いキス。 ……と同時に、第三王子は僕の顔を驚いたように見上げてきた。そのまま、ごしごしと自分の口を強くこすって 、そして、紡ぎだされた言葉は―― 「オレの第八感が告げたっ!お前っ、ほんとは男だろ!」
……本当は、も何も……僕、始めから男なんですけど。 しばらく驚いたように叫び声を上げていた第三王子は、へらりと笑って、僕に右手を出してきた。僕は不本意な がらも、右手を出して、軽く握手をしてやる。 大体、叫びたいのは僕の方だ。キスって、されるほうがするほうよりもずっと嫌なもんじゃないか。 僕が微笑みながらも、本心で微笑んでいない事が分かったのか、第三王子は困ったように頭をかいた。
「ほんっとに悪かったって。えーっと……コールストーム?」 必要以上に冷たく言うと、第三王子は再びばつの悪そうな顔で僕を見詰めてきた。僕がかなり怒っていると思っ ているらしい。本当はそんなに怒っていなかったりもするんだけれど。もともと、僕って怒りが持続する方ではな いし。 だけど、小国とはいえ一国の王子の困惑する顔なんて、そうそう見れるものではない。僕はあえて無表情のまま 第三王子に目を向けた。 「シャ〜ルズ、せぇかく悪いのね。わかってたけどねぇ」 くつくつと笑う声と共に、僕の後ろから声が響く。振り返るまでもなく、それがキールである事は分かっていた けれど、その言葉の内容に、僕は少しばかりの抗議の意味も込めて背後を振り返った。
「僕の何処が性格悪いの?」 それは正しいかもしれない。 むう、と僕が考え込むと、第三王子が焦れた様に声をあげた。 「って、今の怒り、演技?」 うん。 僕が軽く頷くと、第三王子はがっくりと肩を落とした。どうやって謝ればいいのか、本気で考えちゃっただろ。 なんて事をぶちぶちと呟きながら、僕を恨みがましく見詰めてくる。仕方がないので、僕はとっておきの笑顔を彼 に向けてやった。 そのおかげかどうかは分からないけれど、第三王子は気を取り直したようにキールに目を向けた。 「ところで、お前、誰だ?」 その命令の仕方が堂に入っていて、彼はやはり生まれながらに王家の人間なんだと感じさせられる。王家とまで はいかないけれど、同じように特別階級の僕でも、命令なんて滅多に――というか、今まで一度もした事がないか も――しないから。 「はー……これはこれは……。俺様の第十六感が告げるには、ジョジョス王国第三王子のジョジョス・ファーレン ハイトデンカサマ?」 そういえば、キールはさっき、執務室にはいなかった。という事は、第三王子の顔を見るのはこれが初めてなの だろう。 第三王子はキールに目を向けて、小さく息をついた。 「ファーレでいい。ジョジョスの人間でも、オレの部下でもないんだから、別にこびへつらう必要はないんだから な」 と、そのまま僕に目を向けて、シャルズもな、と第三王子――ファーレは続けた。僕は、なんとなくそのまま頷 いてしまう。その方が楽でいいし。 「で……貴方は?」 今度は幾分か柔らかめに言う。これ以上威圧的に言っても意味がないと感じたのだろう。その辺の切り替えの早 さは賞賛に値する。 「俺はアーディルの筆頭魔法使いキール・スプリング・ファルビアンだ」 ファーレは大きく目を見開いて、まじまじとキールを見詰めた。驚く気持ちもよく分かる。キールのその姿はア ーディルの筆頭魔法使いには見えないのだろう。 キールはそんなファーレににやにやとした笑みを向けて、僕を人差し指で指した。ファーレの視線がそれに促さ れるように僕に移動する。
「因みに、シャルズはああ見えても歴史編集室の室長とやらをつとめる、優秀な人物だ。その上……」 キールの言葉尻を受け取って、僕はにやりと笑いながら後を続けた。 どのみち、アーディルの学院にファーレを推薦する時は一級賢者の権限をつかうつもりだったのだし、別に彼に は隠す必要もない。そもそも、王家に名前を連ねる人間ならば、誰が一級賢者であるかは簡単に分かる事なの だ。 ファーレは先刻以上に目を見開いて僕を見詰めてきた。しばらく呆けていて、やがて、ファーレは困ったような 笑みを浮かべた。
「面白いな、アーディルって」 大体、国自体がおかしい。どうして、あの小さい国が13個に別れていて、きちんと国として成り立っているの か不思議で仕方がない。 「そういえば、ジョジョスって王位争奪戦みたいなのをしているんでしょ?」 僕はふと思い出して、ファーレに尋ねた。 ジョジョスでは強い王しか認められない。その為、王位継承権を持つ、我こそは国王にふさわしい、という人間 が参戦し、次期王位を争うのだという。先ほどのマスターとの話から推測するに、ジョジョスは現在、その王位争 奪戦の真っ只中らしいのだ。 「王位争奪戦ね。長兄様と次兄殿下が争ってるな。まぁ、結果は目に見えて明らかなんだけどさ」 そういうファーレの口調は淡々としたもので、王位争奪戦に興味があるとも思えない。第三王子として決して人 事ではありえないのに、まるで人事のような響きさえ含んでいる。 僕は首を傾げた。
「というと?」 かなりの自信家の言葉だ。それだけ、自分に自身があるという事なのだろうか。 「……裏付けでもある?」 興味に駆られて尋ねると、ファーレは何事かを考えるように腕を組んだ。 「まあね。有りすぎるかもな」 予想通りの言葉だ。苦笑して、思わずキールに目を向けると、キールは面白そうに笑っている。そういえば、キ ールは自分が深く巻き込まれない限りは、揉め事大いに結構タイプの人間なのだ。しかも、彼は何故か、そういっ た人物を見出すことに長けている。 いや、彼の場合、呼び起こして楽しんでいる節さえあるのだ。 「……それだけ自分に自信があるんなら、自分で王位を継ごうとか、考えなかったの?」 これはいたって普通の質問だと思う。だけど、ファーレはわかってないな、といわんばかりに僕の目の前で人差 し指を左右に振った。 「王位なんて継ぐもんじゃなし。オレは長兄様を王位につけた功労者として、一生らく〜に暮らすのです」 それは、ある意味正しいかもしれない。 納得しかけた僕の思考をさえぎって、ファーレは言葉を続けた。
「それに、功労者って事で、多少無茶やっても許されるっしょ?」 鸚鵡返しに尋ねると、ファーレは照れたように微笑んだ。 「オレ、将来の夢があるんだ」 僕よりも年上のくせに、その顔が妙に幼くて、なんだか微笑ましい。少年よ大志を抱け、なんていう羊畑のおじ さんの言葉じゃないけれど、夢を持つっていい事だな、なんて妙に悟った事を思ってしまう。 「へぇ、どんな?」 戻ってきた答えに、僕は先ほどの爽やかなまでの考えを後悔した。 ジョジョス王国第三王子、恐るべし。だって、彼の答えっては無茶苦茶不健全な物だったから。 ……彼は、照れた笑みを浮かべたまま、こうのたまってくださったのだ。 「オレ、ハーレム作って綺麗な女性百人以上はべらすのが夢なんだ」
脱力するのも無理ないよね?……キールは大爆笑してたんだけどさ……。 僕がそう思ってしまうのを、誰が責めよう。将来の夢はハーレムを作る事、なんて事を簡単に言ってしまえる人 がバカじゃなくて誰がバカなのだ。 僕はこっそりとため息をついて、ファーレを見詰めた。 「……ハーレムが夢なんだったら……どうして学院に?」 次期国王の片腕になりたい、という理由だったら納得もいく。それには確かに勉強というのも必要だろうから。 だけど、ハーレムを作る、となると話は別だ。それに相応しい教育課程なんてもの、流石のアーディルの学院にも 存在しない。 「ホント言うと、勉強がメインじゃないんだ。――ジョジョスから離れる事が一番の目的」 しれっと答えると、ファーレはくるりと後方に目を向けた。その目線に促されてか、すたすたと紺色の制服らし きものを身にまとった青年が近づいてきて、優しげな笑みをたたえて、僕に向かって会釈する。僕は、というと、 会釈を返す事すら忘れて、その青年に見入ってしまった。初めて目にするプラチナブロンドの髪が、僕の目に飛び 込んできたからだ。 「これ、オレの魔法使いで、P.T.プラチナ」 ファーレがはにかんだ笑みを浮かべて、僕とキールに青年を紹介した。青年がもう一度会釈をする。今度こそ、 会釈を返しながら、僕は内心で首を傾げた。 さっきの話とのつながりが見えない。 勉強がメインじゃなくて、ジョジョスから離れる事がメインで、プラチナがファーレの魔法使い……ってどうい う事? 「……プラチナ」 僕が口を開こうとした瞬間、それをさえぎるようにファーレが鋭い声をあげた。何事かとファーレの視線の先に 目線を移して見ると、小さな人だかりが出来ている。 プラチナの制服によく似た、だけどどこか違う服を身にまとい、左右にアーディルの門番らしき人物を貼り付け た形で男が一人、僕達に向かって歩いてくる。ファーレは、どうやらその男に目を向けていたようだった。
「あれもファーレの?」 ファーレはちらりと僕に目を向けて、再び僕達に向かってくる男に目を戻した。 「ファルビアン様!」 男の左右にいる門番の右側がキールの顔を見つけて、安心したような声をあげる。左側も、その声でキールの存 在に気が付いてか、安堵の表情を浮かべた。 「助けて下さいっ!この方が、ジョジョスの刺客だって言い張るんです!」 は〜い、ここにもトラブルの種さん登場。 あまりもの半お約束的展開――お約束と違う所は、本人が刺客だと言い張っている所だろう――に、僕はついつ い苦笑を浮かべた。 「……刺客、ね。――お前達、行っていいぞ」 小さく呟いて、キールは門番達を追い払う仕種をする。門番達は戸惑ったように視線を彷徨わせて、僕に縋るよ うな目を向けてきた。 彼らにしてみれば、いくらキールが行っていい、と言っても、自称刺客と僕達だけを残しては行けないのだろう 。だけど、キールがいい、と言っているのだ。確かに門番達はあまり役に立ちそうにもない。僕は苦笑を浮かべた まま、門番達に頷いた。
「キールの言うとおりにして構わないよ。僕もいるから」 門番達は僕の言葉を受けて、それでも心配そうな顔を浮かべながら、持ち場に帰っていく。僕はその背中から目 をそらせて、自称刺客を見た。 年の頃は多分マスターよりも年上。運気のなさそうな情けない顔をしている。どこから見てももてそうにない、 全てに疲れてしまったような、典型的なくたびれたサラリーマン風。 ――加えてハゲだ。 そのくたびれた男は、僕とキールとファーレの顔を一通り見やった後、プラチナで目を留めた。にやり、と口元 が上がり、すぐに視線はそらされる。
「私、不肖ながら、次男ジョジョス・ケルビン様に仕える――」 プラチナが長々と前口上を始めようとした男を目線で制して、懐から二つ折りにされた紙をファーレに差し出し た。なんだか、和やかな空気が二人の周りだけを取り囲んでいる。 僕は、ファーレ達の行動が分からないまま、キールに目を向けた。
「いいの?自称刺客の事」 キールはにやりと笑って、プラチナを顎で指した。 「プラチナの制服の袖に四本の線が入ってるだろ?」 キールの言葉に、二つ折りの紙を前に何事かを悩んでいる様子のファーレの前で、にこにこと微笑んでいるプラ チナを見やる。確かに、彼の制服の袖には金色の線が四本入れられている。 「あれ、ジョジョスの筆頭魔法使いの証だ」 僕が驚いて声をなくしている隙に、キールがぱちんと指を鳴らした。どうやら、小範囲の結界をはったみたいだ 。恐らくは、プラチナがアーディルで魔法を使えるようにする為のものだろう。
アーディルには結界が存在する。それが、魔精を使った魔法以外の魔法の効果を弱めているらしい。だから、ア
ーディルでは、アーディルの独特な魔法しか発展しないのだ。 「シェフの気まぐれ豆腐尽くしコース、にする」 やがて、ファーレが満足気に二つ折りの紙から顔をあげた。 プラチナは笑顔で頷き、ファーレに一礼をする。
「では、ファーレンハイト様。料理を開始しても、よろしいですか?」 料理って何の事? 僕が目をまんまるにしている間に、プラチナはファーレを背中にかばうように立ち、神経を集中させた。 「まずはおなじみ、冷奴!」 再び前口上を始めようと口を開いた男は、プラチナの放った水系の魔法に先制された。他国の魔法についてはあ まりよく知らない僕だけど、それでもプラチナの放った魔法がそれなりの威力のものだという事はすぐわかる。 「流石は筆頭、オリジナリティにあふれてるな」 キールが面白がるように口笛を吹いた。 「続いて、麻婆豆腐、激辛バージョン!」 そして続いたのは、炎系の、おそらくは高位の魔法。 それで、僕はようやく分かった。彼は――ジョジョスの筆頭魔法使いであるP.T.プラチナは――ファーレの 選んだメニュー通りに魔法を使っているのだ。まるで、コース料理のシェフのように。 「高野豆腐もお付けします!」 辺りは瞬く間に風に飲み込まれ―― 「デザートには杏仁豆腐を……」 白い霧が辺りを包み、やがて、静けさを取り戻した。 男がいた場所には何もない。彼は一体どうなったのだろう。僕がぼんやりと考えている間に、キールはもう一度 指を鳴らし、結界を取り去った。 結界のせいだろうか。辺りは魔法の効果を受けていないようで、何事もなかったかのようにいつもと同じ風景が 広がっている。 「……あの人、死んだの?」 僕の問いに頭を振ったのはファーレだった。
「一人では到底戻ってくる事は出来ない程の遠くへ飛ばしただけだろ。……運がよければ、戻ってくる事も出来る
だろう」 そういう問題だろうか。 「だって、後味悪いの、嫌じゃないか」
ファーレは、僕の心の中を読み取ったように小さく笑って呟いた。 僕はいつもどおりウルトラミラクル宇治金時を食べていて、甘いものは好きだけどあんこは嫌い、というファー レはみたらし団子を食べていた。 僕は歴編室の室長になってから、ようやく制限つきではあるけれど一人行動を許されるようになって、ファーレ は、というと学院へ入学を果たした。という事で、そのお祝いを兼ねて数珠に来ているというわけだ。 「僕、プラチナさんはファーレと一緒にアーディルに残るんだと思ってた」 しゃくしゃくと宇治金時にスプーンを突っ込みながら言うと、ファーレはぱたりと手を止めて、机の上に肘をつ いた。 「プラチナは筆頭だからさ、長兄様が王位に就くには筆頭の力は必要不可欠だし。……だから、貸し出してん の」 ジョジョスに新国王が立つには、ジョジョスの13の領主がその王を認めないとならないらしい。当然、力が物 を言う世界で、筆頭魔法使いはかなり重要な位置にいるのだろう。
「もしかして、その為?」 肘をついたまま、ファーレが僕に目を向けてくる。
「アーディルの学院への留学」 ファーレは少し考えて言った。数秒の沈黙に、それだけじゃないことを僕は知る。あえて問う必要がなかったの は、それからすぐにファーレが言葉を続けたからだ。 「あとは情報、だな。ジョジョスにいたら純粋なジョジョスの情報は手に入らない」 あれから、アーディルの学院への留学の手続きをするのに幾度か話していくうちに知ったのだけど、ファーレは その道では有名な情報屋らしい。情報を制するものは世界を制す、という事か、ジョジョスの第一王子と第二王子 はその能力を高く評価していて、弟だから、というよりも、有能な情報屋としてファーレを手に入れたがっている らしいのだ。
「後は身の安全。オレの顔は案外と知られていないし、プラチナがいなかったら、多分、誰もオレが第三王子だと
はわかんないだろうな」 ファーレはしばらくじとっとした視線を僕に向けてから、ため息をついて最後のみたらし団子に手を伸ばし た。 ファーレがプラチナを慕っているのは、数時間一緒にいればすぐに分かった。元教育係で、プラチナの名前を与 えたのもファーレらしく、とにかく物心ついたころから一番近くにいた人間だったらしい。
「もしかして、プラチナさんとこんだけ長く離れるのって初めて?」 指折り日にちを数えて、ファーレは机に突っ伏した。 たかが三日。でも、ファーレにしてみれば、されど三日。 僕には、そこまで執着した人間がいないので、よく分からないけれど、ファーレにしてみれば半身を引き裂かれ たようなものと同じなのだろう。そういう人間がいるっていうのは、正直、少し羨ましい。 僕は数日前のファーレとプラチナの別れの情景を脳裏に浮かべた。 ……学院にいる間は会いに来るな。そう言っていたのはファーレだ。ぎゅっとプラチナのマントの端を握り締め て、不安げな瞳を向けながら、というなんとも説得力のないものではあったけれど。
「ファーレ、寂しいんでしょ」 茶化すように僕が言うと、ファーレは即答を返してきた。僕は調子を崩されて、それ以上何も言えずに宇治金時 を口に運んだ。抹茶とミルクの味わいが口の中に広がる。
「素直に寂しいって言えばよかったのに」 一応、国の事も考えての事らしい。それ以上に、プラチナに自分はちゃんとやっていける、という所を見せたい 、というのもあるのだろうけれど。 「う〜っ……プラチナに会いたい〜っ」 突っ伏したまま言うファーレに目を向けたまま、僕は宇治金時の最後の一すくいを口に運んだ。 この姿を見ていると、ハーレムを作るのが夢、と言った男だとは到底思えない。僕はスプーンを名残惜しく思い ながらも口から離して、ぽんぽんとファーレの頭を軽くはたいてやった。
「まあまあ、少しは我慢しなよ。僕がトモダチにだったらなってあげるから」 ファーレは顔を上げずに、小さく頷く。どうやら、我慢をしきる自信がないらしい。僕は内心で苦笑を浮かべた 。 「いよいよ我慢しきれなくなったら、ファーレから会いにいったら?」 僕が言うと、ファーレはきょとんとした視線を僕に向けてきた。その顔が、苦虫を噛み潰したような渋いものに 変わる。 「いつまで我慢出来るかが問題だよな……」 小さく唸り声を上げながら考え込むファーレから視線をそらせて、僕は窓から見える空に視線を向けた。 空はすっかり秋の空だ。ずっと高い場所に、いくつか雲が浮かんでいる。 ファーレはプラチナに会いに行くだろう。それは、限りなく確信に近い、僕の予想。 ――多分、この空が冬の空に変わる前に――
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